15 試すための事
私は親父を目指して他の人たちの間を逆走して、そして儀式の間の入り口で立ち止まった。
青い発光する茨は、中にいた演奏者である王族様達を軒並み捕らえていて、そして捕らえられた王族様は全員、肌も髪も真っ青な状態に変わっていた。
更に恐ろしい事に、捕らえられた人達は皆絶望と恐怖が一体化したような顔で時が止まったように固まっており、私は親父も捕らえられたのか、と必死に周囲を見回した。
「親父、おやじ、おやじ!!!」
私は震えた声で叫んだ。死に物狂いで血走っているだろう瞳で、親父の姿を探すと、親父は、他の演奏者達よりも一段低い場所に座り込んでいるのが見えたのだ。
……親父の周囲に、真っ黒な炎に似た揺らめきが揺れている。それは半球状になって親父を覆っており、青く光る茨はそれに勝てないのか、親父を捕まえる様子もない。
私は飛ぶように走って、親父の元に駆け寄った。
「親父、無事!?」
「この声はエーダだね、大丈夫だ。……先ほどから悲鳴が響き渡っていたんだが、それも収まったね。もう儀式が終わったのかい、だったらそろそろ演奏を……」
がたがたがたがた!!
親父は周りの惨状が全く見えていないからなのか、一人のんびりとまだ楽器を奏でていたのだ。
なんてのんきなのだと思って脱力しかけた時に、壺のふたが割れそうな勢いで音を立てたので、それに親父が言う。
「儀式は終わっていないどころか、他の演奏者達は皆中途半端に贄にされている? ……それは大変だ、エーダ、すぐに逃げよう。優れたる暗闇、エーダも守って逃げ切れるかい? 出来ない君ではないだろうけれども、何日くらい君のために歌って演奏をしたらいい?」
かたかたかたかた。
暗闇が何かを答えたのだろう。それを聞いた親父が、ああ、と静かに返して、さらにこう言った。
「私の妻にすべての罪をかぶせて笑う国など、どうなったところで痛むものか」
……私はそれが親父の感情の収束するところだったのだろう、とその言葉ではっきりと知らされた。
親父はずっと、ずっと、そうだ。
一人の女性を愛し続けて、だから他の女性に心が傾く事なんて何一つなくて、これまで息をし続けて来ていたのだ。
その女性は何一つ悪い事をしていなかった。
ただ、運が悪かったのだ、とても運が悪かった。そして色々な素晴らしい物を持ちすぎていた。
その結果、本人がどれだけ声をあげても握りつぶされて、もみ消されて、必死に探した道も、うまくいかなくて。
彼女はどんなに必死にまともな事を言っても、誰も聞く耳を持ってもらえないまま時だけが過ぎていって、やっと手に入った親父とのささやかな幸せも、無残に奪われて、奪われた側なのに、彼女が悪だと殺された。
その彼女を、親父はずっと思っていたのだ。
だから、その彼女が全ての悪の根源で、彼女だけが何もかも悪いのだという事にして、彼女の事を悪と指さす事で責任逃れをして来た国など、どうなっても悲しくもなんともないのだ。
親父はとうの昔に、故郷と縁を切っていたのだ。
……きっと親父は、砂漠や異国で、妻の面影を抱きながら漂泊の旅を続ける事で、故郷と関わらないようにしてきたのだ。
関わったら、愛しい妻の事を悪だという人達と会わなくてはいけないから。
そして……この儀式の間でも、きっと、親父がそう強く思うほどの何かが起きたのだ。
起こってしまったから、親父はどうだっていいと言い切るのだ。
その間にも、青い茨は暴れる範囲を広げていく。戴冠の間にいた人たちの大半は逃げたようだが、代わりに異常事態だという事で、他の所を警備していた兵士や騎士達が、続々と集まってきている。
「陛下は!?」
「まだ中に!!」
「前王様は!? 前王妃様は!?」
「誰も姿を見ていない!! 儀式の間に入った王族様を誰も見ていない!!」
「まだ中にいらっしゃるのか!?」
そんな声が、茨を恐れて近寄れないのだろう位置から、聞こえて来る。
親父はその声が聞こえる間も、手を止めたりしない。
ずっと演奏を続けている。
「……なんで親父は演奏し続けているの?」
私は親父が何を思って演奏を続けているのか、全く分からなくなって問いかけた。こんな惨状の中で、一つの楽器だけがずっと音を奏で続けている異常さは、私以上に第三者には明らかだろう。
「楽器の音がする、まだ中にいるのだ!!」
そんな事を叫ぶ関係者もいる。
「親父、聞いているの?」
「……演奏を止めたいんだよ。でも心の切れ端の部分が、それをしたら、全てが終るからだめだ、と告げて来ているんだ。だから、どうしても、演奏を止められない」
「それってどういう……」
「私が演奏をやめたら、本当に儀式が失敗したまま終了してしまう」
「……そうなったらどうなるの」
