2 私の前と今と
私の言っている事の意味が分からないのは、ほかならぬ自分自身である。
前の人生とか、今の人生とか、過去を変えたとか、自分で言っていて情報量で破裂しそうなので、私はこれらをメモ書きにして整理する事にした。
自宅のどこかに隠しておけば、目は見えないのだと主張しているのに、その気配があまりない親父の目に触れる事もないので、怪しまれる事もないだろう。
「……ええっと……」
私は使い古しの紙を安く譲ってもらったので、それに前の自分の事を書き始めた。
さて、書いている事の意味が分からなくならないように、頭の中で文章を作ってみよう。
私の前の人生での名前はエーダという。
産まれた時から父親がいなくて、母親と二人暮らしをしていたのは六歳まで。六歳の時に母は行方知れずになり、そこからは暮らしていた賃貸の大家さんの家で働きながら、他の仕事もして生活をしてきた。
そして幼馴染の誘拐事件が起きて、十六歳の時にいなくなった母の出自が……なんと王家の人間である事を知った。
その事でひと悶着もふた悶着も起きて、その騒動の後に、広大な領地の領主様となった母との生活が始まった。
しかしながら、私の育ちは上品とはとても言えない育ちで、家庭教師ではどうにもならんと寮のある学校に通う事になったんだが、ここでもなじめず心をやられて、そんな時に夫となる男性と出会い、簡単に言うと駆け落ちをした。
駆け落ち先ではそれなりに幸せに暮らしていたんだけど、その結婚を認めない祖国に帰って来るようにと言われて、夫が良識的な人だった事もあり、戦争などが起きる事もなく、一端祖国に戻ったのだ。でも夫の国が大嫌いで、憎悪していると言っても過言ではなかった母が激昂した。
激昂した母はその感情のままに、私の父が母と責務を放棄して逃げ出した事を喋り、私は実の父が責務から逃げ出した事で、夫の家族が全員皆殺しになったという真実を知ってしまったのだ。
私は本当に、夫が好きで、夫を幸せにしたくて、私を大事にしてくれる彼を大事にしたくて、それ位愛していた。ゆえにその真実は私にとって衝撃的すぎて、そして夫に合わせる顔がないと思うようになって、そんな時に、時間を飛び越えられる神様と出会い、夫の家族が皆殺しになった過去を変えて、今度こそ夫に平穏で幸せな人生を送ってもらいたいと、一人過去に渡って、夫の家族が殺される原因である、私の実父の逃亡を阻止した。
私の実父の逃亡を阻止した事で、母と父の間に私が生まれるという未来は失われて、私は実父の逃亡が未遂に終わったその時に、体が砂粒に変わって行って、そして意識をなくして、消滅したのだった。
これが私の前の人生を、とても簡単に説明した中身である。
こうしてみると、結構母親っていうものに振り回された人生である。この波乱万丈な人生は、母の娘だったから体験した事と言っても過言じゃなさそうだ。
……幸せな人生だったかって言われると、おしまいは自分的に大満足しての消滅だから、幸せって言っていいんだろう。だって最後に笑って死ねたら勝ちのような気がするので。
さて、前の人生はこんな感じ。では今の自分は?
私は気を取り直して、今の自分の……四歳までの人生を書いてみる事にした。
生まれ変わったのか成り代わったのかしらんが、今の私が生まれた時にもらった名前はエド。
もしかしたらもっと長い名前を、皆省略名で呼びかけていたってだけかもしれないけれども、四歳の私の記憶にある限り、そんな長い名前で呼ばれた事がないので、体感的にはエドである。
家族構成は両親と祖父母と姉。祖父は一歳の時に、祖母は三歳の時に寿命で亡くなったから、両親と姉との四人暮らしっていう方が正しいだろう。
姉はとにかく要領がよくて、なんでもできて、そして飛び切り笑顔が可愛い女の子だった。
四歳年上の姉は、顔も綺麗だし肌も綺麗だし、うん、四歳の私から見ても大変な美少女だった。
そしてロマンス小説とか、乙女小説と呼ばれるものが大好きで、いつか王子様が現れて恋に落ちて、なんて事を夢見ている女の子だった。
姉は綺麗だから、どこかの大きな街に働きに出たら、お金持ちとか上流階級に見初められそうって、村ではよく言われていたくらいに綺麗な顔の子だった。
でも、家族に溺愛されていたのに、突如生まれた私に、両親が注意を向けた事で、私を敵対視するようになり、何かとうまくいかない私を、のろまなエド、と呼んでいた。
そしてそれは家族にも移り、村の誰からも、同年代の子達からも、私はのろまなエドと呼ばれて馬鹿にされていた。
事実私はあまり素早い動きが出来なくて、不器用で、皆がすぐに出来る事にも、結構な時間のかかる子供だった。
それはきっと、私の体が同じような年頃の子供と比べても、小さくて、筋力などもなかった事が理由だろう。
