1 今ですらわからない事
第二章を開始いたします!
「エーダ」
その音の連なりを、私はずっと探していた事を、嫌と言うほど自覚させられた。
「エーダ」
その呼びかけの形を、私はずっと忘れられないのだという事も、嫌になるほど理解させられた。
「エーダ」
その投げかけられた響きを、私はずっと望んでいた事を、嫌になる位に認識させられた。
「エーダ」
ほら、その声が背後から聞こえてくるから、座り込んでいたその場から、我慢できなくなって振り返れば、あなたが。
「……あなた」
あなたが、私を見て、目を細めて、両手を伸ばしてきてくれる。
ああ何て幸せな××なのだろう。
覚めてくれるな、ああ、もう少しだけでいいから。
「今行くよ」
その腕の中に駆け込むその時まで、覚めてくれるな。
「ずいぶんうなされていたけれども、何か余程悪い夢を見たとか?」
起き上がった私は、いつもこの時間は熟睡しているはずの父アーダが、私の寝ている寝台の脇に座り込み、私の顔の方に顔を向けて来ているから、見えないとわかっていても首を横に振ってしまった。
「悪い夢は見てないよ。……いい夢だった。あともう数秒だけ、覚めないでほしかったかもしれない」
「それはよほどのいい夢だったんだね。さて、今日君は、ハッサン殿と五回目のお出かけだろう? そろそろ彼に対して、はっきりとした態度をとってあげた方が、お互いのためなんじゃないだろうか」
「……たかだか四回、二人で遊びに出かけただけで、はっきりした態度をとれとか、親父せっかちすぎやしない?」
私は言葉を濁しそうになった。王様に紹介してもらった、私の恋人候補のハッサンさんと出かける回数は、これで五回目にもなるのだ。
まだ五回と数える人と、もう五回と数える人と、多い意見はどちらなのだろう。
私はよくわからない。
でも、ただ遊びに出かけただけだ。言葉をもらったわけでも、贈り物を渡されたわけでもない、本当にただお勧めの買い物場所とか、美味しい穴場の食べ物屋とか、そう言う場所を二人でふらふら歩いているだけが、今まで四回も続いているだけなのだ。
これで意識をしろ、と言われても難しい人間もいるのではなかろうか。
「普通に誰でも、二人で遊んだりするじゃない」
「そんな事を言っても、あちらはかなり君の事をいい感じに思っているだろうに。付き合わないとかそう言うのをはっきりさせてあげないと、あちらにとって可哀想だろう」
「そんな事言っても。……わかんないんだよ」
私は寝台から起きあがって、親父が座り込む方を向いて、自分も寝台の上に座り込んでそう言った。
「わかんないって。何を言い出すのかと思えば。彼の何かが気に入らないのかい。彼との初対面の時の君は、周りの人から聞くに、嬉しそうな顔だったって話だったのに」
私は一つ息を吐きだした。親父は目玉で物事を判断しないものだから、下手な嘘を吐く事も難しいのだ。時々心の内を読んだような発言をするし、暗闇をけしかけて、盗み聞きして窮地を脱した事も旅の最中はあったくらいだから、隠しても意味があまりない。
「……私は今まで、友達もいないような生活してきたじゃない」
「そこに関しては、私の都合に振り回してしまったと思っているよ」
「親父に謝ってほしいんじゃなくて。……ただ一緒に遊びに行って、面白いものを見て、お喋りをして、それって仲良くなった友達とどう違う? ……わかんないんだ。この関係性が、男女間の友情なのかそれとも、もっと進んだ物なのか」
「……君の感覚を思い切りずらしてしまったのは私のようだね……どこかに数年留まって、友達ができる環境って物を与えなかった私にも責任の一端があるとしか思えない……」
親父は頭が痛くなってきたと言いたげだ。事実親父からすれば、自分の娘が恋愛も友情も理解できないのだと相談してきているわけで、一般的観点から見る友情を体験した事がないのが、居場所を転々として、下手すりゃ数日で逃げ回っていた事も有る、娘の人生を思っての言葉なのだろう。
「……本当に、わからないんだよ。この人が幸せに笑ってほしいなっていう感情が、普通に考えて友達を思っているからなのか、それとも恋愛とか結婚に結び付く感覚なのか」
「ごめん……本当にすまない……もはや私は謝罪しかできない……」
私が心の底からわからない、と思って口から疑問を発すると、親父はうめき声をあげて頭を下げてきた。
「友達相手にも、それは抱く感情だし……恋愛や結婚の感覚でも、それは思うし……君に助言ができない私で申し訳ない……」
私はそんな親父を横目で見た後に、寝台から下りて身支度を整えて、親父に問いかけた。
「親父、食事はすませた? まだなら親父の分も用意するよ」
「ああ、私も君より十分くらい早く起きただけだからね、まだだよ」
この問いに対する答えはわかりやすくて、私は簡単に作れるもので朝食の用意をする事にしたのであった。




