10 逆転の言葉
王宮内を歩いていると、周りは私達のただならぬ雰囲気を感じ取っているのか、距離を置いている感じがした。
ひそひそと聞こえてくる声のいくつかに至っては
「どうしたというのでしょう……昨日も今日も何か常ならぬ事が起きているのでしょうか」
「……あのものはハッサン殿なのだろうか? あまりにも振る舞いの雰囲気が違う」
「あちらの女の子は、昨日兵士達に引きずられていた可哀想な女の子でしょう」
と口々に言っている。やはりあの時、ハレムに入りたくないと大騒ぎした事は、私にとってかなり有利に事を進める方法になっていた、らしい。
あの時大騒ぎをしてよかった、と思いながら、私はハッサンの数歩後ろを歩いていた。
これには事情があり、ハッサンが、私が前を歩く事に関して難色を示したのだ。
別にそれは、妻は三歩後ろを歩けとかそんなのではなくて、ものすごく大真面目に
「お前が前を歩いていたら、俺は盾になれん」
こう言った結果である。私は別にあなたを盾にするつもりはないのに、と言い返した私。
しかしハッサンはこう続けたのだ。
「何事かが起きてからでは遅い。俺はお前の事に関しては、もう後悔をしたくない」
結局それに押し負けて、私は彼の後ろを歩いている。親父に至っては私の隣についている。
普通通りの歩き方の親父は、私と違って緊張したりしている気配がない。
王様にこんな形で呼び出されているのにだ。親父のずぶとさに似たものを改めて感じている。
そんな状況で歩き続け、私達は文官の人達にさらに案内されて、私としては昨日ぶりの執務室に入ったのであった。
執務室の椅子の上では、王様があからさまに機嫌を損ねた顔をしている。近くには、私達の事を助けてくれるつもりなのだろうか、お世話になっている女官長が控えている。
そして近衛兵の人達も、私、ハッサン、親父、と現れたものだから、どこか動揺している様子だ。
「まじで女官長の言った通りだったのか」
「本当に秒速で結婚しやがったあいつら」
「陛下がハレムに入れるって言ったのにな……」
「命が惜しくないのかあいつ」
そんな事をこそこそと話し合っていたのだが、王様の一睨みでそれは止まり、王様の前に私達は膝をついた。
「で?」
明らかに苛立った調子で王様が言う。で、だけで何を言いたいのか伝わるわけがないだろうに、まともな会話をする姿勢位見せろ、と私は内心で突っ込んだ。
そしてハッサンは黙っているし、親父も黙っているし、私も何て言えばいいのか全く分からないから待っている。
そんな状況に、更に苛立ちを募らせたのか、王様が言う。
「ハッサン。俺がハレムに入れると言った女性と結婚を強引に進めるとは、お前には反逆の意思があると思われても、仕方ないとわかっているか?」
そうか、やっぱりその方向に考えられてしまうのか。私はハッサンを庇うべく口を開こうとして、頭を垂れているハッサンがゆっくりと顔をあげた事で、何も言えなくなった。
王様も、頭を垂れて膝をついているハッサンが、直視させないようにしていた顔を持ち上げた事で、息をのんでいる。
超高温の黄金が、王様をまっすぐに見ている。
「陛下」
静かな静かな声があたりに響く。さっきまでざわめきに満ちていた執務室が、一気に静寂の方向に進み、音一つ無い中、ハッサンが感情を一切見せない声で続ける。
「ハレムに入れられる女性の規定を何もかも無視したと、聞いております。その時点で陛下の行動の方に問題があるとご理解していらっしゃいますか」
周囲は言葉を発せない。私も何も言えなくなっている。
ハッサンから感じられる気配は、王様など小物に思えてくるほどの、大物の気配なのだ。
器が違う、と思わせるような、圧倒的な格の違いと言っていいだろう。
それをいきなり見せつけられて、誰もが言葉を失ってしまっているのだ。
その中でハッサンが続ける。
「なにより、私に反逆の意思があるはずがありません。私はしがない近衛兵の中でも、階位の低いものでございます」
「俺がハレムに入れると言ったのにか」
