3.
立ち止まった馬房の中には真っ白な毛並みが美しい馬が、主人の登場に顔を出してきた。
「美人ですね。お名前は?」
「コッツウォルドです」
「ちょっと失礼しますね」
「ええ?! アリシア様ドレスが……!!」
ドレスなんていくらでも替えがきくけれど、コッツウォルドと言う馬は未来永劫、再び生まれることは無い。替えなんて居ないのだ。
「ドレスの事はお構い無く。コッツウォルド、ちょっと足見せてね」
ここへ来るまでにどこが悪そうなのかは聞いておいたので、馬房の中へ入ってコッツウォルドの前足を上げさせて、蹄の様子を見てみる。
「うーん、挫跖かなぁ。蹄底が炎症しているようですね。ちょっと歩かせてみても良いですか?」
頭絡を借りて厩舎の中を少しだけ歩かせてみると、歩様がおかしい。
「やっぱり少し跛行してますね。あ、歩き方に異常がある時のことなんですけど、この子、石か何かを踏みました?」
「そうなのかしら。数日前に乗ったのだけど、そこからダメみたいで」
「馬場の中でですか?」
「そうよ」
「少し馬場を見せて頂いても?」
ルッツァに再び案内してもらって侯爵邸の馬場を見せてもらった。
なかなか広さがあり地面には砂が敷いてある。アリシアは中に入って軽く一周すると、馬場の入口で待っていたルッツァに拾ってきた石を見せた。
「コッツウォルドはきっと、こう言う鋭利な形をした石を勢いよく踏んでしまったのでしょう。馬場には目地の細かい砂以外は入らないように整備した方がいいかと思います」
馬場にはアリシアが今手に持っているような石が、軽く見て回っただけでも幾つか落ちていた。
王宮の馬場にでも落ちていたらゲンコツものだ。
「そうですか……。それにしたってほかの馬はそこまで故障しないのに、コッツウォルドは幾度か足をやられているのよ。あの子は故障しやすい子だったのかしら…」
「コッツウォルドは蹄底が浅いんですよ。えーとつまり蹄の真ん中の窪んでいるところが他の馬よりも浅いので、ちょっとした石でも傷つきやすいんでしょうね」
「まあ、そうなの?」
「挫跖って言うのは肢勢の悪い馬だったり踏み込みのいい馬でもよく起こりますけど、コッツウォルドの普段の歩様を見たことがないのでこちらについてももしかしたら原因の一つになっているかもしれませんね。治ったら見てみましょう。ただ、蹄底が浅いことが原因の一つなのは間違いないかと思います」
「それじゃあ馬場の整備をよくしてもらうように言い付けておくわ」
「よろしくお願いします。それからもし宜しければ、コッツウォルドの装蹄を私がしても良いでしょうか?」
「アリシア様がですか?」
「ええ、王宮では装蹄師長の下で修行させて頂いていたので、それなりに腕には自信がありますよ。不安でしたら普段装蹄をしている方に近くで見て貰っていても構いません。装蹄は普段はどなたがしているんでしょうか?」
王宮の様に沢山の馬がいると専属の装蹄師がいたりするけれど、普通はアリシアの実家の牧場のように外部から来てもらったり、あるいは厩番が施している場合もある。
「厩番にさせているわ」
「それではその方に、コッツウォルドの前回外した蹄鉄を貸してもらって来て下さい。城に持ち帰って打ってきますので。どうでしょうか」
「分かりました。お任せします」
パーティーの帰り際に約束通りコッツウォルドの蹄鉄を受けとって、大公城へと帰ってきた。
*
「ヴァルテルから聞いたぞ。上手く貴婦人方を誑し込んで来たみたいだな」
「誑し込む? 普通にお茶してきただけですよ」
「普通に、ね」
くっくっと喉を鳴らしてフェルディナンドが笑っている。
女誑しだった奴に言われたくない。
城へと帰ってきたアリシアは、早速服を着替えて厩舎の隣にある作業場へとやってきた。
大公城専属の装蹄師となっているアルフレッドに相談していると、アリシアが帰ってきた事をヴァルテルから聞いたフェルディナンドもここへやって来て作業を見守っている。
「それでね、アル兄。コッツウォルドは曲がり蹄鉄よりもやっぱり鉄橋蹄鉄の方がいいよね?」
「だろうね。蹄底が浅いならまた傷つく可能性が高いし」
アルフレッドに手伝ってもらいながら蹄鉄を打っていく。苦手意識が強かったこの作業も、嫌という程王宮の装蹄師長に叩き込まれたお陰で随分と上手くなったと思う。
