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銀色のラジオ

汐海にキーホルダーを返したあの日から僕は、彼女とよく一緒に下校するようになっていた。日によっては、相変わらず無愛想なときもあるけれど、それでもだんだんと打ち解けてきているし、なにより、なんだかんだ僕がついていっても、汐海は文句を言わなくなっていた。汐海とはいつも青石駅から一緒に帰ることになっている。それは汐海から言い出したことで、僕としてはむしろ汐海に一緒に帰ることを認められたみたいでうれしかった。

「小学生の頃、うちの母さんがさ、エルを叱る時、しょっちゅう間違えて「奈津!うるさい!」って怒鳴るんだよ」

「あはは!それ奈津がいつもイタズラしてたからじゃないの?」

「ばれたか……でもひどいんだぜ、家で食べ物がなくなると、みんないつも僕のせいにするんだ」

「食べてないの?」

「食べた」

「たべてんじゃん!」

汐海は、楽しそうに声を上げて笑った。

今日は、いつも以上に話が弾んでいた。汐海は、僕の話を笑いながらうんうんと聞いてくれる。汐海は時々、わざと白けたような表情になることがあった。話がつまらないのだろうと僕が落ち込むと、そんな僕を見てプッと吹き出す。

「ねえ、奈津くん、どうしてそんなにわたしに関わろうとするの?」

「いや、その、なんか放っておけないっつーか、なんていうか……」

不意を突かれた僕は、思わず彼女から目をそらした。

「なんていうか、なに?」

 汐海は上目づかいに僕を見る。その覗き込む顔の可愛さに僕は緊張して言葉を失ってしまった。

「……言いたくても、言えないことがあるんだよ!伝えたくても伝えられないことがあるの!」

そう言うと、汐海は頬を赤らめて、少し口角をあげながら、コクンとうなずいた。

「わかった?」

僕が確認すると、汐海は僕の胸あたりに視線をおいて、もう一度大きくうなずいた。

すると、僕たちはお互いになんとなく気恥ずかしくなってしまい、ひたすらトコトコと並んで歩きつづけた。

「ねえ、どこまでついてくるの」

突然、汐海が立ち止って言った。

「あ、ごめん、迷惑だよね」

僕はさっきのことで頭がいっぱいで途中で迂回することをすっかり忘れていた。

「そうじゃなくて、うち、ここだから」

汐海が目で示したそこは、お世辞にも綺麗とは呼べない、かなり年季の入ったアパートであった。汐海のことを裕福な家庭のお嬢様だと思っていた僕にとって、それは衝撃だった。錆びついた鉄骨の支柱に、ペンキのはがれた階段は、建物をより一層さびしく感じさせた。

「びっくりした?うち、貧乏で」

汐海が淡々と口にする。

「そんなことないよ、ぜーんぜん。家もお金ないし」

僕は大きく首を振って言った。この町で、僕は比較的裕福な家の生まれだ。けれど、義伯母夫婦に財産のほとんどを使い込まれていることを考えると、自分もあまり変わらないような気がした。それに、そんなことよりも汐海のことを少しでも知れたことが、なによりうれしかった。

「それじゃ、またね」

 いつまでも家の前で突っ立っていても迷惑だと思ったので、僕は汐海に背を向けた。

「……あがってく?」

僕の背に向かって、汐海は静かにそう言った。僕は振り返って、「いいの?」と聞きかえしながらも、思ってもみなかった幸運に、ゆるんでしまう口元を抑えきれなかった。

「おじゃましまーす」

「べつにいいよ、だれもいないし。ママは仕事で夜遅くまで帰ってこないし、妹は今日お友達のお家にお泊りだから」

そういって汐海は電灯をつけ、バッグを部屋の隅に置く。

「ちょっと待ってね、今、何か飲み物入れるから」

汐海が髪をかきあげて一つに結びながら言った。彼女の薄いもみあげが露わになる。

「パパは、わたしが中二のときに病気で死んじゃったんだ」

僕が「お父さんは」と聞きそうになって言葉を呑み込んだことに気づいたのか、汐海が言った。僕はなんと返したら良いのかわからなくて、静かに「そっか」とだけ言い、部屋の中を見渡した。

部屋の中はよく片付いていて、質素ではあるけれど、貧しさはあまり感じられなかった。それに、女の子の家だからなのか、なんだかとても良い香りがする。誰もいない部屋に女の子と二人きり。僕も年頃の男子であり、何も考えないわけではなく、なんとなくソワソワしていた。結局、どこに目線を置けばいいのかわからず、汐海にうながされるまま、長方形のシックな木製テーブルの前に座って、バッグについた白いビーグル犬のストラップがユラユラと揺れるのを、ただ眺めていた。僕がボーッとストラップを眺めていることに気がついた汐海は、台所でジュースをコップに注ぎながら話し始めた。

