11 本当にあった話
「親父が無事ならまあいいか」
私はバルロの言葉を聞いて、そう言った。バルロの方はちょっと目を瞬かせた後に、にいやりと笑った。
「そうそう、その方が今は正しいぜ。下手に抵抗する方が、お互いのためにならねえ。……おれは何がなんでも、あいつが死ぬ運命を覆さなきゃならないからな。お嬢ちゃんやお嬢ちゃんの親父が抵抗するってんなら、荒っぽい事もためらわねえ」
「その人はそれだけ大切な人なの?」
「あ? そんだけ大事じゃねえ相手なら、さっさと見限ってとんずらしてらぁ。出来ねえから、面倒なんだ」
面倒だという割に、その唇が浮かべた笑みは優しい物で、その大切な人は……知り合いというよりも、恋人とか、そう言う関係性だったのではないかと邪推する表情だった。
「う、ううう……よく寝たなあ……ここは家ではなくて馬車かい? ……ああ、暗闇、事情の説明をありがとう。寝ている間にここまで運び出すなんて、能力が高くて驚くばかりだ」
私がバルロと話していたその時、不意に別の方向からごそごそという身じろぎの音にくわえて、暢気で現状をよく分かっていないのだろう声が、ゆっくりとした調子で響いたのだ。
親父はどうやら本当に、眠っている間に運び出されたのだ。抵抗したとか、怪我をしたとか、そんな気配が欠片もない事に、私は心底安心した。
「親父、大丈夫?」
「これだけたっぷり寝かせてもらえたのは、ずいぶん久しぶりで、気分がとてもいいよ。腕のいい術者に眠らされたんだね、下手な術者に眠らされると、二日酔いよりひどい具合の悪さになる」
親父は平然とした調子で話している。その親父に対して、バルロが親父がいるのだろう方向を振り返って言った。
「あんた、アデル・ドラフォン・アズーロだろう? 違うっては言わせないぜ。俺はあんたを青の国に連れて行かなけりゃならねえんだ」
「ああ、今聞いたよ」
「は……?」
のんびりとした調子で返す親父に、さすがにバルロが怪訝な声をあげる。
確かに、今聞いたよなんて言われても、意味が不明としか言いようのない事だ。
「君達にとって朗報である事に、私は確かに大昔、アデル・ドラフォン・アズーロと呼ばれていた男だ。その名前はとっくの昔に捨てて、今は流れ者の楽師のアーダなんだがね」
「本当にアデル・ドラフォン・アズーロだった……」
私はびっくりしすぎて呟いた。バルロの言葉が信じ切れなかったからだ。この親父が王族様だなんて、とても信じられない事だったからである。
……アデル・ドラフォン・アズーロ?
私は不意に、その名前に聞き覚えがあるような気がして、ちょっと考え込んだ。
その間にも、かたかたかた、と親父の腰の壺が音を立てていて、それに対して親父が喋っている。
「うんうん。……その事情ならば、バルロさん、あなたから逃げ出そうとはしませんよ。私は私のために、破滅する人をこれ以上増やしたくないのだから」
「……おい、なんでてめぇ、寝ていたはずなのに事情を知っている口ぶりなんだ」
「ああ、私の幸運の塊たる暗闇が、ずっとあなたたちの会話を聞いていたという事で、今教えてもらったんですよ」
「ここにあんたと、あんたの娘以外に連れてきた人間はいねえぞ」
バルロが思いっきり怪しんでいる調子で、低く言う。それに対して親父は告げた。
「ああ、私の腰の壺にいる、私にずっと付添ってくれるとても親切な精霊がいてね。おや、不気味に思っているなら仕方がない。でも暗闇は無差別に人を殺したりしないし、私に危害が加えられなければ、あなた達に何もしないから、それだけは信じていただきたいな」
「……道理で気配の中に、人間じゃねえ物が混ざってると思ったら」
ぼそりとバルロがいい、念を押すようにきく。
「あんたに危害をくわえなけりゃ、そのあんたの精霊は手を出さねえんだな? 間違いねえな? おれ達はアデル・ドラフォン・アズーロとその娘を、青の国に連れて行くってのだけが目的なんだ」
「だろうなぁ。そして私はあなたの事情が事情だから、抵抗をしたりしない。……私に巻き込まれて死ぬ人間は、もうたくさんだ」
「……ああ、なるほどな。あんたはその縛りの中で生きてんのか」
「あなたもなかなか、苦労する縛りの中で生きている様子だね。……暗闇、あまり人様の事情を根掘り葉掘り調べてはいけないよ。知らない方がいい事は、世の中たくさんあるって君は十二分に知っているだろうに。……え? そうかそうか……」
かたかたかたかた、と延々と壺のふたが鳴っている音が響いている。
腰の暗闇が、何かを調べて親父に話しているのだろう。
「兄貴、そいつおかしいんじゃ!」
「壺の中に何かを封印して使役しているなんて話、誰も言わなかった!」
「お前ら、怯えてんじゃねえ。……その暗闇って奴は、アデル・ドラフォン・アズーロに危害をくわえなけりゃ手を出さない」