「暗闇が言うに、古に青の国の王族が知恵を結集させて作り出した人造の神は、贄に該当するすべてを飲み込み、国を丸呑みにしてしまうのだという。……暗闇が大昔に、そうしたように」
「……え」
「この国などどうなったって構うものか。そう思う自分と、滅ぼしてはならぬという自分が戦っていてね。今の所滅ぼしてはならぬと思う心が強くて、この手が止まってくれない」
親父は苦い声で笑った。かたかたかたと壺が鳴る。
「……親父、どうすれば儀式はまともな形で終了できるの」
「人造の神を慰められるだけの歌と曲を。……この儀式は、人造の神が人間の心を忘れないようにと、王が即位するたびに、人造の神の力を吸収している事を示す青色の髪の毛と青色の瞳の王族を人造の神の中に送り込み、国に恵みと祝福と守りを授ける儀式だった。そして王族達が演奏するのは、送りこまれていった王族や、人造の神に取り込まれたそれ以前の王族を、慰め元気づけ、楽しませるためだった。……今回は大失敗だったよ。なにせ私以外の全員が、人造の神の姿を見たのだろう時に、恐ろしさで演奏をやめてしまったのだから。私はてっきり、演奏をやめた時に、私が歌う番なのだと思って歌ったんだが、そうでもなかったらしい」
「ほかに歌える王族は、誰もいないの」
「この儀式には参加できるすべての王族が参加しなければならない事になっていた。ここに私以外に動ける王族がいないならば、誰もいないのだろうねえ」
「親父!! またのんきに」
「のんきだよ、だって私もエーダも暗闇が必ず守ってくれるからね」
戴冠の間の方からは、青い茨を切り開こうとして、全く歯が立たないのだろう人達の怒鳴り声が聞こえて来る。
戴冠の間の結構な範囲に茨が広がっていて、さらに私達がいるのが儀式の間の隅だから、距離がかなりあって、こちらからは相手の声がかろうじて聞こえても、こちらの普通の大きさの声は聞こえないのだ。
「……あの子がいれば、奇跡もあり得たんだが」
「あの子?」
「……ああ、こちらの話だよ、エーダにはかかわりのない事だ」
私はそこまで聞いて……そこで気が付いたのだ。
「親父、包帯を今は付けてないんだ」
「ああ、儀式の間はつけるなとしつこくてね」
どうせ見えやしないのに、と言い、親父は閉じていた両目を開いた。
真っ青と言っていいほどに青い瞳が、見えないなど嘘のような透き通った目玉が、私を見て、見開かれて、うそだろう、と小さく声が呟かれる。
「うそだろう、そんな、ことが」
「何焦ってんの、まさか見えてる? 目、治ってたの?」
「……」
親父は口を開閉させた後に、真顔になって、私を見上げてこう言った。
「エーダ、試したい事がある。……歌って、エーダ。君は私が認めた随一の歌姫なのだから」
「でも、私は王族じゃない!! 親父の娘だけど、血はつながってないんだよ!! 変な事言うくらいなら早く逃げよう、暗闇が手を貸してくれるんでしょう!!?」
「それを試すのさ。……私にとっての奇跡が、今ここで起きているのかもしれないから」
「奇跡って何なの!」
「この面倒事が終ったら、必ず君に話す。だから……今だけ、封印していた声を、解き放っておくれ、エーダ」
……私が楽器を演奏しないし、旅の楽師の娘なのに、歌いもしないのは理由があった。
小さい頃は歌っていたのだ。親父の演奏で、楽しく。
でもある時親父は、暗闇と何か相談をした後に、これ以降は歌を歌ってはならない、いつか親父がよいと言うまで、と言ったのだ。
歌うのは楽しかったからまるで意味が分からなかったけれども、親父が真剣な声で言うから理由があるのだと、私は自分を納得させて、調弦や調律の方に舵を切ったのだ。
それを、今、歌えと。
王族の歌でなければ何も変わらないと言ったその口で。
何をしたいのだ、と思ったのだが、見ず知らずの人達が大勢死ぬかもしれないのは、さすが何かできるのに何もしないってのも目覚めが悪く、私は親父ではなく、いまだ茨を広げている青い光の塊の方を向き、聞いた。
「曲は」
「あいするひとよ、いとしきひとよ」
「わかった」
それは、とにかく高音できらびやかに、透明度の高い音で、心からの愛情を伝える歌詞を持った歌だった。
こんな状況に相応しい物ではないが、親父がそれだというならそうなのだ。
だから私はまっすぐ背筋を伸ばして、肺に思いっきり息を吸い込み、出だしから歌い始めたのだった。
「まだあの中に王族がいるのか」
王が感心したようにそう言った。男は怪訝な顔で忠誠を誓う王を見やった。
「陛下、そろそろ退避しませんか」
そう言ったのは男以外の護衛の近衛である。階級は男より高い。王にも忠告できるほどだ。
「あれは砂漠の人間を贄にはできないだろう。俺達の方には近寄らないのが証拠だ」
