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あいにくですが、私は父の実の娘になりたかったです!!  作者: 家具付
それをひきずった

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5 逃げた、知った、知らされた

呼吸がうまくできなくなるって、こういう事なんだ。

私は必死に息を吸って吐き出した。目の前の漆黒の鏡の中に、一人浮かび上がっているその人は、私をじっと見つめて、先ほど何か言った後は何も語ってはくれない。

それでも、見間違いようのないその人は、私が命を懸けて、存在をかけて、幸せにしたいと願ったその人そのものだった。

これは何かの魔法、この鏡が見せる、幻なのだろうか。

その姿をじっと見つめて、必死に頭を動かして思った事はそれだった。

だってそうだろう、私は過去に渡り、彼がこうなる運命を変えたはずなのだ。

この姿の彼は存在しない筈なのだ。

そう、私の記憶の中にしか、この人は存在しない人であるわけなのだ。

この鏡は一体何なのだろう。ただの古ぼけた、使い物にならない粗大ごみというわけではなかったのだ。

鏡の前にやってきた人間が、人生で一番会いたい人を映し出してくれる、そんな夢みたいな鏡なのだろうか。

魔性の魅力を放つ鏡なのだろうか。

その力の残酷さゆえに、こうして、人目につかない場所に隠されていた、呪いの品物と言ってもいいものなのだろうか。

頭の中で必死に理性に似たものが、そんな可能性を並べていく。

そうだ、これは私の心の中の幻だ、だから、だから。

私は泣き出したかった。座り込んで泣きわめきたかった。

自分自身に、全力でこの鏡の向こうにあの人はいないのだと言い聞かせなければ、私の心の中の柱に似たものがぽっきりと折れてしまいそうになっていた。

呼吸がとても荒くなる。

流れると思わなかった汗がだくだくと流れていく。

そんな、とても普通ではない状態になって、私は自分が選び取った選択肢が、単なる自分の自己満足にしかならなかったという事に、気付かされたのだ。


ずっと、私は、そうだ。



「ごめん……っ」


私は鏡の前に立ち続けられなくなって、へなへなと崩れ落ちて、それでも視界だけは鏡の中の世界一大事な人に向けて、誰にも言う事のなかった、今になるまで気付きもしなかった事を、口にした。


「ごめん、あなたを、置いて行った。いくら、私があなたの前に立てる女じゃなかったって言ったって、言ったって……!! 私は、あなたに言わなきゃならなかったんだ!! 結局私は、あなたに嫌われる事が怖くて、あれを選んだんだ!! 私はあの時、過去を変える選択肢じゃなくて、あなたに真実を話して、あなたと一緒に頭を抱えて悩んで、二人の正解を探し出さなきゃいけなかったんだ!! なにがあなたのためだ、何があなたの幸せだ!! 私はその言葉で自分の逃げ道を正当化して、自分が苦しくない道を、楽な道を、選んだだけだ!! その後のあなたの事も、その後のあなたとの未来も、何も考えないで、逃げた私が、いけなかったんだ!!」


涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっているだろう。それでも私はわめいた。鏡の前の愛しい人に、こんなみっともない顔を見せたくはなかった、でもそれでも、私は鏡の中に一等一番に大事な人が映っている事で、目を背け続けてきた都合の悪い真実に、向き合う事になっていたのだ。


