2.
「あー、馬車かぁ。直接乗っちゃダメですかね?」
「もちろんダメですよ」
「侯爵邸の近くになったら馬車に乗ればいいんじゃないですか?」
「大人しく座っていてください」
目の前に座るヴァルテルに、にこやかに否定された。
アリシアは馬車移動が好きじゃない。馬に直接乗って揺られる方が何倍も心地良い。
王宮からこちらの城へやって来る時、長期の馬車移動に耐え切れずに途中から馬に乗って輿入れしたら「大公の嫁は騎士」とか言う冗談がささやかれた。
なお、ヴァルテルよりアリシアの方が身分が上になったので様付けだし敬語を使ってくるが、アリシアはタメ口で話すのは今更気持ち悪いのでつい、敬語になってしまっている。
何やかんややっていると侯爵邸に着いた。係の者に従って庭へと連れてこられると、巨大な温室の中へと案内された。
ひょえぇ、金持ちのする事はやっぱり凄いわ。
なんでこんな冬の季節にガーデンパーティーなんてするのかと思ったら、温室の中でするとは。
温室の端には大きなテーブルに軽食やスイーツが並べられ、そこここに丸いテーブルと椅子が置かれている。
立食パーティーと似た形式の様で、好きな食事をテーブルに持ってくると給仕係がお茶を入れてくれるらしい。
温室内には既に数十人の貴婦人達が集まっていた。年代は幅広そうで、アリシアと同い年くらいの人から40代くらいまでいそうだけど、肌や髪は美しく手入れされてつやっつやなので年齢不詳な感じがする。
黒に近いこげ茶色の髪をした女性はアリシアが温室内に入って来るのに気付くと、他の女性達との話をすぐに切り上げてこちらにやって来た。
「ごきげんよう、大公妃殿下。私チェネスキー侯爵の妻、ルッツァでございます。本日はお越しいただきありがとうございます。どうぞ皆様とのティータイムをお楽しみ下さい」
「こちらこそ、お招き頂きありがとうございます。どうぞ気楽にアリシアとお呼び下さい」
正直、大公妃殿下と呼ばれてもピンとこない。アリシアと呼んでくれた方がこちらとしても気が楽だ。
「まあ、宜しいんですか? それでは私のこともルッツァとお呼びくださいまし」
「そうさせて頂きます。えぇと、後ろの方達を紹介して頂いても宜しいでしょうか?」
「もちろんですわ」
先程までルッツァと話をしていた女性達を次々と紹介してくれた。
もうダメかもしれない……。
一度に覚えられる人の名前なんて数人が限界だ。この人数は完全にキャパオーバーだな…。
「紹介していただいたところで申し訳ないのですが、私、人の顔と名前を覚えるのがものすごく苦手で……。もし私が覚えていなかったとしても他意はありませんので気になさらないでください」
一応予防線を張っておこう。こう言うのは先手必勝だ。
「ふふ、そういう事ですと大公夫人と言うご身分はさぞかしお辛いでしょうね。アリシア様はただでさえ元平民の出なのでしょう? それも軍部の厩番だったのだとか」
20代後半くらいのクルクルとした巻き髪の女性…たしかジョフィアだった?が目を細めて笑っている。
「ええ、そうなんですよ。馬の顔と名前ならすぐに覚えられるんですけどねぇ」
「面白いこと仰いますわね。そう言えば今日《《も》》車ではなく馬に乗っていらっしゃったのですか?」
何がおかしいのか周りにいる女性達もクスクスと笑っている。
「それがダメだと言われたので、今日は仕方なくちゃんと車の方に乗ってきたんですよ。でも御者席だったので車内にいるよりはまだマシでしたね」
「ぎょ、御者席?」
「ええ。なにせ私、元々は労働階級でしたので人に任せて何もせずにボーッとするとか苦手で。なので御者をしてきました。久々に馬車馬を操って楽しかったなぁ。元々御者をしていた者は寒いのに車内に居れると喜んでましたよ」
はっはっはっと笑っていると、女性達は何とも言えない表情を浮かべている。あれ? なんでみんなそんな微妙な顔? ああ、そうか……!
