決死のお願い(2)
「??」
何故か目の前に王子の顔があって、その先に天井が見える。
訳が分からずポカンとしているアリシアのズボンのベルトに王子が手をかけた。
「そういう事なら、手早く済ませよう」
「は? え??」
何だろうこの状況。
長椅子に押し倒される格好で、王子が上に乗っかっている。
そしてベルトとベストのボタンを同時に外すという器用な事をする王子。
これはひょっとしたらひょっとすると……アリシアの頭の中で何かが繋がった。
「だぁっ!! だれが殿下なんかの子種を欲しいと言ったんですか!!!」
「はあ?」
「私は「殿下に」じゃなくて、「クルメルに」種付けをして欲しいと言ったんですよ!」
この色ボケ男が!勘違いをするにも甚だしい!どこをどう解釈したら、お前に種付けをお願いしたって事になるんだ!?
心の中で悪態を付きながら上に乗っかっている王子をグイィーと押しのける。くぅっ……!無駄に筋肉つけやがって!
「……なるほど、そういう事か。お前主語が足り無さすぎだろ! と言うかさっきなんかって言ったよななんかって……!」
「あー、えーと、つい本音が……、いえ、殿下のような高貴な御方のなんて恐れ多いという意味ですよ」
乱れた衣服を整えながら取り繕うと、改めて王子に向き直る。
「ゴホンっ……そっ、それですね。クルメルに種付けをお願いしたいのでございますよ」
突然起こった予想外の展開に、台詞がもうめちゃくちゃだ。でもここで諦める訳にはいない。
「先程も言いましたけどあの馬の子供ならきっと、物凄く良い馬が生まれると思うんですよ。種付け料なら幾らでも……いえ、出来れば破産しない程度にお願いしたいんですけど、お支払いしますから、どうかこの通りです!!」
こういう時、自分が絶世の美女でなかった事が悔やまれる。泣き落としは全く効きそうにないのでとにかく熱意をぶつけるしかない。
「幾らでも……か。それならこう言うのはどうだ」
「なんでしょう?」
「俺の専属の厩番にならないか」
「殿下の厩番に、ですか? それはつまり王宮軍部で働けと」
「そう言うことだ。実はずっと困っていたんだ。クルメルは俺以外の者に触られるのを酷く嫌がってな。噛み付くは蹴り飛ばすわで肋骨を折られた奴までいる。触られるのを嫌がるだけなら手入れくらいは俺がすればいいんだが、馬房の掃除も他のやつがすると物凄く嫌がって入りたがらない」
「それではこれまでクルメルの手入れや馬房掃除は殿下がなさっているのですか」
「そうだ」
「それでもクルメルを手放さないのですね」
「その選択肢は無い。俺の大事な相棒だ」
ほぅ、これはなかなかに見どころのある男だ。
そう言うあまりにもクセの強い問題児はとっととお払い箱にするのが普通。特に買い換える余裕のある金持ちほどその傾向は強い。自分で全ての世話をしてまで面倒を見るとは見直した。
先程のことは忘れる事にしよう。
「お前がさっきクルメルに触れた時嫌がらなかっただろ? 手綱を他人に握らせることすら出来なかったのに、だ。引き受けてくれないか?」
「でも私、装蹄は無理ですよ。下っ手くそですし」
装蹄と言うのは馬の蹄に蹄鉄と言う器具を着ける作業の事。
装蹄は馬にとって大切な作業で、装蹄次第で馬の持つ能力を最大限に発揮させることも可能だが、人が合わない靴を履いたり、歯の噛み合せが悪いと全身の不調を訴える様に、下手な装蹄をすると馬の健康を害し、時には死に至らしめる事もある。
生かすも殺すも装蹄次第。非常にデリケートな作業なのだ。
アリシアも装蹄は出来なくはないが、もともとが大雑把な性格のため自分自身でも向いていないなと思う。
牧場にいる馬たちには時々アリシアも装蹄を施しているけれど、王宮にいるような馬、しかも殿下の様な高貴な身分の御方の馬となると自信が無い。
「それなら問題ない。王宮には専属の装蹄師がいるからな」
「そうですか。それなら安心ですけど、でも……」
王宮で働くようになれば、牧場で好き放題にブリーディング出来なくなる。ブリーダーと言う仕事はアリシアにとって天職だ。それを手放すなんて……。
でもこの条件を飲めばクルメルに種付けしてもらえる。おまけにクルメルのお世話まで出来ると言う特典付き!
「クルメルの子が生まれたら、もちろんお前の好きにしていい。俺は何も言わない」
王子の追加口撃に、グラグラと揺れる天秤がついに傾いた。
「分かりました、引き受けます。ただ、父がなんと言うかは分かりませんが」
この牧場が繁盛しているのはアリシアの見立てがあってこそ、という所が大きい。
アリシアが牧場から居なくなってしまっては大いに困るだろう。
「俺の方からもお願いしに行こう。父君は向こうにあった家の方にいるんだな?」
王子は席を立ち部屋を出ると、事務所がある家の方へと向かっていった。