「それね、パパがまだ生きていた頃、一度だけ、遊園地に連れて行ってくれたことがあって、その時に買ってもらったの。リボンにはいろんな色があって、わたしがピンクと黄色、どっちがいいかなってパパに聞いたら、パパは黄色がいいなって。知ってる?黄色い色にはね、身を守るって意味があるんだって。だからパパは汐海がずっと元気でいられますようにって買ってくれたんだ。その時はママもいて、妹もいて、楽しかったんだあ……」

汐海の話を聞くと、僕は変な妄想をしていた自分が猛烈にあほらしくなり、心の中で自分を叱りつけた。そして、汐海の注いでくれたジュースに手を伸ばす。原液を水で希釈するタイプのものだった。

「ごほっ、このジュース、濃くない?」

「え、うそ、ほんと?ごめんね!」

僕が言うと、汐海は顔を真っ赤にしてあたふたしていた。

そんな汐海をみて僕が声を上げて笑うと、汐海もつられて笑いはじめ、次に怒りはじめた。なぜだろう、なんでもない普通の会話なのに、彼女のさりげない一挙一動が僕の胸を高鳴らせる。

「ふーん、じゃあ汐海は休みの日とかはなにしてるの?」

世間話をする中で、僕はごく自然に聞こえるようにそうたずねた。信じているわけではないが、真由子の言っていたこともなんとなく気にはなっていたのだ。

すると、次の瞬間、汐海の顔はスッと気まずそうな表情に変わった。

「あの、いや、話したくなかったら別に無理して話さなくても……」

僕が慌てて自分の発言を撤回しようとすると

「ぜったい、誰にも言わない……?」

汐海が、神妙に聞き返す。

「うん……」

「ぜったいのぜったい?」

「ぜったいのぜったいのぜったい」

汐海はできれば言いたくないというように目線をそらして、遠まわしに話しはじめた。

「わたしね……お金のために売ってるの」

「……なにを?」

汐海の額から小さな汗が一滴、したたり落ちる。僕はゴクリと唾を呑み込んだ。

「……オカズ」

「え、誰に!?オジサンとかに……?」

「うん、おじさんも、おばさんも……」

「おばさんにも!?」

「時々こどもも……」

「こども!?」

「うん、売れ残るともらえるから」

「売れ残るって……え!?なにが!?」

「お弁当」

「お弁当?お弁当って、スーパーに売られてるような?」

「うん、残ったオカズをお弁当に詰めて持って帰れるの」

「なんだあー!そっかあ……」

それを聞いた途端、僕の全身から一気に力が抜けた。それなら夜に街で見かけたといわれても合点がいく。たしかにうちの学校はアルバイト禁止で、それが学校に知られるとかなりの厳罰があった。が、それでも隠れてしている人はいるし、僕にとっても全然たいしたことではなかった。

「ぜったい、ぜったい秘密だよ!」

汐海は前のめりになって、潤んだ瞳で約束を求める。僕にとってはたいしたことではなくとも、汐海にとっては重大事なのだろう、そんな姿も僕には可愛らしく映った。

「アハハ!わかったわかった、ぜったい誰にも言わないよ」

汐海はホッとしたように息をついた。僕はそれが可笑しくてまた笑いが込み上げてきたのだけれど、汐海がムッとしはじめたのでなんとかこらえた。

「なんにもなくてごめんね。テレビはあるんだけど、うちのもう古いからなかなかつかなくて、あんまり見ないの」

そう聞いて、汐海にテレビ番組の話題が通じなかった理由が分かった。僕が強張った表情になっていることに気を遣ったのか彼女は申し訳なさそうに話をつづけた。

「わたし、勉強もできないし、うちお金もないから高校を出たら働くの。でも妹には同じ思いをさせたくなくて、ちゃんと進学してほしいんだ」

汐海は、僕なんかよりずっと厳しい状況に置かれていた。彼女にだってなりたいものやしたいことがあるはずなのに、そんな彼女に、将来は何になりたいかなんて、僕はなんて無神経な質問をしてしまったのだろう。

