フェルディナンドがかけた呪い(2)
物思いに耽りながら適当に参加者達と歓談をして過ごしていると、軍部の女官として働く女性――伯爵家の娘エメシエがこちらの周りをチラチラと見ながら話に加わってきた。
「フェルディナンド殿下は、今夜はお一人での参加でらっしゃるのですね」
「毎回、誰が殿下に誘われるのか楽しみにしておりますのに。ねえ?」
話していた侯爵家の令嬢が周りの令嬢達に同意を求めるように目配せすると、皆が一様に「本当ですわ」と頷き合った。
「本当はお誘いしたい相手が居たのですが……残念ながら今宵のパーティーには参加出来ないようですので諦めました」
「まあ、殿下のお誘いをお断りした方がいるなんて驚きですわ」
「殿下の周りをあの女厩番がうろつくようになってからは、社交場でフェルディナンド殿下を見かける機会が減ったものですから心配しておりましたのよ」
「エメシエ様、噂話も大概になさっては。まさか殿下が厩番なんかとどうこうなる筈が有りませんわよ」
女達の話に付き合うのも面倒くさくなりうんざりしていると、楽しげな様子で王太子妃が話に入ってきた。
「皆様何のお話をしてらっしゃるのかしら」
「王太子妃殿下、いまフェルディナンド殿下と女厩番が恋仲だっていう噂話が流れているって言う話をしておりました。全く冗談にも程がありますでしょう? 」
「卑しい身分の女が、殿下の優しさを勘違いしているのですよ」
「身の程知らずとはまさにこの事ですわ」
再び一様に頷き合う令嬢たちに、王太子妃が扇を口元に当て冷ややかな目を向けた。
「あら、それは王太后様への侮辱と見なして良いのかしら。まさか皆様が王太后様を卑しいとお思いでしたとは」
王太子妃の言葉に、令嬢たちが青ざめて声を震わせる。
「まさか、そのような事は。絶世の美女と名高い王太后様は別格ですわ。ね、ねえ……皆様?」
「そ、そうですわ。あんな男だか女だか分からないような者と一緒にしては、それこそ失礼に御座いましょう」
「今の言い方ですと、前国王陛下がまるで外見だけで妻を選んだかのように聞こえますわよ」
「そんなこと……! 誤解でございます」
発言すればするほど墓穴を掘っていく令嬢たちに、王太子妃は目を細めてほほ笑みかける。
「そうよねぇ。身分が卑しいよりも、心が卑しい方がみっともないですもの。発言にはもう少し気を付けなさいな」
王太子妃はこれ以上の話は無用とばかりに扇をピシャリと閉じると「さあフェルディナンド、行きましょう」と苦笑いをしている王太子の方へと連れて行かれた。
「いやぁ、私の妻もなかなかやるだろう?」
「ええ、義姉上を怒らせると怖いことがよく分かりました」
「ふん、わたくしの茶会へあの者たちを呼ぶことはもう二度と無いわ。……アリシアの元からハンナが帰ってきてから、あの子、まるで生まれ変わったかのようだわ。彼女には感謝してもしきれないのよ。今度是非会って御礼をさせて欲しいわ」
アリシアの弟子を辞めて姫に戻ったハンナは、これまでとは別人のように勉学や稽古事に励むようになった。為になると思った事は何にでも積極的に取り組んで、自分なりにどうしたら民の為になるのかを考えているようだ。
「礼なら既に国王陛下から頂いておりますので、お気遣いには及びませんよ。本人は宙にでも舞い上がりそうなくらい喜んでおりましたから」
「あんな礼でかい? 本当に変わった子だね」
「でも義姉上がお会いしたいと言っていたことは伝えておきましょう」
「ええ、よろしくね」
「フェル、少し外の空気を吸いに行かないかい?」
夫のしたい事の空気を読むと、王太子妃は「それではわたくしはこれで」と別のご婦人達の所へと去っていった。
王太子と一緒に庭園へと出ると、夜の空気はまだ冷たい。会場内のアルコールと香水の匂いから解放されてひんやりとした空気が心地がいいくらいだ。
しばらく歩いて兄がベンチへ座ったので隣に座った。
「お前とこうやって2人きりで話をするなんて、何だか照れてしまうな」
「もしかしたら兄弟の逢い引き、などと言う変な噂が立つかもしれませんね」
冗談に2人で笑いあっていると、ふと兄が、微笑んだままでこちらに顔を向けてきた。
「ここ1年くらいかな……。お前は随分と顔つきが穏やかになったな、と思ったんだ」
「そうですか? 以前はそんなに怖い顔をしていましたか?」
「そうだな、自分では気付かないか。前は何かに取り憑かれたかのようだった。触れれば噛み付いてきそうなのに、それでいていつも苦しそうに見えた」
「…………」
「アリシアが君を変えたんだろう? ハンナを変えてくれたように」
「……私は兄上がずっと羨ましかった。次期王として期待されている貴方が」
フェルディナンドの言葉に、先程まで優しげな顔をしていた王太子が、キュッと表情を引き締めた。
「勘違いしないで下さい。私は王になりたいなどと思った訳では無いんです。皆の期待に間違いなく答えていく貴方が最高に格好良くて、尊敬していて……それで、私も貴方のように皆からの期待が欲しい、望まれたいと思っていたんです。それがずっとコンプレックスで居たのですが、アリシアのお陰でやっと、自分で自分を恥じなくてもいいのだと自身を持てるようになりました」
フェルディナンドの答えに何を思ったのか王太子が笑いだした。怪訝そうな顔をしてみせると「ごめん」と笑いをおさめた。
「私たちは似た者同士だと思ったんだ」
「私と兄上がですか?」
王太子はコクンと頷くと、遠くにある星でも見るように空を仰いだ。
「私はね、ずっと怖かったんだよ。誰かにこの座を奪われるんじゃないかって。弟達が成功を収める度に、まるで『お前の代わりなら他に居る』と言われているような気がしてね。少しでも失敗しようものならすげ替える首は幾らでもいるのだと。だから素直に兄弟の活躍を誇らしく思えない自分が嫌いだった。私も妃と結婚して苦楽を共にしてくれる人が現れてからは、少しは心が楽になったけれどね」
まさか兄がそんな風に思っていたとは思いもよらなかった。
いつでも兄弟に優しく、お手本のような人だと思い込んでいた。
結局のところ他人の心の内なんて分かるはずも無く、多かれ少なかれコンプレックスを持っているという事なのか。
何でもっと早くその事に気付かなかったのだろう。
心の内を素直に話すのには、立場とプライドが邪魔をしてくる。弱みをそう簡単に他人に知られる訳にはいかない。たとえ親兄弟であっても。つくづく王族と言うのは厄介な身分だ。
「もしかしたら私たちだけじゃなく、他の兄弟たちもこんな風に悩んでいるのかもしれないね」
「そうですね。もし仮に……兄上の立場を脅かす者が居れば私が容赦なく叩き斬りますので、どうぞ安心して公務に励んでください」
「ははっ、頼もしいね」
2人で再び笑い合っていると、急に彼女の顔が見たくなってきた。
「兄上、少し席を外させて頂きます。兄上は先に会場へお戻りください」
「……ああ。お前とこうして話せて良かったよ。アリシアに宜しく」
「はい」
ベンチから立ち上がり一礼するとフェルディナンドはそのまま庭園を抜けて、百合厩舎へと向かった。




