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無慈悲

午後五時頃、少年は家に着くと粗雑にドアを開け、自分の部屋にあがりこむと、ベッドに腰を掛けた。クチャクチャとガムを噛みながら、テレビをつける。

“――としており、神奈川県警はこの行方不明の少年を重要参考人として、現在も捜索をつづけています”

「はあ!?」

少年はガムを壁に吐き捨て、声を上げた。

「これ、テツの車じゃねえか!」

「行方不明の少年は、高橋奈津、18歳。神奈川県警はこの少年の行方について捜査の範囲を全国に広げる方針です」

「これ……もしかして俺たちが嵌めた奴じゃ……」

少年がそう言った次の瞬間、壁際のクローゼットからバンッ!と鋭くはじけるような音が鳴った。少年が振り向こうとしたときにはもう、大きな手がその視界をさえぎり、抵抗するまでもなく、強引に少年の頭はベッドに打ち付けられた。

まず、はじめに少年の眼に映ったのは、頬のこけた男と、彼の首に突きつけられたナイフだった。

そう、僕の姿だ。

「え、あ、あ……」

少年は、状況が呑み込めず狼狽えている。

「……菊池ワタル、だな」

僕は低い声でたずねた。少年は、首に突きつけられたナイフに視線を送ったのち、僕の顔を見て表情を一変させた。

「おまえ、高橋奈津……か?」

少年がテレビに映った手配写真と、現在、自分を抑え付けている僕の顔を見比べながら、言った。

「やっぱりそうか……あの女のことだろ?」

「………………」

「テツたちを殺ったのもおまえか?」

少年がそう言っても僕は応えず、ナイフを深く押し当てていった。包丁の切っ先が、のどのやわらかい肉に食い込んでいく。

「あ?おい、なにすんだてめえ」

 僕は何も応えず、怒りに露わにする少年をじっと見据えていた。

「あ?聞いてんのかテメエ、わりいけど、オレは何も悪くねえから。どけよ」

 僕はただ、目の前に仰向けに倒れる少年を見据え、ナイフを持つ手に力を込めた。

「そういうのまじきめえから、たかが女一人のためにバカじゃねえの?いいからどけよ!」

 僕が応えないことを知ると少年は、一度目を瞑り、そして、口を開いた。

「なんで、俺たちだとわかった?そうか……金井の奴、裏切りやがったな」

 少年は、考えるように一度目を逸らすと下卑た笑みを浮かべ言った。

「なあ、どうして金井が俺たちに協力したか、知ってるか?」

 少年のボロボロに溶けた歯が露わになる。

「代わりに姉がレイプされるからって聞いたか?ちがうなあ……アイツはそれでも俺たちに協力することを嫌がってたさ。でもよ、おまえにもあの女を抱かせてやるって言ったら、あっさりとびついてきたぜ」

「……安心しろ、はじめから、誰一人として赦すつもりはない」

そう言い終わるか否か、テレビの画面が切り替わった。

―――速報です。本日午後5時ごろ、若葉区篠森町のアパートにおいて爆発事故が発生いたしました。すでに火災は収まっており、死亡者は一名。遺体ひどく損傷しており県警は発火源とみられる部屋に住んでいた学生とみて、歯型の情報を元に身元の確認を急いでいます。他に死傷者はいません。

少年は、眼を見開いて愕然とした。

「……ち、ちがう、殺したのは俺じゃない、俺たちは、頼まれて協力しただけなんだ」

「知っていることをすべて話せ」

 僕は、しわがれた低い声でそう言った。

「わかった、全部、全部話すよ」

そういって少年は唾をのんだ。その時少年の右腕がじわじわとテーブルに向かって伸びていたことを、僕は見逃していた。

「俺たちに頼んだのは…………」

次の瞬間、少年がテーブルの上の灰皿を手に、思いきり僕の側頭部を打った。僕はその衝撃にナイフが手から飛び、体勢を崩しよろめく。その隙をつくように少年は引き抜いたTVの配線コードで僕の首を絞めあげた。

「奈津っていやあ、思い出したぜえ!」

少年がせせら笑いながら言った。蛇のように切れ長の一重が線のように細くなる。

「楽しかったぜえ!泣き叫ぶあの女を車に連れ込んだときなあ、わんわん泣きやがるから、ぶん殴ってやったらおとなしくなりやがった。俺たちに輪姦されている最中も、なつ、なつってつぶやいてたっけなあ!」

 少年はそう言って、高笑いしていた。

首をコードで締め上げられながら、僕は、頭が真っ白になっていくのを感じた。汐海も、こうして……そう考えると、全身の血が熱くなっていく。

「最高だったぜえ……あんなに抱いてて興奮する女はじめてだった色っぽい口も、やわらかいしっとりとした肌も、したたる汗も最高だった……殺しちまったのは惜しかったなあ……もう一度抱きてえなあ……」

