疑惑
次の朝、家を出ると、真由子が家の玄関前に立っていた。
「あれ?まゆこ?どうしたんだ、こんなところで」
僕は不思議に思い、首をかしげた。なにせ真由子が家まで迎えに来るなんて、小学生以来のことだったからだ。
真由子は気まずそうに小さく「うん」とうなずくと、僕の隣をとぼとぼと歩きながら、言いづらそうに口を開いた。
「なつ、あのね、あたしあの子についてちゃんと調べてみたの、そしたらね、偶然あの子と同じ小学校だった子が青南(僕たちの通っている高校のことだ)にいて、その子に聞いたんだけど……あの子、四年生の終わりに別の小学校に転校していったらしいの。それでその時、変な噂が流れたんだって」
「別に知りたくないから。言わなくていいよ」
僕は真由子の言葉をよそに、さっさと学校にいこうと足を速めた。
「聞いて。あの子の父親、人を殺したことがあるらしいの!今から十年前に」
真由子の突拍子もない言葉に、僕はやれやれと肩をすくめて向きなおった。
「たく、いいか、十年前に死んだのは汐海のお父さんで、それにその原因は病気だ。大体まゆこは何でもかんでも人の噂を信じすぎなんだよ、そういう噂を流される子の気持ちも少しはかんがえて……」
「最後まで聞いて!」
真由子は叫ぶように声を上げた。
「いくらなんでも、あたしだっていつもならこんな噂信じないわ!でもそれが、この町で!トラックで夫婦二人が乗っていた車に衝突したっていうんですもの!あたしだって信じたくないけど、もしかして、それ、奈津の……」
真由子は泣きそうな声で言うとうつむいた。
「いいかげんにしろ!言って良いことと悪いことがあるだろ!それ以上汐海を貶めるようなこと言ったら、承知しないぞ」
僕は声を荒げた。真由子は涙目になってただ目を伏せていた。
そうだ、そんなはずはない。僕は、根拠はなくともそう確信していた。
汐海に告白したあの日以来、彼女は僕が教室にくるのを拒むこともしなくなり、自然とクラスまで迎えに来ることが多くなった。
僕はB組の前まで来ると、ひょっこりとドアから顔をのぞかせる。すると、探そうと思う間もなく、すぐにひとりの少女の姿が目にとまった。
教室では、十人足らずの女子が車座を組んで、大きな声で楽しそうに談笑している。その輪からひとりはずれて、汐海は所在なさそうに席に座っていた。
「これは……」
その横顔を見て、僕は、息をのんだ。
今までは、他の女の子と並んでいるところを見ることがなかったからだろう。教室にたたずむ汐海の姿は、とても、とてもきれいで、誰が見ても、そう誰が見ても、ひとりだけ別の生き物のように輝いていた。けれど、同時になんだかさびしさも感じた。彼女を疎ましく思う女の子の気持ちが、少しだけわかる気がしたんだ。もし、僕が女の子だったら、彼女と並んでは歩けないかもしれない。女の子なら皆、こんな風に生まれてきたかったろう。男の僕でもそう納得させられるほど、彼女は可憐で、その美しさを形容する言葉を失ってしまうほど美しかった。
「あ、なつくん!」
僕の存在に気がつくと、汐海の表情がぱあっと笑顔になってトタトタと駆け寄ってくる。
「バッグ取ってくるからちょっと待ってて」
「あー、ごめん。今日はこれから進路指導の三部先生と面談があって、それを言いにきたんだ」
「そ……なんだ」
汐海は一瞬、目をそらすと、
「ふーん、じゃあ先帰っちゃうから」
その態度は意外にもあっさりしていて、汐海はぷいと振り返って粗雑に荷物をとってくると「ほーらっ」と、たしなめるように、ポンポンと小さく僕の肩を叩く真似をした。僕が大人しく道を譲ると、汐海は振り返らずにそそくさと歩いて行ってしまった。