怖がる調子の弟分たちなのだろうか、彼等にバルロが静かに言う。親父はゆっくりと楽な姿勢で座り込み、恐らく私のいる方を向いたのだろう。動く気配がした。
「私はあなた達から逃げないし、娘も私がいるならそうだろう。だから娘も自由にしてくれないかい。状況判断の出来ない子じゃないから」
「……って話だ、お嬢ちゃん、変な真似しねえっていうなら、縄だのなんだの外してやるぜ」
「親父を放り出して逃げたりできないから、逃げないよ。……さっきから縄の結び目が痛くてたまらないんだよ、外して」
「縛り方間違えたか? よいせ……」
バルロはそう言い、私はやっと縄から自由になって、木箱の影から出て来る事が出来たのだった。
「親父はどうして、青の国から出ていったの?」
もうじき国境沿いになるのだろう。徐々に砂漠の砂の世界から、他国の緑が点在する地形に変わっていっている。
そんな中で、私はずっと静かに、ゆっくりとした曲を奏でている暢気な親父に問いかけた。
王族様が流浪の楽師になるなんて、よっぽどの事情だと思ったのだ。
これから青の国に行くのだから、多少の事情も知らないっていう事は出来ないと考えた事も有る。
私の問いかけに、親父は手を止める事をしないで答えた。
「言わなくてはいけないかい」
「親父の過去の事情に巻き込まれているから、何にも知りませんよりも、心構えってものが変わってくるから」
「……そうか。君を巻き込んでしまっているからか。ならば……この真実を、君に教えよう」
親父は馬車の御者席の方を向いた。そこでは交代でずっと、砂漠馬という体力がすごい馬を走らせているバルロ達がいる。
これまでに三回砂漠馬を交換したのだ。
バルロはうまい具合に言いくるめているのか、それとも軍資金があるのか、砂漠馬が疲れて速度を鈍らせると、一番近い町や村に飛び込んで、次々砂漠馬を交換している。
時間がないというのは事実なのだ。バルロの大事な人の命の期限が、どんどんと近付いている。
バルロ達は順番に休息をとり、ずっと馬車を走らせていた。
そんな彼等の方を向いた後に、手元の楽器に顔を動かして、親父は静かに言った。
「私は、とある女性に恋をした」
「誰だって恋する時代はあるでしょ」
「その時婚約者のいる身の上だった」
「なんか泥沼」
「女性と婚約者の方で行き違いがあって、それが人々のいらぬ噂を招いた。……女性も婚約者も誓って何もお互いにしていなかった。だが、周りの人々が騒ぎ立て、婚約者にとって不名誉な噂が流れ……婚約者は矜持が著しく傷ついて、王宮を去った」
「……」
あれ、何かこれはどっかで聞いた事があるような気がする……どこだっけ……?
「婚約者が王宮からも国からも去った後に、私は女性と結婚した。騒ぎを治めるためには、当時それしかなくてね。この騒ぎで女性の方に良い縁談が来なくなった事も有って、王家は責任をとる形で私と女性を結婚させてくれた」
なんだか少し、私が聞いた話と違っている気がするのはどうしてだろう。
……私が聞いた話だと、王族様を奪った女性は最低な人という事だったのに、親父の話す中身は、そこまででもないような気がして来る。
「……幸せだったよ。彼女と笑いあう世界は幸せだった。彼女が社交界を泳ぎ回る中でずっと苦しんでいた事も聞いていたから、もう独身の令嬢として相手を探さなくていい事に、二人で喜んでいたんだ」
「……どういう事?」
「彼女は頭がよかった。機転もきいて、……美しかった。だからそれが彼女の災いとなり、彼女に言い寄る男性は、未婚も既婚も関係なかった。そして彼女は彼等の恋人や婚約者、果ては妻にまで警告をされていて……彼女は頭がよかったから、何度も態度を改めた。でも、彼女に傾倒した男性たちは、どれだけ彼女が境界線を引いても、説得しても、聞く耳を持たなかった。……かくいう私を含めてね」
「態度をどれだけ改めても、現状は何も変わる事がなかった。そんな状況だったからこそ、彼女は当時言い寄って来る男性の中で一番格が上だった私と親しくなったと、後から聞いた。王族様が相手なら、他の男性は諦めて引き下がるだろうと計算した、と後から謝られた。本当は様子を見て身を引き、私の婚約者にも謝罪する方向で考えていたんだと。……それも無理になったのは、彼女に傾倒した男性達の行動の結果だった」
私の知っている話と違う。大違いだ。
私はここで思い出したのだ。アデル・ドラフォン・アズーロは、消滅する前の私の母リリーの婚約者の王族様で、その恋人は悪女カレンだという事を。
この人は、前の私のお母さんが、国を去る原因だった人なのだ。
……でも、なんで、こんなに、私があの頃王族様の一人、ウィルヘル様から教えてもらった話と違う事を言っているんだろう。
