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8 呼ばれたかった音がある

「本当に大丈夫なんでしょうか。王様の命令に逆らって結婚するという事は……」


私は女官長の部屋で大人しくしながら、女官長に問いかけた。

砂漠の王様って相当な権力を持っているのだし、まさか早く結婚しろとたくさんの女性に言われる事になるとは思ってもいなかったので、こんな事になるなんて、という言葉がぴったりな状況なのだ。

彼女達に何か被害が出ては、と心配になった私に、女官長が言う。


「あなたという、楽師の娘でハレムに入る規定を満たさない女性が、王の気まぐれだけで月の部屋に入るという事の方が、これからのハレムにとって大問題になりますから、あなたは安心してハッサンと結婚し、陛下が手を出せない状態になればよいのです」


「そんなにうまくいきますか?」


「はい。王の気まぐれで、本来他国の姫君がハレムに入る時のみ使用する部屋に、あなたのような身の上の女性を入れる事は、これからの未来にとってよろしくない。前例を作るという事は、その後の混乱の事も考えなければならないのです」


確かに、今そう言う特例を作ったら、それ以降の王様が気に入った女の子を月の部屋という、本来入れてはいけない所に、入れてしまうかもしれないし、ハレム制度が崩壊する危険があるだろう。

いい意味で崩壊すればいいが、暗君がそんな事を考えて実行したら、と考えればなるほど、恐ろしい前例としか言いようのない事だ。


「……あの、一つ伺っても」


「ええ、答えられる事ならば。沈黙の中待つのは苦しいでしょう。私でよければ話し相手になりますよ」


何でこんなに女官長が優しいのだろう、と思ってから、私が常識的な考えを持っていて、それでいて助けを求めたからだろう、と納得した。

普通の女の子が助けてって言えば、ハレムの女性達は助けてくれるのだろう。


「ハッサンさんと結婚するという事は、婚礼の手順を踏むという事で……」


「ええ。そうなりますね。私は急いで結婚したいという人達が、よく駆け込む神殿を知っていますから、そこに案内してあげますよ」


「神殿で手順を踏んだ後はその……男女のあれこれをしなくちゃいけないんですよね……?」


「それが終わってようやく、婚礼の手順が終了しますからね。白い結婚という事も事情によってはありますが、陛下の手を逃れるならば、男女のあれこれを済ませた方が確実でしょう。処女というくくりの中から外れれば、ハレムにはどうあがいても入れてはならなくなる」


「……」


私は頭を抱えた。男女の行為を知らないからでも何でもなく、果たしてハッサンさんはこんな事情で私と結婚して納得するのだろうか、という事を思ったからだ。

ハッサンさんは確かに、私を家族に結婚するかもしれない相手として紹介したいと言ってくれた。

でも、私はその言葉に対して、もっと考える時間が欲しいと言ったのだ。

そんな不誠実な相手と結婚して、ハッサンさんはいいと思うのだろうか。

私の方も私の方で、消える前に結婚した夫の事を忘れられないでいるのだ。

今の砂漠の王様と結婚して、ハレムに入れられて、恐らく女性達から軒並み恨まれる人生を送る方がろくでもない人生だという事は分かっているから、最善は女官長達が言う通りに、速やかに誰か事情を理解してくれる人と結婚する事なのだろう。

でもはたして、私は最善だからという理由で、ハッサンさんの手を受け入れられるのだろうか。

彼はまともで優しい人だから、いざ事を進めるって時に受け付けなくて、私が何かしてしまったら手を止めてしまいそうだ。

そうなると、第一の目的である王様との結婚を阻止するための手段として弱くなる。

私はどうすればいいんだろう。

……あなたは、私がそう言う目的で誰かの手を受け入れる事を、許してくれるのだろうか。

色々考えて、私はだんだんまともに何か言う事も出来なくなってきて、女官長の部屋でじっとうずくまっている事しか出来なくなっていった。


「女官長様、ハッサンの居場所がつかめました」


「わかりました。それはどこですか」


「ちょうど訓練所での訓練が終ったところです。……手の空いている者を使い、彼にはアギトの神殿に行くように伝えました。エーダさんも行きましょう」


「……という事です。エーダさん、心の準備は整っていますね? 大丈夫。あなたが平穏に暮らしたいという思いを抱く限り、私達はあなたを味方しますから。それにハッサンはきっと優しいですよ」