「フェル様、私こちらに来て思ったんですけど、こちらはキシュベルに比べると随分と馬の管理がずさんですね。侯爵邸の馬場ですら石ころが落っこちていますし、装蹄だってコッツウォルドから見て取れるように、殆どなーんにもしてないんですよ」
コッツウォルドは蹄を痛めて跛行しているにもかかわらず、軟膏を気休めに塗っている程度。キシュベルだったら特殊な蹄鉄を履かせてあげるのに。
「アリィ、外国だと特殊蹄鉄って殆ど無いんだよ」
「そうなの?!」
「国内にしかいないと気付かないけど、騎馬技術だけじゃなくてキシュベルの装蹄技術はずば抜けてるから」
「そうなんだ……。こちらの人達ってアンドラーシュ准将並に乗馬が下手くそばっかりだと思っていたけど」
「こらこら、皆に聞かれたら怖いよ」
もはやアンドラーシュ准将は下手くその代名詞みたいになっているけど、元サダルの人達は馬車馬の操縦をはじめ、貴族でもあんまり乗馬が上手いようには見えない。
もとからキシュベルの地方兵としてこちらに派遣されてきた士官達は問題ないものの、元サダル人の兵が馬を扱っている所を見るとハラハラしてしまう。何度も指摘したいのを、自分の出る幕ではないと堪えている状態なのだ。
「じゃあこんなに乾燥しているのに、蹄に油も塗ってあげないのもキシュベルの外では普通なんだ」
特に乾燥が厳しくなる冬の季節には蹄に油を塗って割れたりしないようにするのだけど、こちらに来てなんの手入れもしていないことに驚いた。
フェルディナンドはアリシアの手を取ると指先を撫でてきた。
「そう言う事だな。馬の管理にかけてキシュベルを上回る国はそうそうない。うちの奥さんに関して言えば、自分の手指には頓着しないくせに馬の蹄の手入れは余念が無いからな」
結婚が決まってからというもの侍女2人が体の隅々まで手入れして磨き上げてくれているものの、相変わらず馬の世話をしているせいで指先がどうしても荒れがちになる。
いかにも愛おしそうに撫でてくるので恥ずかしくなって手を引っ込めようとすると、フェルディナンドの握る手が強くなった。頑張れば振り解けるけど、不自由な方の手で握られているだけに解くにほどけない。
うぅーー、アル兄がいるのに!!
「そんなに恥ずかしがらなくたって良いだろう? 夫婦なんだから」
「アル兄がいるじゃないですか」
「あちらさんなんてもっとイチャイチャしてるだろ」
アルフレッドとリリは城内でラブラブ夫婦と有名になっている。よく恥ずかしげもなく、人前でベタベタ出来るものだと感心すらしてしまう。
「アリィ、公然とイチャつくのって大事だよ。だって可愛いリリに変な虫が付いたら大変だからね。結婚しているにも関わらず大公殿下のこと狙っている女性は数しれず、なのはアリィだって分かってるでしょ? 入り込む余地なんて無いって所を見せておいた方がいいよ」
アルフレッドが真剣な顔でお説教してくるから思わず頷きたくなるけど、よく聞くと内容が馬鹿馬鹿しすぎる……。
世の女性達は結婚式や城でアリシアがどんな女性なのかを見て、これなら簡単に『大公爵の愛妾』というポジションに付けると思うらしい。
しかも、妻が平民なら自分でもいけるのでは?!と、ガッツ溢れる平民の女性たちもがフェルディナンドを狙っているのだと言うから、女遊びをやめた当の本人はウンザリしている様子だ。
「補足すると、俺はお前に変な虫が付くことを心配している。お前は自分では認めていなくたって人たらしなとこがあるからな。男までたらし込まれたら敵わん」
「そんな事ある訳ないですよ。仮に私を狙う変わり者がいたとしても、相手がフェル様じゃ適うと思うわけないじゃないですか」
ご自分がハイスペックな事をお忘れでは?とアリシアの手を握っている手をペチペチと叩いた。
「そんな事ないさ。片手がこれじゃあ、夜に満足させて貰っていないんじゃないか、なんて言う隙を突いてくるかもしれない」
「ーーーーっ!」
よくもまあヌケヌケと!!!
今度は思いっきり手をつねってやったらようやく手を離して、ケロケロと笑いながらつねられた所をさすっている。
「そうやって言い合っているうちは、お2人とも安泰そうですねぇ」
男たちの馬鹿話には付き合ってられんっ!
笑いあっている2人を放っておいて、アリシアはコッツウォルドの蹄鉄を打ち始めた。