でもそんな事ほとんど誰も気にしてくれなかった。一歳の頃に死んだ祖父はわからないけれども、なかなか大きくならない私を、誰か医者に見せた方がいいと言った祖母くらいしか、気にしてくれた人はいない。
そして祖母の言葉も、生まれた子供に問題があると思いたくない両親に無視されて、私はいつまでたっても、村で一番バカにされるのろまなエドだったのだ。
自分の子供がそんなに馬鹿にされていていいのか、と今なら思うけれども、両親にとって子供はその時にはもう、姉だけという認識だったのだろう。
事実、私のご飯は鍋にこびりついた残り物で、両親と姉はそれなりにきちんとしたものを食べていた。
お腹がすいても誰も気にしてくれない、そんなろくでもない人生だったのだ。
そんな暮らしが続いていた時に、恵まれたオアシスのあるとある町で暮らしているはずの、神のいとし子が駆け落ちをしようとして失敗した、という噂が流れてきた。
私の暮らす村の責任者である領主様が、逃げ出そうとした神のいとし子に罰を与えようとした神殿関係者達から、神のいとし子を庇い、牢屋に入れられる事が決まっていたいとし子をこっそり領地に連れて帰ったのだ。
自由に誰しも憧れるものだから、いとし子と言っても自由の欲しい人間であるのだから、という理由で、領地では情報操作も行われて、領地の大半の人間が、
「いとし子様はとっても可哀想。閉じ込められた籠の鳥の人生など、苦しみに満ちているはずだ」
と思っていて、中でも私の両親と姉はとにかく同情的で、言ってはいけない事に神様を罵った。
……そして領地では、どんな薬も全く効果を見せない奇病が流行、神の罰だったのだろう。私の両親も姉もそれにかかって亡くなった。
一家全滅かと思われたのに、一人ぴんぴんしていた私を村の誰もが気味悪がって、物置に閉じ込めて……その日に、村は奴隷狩りとでもいうのだろうか、人さらい達の襲撃にあって、みんな連れて行かれたのだ。
そして病は燃やすに限るとでもいうように、村は焼き尽くされて、私の閉じ込められている物置も焼かれて、そこから熱くて逃げだした私も、のろまなエドという名前は伊達ではないからあっという間に人さらいにつかまって、私が目を覚ました馬車の中に枷をつけられた後放り込まれたのだった。
そして現在に至るのである。ううん、前の人生も今回の人生も、親に恵まれなさすぎではないだろうか。
今回など両親そろってるのに差別されてた人生だ。たぶん今の私だったら反抗して大騒ぎになっているか、無為無策でありながらも、耐えられなくて村を飛び出していたに違いない。
そこまで情報を整理した私は、その紙をそっと、親父が絶対に見つけられなさそうな場所に隠したのだった。
そんなここがどこなのかというと、それは親父の楽師としての腕を見込んで雇ってくれた大きなお店から与えられた家である。
親父の音楽の腕だけは抜群だったらしく、大きな街で演奏すればすぐに生活が出来るようになると、妙な自信とともに断言した親父の言ったとおりに、街路で一曲奏でた親父は、あっという間に大きなお店の人に雇われて、家も収入も確保してしまったのだ。
一芸に秀でるってすごいんだな、と改めて思うものを見てしまった。まさか一曲奏で始めた途端に、わらわらと人が集まって来て、そこからいかにもお金持ちな人が近付いてきて、と目まぐるしいほどあっという間にいろいろ決まったのだ。
そんな親父は、今は仕事で家を出ている。私にはいいこで待つようにと言って、家の鍵をきちんとかけておく事も伝えて、仕事先に出ていった。
そんな状況だから、こうして情報整理の時間が出来たわけである。
「……前の人生のほとんどを過ごした賃貸物件より、ここの方が立派ってなんだろう」
楽師ってそんなにいい家で暮らせる職業だったっけ、と過去を思い出しても、腕前の問題か、知っている人達は皆金欠だったような気がした。
そんな事を考えた後に、国々を渡り歩いて、曲を奏でていたらしい親父から聞いた、諸国情報を思い出す。
「完全に地理的にも国名的にも、前の人生と情報が一致するんだよなあ……あの人が死んだ後の未来じゃないといいんだけども」
聞いた諸国情報は、エーダだった頃と同じ国名と地理で、私はああ、同じ世界に生まれ変わったんだな、と納得した。だから、出来たら命を懸けて幸せにしたかった、私の夫にまた巡り合いたいと思ってしまうのだ。
また夫になってほしいなんて、贅沢は言うつもりは毛頭ない。幸せな姿を遠目から眺めて、私の前の人生と折り合いをつけたい、それだけだ。
あの人の幸せを見たいのだ。前の人生の夫の過ごしたかった未来というものが、両親や妹や弟と暮らして、ちょっとだけ出世して、奥さんを迎えて暮らすって事だと聞いていたから。
その幸せを、見て満足したい、これである。
それを見たらようやく、私は自分だけの幸せを探せるのかもしれなかった。分からんけどね。