「……」


ここでじっと考えていても、何も始まらないし、状況は改善したりしないだろう。

私は、全て終わるか終わる前かに、ハッサンさんに全て話そうと腹をくくり、立ち上がったのだった。





「エーダ殿、ここに来るようにと女性たちに指示を出されたのだが、あなたが計画した事なのだろうか」


アギトの神殿は、あまり目立つ神殿ではなかったらしく、人通りも少ない道を進んだ先にある、小さなものだった。

かなり歴史のある神殿なのか、建物が過ぎた年月を感じさせるものでもある。

その建物の中に、ハッサンさんが不思議そうな顔をして待ってくれていた。

腹をくくるしかない。後で不誠実だとか、最低だとか、あの人とよく似た顔に言われる覚悟を決めて、私は彼を見上げた。


「王様のハレムに入れられそうな状況だから、お願いです、今すぐ私と結婚してください」


「……は?」


流石のハッサンさんも何言っているんだという顔になる。それはそうだ。砂漠で暮らしてきた年数が長いほど、王様の考えはわからないだろう。

私もわからない。


「お願いです、お願いします、後で離婚とかそう言う結末になっても構いません。今、私を助けるためだと思って、結婚してください」


「……私としては、渡りに船という状態なのだが……あなたはそれでいいのだろうか」


「ひどい言い方をしますが、王様のハレムに入れられる事より、私にとって悪い事は今存在しません」


「確かにそれは私にとっても同じだ。あなたを今更諦めろという方が難しい」


ハッサンさんはそう言って、私の手を取った。


「儀式が終わった後に、きちんとお互いに話をしよう。あなたが私に何か隠さなければならないように、私もあなたに隠してしまっている事がきっとある」


彼は私と結婚したくて、王様のハレムに入れられるわけにはいかない。

私は彼と結婚したいというよりも、王様のハレムに入りたくない。

利害は一致した。

そんな思いで、私は神殿の中に進み、婚礼の儀式を行ったのだった。

ちなみに立会人は、半休をとった女官長その人で、この人に認められた結婚だし、王様も簡単にはきっとひっくりかえせないだろうと、ハッサンさんの態度から感じる物があったのだった。







「本来ならば、もっときちんとした婚礼のあれこれをそろえて行う事なのだが」


ハッサンさんは、夕方、私を連れてそう言った男女があれこれをする宿に入り、寝台の前の椅子に座り込み、申し訳なさそうにそう言って来た。

きっと普通の女の子は、婚礼の儀式の後の初夜と言われがちな夜に対して、かなり夢を見るのだろう。

誰しも結婚のあれこれに対しては、夢を見がちだという事を私も知っている。

楼閣の女性達でも、借金の返済が終わった後に好きな人と、という夢をよく語っていたものだ。

借金のない、ただの演奏をする女性も、夢を話し合う事も多かった。

私は彼女達の言葉をしり目に、とにかく親父の楽器の手入れだのなんだのをしていたから、砂漠の女性の夢を知らないと言って問題ないわけだが。


「今、私達にとって大事な事は、手順を済ませて陛下が手を出せない関係性になる事です」


「事務的な言い方をするのだな」


「……」


私は指摘された事実に黙った。事務的な手続きの一つだと思わないと、緊張からか吐きそうなのだ。

そんな私をどう思ったのだろう。ハッサンさんはじっと私を見た後に、私の前に立つと、顔を覗き込んできてこう言った。


「大丈夫、と簡単に言える事ではないが、出来る限り丁寧に済ませる」


その言葉に、ハッサンさんの気遣いを感じて、私はこくりと頷いて、彼が慎重に、力加減をして、私を寝台の上に倒したのだった。

その時だ。

何故それが今起きたのか全く分からなかったのに、ハッサンさんの両目の色が、文字通り変わったのだ。

透明度の高い、透き通った黄色をしていた瞳が、強烈な温度に変質する何か金属のように、ぎゅるりと揺れて、そして。

私が消える前、ずっと信じて大事に思って、見ていたと思った高温に流れる黄金の色に変わった。


「……」


ハッサンさんはその目を心持見開き、私がよく知っていたほぼ無表情の中にかろうじて表情を感じさせる顔になって、そして。


「……お前が、”エーダ”だったのか」


私が欲しくてたまらなかった音の響きで、まるで私なのだと見抜いたかのように、名前をあの頃と同じように呼んだ。

だから私は、うれしいのか泣きたいのかびっくりしているのか、自分でもよくわからない状態で、ただ心から転がり落ちた言葉を、口にしたのだ。


「……あなた?」


私の確認するような言い方に、彼が目をゆっくりと瞬かせた後に、倒していた私の体を力強く引き寄せて、両腕の中にしまい込んだ。


「……”エーダ”だな。そうだ、最初からそうだったのか。……会いたかった」


「私だって、あなた、に会いたかった。……ごめんなさい、いっぱい、言いたい事があるのに、なんだか頭がぐちゃぐちゃで、順序良く言えない」


「言葉はこの際後回しだ」


そう言って、彼は涙が止まらなくなっている私に額をこすり合わせて、こう言った。


「陛下の無茶をひっくり返す方が、お互い先だろう」


加減が出来るか知らんが、といつか聞いたような事を言ったその人に、私は答えた。


「次の日立てるような加減はしてよ」


「考慮できればな」


そして私達は見つめあい、ゆっくりと事の始まりになるだろう口づけをしたのだった。

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