次の日の朝、僕は昼ごはんを買いに、お弁当屋さんに行くことにした。初めて行くところだけれど、ずっと行ってみたかったお店だ。
カランカラーン……
「いらっしゃいませー」
扉を開くと、ベルが鳴り、聞き覚えのある少女の涼やかな声に迎えられた。
「あ、なつくん!」
陽だまりのようなオレンジ色のエプロンに身を包んだ少女がうれしそうににっこりと笑う。
「うん、お弁当、ひとつください」
「はい、じゃあこの容器に好きなだけ詰めて。好きなおかずを選んでいいんだよ」
「ほんとに?んーじゃあ、このからあげとー」
「ほうれん草にすれば?」
「ハンバーグと―」
「あ、あとほうれん草も……」
「……なんでそんなにほうれん草おすの?」
僕が聞くと、汐海は「えっ」と気まずそうに目をそらした。
「……もしかして、これ、汐海がつくったの?」
汐海は恥ずかしそうにうつむいたままコクンとうなずく。
「そっか、じゃあ今日はほうれん草弁当だ!」
僕はニコッと笑い、ドサッとほうれん草のおひたしや、バター炒めをお弁当に詰め込むとそのままレジに持って行った。
「えーそんなに!」
「うん、実は僕、ほうれん草には目がないんだ。おいしくなかったら文句言っちゃうからな」
「いいもん、ぜったいおいしいから!」
そういって僕と汐海はアハハと笑った。
その日の帰り、僕と汐海は、いつもと同じように二人で並んで下校していた。
「それでね、パパったらなんていったと思う!?」
汐海はキャッキャと昔のエピソードを話してくれた。出会った当初が嘘のように、今では、彼女はたくさん自分の話をしてくれる。こうして笑っている姿を見ると、どこにでもいる普通の女の子にしかみえなかった。
僕にはとても信じられなかった。こんなにも可憐で、やさしい笑顔をみせる、人を傷つけようなんて間違っても思わないこの子が、いじめを受けているだなんて。
だから、守ろうと思った。何があっても、そばにいたいと思った。
「なにニコニコして、ちゃんと聞いてるの?」
「いや、汐海のお父さんはやさしい人だったんだなあって。仲村……ええと、何さんだっけ?」
「正和だよ。でも、パパの名字は仲村じゃないよ。仲村はママの名字なんだ。パパは櫻田っていうの、私も昔は櫻田汐海って名前だったんだよ」
汐海の言葉を聞いた瞬間、僕は息が詰まって、まるで急に全身の関節が硬直してしまったかのように、足を止めた。さっきまでの穏やかな気持ちが嘘のように、自分の顔から血の気が引いていくのがわかる。
「あ、もう着いちゃったね、じゃあ、また明日ね!」
「まって、汐海のお父さんがさ、亡くなったのっていつだったっけ?」
「十年前の……十月六日だよ」
汐海は不思議そうに首をかしげると、またねといって家に帰っていった。
――僕の中で、何かが崩れ落ちる音がした。
家に着くと、僕はズルズルとまるで安いB級映画にでてくるミイラのように力なく部屋に上がり、ベッドにへたり込んでつぶやいた。
「十年前の、十月六日……じゅうねんまえのじゅうがつ、むいか……ジュウネンマエノジュウガツムイカ…………」
信じたくなかった。信じられなかった。けれど、信じるしかなかった。櫻田正和。僕の両親を殺した、僕がこの世で唯一この手で殺したいと願ったあの男。何度も何度も頭の中で殺したあの男。彼女は……やっと見つけた僕の大切な人は……僕が、最も憎む、あの男の娘だったのだ。
「うそだ、うそだうそだうそだ!」
僕は、枕に顔をうずめて叫んだ。
嘘じゃない。どんなにちがうと口にしてみても、本当はもうわかっていた。夢ならよかった。夢であってほしかった。
全てが終わった。そう、感じた。




