激高
全身の血が沸騰するほどの高ぶりを感じていた。こんな感覚は生まれてはじめてだ。僕は、抑えようのない憤怒に、打ち震えていた。
家に着くとすぐ、僕は天馬の部屋の扉を音を立てて勢いよくこじあけた。
――バン!
天馬は、何かが破裂したような大きな音にビクッとし、読んでいた雑誌をベッドから落とすと、うなり声を漏らしながら、こちらを睨みつけた。いつもなら厄介ごとになる前に早々に引き下がったであろうが、今の僕には、そんなことはどうだってよかった。
「どうして、あんなに最低なことができるんだ」
僕はズカズカと歩み寄りながら言った。
「何の話だよ」
「汐海の大切にしていたストラップを、君は壊しただろう、どうしてそんなひどいことをしたんだ」
「ああ、あれか。あれはあの女がオレに調子のった態度をとるから……」
天馬が言い終わるか否か、僕は力いっぱい右の拳を天馬の顔面に叩きつきた。その衝撃で天馬は壁に後頭部を打ち、うめき声を上げる。元々、毎日部活で体を鍛えていた僕と自堕落な日々を過ごしている天馬が殴り合えば結果は火を見るより明らかだった。僕は倒れている天馬に向かって、ドシドシと歩み寄っていく。
「お、おまえ!わかってるのか!オレにこんなことしたらママが……」
(ああ、わかっているさ、おまえが口で言ってもきかない、どうしようもないガキだってことはな)僕は心の中で静かにつぶやいた。
僕は、倒れる天馬に馬乗りになり、天馬が何か話そうとするたび、二回、三回と殴りつけた。天馬の歯に当たって僕の指からも血が滲みでる。
「ママ!!たすけてーーー!」
そう叫ぼうとする天馬の顔を僕は容赦なく殴りつづけた。そのたびに小動物を握りつぶしたような悲鳴が漏れる。
「わかった、ごめん、もうしないよ!」
僕は天馬の言葉など一切意に反さず、その胸倉を掴んだまま溢れんばかりの怒りをこめてもう一度殴りつけた。するとすぐに、バタバタと階段を駆け上がる音が聞こえる。
「あんたなにしてんねん!」
義伯母さんの怒号が鳴り響いた。
「ヨソの子が何の権利があってうちの子を殴ってん!」
僕は義伯母さんの言葉など意にかえさず、天馬の胸倉を無造作に掴むと、ギロッと天馬を睨みつけて言った。
「いいか、一度しか言わない。もうあの子に関わるな。次はこんなものじゃすまさないからな」
低い声でそう告げると、僕は義伯母さんを押しのけて無言のまま自室へもどっていった。
ベッドに腰掛けると、天馬を殴った拳がまだ震えていた。
生まれてはじめて、人を殴った。
こんなことしたくなかった。でも、こうでもしなければ天馬はいうことを聞かないだろう。僕が傷つくならいくらだって我慢できた。けれど、汐海が傷つくことだけは、どうしても耐えられなかった。
その日の夜、眠りに落ちると、僕は不思議な夢を見た。汐海が、家に遊びにきていたのだ。それも、今の家じゃなく、まだ父さんと母さんが生きていたころの家だった。
汐海を見た両親は口々に、とっても可愛らしくて良い子ね、こんなに笑顔が素敵な子は見たことがないわと汐海を褒めてくれた。僕はただ、それがうれしかった。
次の朝、僕は家まで汐海を迎えに行った。
汐海の住んでいるアパートに着くと、ちょうど家を出るところだったらしく、彼女は縁側に腰を掛け、靴を履いていた。
汐海のいつもきちんと座って靴を履くその仕草は、やはりどこか品を漂わせていた。彼女の横顔は、夕凪のように安らかで、はかなくて、美しかった。やさしく吹く秋のそよ風がその美しさをより一層、際立たせていた。
「あ、奈津くん」
僕の存在に気がつくと、汐海はぱあっと笑顔になり、慌ただしく靴を履き、駆け寄ってくる。
「昨日はゴメンね、風邪ひいちゃって……」
汐海はそういうと、コホコホと咳を漏らした。
「つらいならまだ休んでろよ」
「うん、でも……」
汐海はうれしそうに上目づかいで僕を見た。
「なんだよ」
「なーんでもない!」
僕がぶっきらぼうにたずねると、汐海はスッと僕をすり抜けて歩きはじめた。
「だからなんだって」
「なんでもないってばあ」
汐海があははっと楽しそうに笑う。
彼女を守ろうと思った。
僕にできることなら何でもしてあげたかったんだ。
電線の上では、秋鳥がチイチイとおしゃべりをしている。朝日の差しこむ秋の街道を、僕らの笑い声が木霊した。




