厩番のお仕事
王宮軍部のフェルディナンド中佐付きの厩番として働き始めて2ヶ月が過ぎた。
今日も今日とてアリシアは、厩番の仲間から(そもそも仲間として思われて無いのかもしれないけれど)も平の兵士にも冷たくあしらわれている。
まー、そうなるよねぇ。
厩番にも序列なるものがある。1番上はもちろん王付きの厩番でさらに王族付き、高官や上級士官付き、高官職ではない貴族付きと続いていき、1番下は誰かの専属の厩番ではなく担当馬がいるだけの厩番とくる。つまりは人ではなく馬の方に付くという事。
アリシアは上級士官でかつ王族付きの厩番なので、序列で言うとかなり上の方に来る。
こんなぽっと出の小娘がいきなり上位に入ってきちゃったもんだから、他の厩番からしてみれば面白いわけない。
そんでもってもともとフェルディナンドに付いていた厩番2人は、そんな女が自分達が触れないどころか馬房の掃除すらさせてくれないクルメルを扱えるものだから立場がない。上級の厩番としてのプライドをズタボロにしたようだ。
必要最低限の連絡事項はしてくれるから良いんだけどさ。
そして平の兵士からもなぜ冷たくされるのかと言えば……
「アリシアさん、もう間もなくフェルディナンド中佐がお戻りになられるということです。バームスをこの後使うので馬装を整えておいて下さい」
「分かりました」
返事をして馬具置き場へと向かうと、一つため息をつく。
呼び捨てにしてくれればいいのに。
こうして平の兵士からわざとらしく「さん」付けされて呼ばれるのにも訳がある。
王宮の厩番の地位は低くない。むしろ馬に関する全ての責任を負わなければならないので、使用人の中では高いと言っていい。
馬というのは資産であり財産。それも物凄くお金と手間がかかる上、生き物と言う性質上、道具とは違い扱いも難しい。軍馬ともなると国の強さにも直結する重要な存在だ。
そんな大事な財産である馬の扱いを覚えるのは士官になってからで、下級兵士では馬に触れることすら許されない。
特にこの騎馬国として名高いキシュベル王国ではそれが顕著で、馬を扱えるかどうかでその人の立ち位置が大きく変わってくる。
厩長は官吏だし、総厩長ともなれば高官の部類に入り、特に軍事的な事に大きな発言権を得られる。
本来であれば下級兵士は誰かの専属になっている上級の厩番のことを呼び捨てになどせず敬意を持って「様」付けするのが慣習みたいなのだが、アリシアが「女」だと言うのがどうにも気に食わないらしい。
なんで貴族のご令嬢でもない女に「様」付けして呼ばなきゃなんねーんだよ。と言う気持ちと、器が小さい男。と思われるのが嫌だというプライドとの狭間で決着をつけた方法が「さん」付けにして呼ぶという事だった。
女のアリシアに男のプライドなんて言うものは分かるはずもなく、嫌味ったらしく「さん」付けするくらいなら呼び捨てにしてタメ口で喋ってくれればいいのにと思うのだけど。
それを本人たちにチラッと言ってみたら余計にカンに障ったらしく逆効果だった。
全くもってめんどくさい。
テキパキとバームスの馬装を整えて準備をしていると、鼻面でアリシアの背中をつんつんして甘えてきた。
「よーしよし、今日もお稽古がんばろうね」
牧場に来た時にフェルディナンドが買っていったこの馬はバームスと名付けられていた。
もともとは常用目的に買っていったが、突然戦闘になった時のために軍馬としての訓練を付けている。
模擬試合をする事で騎乗者が武器を振り回したり、あるいは迫り来る剣や槍に驚かないようにしているのだけれど、武器を持ったことなどないアリシアにはこの訓練は出来ない。
今後のために私もこう言う調教もできた方が良いんじゃないかとフェルディナンドに打診してみたら「そこまでするな」と言われた上、模擬試合とは言えアリシアが武器を振り回していることを父が知ったら、無理やり牧場に連れ返されそうなので、今のところは踏みとどまっている。
ひとしきりバームスと戯れていると、隣の洗い場に青毛の馬が入ってきた。
「あああぁぁーークルメル! 会いたかったー! お疲れ様、よく頑張ったねぇ。今日もお前の真っ黒な毛並みはつやつやだし、精悍な瞳もカッコイイし、いつ見ても男前ねぇ」
うっとりとしながらクルメルを撫でくりまわしていると、タンタンと足を踏み鳴らす音が聞こえる。仕方なくそちらを見ると腕組みをして不満顔のフェルディナンドが立っていた。
「おい、何だそのメインはクルメルであなたは付属物ですよ、みたいな目は。まず俺に言う事あるだろ」
「ああ、フェル様も月毛に魚目で大変美しい容姿でございますよ」
「そこは金髪碧眼で良くないか? じゃなくて、普通「フェル様お疲れ様でございました」とか「中佐、お帰りなさいませ」とか言うだろ」
なんだ、外見を褒めて欲しかったんじゃないのか。月毛はクリーム色をした馬の毛色で、魚目と言うのは時々いる青色をした馬の目のこと。
ちなみにアリシアは栗毛に焦げ茶の瞳と、よくいる馬みたいな在り来りの色をしている。
「遠征お疲れ様でございました。バームスの馬装は既に整えてありますのでいつでも騎乗できます」
「分かった。クルメルの手入れを頼む」
「かしこまりました」
半月ぶりのクルメルを前に鼻歌混じりで手入れを始めた。
遠征していて会えなかったので、危うくクルメル不足に陥るところだった。