「そうだ、好きなアーティスト教えてよ」

「わたし、あんまり音楽聴かないから」

「……音楽プレーヤも持ってないの?」

「ないよ」

汐海は、少し気まずそうにそう返事をした。

「僕、二つ持ってるけど、よかったら一つあげようか?」

「いらない」

汐海は冷たくそう言い放って、真剣な面持ちで僕を見た。

「いや、ほんともう一つの方は全然使ってないし、気にしないでもらってよ」

「とにかくいらない。そんな高価なもの、もらえない。それはあなたのお父さんやお母さんが一生懸命働いて稼いだお金で買ったものでしょ、そんなもの、もらえません」

汐海は落ち着いた声ではっきりとそう言った。その眼差しは凛としていて、美しくも、やさしさがこもっていた。


そんな君だから、僕は何でもしてあげたいと思ってしまうんだ。


そうこう話しているうちに、気持ちも落ち着いてきたのであたりを見回すと、ちょうど銀色の手動式ラジオが目にとまった。

「ラジオあるじゃん!」

思わず僕は声に出した。さすがに僕は、普段はテレビを見ることの方が多いけれど、好きなアーティストが出演する月曜日と金曜日のラジオ番組は、毎週欠かさず聴いていた。

「うん、中学生のころに技術の授業で作ったやつもらってきたの。でもわたしあまり上手に作れなくて、動かないんだ」

「半田ごてとドライバーある?」

僕はラジオを手に取ってそう聞いた。(学校で作った作品や使った道具はそのまま配布されることが多いので、もしやと思い、聞いてみたのだ)僕も中学生の時同じようなものを作ったが、たしかにクラスメイトの何人かのラジオは、機能せず未完成のまま終わっていた。すると、汐海は小さい箱を机の引き出しから取り出して、僕のもとへと持ってきた。フタを開けてみると、案の定、中には半田ごてと短いドライバーが一本ずつ、そしていくらかの半田が納まっていた。

 僕は早速、慣れた手つきでラジオを解体して、電子回路をザッと確認すると、電源プラグをコンセントに挿し込み、半田ごてが温まるのを少し待った。

「なおせるの?」

「まあみてなって」

汐海は心配そうにのぞきこむ。僕は、時々思い出したように説明書を見ながら、テキパキと手を動かした。僕が半田を溶かしはじめる作業に取りかかるころには、汐海も身を乗り出してその様子に真剣に見入っていた。

部屋はシーンと静まり返り、白熱電灯が僕たち二人の姿を照らす。聞こえるのはコチ、コチと時計が時を刻む音だけだった。

「よし!」

僕はそう声をあげると、解体したパーツを手際よく、元の形に組み立てなおしていった。それが終わると、手動レバーを回し、アンテナを立て、チャンネルを合わせていく。汐海は片時も目を離さず、隣でジッとその様子を見つめていた。

“カントウチホウハハレ、ゴゴカラヤヤクモリト……”

音が入った瞬間、僕は緊張の糸がプツンと切れ、ホッと腰を落とした。

汐海はというと、それがあまりにうれしいようで、色々なチャンネルに合わせてみてはニヤニヤと顔をほころばせている。それからしばらく、僕たちは他愛のない冗談を言い合ったりして、時間を忘れて談笑していた。

「でね、そうしたら梨奈がね―――」

そう話す汐海を見ると、ふと胸元が目にとまった。白いワイシャツがはだけ、薄桃色の下着が露わになっている。僕がその光景に見入っていることに気づいた彼女は、恥ずかしそうに頬を染め、潤んだ瞳で僕を見た。話に夢中になっていて気がつかなかったが、いつの間にか汐海と僕の距離は膝が触れ合うほど密着している。僕は急に恥ずかしくなって話題をそらそうとあたりを見まわし、外がもう暗くなっていることに気づくと、時計を見て立ち上がりながら言った。

「あ、もうこんな時間か、それじゃ、そろそろおいとまするよ」

「え……もうかえっちゃうの?」

汐海は途端にさびしそうな表情になり、立ち上がる僕を見上げた。

「うん、楽しかったよ。おじゃましました」

僕はラジオの使い方や、自分がいつも聴いている番組をいくつか教えると、汐海の家を後にした。外にでると、ひゅうっと冷たい夜風が肌を吹き抜ける。いつもは心まで凍えさせるような夜風も、今は不思議と心地よかった。


僕はそれから毎日のように汐海と下校した。いや、下校する汐海についていったという方が適切かもしれない。どんなにつれなくされても、僕は毎日、汐海との下校を楽しんでいた。そしてそんな僕に、彼女は少しずつ、少しずつ、心を開いてくれたんだ。


汐海が喜んでくれること、僕にはそれがなによりうれしかった。

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