ハンナの仕事
今日は朝から雪がチラつき、物凄く冷え込んでいる。
王国の南側に位置する王都は、北側に比べるとあまり雪は降らないので珍しい。
最初は雪にはしゃいでいたハンナもいよいよ寒くなってきたらしく、ガタガタ震えながら水仕事をこなしている。
ハンナがアリシアに弟子入りしてから2ヶ月近い時が経つ。最初に比べれば少しは使えるようになってきたものの、まだまだ何をするにも時間がかかるしたどたどしい。
「それを洗い終わったら次は厩舎の周りを履いておいて」
「……わかったわ」
言われた通りハンナは洗い終わった桶を立て掛けて並べた後、ほうきを持ってきて厩舎の周りを履き始めた。
ほんと、強情ねぇ……。
弟子入りごっこなんて1、2週間もすれば根を上げてやめてしまうかと思ったのに。ハンナは思った以上に頑張り屋な子だ。
出される食事に文句を言ったり、寒くて布団から出られないとグズグズしたり、髪の毛を上手く結べないと癇癪を起こす事も最近ではもうしない。
ずいぶんと成長したものだ、と感慨に耽っていると、下手くそながらにせっせと地面を履くハンナの手がいつの間にか止まっている。
ハンナが見上げる視線の先には、遠くに王宮本館の屋根がちょこんと見えた。
「どうしたの? 手が止まっているわよ」
「何でもない」
「以前の生活が恋しくなってきた? こんな寒い日には暖炉の前で侍女に入れてもらった温かい紅茶を飲む方がいいわよね」
「違う! そんなこと思ってない」
「それかフカフカの布団に潜り込んでぐっすり好きなだけ寝たり、膝にブランケットをかけて読書を楽しむ?」
「違う違う違うっ!」
ハンナが涙目になって頭をブンブンと振り、ほうきを投げ出した。
もう、ゲームオーバーだ。
「いいのよ、もう終わりにして。辛いのならやめちゃえばいいのよ」
「やめない! 自分でやるって決めたんだもの!」
「そう。じゃあハンナが一人前の厩番になるまで責任をもってこれからも私が面倒をみるわ」
「…………」
「なんて、言うと思った?」
地面を凝視していたハンナの顔が、ばっとこちらを見あげた。
「髪の毛も1人でろくに結えないし、掃き掃除をさせれば逆に散らかすし、洗い物をさせれば遅いくせに洗い残しはあるし、何もかもがのろくて、ハッキリ言って仕事の邪魔。足でまとい。あんたみたいな使えないやつ弟子に要らないの。私のところがダメなら街にでも出てみる? 自分の事すらろくに出来ない役立たずなんて、それこそ誰にも雇って貰えないわよ。まあ見てくれはいいから娼館くらいになら使ってもらえるかもね」
「なっ……!」
「……分かったら、元のお姫様に戻りなさい」
諭すように言うと、ハンナが睨み返してきた。
「わたくしの仕事は暖炉の前でお茶を飲むことなの? フカフカのベッドで眠ることなの? 侍女達に甲斐甲斐しく世話を焼かれて生きていくことなの?」
「そうよ。それがあなたの今の仕事」
「そんな仕事おかしいじゃない! この2ヶ月アリシアと一緒に生活してみて、みんなこんなに大変な思いをしているのになんで王族に生まれたと言うだけでわたくしは……」
ハンナの青色の瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちてきた。
寒さのせいなのか、それとも興奮しているせいなのか、ハンナの鼻と頬が赤い。
「私はハンナの仕事が楽なものだとは思わないよ。ハンナがもう少し大きくなって素敵なレディになったら、そのうち誰かのお嫁さんになるの。キシュベルの王家との繋がりを強くして、ご主人の血を引く子供を産んで、家内を取り仕切って、お茶会や夜会では人脈を築いたり、腹の中をさぐり合うのかもね。
ハンナが民が納めた税を使って贅沢して暮らしても許されるのは、それに見合うだけの仕事をこれからしてもらう為のいわば投資。もし与えられるだけが嫌だと言うのならしっかりと勉強しなさい。淑女と呼ばれるのに相応しい振る舞いをしなさい。未来の旦那様を支えられるように努力をしなさい」
いずれハンナはどこかの国の王族か、あるいは国内の貴族の誰かと結婚をする事になる。恐らくは政略結婚になるだろう。
好きな人との結婚など、王女なら叶わない。色々な思惑の中で生きていかなければならない。それは決して楽な生き方なんかじゃない。一生を不自由のない狭いカゴの中で生きていくようなものだ。
「これはここで働くメイド達にも、街中で働く女性にも、そして私にも出来ない、ハンナにしか出来ない仕事なのよ。だからもっと誇りと自信を持って」
ハンナに近づき手をそっと握ると、氷のように冷たくなってる。涙で濡れる目を正面から見つめると真っ直ぐに見つめ返してきた。
「さあ戻りましょうハンナ姫。貴方様の居るべき場所に」
アリシアが微笑むと、ハンナはコクンと頷き返した。ハンナの手を握ったまま立ち上がって王宮本館へと連れていこうとすると、厩舎の前に王太子とフェルディナンドが立っていた。
「え゛…………」
さあぁ、っと全身血の気が引く。
いつからそこにいたのー!?
