日常
私と圭介は、部活の練習が終わり、帰路についていた。
「いやあ、残念だったな、まゆこ」
圭介が言った。
圭介と私こと丸山真由子は、青南高校のバドミントン部であり、男女混合ダブルスのペアだ。だから、何かと一緒にいる機会が多かった。圭介は、バドミントンの実力に関しては特別上手くもなく、下手でもないといったところだが、昔から非常に頭の回転が早く、こと勉強に関しては全国模試で一位、二位を争うほどの秀才だ。また、それを鼻にかけるような嫌味な部分はなく、むしろその落ち着いた性格と、高校生にしては大人びた考え方から、周囲の男子からはしばしば相談事を持ちかけられることが多いようだ。
「あと少しで県大会ってところまできてたのに!」
圭介が、悔しそうに目の前で拳を固める。
「でもまあ、今年は良い後輩が育っているし、次の大会に期待しましょうよ。今度はOBとして、ね!」
「そうだな」
私が元気づけるように言うと、圭介も納得したようにうなずいた。
「奈津はまだ、部活に行っているみたいね」
「あいつは要領がいいからなあ、受験も余裕あんだろ」
「それか、何も考えていないか、ね!」
圭介と私は、思わずプッと吹きだした。
「誰が何も考えていないって?」
突然の声にギョッとして振り返ると、そこには目鼻立ちのはっきりした、小麦色の肌の少年が立っていた。
「お、おどかすなよ、奈津」
「たく、好き勝手言って、失礼しちゃうよ」
奈津が口をとがらせると、圭介はごめんごめんと笑ってごまかした。
奈津は青南高校のサッカー部で、私の幼馴染だ。彼は、その気さくな性格で、誰とでも卒なく付き合えるタイプの人間だった。しかし、圭介とは異なり、相談相手としては少し頼りない。こちらが真面目に話している時でさえ、能天気にのほほんとしているのだ。相談を持ちかけている自分があほらしくなるだけだった。
「おお!みなさん、おそろいで!」
少し離れたところから、大きな声で私たちを呼ぶ声がした。
声がする方へ目を向けると、ちょうど目の前を差し掛かる橋を、ワックスで髪を固めた、いかにも今時の若者といった長身の少年が、こちらに向かって歩いてきているところだった。彼は、齋藤隆二だ。隣には、隆二の彼女の濱田美玖がいる。
隆二は身長一八〇センチ、スポーツ万能で顔立ちも整っていて、まさに乙女の理想を絵にかいたような男子だ。青南高校の生徒は皆、彼に一目置いていた。
ちなみに、奈津、隆二、美玖、圭介、そして私は全員同じ中学校の出身だ。とりわけ奈津、隆二と私は、幼い頃からの付き合いで何かと一緒に過ごすことが多かった。隆二は今でこそ野球部に所属しているが、中学時代は奈津と一緒にサッカー部に所属し、学校初の関東大会出場を決めた二大エースとして、当時は学校中の評判だった(強豪私立中学校犇めくこの地域では、私たちの中学校はスポーツ弱小校として有名だったのだ)。
「隆二、今日部活休みなんじゃないの?」
「いやいや、今回我が野球部は見事県大会出場が決まりまして、毎日練習に没頭中でございますよ。ああ、忙しい忙しい」
隆二がわざとらしくあたふたしてみせる。
「どうせあたしらは予選落ちですよ!」
「だがしかし、我が北洋中、青南高の紅一点、丸山真由子に会えるなら、得したってもんかな!」
「調子いいこと言って!」
私は持っていたスクールバッグで隆二の尻を叩いた。
「ねえ、りゅーじ、ほんとに明日の花火大会きてくれないの?」
美玖が甘えるように隆二に話しかける。
「ああ、ちょっと忙しくてな……圭介にでも一緒に行ってもらえ」
突然話を振られギョッとする圭介だが、「美玖がいいなら……」と、横目で美玖を見た。
「は?なんでチビ介と行かなきゃいけないの?ウチ、隆二の彼女だし。それにどうせいくなら奈津といくしぃ」
美玖にそう言われると、圭介は見るからにシュンと肩を落とした。圭介は、美玖が隆二と付き合う前から、ずっと美玖に片思いしている。そのことは、傍から見ていても、一目瞭然だった。しかし、当の美玖は、今も昔も圭介にはさっぱり興味を示さなかった。学年一位の美少女とも名高い美玖は、いわゆる、「常に彼氏を切らさないタイプの女の子」で、恋人に対してかなり依存体質なところがある。圭介も小柄なりに良い子なのだが、180センチ前後の奈津と隆二と並べると、160センチもない圭介は、どうにも幼い少年に見えてしまうところがあった。
「そういえば奈津、おまえ、志望校のランク下げるんだって?模試でも合格圏内キープしていたのに、急に変えるなんてどうしたんだよ」
圭介が奈津に言った。
「ああ、気が変わっちゃってさ」
奈津はなんだか答えづらそうにしていた。
それを察してか、隆二が陽気に声をかける。
「そうそう奈津、おふくろがしばらく顔出してないからまた遊びに来てねだってよ。美味しいアップルパイ作って待ってるってさ」
「アハハ、隆二のお母さんは相変わらずだね」
「ウチもアップルパイ食べたーい」
ぐずる子供のような声で美玖が言った。
「じゃあ、その時は美玖も一緒に行こうか」
「さっすが奈津!話が分かる!」
「おいおい、誰んちだよ……いいけど」
隆二が困ったように突っ込むと、私たちは声を上げて笑った。
「そういえば、隆二のママと奈津って仲良いの?」