「みなさんそんな心配なさらなくても、もちろん御者にはちゃんとお給料支払ってますよ! 給料泥棒だなんて言いません」
「え? ええ……。まぁ気になったのはそこじゃありませんけど……」
「立ち話も何ですし、あちらでお茶でも頂きながらゆっくり話しましょう?」
ルッツァの提案に皆が頷いて席に着いた。すぐに給仕係が適当に見繕ってきたスイーツの盛り合わせをテーブルに置き、各々にお茶を注いでくれる。
「美味しそうなスイーツですね」
「ルッツァ様のお茶会で出されるスイーツは私たちの間でも特に美味しいと人気なんですよ」
「アリシア様、どうぞ遠慮なくお好きなだけお召し上がりくださいね」
「ありがとうございます」
片っ端から食べていきたいのをガマンしつつ、それでもみんながお喋りに花を咲かせているのを聞きながらパクついていると、隣に座っていたアリシアとよく似た栗色の髪をした女性がこちらを見てふっと笑った。
「よくお召しあがりになるんですねぇ。まあ平民だった頃は、こう言うスイーツは食べられなかったでしょうから仕方ないでしょうけど」
「あらあらレーラ様、そんな言い方は良くないわ。今は大公妃なんですから。でも、あんまり食べすぎて醜く太ったら見放されてしまうかもしれないですわね」
「大変ですね、アリシア様も。片腕が不自由とは言えあんな見目麗しい御方の気を引き止めて置かなくてはならないなんて。私たち、期待していたんですよ。どんなお美しい方がその隣にいらっしゃるのかと。ねえ?」
ジョフィアがみんなに目配せして同意を求めると、これまたみんなクスクスと笑いだした。
あー、これって私が美人じゃないって言いたいのか。
これはアリシアもよく自覚しているので確認にしかならない。
「いやぁ、ほんと、みなさんみたいなキラキラして美味しそうなスイーツが並んでいる中に塩辛いソーセージが来ちゃったらビックリですよねぇ」
「そ、ソーセージ…?」
「それにしてもみなさんお肌も髪もツヤッツヤでお綺麗ですね。馬も食事に気を配って丁寧に御手入れすると毛艶が良くなりますけど、人間もそういう事なんでしょうね。まあ私みたいなただの石ころを磨いたところで宝石にはならないんですけど」
自虐ネタに、はっはっはっと再びアリシアが笑っていると誰も笑ってくれない。
すごい滑ってる感満載だな。
「コホンっ、何か私さっきから変なこと言ってますかね?」
「えっ? あぁほら、わたくし達の様な元から貴族である者とはお話を合わせるのが大変でしょう?」
「そう思ってガン無視されるかいびられるかって覚悟してきたんですけど……みなさん本当、良い方達で良かったです。なにせ王宮の軍部で働き始めた時には女ってだけで嫌がらせされたので、こうして温かく迎え入れてくださってありがとうございます。皆さんご存知の通り平民でしたので、こう言う高貴な方達の振る舞いとか会話とか不慣れなもので、どうぞご教授下さいませ」
いやぁ、みんな普通に会話に入れてくれて良かった。アリシアはリリみたいに人懐っこくないしパーティーでボッチとか寂し過ぎる。
ペコりと頭を下げていた頭を上げると、ご夫人やお嬢さん方が互いに目配せしてほほほ、と笑いだした。
「大公夫人のお願いですもの、もちろんですわ。ねえみなさん?」
「ええ、困った事があったらすぐに言ってくださいね」
「先程女だからと嫌がらせを受けていたと仰っておりましたけど、本当ですの? 男って本当、すぐに女を見下して偉そうに」
「ええ、誰があなたの子供を産んで家も守ってやってるんだって感じですわよねぇ? 女は黙って言うこと聞いてろって態度が1番腹が立ちますわっ!」
何だか夫をはじめとした男に対する愚痴大会になってきた。
アリシアの夫はどちらかと言うとかなり自由度の高い男性なので、その点についてはあんまり不満はないけど、適当に相槌をうってやり過ごす。
「そうだ、アリシア様は乗馬がお上手なのでしょう? 暖かい季節になったらみんなで一緒に外乗へ出掛けるのはどうかしら」
「いいですわね!」
「ええ! とっても楽しそうだわ」
アリシアも嬉しいお誘いにコクコクと頭を振っていると、ルッツァが少し困ったような顔をしている。
「ルッツァ様、どうかなさいましたか?」
「あ、ええ。私の馬なのだけど、よく故障してしまうのよ。ちょうど数日前にも足の具合が良くなくなってしまってね。買い替えてしまおうかとも思うのだけど、とっても私に懐いていて愛着も湧いているからなかなか決心が付かなくて……」
「ええ?! それは心配ですね。ちょっと今から見せていただけますか」
「い、今からですか?!」
「善は急げです。あ、ルッツァ様はパーティーの主催者ですから他の方に案内してもらっても良いですけど」
馬の不具合を聞いてアリシアが黙っていられるはずがない。助けを求める馬の声が聞こえてくるようだ。
戸惑うルッツァをよそに「さあさあ案内して下さい」と無言の圧をかけると、怖気付いた様な顔をして承諾してくれた。
「分かりました。私も大公妃殿下が見たいと言うのに一緒に行かない訳にはいきません。皆様はどうぞごゆるりと歓談をお楽しみ下さい」
「こちらです」
ルッツァに案内されて厩舎へとやって来た。ルッツァがみんなに掛けた言葉とは裏腹にほとんどの人が付いてきてしまったようで、厩舎の外には野次馬が集まっている。