記憶がねつ造されたんだろうか。そんな事を思っている中で、親父は続けた。
「……私の婚約者との話し合いの場面には、多くの人がいた。二人きりなどあり得ない。証言を記録する係や使用人、そしてお互いの知り合いが集まっていた。その中で……女性は耐え切れない圧力と緊張のあまり、婚約者に挨拶をした途端、気絶してしまったんだ。それを、周りの男性達が曲解した。……私の婚約者が、彼女に呪いをかけて殺そうとしているのだ、とね。その結果婚約者は気に入らない女性に呪いをかける、嫉妬深い恐ろしい女性だと噂が立ち、尾ひれ背びれが付いた。婚約者は今まで完璧と言われた女性だった事も有って、自分の事を口さがなく言われる事に耐え切れず、失踪した」
「うそ……」
私はずっと不思議だった。どうして、リリーがカレンを呪ったという噂が立ったのか。
普通に考えて、王族様が男爵家の令嬢を呪ったなんて事、噂にもならない話のはずだからだ。
呪うよりも効果的に、手を汚さずに排除する方法なんていくらでもあるんだから。
「私の恋人は、当時、私の婚約者の女性の汚名を晴らすために、呪われていないと主張していた。だが……状況が状況だった。その思考さえも、呪いによる洗脳なのだと言われてしまっていた」
そして残された私と、彼女が結婚する事で事態をようやく落ち着かせたのだと、親父は語った。
でも悲劇はまだ続いたのだろう。
「結婚して数年が経過し……彼女は、私と結婚していても、彼女を諦めきれなかった男性達に、その」
「ああ、関係を持たされちゃった?」
「……ああ。そしてそれは、ただでさえ姦通罪として重罪だったのに、王族の私の結婚相手という事で、王家をあまりにもバカにしていると、斬首刑が決まった。男性達は彼女が自分達に言い寄りたぶらかしたのだから、彼女がすべて悪いと、彼女にすべての罪を押しつけた。……私が見つけたその時の彼女は暴れて泣き叫んで、抵抗した事で顔を叩かれたのか真っ赤に腫れ上がった頬をしていて……ひどいありさまだったというのに」
「……」
「そんな状況の中、ついに婚約者だった女性が、彼女を呪ってもいない事が確定した。彼女は一転して、数多の男性をたぶらかし、婚約者だった王族様を追い落とした、尻軽な悪女という事にされてしまった。王家は、彼女にすべての罪をかぶせて、彼女を殺す事にした」
一人の女性にすべての罪を着せるのは簡単だっただろう。あいつがすべて悪いのだという事にするのは楽で簡単で、彼女に夢中になっていた男性達にとっても、自分が悪くないと主張するために必要な事だったんだろう。
彼女がどれだけ彼等と線引きしようとしても、言い寄っていたのは男性達だったとしても。
貴族ってものは、自分の立場のために弱い相手を追い詰める事に、何にも罪の意識なんて覚えない物なのだから。
「私は一人で彼女の無罪を主張する事になった。だが力は及ばず、一番罪の重い罪人が受ける刑罰である斬首刑から、まだ名誉のある絞首刑にする事しか、出来なかった」
親父はそこまで話して息を吐きだした。
「……青の国では、この話は全て、ふしだらな悪女カレンの話になっているだろう。死者は口をきけない。そして生きている人間は……自分の罪を認めない。生きている人間達は口をそろえて、彼女がすべて悪いのだと、不利益な真実を語らず、自分の都合のいいように語るものだ。……暗闇に、真実が全て闇に葬られたと聞いた時には、衝撃を受けたよ。だから私は、余計に国には戻らないと決めていたんだけれどね」
「……その人を愛していたから?」
私の問いかけに、親父はかすかに唇を笑みの形にした。もうそれだけで、言いたい事は十分に伝わってきていた。
「そう言うわけで、私は二人の女性を不幸にしてしまった。彼女達に顔向けができないから、私は財産も立場も生まれもすべてを捨てて、一人流浪の人間になる事にした。昔から罪を持った人間が果てない流浪の旅をする事は、ありふれた話だからね」
親父の長い永い告白が終わり、私は何も言えなかった。
……当時の私は、当事者たちに話を聞いた事がなかった。
そして私に話を教えてくれたウィルヘル様も、カレン側の人達の話なんて聞けなかっただろうから、当時の事を知っている人達から話を集めたのだろう。
……当時を知っている人達は、皆カレンが悪い事にすれば、自分達の罪が軽くなるから、絶対に真実なんて言わなかったんだろう。そしてウィルヘル様も、聞いた話が本物かどうかを、調べる手段はないのだ……聞く人聞く人すべてが、カレンが悪いと言えば、そう結論付けるしかなかっただろうし。
とんでもない話だったな……と私は思いつつ、いよいよ見えてきた国境線の向こうを見て、青の国に思いをはせた。
親父を呼び出すその理由は一体何なのだろう……?