「私は結局あなた以外選べないんだから、あなたに見捨てられたり見放されたりしたとしたって、あなたに言うべき事を言わなくちゃ何も始まらなかったんだ……」



鏡の中の大事な人は、私の叫ぶ声が聞こえているのだろうか。それとも聞こえていないのだろうか。

私と視線を合わせるように、膝をついて、私に触れようと手を伸ばして、あちらも鏡か何かにさえぎられているのだろうか。

伸ばされた手は何かに阻まれて、こちらにやって来る事はなかった。


「私は何もかもが変わっちゃったよ、顔も声も持って生まれた血も、育った環境も、何もかもがあなたに愛された時の私じゃなくなった」


泣き声で私は鏡の中の夫に言う。


「そちらから、今の私はどう見えているの? それどころか、あなたは私だって、見抜いてくれている? ただの可哀想な泣いている女の子が見えているだけ?」


見た目は明確に変わっただろう。髪の毛も赤くなくなった。瞳の色も茶色くなくなった。

顔立ちなんて、あの頃の平凡で人込みに紛れそうな特徴のあまりない顔とは大違いで、そちらの世界でも、悪女だと言われているだろう美女とよく似ている物だ。

聞こえているのかもわからない声だって、あの頃の自分で聞いていた声とも大きく違っている。

そんな、あの頃のエーダとは全く別人で、同じ魂を持っている事さえ見抜けないだろう姿の私を、あなたは妻だった女だと、見つけてくれるだろうか。

私は泣きじゃくって酷い顔で、鏡の前の旦那を見つめた。

膝をついて私の方を見ている旦那は、普段滅多に動かさない表情筋を動かして、明らかに、明らかに痛ましいという表情をとった。

殆ど変わらない表情の中でも、それはなんとか読み取れた。鏡はそこに境界線がある事など気付かせないほどに明瞭な旦那の姿を映してくれている。

この表情で私を気遣ってくれる姿さえも、何らかの魔力を持った鏡が映し出すまがい物なのだろうか。

分からない。

旦那がこの鏡の先にいるわけがないという理性と、この鏡の先にあの人がいるのだと叫ぶ感情が私の中でぶつかっている。


「……」


鏡の中のその人が、何かを言った。口の動きは私の名前を呼ぶ時の動きとよく似ていて、それを見ているという事実に泣きわめきたくなる。


「っ……」


私は、不意に鏡の向こうのその人が手を動かし、ぴったりと鏡に片手を重ねたので、同じように手を重ねた。鏡の金属の冷たさだけを感じ取って、その向こうの手の体温など分かるわけもない。

それはあちらも同じだったのだろう。

彼がかすかに激情に駆られたような目の色になり、無音ながらも、向こう側で鏡を思い切り殴りつけるような動きをとった。

何度も、何度も、繰り返し。鏡という境界線が邪魔なのだと、主張するように。

何もかもが変わった私を見て、鏡がどうやっても壊れないのだと実感したのか、そのあまり変わらない表情の中に苦痛を浮かべて、静かにうつむき、額を鏡に押し当てた。

私も同じように、額を鏡に押し当てた。

そんな時の事だ。にわかに外が騒がしくなり、複数の足音が一斉に近付いてきたのである。


「長老、こちらです!」


「王鏡が降臨しました!!」


「急ぎ確認を、長老!!」


そんな声が一気に近付いてきたと思うと、建物の入り口に現れたのは、兵士を引き連れた老年の人々で、彼等はそこに私がいる事で一気に警戒した顔になり、老年の人が何かしらの意味を持った身振りをすると、兵士達はそこから逃げ出そうと立ち上がって走り出した私を、躊躇なく捕まえたのだ。


「ごめんなさい、鳥を追いかけたらここに着いたんです!! これ、これを鳥がくわえてて!!」


何か立ち入り禁止の場所に入っていたのか、と私は焦り、手の中の指輪を彼等に見せる。

しかしそれでも、私は手を離してもらう事は出来ず、長老と呼ばれた人は、私が立ち上がった途端に何も映さなくなった鏡の方をちらりと見て、こう言った。


「彼女を、陛下の御前に」


「ごめんなさい、悪い事だと思わなくて、本当にすみません!!」


何かとてつもなく面倒な事に巻き込まれる、そんな直感だけが働き、必死に謝っていたのだが、それは通用しなかったようだ。


「急いで」


それだけを言い、長老は兵士達につかまっている私を引き連れて、その建物の外に出たのであった。

私はとっさに、鏡の方を振り返ったのだが、もうそこには何も映ってはいなかったのだった。

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