【閑話】王太子の記憶
去っていく弟の背中を見ながら、王太子は昔の事を思い出して再び星空を仰いだ。
今から10年前。自身と妃の間に息子が産まれてしばらくたった頃「たまには皆でお茶をしましょう」と母に誘われて入った部屋には、既に嫁いでしまった妹を除いて、弟5人とそして父が揃っていた。
「今日はね、フェルディナンドが軍部へ入隊する御祝いにと思ってみんなを招いたのよ」
母の言葉に兄弟たちは一瞬驚き、そして御祝いの言葉をかけた。
「軍部へ入るのか! フェルなら文官でもいけるとは思うけど、うん、武官の方がしっくりきそうだ」
「うん。体格的にも14歳には見えないし、武術の腕も僕らの中でもピカイチだしね。何より馬に好かれてる」
「年齢的に士官見習いとして入るのかい? 軍部は上下関係が厳しい所だけれど頑張れよ」
普通、武術や馬術を教養として既に身に付けている貴族の男子は士官として入軍するが、フェルディナンドはまだ14歳。
いきなり士官から始めるには年齢的にまだ早い場合は、士官見習いとして先輩士官に付いて経験を積んでいくのが通例となっている。のだが、最後の次男の言葉に母は困ったような顔をして、首を横に振った。
「フェルは最下級兵から始めたいのだそうよ。そしてね、自分が王の子だという事を伏せておいて欲しいと言っているの」
「ええ?! 何言ってるんだよフェル?」
「最下級兵からなんて何をするのか分かっているのか? 雑用だぞ? 戦地へ出ればただの駒扱いだ」
「父上はそれで良いのですか?!」
父と母は王位継承権1位の自分に特別目を掛けている。でもそれは王と王妃という立場からであって、親という立場からでは子供達全員を分け隔てなく可愛がり大切に思っている事は知っている。
「私もね、反対したよ。でもフェルの決意は固いようだ」
父に目配せられると、ずっと無表情で聞いていたフェルディナンドがにこりと笑って口を開いた。
フェルディナンドは笑う癖がある。
自分の感情を抑える為に、仮面を被るために。
「自分の力を試してみたいのです。申し訳ありませんがこの場で1度、親兄弟の縁は切らせて頂きます。もし何処かで私とすれ違ったり見掛けたりしても、どうぞ赤の他人として接してください」
そう言ったフェルディナンドの瞳は燃えるように熱く、そして怖いと思った。
この場にいる兄弟たちの誰よりも、自分を脅かす存在になりうるのがフェルディナンドだと思った。
もし王位継承権が生まれた順では無かったなら、兄弟の中で最も王に相応しい資質を持つのはこの人だと思ったのは、多分、自分だけじゃない。
兄弟仲は悪くない。他国の王族と比べてみれば恐らく、随分といい方だと思う。フェルディナンドとは14つ歳が離れていて、自分を慕ってくれる可愛い弟だと思っている。
それでも、何が起こるかわからないのが世の常。
玉座をめぐり骨肉の争いが過去に幾度となくあった事もまた事実。
――気を引き締めよう。
そのお茶会の後すぐに、フェルディナンドの決意に触発された4男は、地位や身分を捨てて聖職者への道を歩みだした。
軍部でフェルディナンドが上官や先輩達からいびられている事は知っていた。殴られているところを見かけたことだってある。それでも約束通り、他人のフリをした。
弟の決意を、兄である自分が踏みにじってはいけない。
フェルディナンドの、あの熱い瞳とは裏側にある毒を消す事が出来るのは自分では無い。
「やっと、見つけたのか。良かったなフェル」
ずっと恐ろしい存在だと思っていた末弟に、今なら安心して自分の背中を預けられる。先程言っていたフェルディナンドの言葉は多分、嘘では無い。
笑った時の顔が、ずっと昔、まだフェルディナンドが幼かった頃に自分に向けてくれたものと同じになったから。
王太子はベンチからゆっくりと立ち上がると、妻の待つ会場へと戻って行った。