王は大騒ぎをしている青の国の騎士や兵士、そして列席していた貴族の中でも、忠誠心の高い人間達を見やる。
「国一つ丸々にかかった加護だ。よその国の人間には効果などないだろう」
「陛下、それでも危険がある場合は」
「お前達の言う事はもっともだが、もう少しでこの世のものとは思えない素晴らしい演奏が始まるぞ」
一人優雅に椅子に足を組み座って、頬杖をついた王が、心底楽しみだという顔で、茨の向こうに目を向けた。
「ついでにハッサン、お前、あの中にいるのが楽師アデルとその娘のエーダか見て来い」
「私がですか」
「そうだ。まさか気付かれていないと思ったか? あの娘が他の人間の間を逆に走るのを見つけて、走り出したそうにしていた自分を」
「……陛下の注意力にはいつも感服いたします」
「行ってやれ、この世で最高の演奏会は、お前が見るべき恋人の本気だ」
完全に面白がっている調子で言う王を見やり、他の近衛達も何かに気付きにやつく中、ハッサンは一礼し、尋常な大きさとは言えない大剣を片手に、そちらに走り出した。
「さて、お前達もこんな物、一生に一度聞くか聞かないかだ」
王は唇を吊り上げて言い切る。
「救国の演奏会だ」
「これほど歌う王族様が、いらっしゃったか?」
茨に覆われて見えない儀式の間の方から、だしぬけに響き渡った透明な歌声に、兵士も騎士も貴族も困惑した。
ずっとかすかに誰かが演奏する音が聞こえていたので、中に救助できる王族がいるのだと、彼等は動いていたのだ。
そんな中で、いきなり演奏の曲目が一変し、高らかな歌声があたりを包んだのだ。
高く高く、強く透明で、綺羅星の輝きがその声から幻視出来そうな、誰も聞いた事のない見事過ぎる歌声が、愛をうたっている。
愛の美しさと醜さと、愛らしく形どられた自己満足と、何よりも相手を思う一直線な思いを、その声はそれこそが愛であり素晴らしくも醜い物、という事を、華やかに高らかに、そして軽やかに歌い上げているのだ。
こんな声を誰も聞いた事がない。誰もこれほどの技量の王族ならば、知っているはずなのだ。
青の国の王族は、演奏や歌唱を貴び、それが素晴らしい腕前である事を誇りに思い、序列さえ音楽の技術に比例するとまで言われているのだ。
つまりこれだけの歌を歌える女性は、この青の国の王族の中で、最も序列が高くなければおかしいくらいなのだ。
それだけに済まないほどの歌声が響き、彼等は奇跡を目の当たりにする事になった。
静かに、茨が星の光に包まれて消えていくのだ。
這いまわる間は地響きを立てて暴れまわっていたそれが、音一つ立てず、抵抗など欠片もせずに、ただ消滅していく。
戴冠の間で蠢いていた箇所から徐々に、茨は消えていく。そして彼等は、一人の異国の男が、何をしてもどうにもできなかった茨を引きちぎり、本来部外者は立ち入り禁止の儀式の間の中にいる事実に気付いて、そして、その男が立ち尽くしたようにある一点の方向を向いている事で、そちらに目をやり……絶句した。
一人の薄汚れた衣装の、儀式には全くそぐわないなりをした女の子が、両手を広げて、まっすぐに茨を生み出した青い光の方を向き、目をそらす事もせずに、歌っていた。
誰もが言葉を失った。当たり前だ、その女の子が背中に流す髪の毛は、存在する王族の中でも最も色が濃く、黒く見えるほど濃く、青い光の輝きに呼応するように青く光ってふわりと揺れていたのだ。
彼女自身が青色の光を放っているように錯覚するほど、彼女は青く輝いていた。
そう、薄汚れた衣装など大した事ではないのでは、と途中から思うほどに。
そしてその彼女の補助をするように演奏しているのは、こちらも誰かわからない程濃すぎる青色の髪をしたそれなりの歳の男性で、彼女の綺羅星の歌声に相応しい、月の光のような音律を奏でている。
そして、少女の声が響けば響くほどに、茨は消え失せ、茨に取り込まれていた王族達が床に倒れて元の姿に戻っていく。
その中には、国王になるマリオンも、前王も、前王妃もいた。
前王と前王妃は、悲鳴が響き渡った時に、息子を案じて儀式の間の中に入って行ってしまっていたのだ。
そして少女の歌が終るその時、少女は青い光の輝きに、静かに、ただの事実を伝える声で一言、こう言ったのだ。
「あなたのバルロには、伝えておいたよ」
そのたった一言が何の意味を持っていたのか、誰もまるで分らなかったのだが、青い光には何よりも大事な一言だった様子で、青い光は静かに明滅をはじめ、先ほどまでの暴力的な輝きから、穏やかな浅葱色の海を思わせる光に落ち着き、世界は静寂に包まれ……その空気を一人読まない少女が振り返り、部外者の男の方を見て
「ハッサンさん!? え、いつからいたの!?」
と驚きの声をあげたのだった。