美玖が不思議そうに隆二に聞いた。
「ああ、なんだかんだ幼稚園からの付き合いだからな。おふくろはいつも言ってるよ、奈津くんみたいな息子がほしかったわあって」
「ま、隆二じゃね~」
「うっせえ」
私が言うと、隆二は笑いながら、わざとらしく怒ってみせた。
「そういえば、天気予報みた?台風19号がくるってやつ」
「みたみた~、学校休みになるかな~」
美玖がうれしそうにルンルンと隆二の腕にしがみついた。
「どうかな、うちの高校厳しいからね。アメリカみたいにハリケーンでもこないかぎり休みにはならないかも」
すると、隆二が高らかに言った。
「よし、ならば次にこの町にきた台風をハリケーンマユコと名付けよう!」
「やめてよ、失礼しちゃうわ!」
私は身体をグルッと回転させ、隆二のお尻をバッグで叩く。
青石川はこの町の一級河川だ。高い堤防に挟まれており、普段は子連れのカルガモとまるまると太った鯉が悠々と泳いでいて、とてものどかな川だった。
しかし、雨期や降水量が多い日は、その穏やかな表情を豹変させる。激しく荒れ狂う濁流は、自らの身体に触れた木々を根こそぎ剥ぎ取り、人の命すら容易く呑みこんだ。とはいえ、普段は万遍なく鉄柵に囲われているため、稀に出る被害者も、柵を乗り越える子供や暴風雨にさらわれる老人がほとんどなのだけれど。そんな青石川も、今はその柵も古くなり、錆びついたグリーンの鉄柵は取り外され、より頑丈な濃いブラウンのスチールの柵へと、取り換え作業が行われていた。
「まゆこー」
奈津の声に気がつくと、すでに隆二と美玖が別れ、次第に圭介が帰り、残るは奈津と私だけとなっていた。
「それ、懐かしいね」
奈津は、私のバッグについているペンギンのキーホルダーを指さした。
「覚えているの?」
「もちろん。小さい頃みんなでよく行った駄菓子屋さんのクジで、真由子が当てたやつじゃん」
「忘れてるし……」
「あれ、ちがったっけ」
奈津は懸命に思い出そうと「うーん」と頭をひねっているが、まあ、何時間たっても無理だろう。
昔、この町には古い駄菓子屋さんがあった。そこは独り身のおばあさんが一人で切り盛りしていて、私たちは小銭を握りしめて、毎日のように顔をだしていた。小さな子供たちが握りしめてくる小銭なんかじゃ儲けなんて出るはずもないのに、おばあさんはいつもニコニコして、私たちを歓迎してくれた。その時はいつも先頭が隆二で、私が二番で、奈津はいつも一番後ろからついてきていた。
「おばあちゃん、クジくれ」
「まゆもー!」
「はいはい、ここにありますよ」
おばあさんはそういって、ざるに入った赤い三角形のクジを差し出した。
「えー、まゆまたはずれだあ……」
「おれ、四等だ!おばあちゃん、四等のけーひんくれ!」
「はいはい、これですよ」
そういっておばあさんは、差し出された隆二の手に、ブリキで出来たゼンマイ式のキツツキをのせた。
「なんだよこれ、いらね、奈津にやるよ」
そういって隆二は、その鳥を奈津に向かってポイッと放り投げた。
小さい頃の奈津は、活発な今の姿からは想像もつかないほどおっとりしていて、あまりしゃべらない、おとなしい子だった。
「そういえば、奈津は何等だったんだ?」
奈津が握りしめたクジを開いてみせると、隆二がそれをのぞきこむ。
「一等!」
隆二が声を張り上げた。あまりの興奮にあわあわと足踏みをする。
「これこれ、よくみんしゃい。それは七等ですよ、はい、これがその景品」
「ちぇっ」
おばあさんがたしなめると、隆二はつまらなさそうに声を漏らした。
がっかりしている隆二をよそに、おばあさんは奈津に尻尾に鈴のついたペンギンのキーホルダーを手渡す。
「いいなあ奈津、まゆのいちばんほしかったやつだ」
すると、奈津はニコッと笑って
「はい、これ、まゆちゃんにあげる」
と、鈴のついたペンギンのキーホルダーを、ポンと私の手のひらに乗せた。私はそれがすっごくうれしくて、それから暇さえあればチリンチリンと鈴を鳴らして遊んでいたことを今でも憶えている。
そして、あれから十二年経った今も変わらず、この鈴は綺麗な音色を響かせている。
「優しいところは、変わってないんだよねえ……」
「ん?なんの話?」
「さあね」
奈津は不思議そうに首をかしげている。
「そういえば奈津、昨日あんなひどい雨の中練習あったんでしょう?かわいそうに」
「それが悪いことばかりでもなくてさ。僕、傘忘れて駅から出られずにいたんだけど……」
奈津はニヤニヤしながら、上機嫌に昨日あったことを話しはじめた。
「―――でさ、そのまま駆け去っていっちゃったんだ」
「ふうん、それで、その子、名前なんだって?」
一通り聞くと、私は奈津にたずねた。
「しおみちゃんっていって、どんな子っていうとちょうどあんな感じの……」
そういって奈津は、川の反対側を歩く私たちと同じ制服を着た少女を指さした。
そして奈津は、すぐにその少女が、本人であることに気がついたようだ。
「しおみ?しおみってまさか……」
「ごめん先帰って!僕、あの子に用があるから!」
私の話を最後まで聞かず、奈津は橋を渡り、少女の方へ駈けだしていった。
「……用ってなによ」
小さくなっていく奈津の背中を見つめながら、私はボソッとそうつぶやいた。