17 男たちの密談
砂漠の覇者の目の前で、緩やかに弦をはじいて、穏やかな気持ちにさせる曲を奏でていた男に、王が言う。
「で、お前の悩みは晴れたのか。アーダ」
「ええ、全て王のおかげと言えましょう」
「そうか」
くつくつと愉快気に王が笑う。退屈しのぎにはもってこいの事だったと言わんばかりの態度である。
元々王は優れすぎているからなのか、誰かを茶化しておもちゃにするきらいがあったものの、今回のアーダとその娘のあれこれは、王の退屈を紛らわせるのに十分なものがあった様子だ。
これだから暇を持てあました王は、と文官は内心で溜息をついた。
この王は国のために手を尽くす素晴らしい方なのだが、普段の生活では愉快な事を求めたがる事も有り、文官達は自分を含めて皆、右往左往する事もしばしばあるのである。
「王のおかげで、長年心残りだった生き別れの娘の消息を知る事が出来ました」
「そうか。目立つ事を嫌ったお前が、ハレムの女官長の求めとはいえ、ハレムという大勢の人間の前であれだけの技術をひけらかす事をしたいなどとは、ずいぶん信念が変わったと思っていたのだ。お前は人目につかずに、流浪の旅を続け、死んだ妻のために曲を奏でる男だったはずだからな」
「妻も娘の消息を知るためならば、きっとあのように大勢の前で、得意げに演奏した事を許してくれるでしょう」
「お前の妻へののろけは聞き飽きた」
彼等の言葉はまるで旧知に間柄の様に、文官には聞こえた。だがこの砂漠の覇者と、砂埃にまみれた旅を続けたのだろう楽師が、こうして親し気に言葉を交わす交流をどこで結んだのか。
文官達は視線を交わし、誰かこの始まりを知っている人間がいないかたがいに問いかけたものの、知っている人間はこの場にはいなかった。
「俺の前で、娘の恋人を欲しがったのは、もしもの時に俺の手が娘に回っている事で、娘を確実に守るためだろう。まったく大した男だ。この砂漠の王を利用するのだから」
「王はきっと、娘の恋人を紹介してほしいと言えば、面白がりながらも、確実に優秀かつ王が責任を持てる範囲の人格の男を、私の大事な娘に紹介してくださると、私はよく知っていますから」
「はっはっは、確かにそうだな」
王が愉快そうに笑う。心底楽しげな声で、明らかに目の前の盲目の楽師を面白がっている調子だ。
「あの場でろくでもないだろう男を紹介すれば、俺の評判が落ちる事も見越したな。そしてそれがハレムから町に広がる事であるだろう不利益も、お前は計算したと言いたげだ」
「まさか。……以前私が訴えたように、娘は大変にいい子なのです。私の娘であるという事実がもったいないほどの女の子なので、私がどうなったとしても、あの子には誰かと幸せになってほしいと思ったのですよ」
「お前はここで娘の事を任せられる男を見つけた後、死霊になって生き別れた娘を探す計画を立てていたくせに」
文官達は王の言葉の物騒さにざわめきかけ、しかしぐっと飲み込んだ。この内密な場で、王の言葉にざわめく事を、文官に王は望んでいないからだ。
そしてそんな恐ろしい事を計画していた、と言われた側である楽師アーダは、平然とした態度を隠さずに言う。
「ええ、そろそろ足がつきそうな気配がしていましたから。あの国につかまる位ならば、あの子が私の事を何も知らない間に肉体を離れ、手助けをしてくれる暗闇に計らってもらい、そうなろうと思ってはおりました。……私を捕まえに来た男が、大事な相手を助けるために、私を二年も探し回っていたと知るまではね」
「恐ろしい男だ。そうでなければ捕まったその時に、その者たちを巻き込んで命尽きる予定を立てたのだろうどうせ」
「王がそれを見透かしているという事実に、王の眼の良さを思わないではいられません」
そこまで言ったアーダが、演奏をやめずに言葉を重ねる。
「生き別れの娘の事を忘れた日はありませんでしたし、偶然から拾い上げたあの子の事を大事に思わない日もありませんでしたからね。どちらの事も見守るには、肉体を離れた方が都合がいいと、思っておりました」
「まったく、これだから肉体に未練のない楽師は始末に負えない。大体、その為に死霊になろうなどと考える頭のネジの外れ方が度し難い」
「そうでしょうとも。元々あの子を拾う事は計算外。……あなたが私に、砂漠の緑の土地であったあの土地……今では呪われた緑の地と呼ばれるあの地域に出向き、死したもの達を慰める慰霊の曲を奏でに行けと酒の席で頼まなければ、あそこにわざわざ出向くわけもなかった。あそこは砂漠の中でも最も青の国との国境線に近い土地だ。噂が流れる事は望ましくなかったのですから」
アーダは大した事でもないという調子で言う。そこから文官達は、この二人が酒の席を設けていた程度には交流があったという事実を知るのだ。
「まさかあの土地で、奴隷商が落下事故を起こし、運んでいた奴隷の荷車を崖から落とし、見捨てて逃げていたとは想定外でした。しかしそこに行った事で、生き残る事が出来ていた幸運なあの子に会う事が出来たのです。運命のめぐりあわせに感謝するしかないでしょう」
落ち着いた声で、穏やかな声で楽師はいい、真新しい包帯で目元を覆った笑顔で、王の方を向いて笑う。
「自分の娘と巡り合い、ただの親子としてここまでいられた事は、まさに王がきっかけをもたらした事です。これからも王の言葉のままに、この楽師アーダは、王にただの楽師としてお仕えさせていただきましょう」
そう言った後に、何を聞き取ったのか、楽師が言う。
「ところで、王。存じておりますか」
「面白い事か、楽師アーダ」
「私の娘とあなたの忠実なる近衛が、二回目のデートの話し合いを、中庭の泉の近くで行っているという事実です」
「お前はまた盗み聞きか」
「王もその中身を聞きたいでしょう?」
自分以外もそうだろう、と言わんばかりの調子の言葉に、王は大きく肩を震わせて笑い、こう言った。
「よし、まだ話し合いが続いているなら、盗み聞きに行くぞアーダ。いつも通り音を消してもらおう」
「ええ、我が王」
楽師が物音を一切立てずに立ち上がり、王も身じろぎをすれば涼しげな音が立つはずの装身具を大量に着けているというのに、これも音が一切しない状態で立ち上がる。
そして二人は肩を並べて、中庭の方に向って言ったのだった。
そこで文官の一人が、思い出したように言う。
「……アーダ殿をどこかで見たような気がしたのも当たり前だ」
「なに?」
「アーダ殿は、王が幼い頃に師事していた、流浪の楽師だ。……髪の色がすっかり褪せて、白くなりすぎて思い出しもしなかったが……あの背格好はそうだ」
「なんと。王が気に入っていたあの楽師の? 王の母君があまりにも王が気に入っている事で嫉妬し、追い出したというあの?」
「ああそうだ。年の離れた兄のように慕っていた楽師だ。……内密に交流は続いていたのだな」
文官達はそう言い、彼等も顔を見合せたのちに、自分達のいる場所から、物陰に隠れ、中庭のアーダの娘がいるであろう方を見て、読唇術の出来る一人が、彼女と近衛の男のデートの相談を見物する事にしたのだった。
つまりそれだけ、文官達も面白い事を求めていたと言えるのだった。
第一章 私の父は育ての親なんです! 完




