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僕は数枚の書類を抱えて階段をおりると、リビングにあがった。煙草をふかした四十代半ばくらいの女性が、テレビに映る女優の悪口をブツブツとぼやいている。僕の義伯母さんだ。

「あの、この前話した学費の話なんですけど……」

「あ?」

義伯母さんは鼻から煙草の煙をフーッと漏らすと、いかにもかったるそうに、返事をした。

「獣医学部でも、国立なら大分安く済むので、受けさせてもらえませんか。それに奨学金制度を利用すれば、当面の学費は安くなるし、僕も空いている時間はバイトで稼ぎます。残りのお金も、必ず自分で返すので……」

そういって僕は、六年分の学費のリストや奨学金の書類をプリントアウトしたものをテーブルに置いた。義伯母さんはそれにざっと目を通すと、バンッと、書類をテーブルに打ち付けて言った。

「なにこれ!何百万もかかるやないか!なんであんたなんかにそんな大金かけなあかんねん!」

「……ごめんなさい」

「たく、あんたにそんな金かけるなら天馬ちゃんのためにつかうわ!」

義伯母さんはくわえていた煙草を灰皿にこすりつけ、あてつけのように鼻から白い煙を噴出した。

「でも、父さんの遺したお金が、まだ残っているはず……」

「そ、そんなもんとっくの昔に使うてしもうたわ!あんたにどれだけカネかかっとると思っとんの!大体、あんたはうちに養ってもろうてるんやないか!そったらあんたのカネはうちのカネや!分際をわきまえ!」

義伯母さんがかんしゃくを起こし始める。こうなると手がつけられない。こういうところを見ると、天馬の母親だということがよくわかる。僕は義伯母さんの小言に背を向けて、トボトボと部屋にもどるしかなかった。


 僕はベッドに寝ころがると、ボーッと天井仰ぎみた。両親が死んでからというもの、一人になると、なぜだか昔のことを考えることが多くなった。

今思うと、両親を亡くした直後の僕は、眠ることが怖くて、昔の楽しい思い出で頭を埋め尽くしていたように思う。あの頃はただ、夢を見ることが怖かった。

特に、雨の日は悪い夢を見た。あの日も、大雨だったから。

見る夢は、いつも同じだった。

夢の中で、僕は母さんに台風がくるから遊びに出てはいけないと言われていたのに、母さんたちが買い物に行っている間に家を抜け出して、スーパーのゲームセンターまで遊びに行った。父さんたちが帰ってくる前に、先回りして家で待っていればいいと思っていたのだ。しかし、夢中になって遊んでいると、あっという間に父さんたちが帰ってくる時間になっていた。僕は父さんたちに家を抜け出したことがばれて怒られることが怖くて、どしゃ降りの雨の中、傘をさすことも忘れて走りだした。そして、車道を横切ってもう少しで家に着くというところで、急に後方から爆発するような衝突音が鳴り響いた。僕は急に怖くなって、振り返ることもできず、そのまま泣きながら家に駆けこんだ。

家の中に入ると、まだだれも帰ってきてはいないようだった。僕はホッとして、シャワーを浴びて父さんたちの帰りを待っていた。でも、五時になっても、六時になっても父さんたちは帰ってはこなかった。七時になっても、八時になっても父さんたちは帰ってこなくて、実は僕が家から抜け出したことに気づいて、僕をこらしめるために二人がどこかに隠れているのだと思い、僕は家中を探しまわった。けれど、二人はどこにもいなかった。九時になると、家のチャイムが鳴った。「母さんたちだ!」そう思って玄関を開けると、そこには青い服を着た男の人が立っていた。

最後にみた父さんと母さんの顔は、包帯でグルグル巻きにされていた。これは後に聞いた話だが、衝突時の衝撃で首から上が四散して、原形をとどめていなかったらしい。

父さんたちを殺した男のことは一度も忘れたことはなかった。けれど、その男も父さんたちが死んだときに一緒に死んでいる。僕はこの十年間、すでにこの世にはいない“櫻田正和“というあの男を、何度も何度も頭の中で殺しつづけた。それだけが、胸に渦巻くやり場のない思いのはけ口になっていた。


将来の夢は、と聞かれれば、僕は獣医になりたいと答える。エルのような病気の犬を助けてあげたい。どんなに勉強したところでエルはもうかえってはこないことは分かっている。動物の命を助けたいのなら、他にも仕事はたくさんある。けれど、あのときエルに何もしてあげられなかった悔しさが僕の中に渦巻いていた。

人はどうしたら幸せになれるのだろう。そんなことを、昔考えたことがある。お金持ちになったら幸せになれるのだろうか。欲しいものを何でも買えて、毎日のようにご馳走を食べていられたら幸せなのだろうか。そうだ、有名人はどうだろう。道行く人という人にチヤホヤされて、羨望の眼差しを向けられて………どれも、ピンとこなかった。美味しいものは食べたいし、お金も無いよりはあった方がいいと思う。人に認められるのもうれしい。でも、それだけで幸せかと聞かれると、なんだかとても虚しい気持ちになる。

お金にも、地位や権力にも執着するほどの興味はなかった。それらがないからといって、特別不幸感を抱くような性格でもない。僕は、張り合いの無いただ生きているだけの毎日に、なんとなく妥協して生きていた。

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