私いま、めちゃくちゃ偉そうに王女様にお説教しちゃったよー。不敬罪? 不敬罪ですかーーー?!
今度は自分がカチーンと氷のように冷たくなった。
「お父様! フェルおじ様!」
「ハンナ……」
「わたくし、アリシアの弟子を辞めるわ」
「うん」
「ちゃんと勉強もするし、ダンスやマナーのレッスンもする。お肌だってツヤツヤに磨いて、お父様が恥をかかないように、どこの誰が見ても完璧な女性になるわ」
「ああ、そうだね。ハンナならきっと、誰よりも素敵な女性になれるよ。アリシア、娘がお世話になったね。礼を言うよ」
「い、いえ。恐れ多いお言葉です」
「それじゃあ帰ろうか」
お、お咎めは無し……で、いいですか……?
戦々恐々としながら2人を見送っていると、ハンナがクルリとこちらを振り返った。
「ひとつだけ言い忘れたわ。さっき『私には出来ない』って言ってたけど、わたくしアリシアになら出来ると思うの」
「?」
「妃の仕事」
「ーーーーっ!?」
不思議そうな顔をしている王太子の側で、フェルディナンドが苦笑いをしている。
ハンナはニヤァとしてやったりな目線を寄こすと「お父様行きましょう」とスタスタと軍部を出ていってしまった。
「お疲れさん」
フェルディナンドにポンポンと頭を撫でられて、ハッと我に返った。
「い、いつから居たんですか?」
「んんー? 割と初めの方から。厩舎の中に居るのかと思って探していたら、外で話しているのが聞こえてきてな」
早く声かけてよー。とんだ赤っ恥をかいてしまった。
「これってもしかして、後から罰を言い渡される感じですかね?」
「さあな。ハンナ次第じゃないか?」
「そんなぁ……。でも、ハンナ様ならもう大丈夫ですよ。やるって決めたら必ずやる方なので、その点は心配していません」
何も考えずに自分が享受する物を当然の事として、贅の限りを尽くす様な人も居るけれど、ハンナは違う。疑問を持ち自分で考える事のできる子だ。
迷いが無くなり自分の存在意義さえ見い出せれば、民を思う誰よりも良い奥様になれる。確信を持ってそう言える。
「ハンナの事を随分と買っているみたいだな。まぁ、ハンナの事は全てアリシアに任せる、と兄上が言ったんだ。お咎めなんてある訳ないだろ」
ですよねー。そうであってくれなきゃ困ります。だいたい無茶振りしてきたの王太子の方だし。
「ところで先程から気になっていたんですけど、フェル様が持っているそのバスケットは何ですか?」
クンクンと鼻を鳴らすと、何やらこんがりとした香ばしいいい匂いがしてくる。
「ああこれか。今日は冷え込むから温かいお茶と一緒にって、焼きたてのクルトシュを差し入れに持ってきた所だったんだ」
「クルトシュ!!!」
ガバッとバスケットに食らいつこうとすると、ヒョイと高く持ち上げられてしまった。
「『妃の仕事』についてゆっくりと話しながらいただこうか」
「 なななっ……またそんな事言って!!!」
「はは、今日のところはまぁ、ハンナの攻撃も食らった事だし良いとするか」
「うぅーー」
ハンナが居なくなった事にちょっぴり寂しさも覚えつつ、こうしてまたアリシアに日常が戻ってきた。