 身体が、震えた。この震えは、首に巻きつくコードのせいではなかった。

「ああそうだ、教えてやるよ……あの女、処女だったぜ。もう俺たちが喰っちまったけどなあ」

少年は、鼻息荒く、せせら笑ってそう言った。

「なあ、人を殺すって、どんな感覚だ?やっぱ、最高に興奮するのか?」

その時、僕は懐に隠し持っていた小振りなナイフを取り出し、少年の腿に力いっぱい突き刺した。

「ギャアァ!」

少年はコードを掴んでいた手を放し、刺された腿を抑えながらうずくまる。僕は大きく息を吸うと、うずくまる少年の襟元を掴み、ドアの前へと蹴り飛ばした。そして、先ほど落とした大振りのナイフを拾い上げ、それを手にさげて歩み寄る。

「どんな感覚かって……きいたな」

「ひっ……」

「殺す時は、何も感じないさ……そして、後から恐怖と気持ち悪さが襲ってくる」

僕が少年を見据えて言うと、少年の表情はすでに恐怖に歪んでいた。同時に、ドタドタと一階から駆けあがってくる音が聞こえる。おそらく少年の家族だろう。

「ワタルちゃん!どうしたの!」

「ばあちゃん、助けてくれ!早く警察を呼んで!」

「すみません、そこの方!どなたか存じませんが、わたしが全て責任を取ります!だからどうか、その子をゆるしてあげてください!」

部屋の戸をバンバンとたたきながら、少年のもたれかかった扉の裏側から声がしする。

「に、逃げなくていいのか……」

「どうせ、そのババアも殺す」

「て、てめえ!ばあちゃんは関係ねえだろ!」

 少年の重みでドアを開けられないと悟った老婆が、扉の向こうで懇願していた。

「そんなこと僕の知った事じゃない。おまえの大切なもん全部ぶっ壊してやるから安心しろ。これからおまえの目の前でそのクソババアをバラバラにしてやってもいいんだぜ。昨日の、アイツらのように……」

「た、たのむ……ばあちゃんだけは、ばあちゃんだけは助けてくれ!」

「答えろ。誰がおまえに依頼したんだ」

「ど、どうせ言ったって俺のこと殺すんだろ」

「ああ、殺す」

少年が悲壮な表情を浮かべる。その目には涙があふれていた。その背後からは老婆の啜るような鳴き声と、懇願が聞こえてくる。

「頼む命だけは、助けてくれ!なんでもするから!」

「言え」

僕は無表情に少年を見下ろしながら言った。

「お、俺も復讐を手伝うよ!だ、だから助けてくれ!」

僕はもう何も言わなかった。そっとナイフを握りなおすと、少年は僕の意を察したようで、震えた唇で、その名を口にする。


「―――――――。」


聞きたくない答えだった。しかし、確かな根拠はなくても、ずっと、そうだと思っていた。


「ほら、言っただろ、だから、ゆるして……くださいいい……」

ワタルという名の少年は、ガタガタと全身を震わせながら、声にならない声を振り絞り、恐怖に慄いた眼差しで僕を見上げていた。

――オネガイシマス、ユルシテクダサイ……

背後から、老婆の啜り泣くような声が聞こえる。

ゆるせだと?無理だ……絶対に無理だ!こいつは、汐海をあんな目に合わせたんだぞ!たとえ、この世の全てがこいつの味方をしても僕はこいつを絶対に赦さない。

――イノチダケハタスケテクダサイ……

その時、汐海の面影が頭をよぎった。怒ってふくれっ面になる汐海、すねてちょっと素っ気なくなる汐海、誰よりも美しい長い髪をなびかせて、微笑む汐海。思い出せば思い出すほどいとおしく、その汐海の笑顔を奪ったこの男へのあふれ出る憎しみを、もう、抑えることなどできるはずもなかった。


――気づいた時にはもう、僕は目の前の少年を、何度も、何度もめった刺しにしていた。


無心になって刺しつづけていると、徐々に手ごたえが軽くなっていく。


気がついた時には両手にべっとりと血がこびりつき、動かなくなった少年の頭からは、おびただしい量の血液と脳漿がドロドロと溢れ出ていた。

サイレンの音と共に、二階へ何人もの男が駆け上がってくる音がした。僕はすぐ背面にある窓を開け、一回の瓦屋根の上に飛びだし、そのまま手をかけ屋外へ飛んだ。少年の部屋からは金切声のような悲鳴が響いていた。手に握る恐怖は闇とともに僕を包む。


僕は行く先もはっきりしないまま、暗い夜道を走り抜けた。背後からは、まだあの老婆のすすり泣くような声が聞こえる気がした。


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