「陛下は私に妻を紹介してくださった事を、まさかお忘れではありますまい。家臣に紹介した女性を、自己都合でハレムに入れるなど、陛下らしからぬ振る舞いでありましょう」
「その娘は、王鏡に夫を映したのだぞ?」
ハッサンからにじみだす只者ではない気配に、苛立ちを失ってしまったのか、王様がどこか震えた声で反論する。その時だ。
「……はっ」
呆れたという調子で、ハッサンが耐えきれず、といった風に軽く笑い声を立てたのだ。
まさかこの場でそんな事が出来るとは、と誰もが固唾を飲んで見守る中、ハッサンだけが言葉をまともに発している。
「陛下は、王鏡が王たる王を映さない時の条件を、存じていないご様子ですね」
「お前は知っているのか? 誰も条件を見出していないのだが」
「私めが王鏡の記述を読ませていただいたところ、王鏡が王たる王を映さない時には、ある程度の条件がそろっているようです」
「……言っていただけるか、ハッサン殿」
文官の一人が、必死に言葉を発した。視線はハッサンを見ようとしない。必死に視線をそらし、震えている。
「では、ここでこのハッサンが気付いた事をお伝えいたしましょう。王鏡が王たる王でない者を映す、その時必ず、砂漠を名君が統治しているのです」
「なんと……」
文官が本当なのか、といった風に声を出す。誰も知らなかった事を、ハッサンは続ける。
「そしてその時に映し出された人間たちは皆、鏡の前に立った者が会いたい、出会ってみたいと思う人間であるのです。子供のいない女性が映したのは、夫によく似た子供。忠実な部下を欲したものの前に映ったのはぼろを着た少年。そしてその少年を探した出した結果、少年はそのものの得難い部下に。そして、私の妻が映し出したのは、昔結婚を誓いながらも、別れも伝えられずにいた大昔の私」
「……確かに、部下を求めた大臣の記載はあった……そしてその大臣が見つけた少年は……一生の部下になった……」
誰かがそうだ、今気が付いた、という調子で言う。
ハッサンは王様をまっすぐ見て、王様の顔がどんどん蒼褪めていく事もお構いなしに言う。
「ですから、陛下は勘違いをなさったのです。砂漠きっての名君である陛下の統治の世の中で、妻が偶然王鏡の前に向ってしまい、大昔の私を映した。そして……陛下に問われた時に、嘘偽りのない事を伝えたまでの事です。陛下。そして私達は大昔の約束通りに婚姻を結んだ」
これらのどこに、反逆の意思があるのでしょうか。
静かで、周りを黙らせる迫力を伴ったハッサンの声に、時が止まったように誰も動けないままでいた。
「王鏡も、名君の統治下という事で、王たる王以外を映す余裕があるからこそ、気まぐれに現れ、偶然そこに迷い込んだもの達に、きっかけを与える物を映すのでしょう」
ハッサンはそうしめくくり、誰も何も言えない中、最初に息を吹き返したのは親父だった。
「ああ、なるほど……。王鏡は気まぐれというのは真実か」
独り言のようにそう言った親父が、王様の方を向いて言う。
「陛下。私の娘と陛下の紹介した恋人であるハッサン殿が結婚した、それのどこに問題がありますか? 王鏡が映したのが王たる王ではなかった事も、間違いなく明らかなのです。陛下も、無理やり娘をハレムに入れて、平穏を乱す事は望ましくないでしょう」
これらの言葉に、しばらく王様は黙った後に、こう言った。
「確かにな。王鏡に夫を映したと言われなければ、お前の娘などハレムに入れる事は考えられない。そして王鏡が映したのが、きっかけを与える何かならば。俺はハレムにお前の娘を入れたくはない。好みでもないしな」
「では」
親父が身を乗り出すと、王様が言う。
「この話はもうしまいだ。ハッサン、俺の思い違いでお前達の結婚を速め過ぎた事は悪かったな。お前にもその妻にも悪い事をしてしまった。お前達に罰則などはない。安心して過ごせ」
そこまで言った後に、王様がぼそりという。
「ハレムの規定に関して、一晩中女官長から説教を受けるのはもうこりごりだ」
絶対そこが大きいだろう、と私は思ったものの、とりあえず一礼し、親父も私もハッサンも立ち上がったのだった。




