人であろうと馬であろうと
軍部の門をくぐり、少々疲れ顔の兵たちが次々と入ってくる。
フェルディナンドを含めた隊が旅立ってから2週間。ファルカシュ山の魔獣討伐任務を終えて帰ってきた。厩番たちは戻ってきた馬たちの世話の準備をするため一気に慌ただしくなる。
アリシアもハンナを連れてシュケットを受け取るためにフェルディナンドの所へ向かうと、今回の任務に同行したヴァルテルの顔が浮かない。肩をガックリと落とし、今にも泣き出しそうな雰囲気でとぼとぼと歩いている。
「フェル様、ヴァルテル中尉、お疲れ様でございました。……あれ? トリクシーはどうしたのですか?」
先にトリクシーを担当する厩番が受け取ったのかと辺りを見回すが、パッと見た感じどこにもいない。
「トリクシーは討伐作戦中に亡くなった」
「亡くな……」
「シュケットを頼んだ」
フェルディナンドに手綱を渡され行くように促された。
今は放っておいた方がいい。と言う事だろう。
一言でもヴァルテルに声をかけたら、涙がこぼれ落ちてきそうだ。
「分かりました。ハンナ、行きましょう」
シュケットの手入れをハンナと一緒にして、他の馬たちの世話も手伝い一日を終えると、アルフレッドがやって来た。
「フェルディナンド准将、お帰りになられたんだね」
「うん。ちょっとハンナの事頼んでもいい? 夕食の後のことはリリにお願いしてくれる?」
「なに? どうしたの」
ヴァルテルの愛馬が亡くなったことを伝えると、アルフレッドは「OK」と頷いた。
ハンナをアルフレッドに預けて厩舎へと向かう。冬という事でそこまで遅い時間でも無いのに、既に辺りは暗くなってしまった。
そろり、と厩舎を覗き込むと案の定、ヴァルテルがトリクシーが使っていた馬房の前で座り込んでボーッとしていた。
慰める言葉は見つからない。
アリシアにとって牧場にいた馬たちは家族も同然。何度も家族が死んでいく所に立ち合ってきたけれど、永遠に慣れることはないし、慣れる必要も無い。
トリクシーはヴァルテルにとってはきっと恋人で、2人目の奥さんのような存在だったんじゃないかと思う。
アリシアは、ヴァルテルとトリクシーがイチャイチャしているのを見るのが好きだった。
思わずヤキモチを妬いてしまいたくなるほどに、いつもラブラブのカップルだった。
頭の中でトリクシーのことを思い出しながらゆっくりとヴァルテルの側まで寄り、その隣に座った。
「トリクシーが騒ぎ出すと、ヴァルテル中尉が来るってすぐ分かるんですよ。蹄に悪いから前掻きしちゃダメだって言っているのに止めてくれなくて。それからヴァルテル中尉が他の馬に構っていると、トリクシーったら物凄い顔して睨んでるんですよ。周りにメラメラとジェラシーという名の炎が見えそうでした」
思い出すだけで笑ってしまう。
そして、泣けてくる。
「アリシアちゃん……」
「今日は一緒に思う存分、トリクシーの思い出話をしましょう。私の知らないトリクシーの事を教えてください」
「ここにお酒があればもっと良かったんですけどね」と笑ってみせると、ヴァルテルも一瞬だけ笑って、そして泣いた。
「僕が……僕が悪かったんだ。ちゃんとトリクシーに乗っていなかったから……ごめん……ごめん……」
抱きついてきてズビズビと号泣するヴァルテルの背を、子供をあやす様に、馬を愛撫する様に、ポンポンと撫でる。
トリクシーは魔獣に喉元を噛みつかれ、そして助かる見込みが無いとヴァルテルが手をかけたのだとフェルディナンドに聞いた。
その決断がどれ程の苦痛だったかは、アリシアには計り知れない。
ボロボロとアリシアの頬にも涙がつたい始めた。
泣きたければ泣けばいい。
思い出の中にどっぷりと浸って、好きな者の事を想って泣いたっていいじゃないか。それが人だろうと馬だろうと関係ない。
2人で抱き合ってわんわん泣いていると、嫌な笑い声を上げながら誰かが近づいてきた。
「おやおや、ヴァルテル。こんな所で厩番なんかと抱き合って泣いてるなんて、随分とみっともない。それでも中級士官なのか?」
灯りで照らされて見えてきたのは、50代くらいの中年男性。何度か見た事がある気がするけど思い出せない。ただ、制服からしてフェルディナンドと同じ准将の位みたいだ。
制服の胸元には騎士の称号持ちである事を示す勲章は付いていない。
なるほどね、このおっさんは頭打ちか。
騎士の称号を持たない、いわゆるノンキャリア組はどんなに頑張っても大抵『准将』の位で終わる。
「アンドラーシュ准将……お疲れ様です。取り乱してしまい申し訳ありません」
「あぁ、そう言えば今回の討伐作戦でお前さんの馬が死んだんだってな。まさかそんな事で泣いているんじゃないよなぁ? 」
「…………」
何だか嫌な言い方をするおっさんだ。
ヴァルテルは自分より上官という事で何も言えないでいる。
「それなりに裕福な伯爵家の跡取りで、騎士の称号持ちなら金はあるだろ。また新しく代わりの馬を買えばいいさ」
「……トリクシーの代わりなんておりません」
「んん? 今なにか言ったか? いつからお前は俺に物申せる立場になったんだ」
ヴァルテルからギリギリと歯噛みする音が聞こえてきそうなほど、歯を食いしばっているのが分かった。
「……いえ、何も」
「馬なんざただの乗り物だ。そう気に病む事は無い。早く気持ちを入れ替えろ」
「馬は物ではありません。私たちと同じように意思があり、感情があります。慰めの言葉がそれではあんまりです」
「あっ……アリシアちゃん、いいんだよ。引きずっている僕が悪いんだから」
抑えろ。と言う心の声に反して、どうしようもない怒りが湧いてくる。体を流れる血が沸騰しそうだ。
驚きと不快感を顕にした男に向かって、思いっきり睨みつける。
「まだ何日か前のことを思い出して泣いて、何が悪いんですか? それで任務に影響があるのなら上官として叱るのは当然かと思いますが、今は勤務時間外のはずです。泥酔して暴れ回っている訳でもないんですから良いじゃないですか!」
「黙って聞いていれば生意気な口を聞きやがって。お前があの有名なフェルディナンド准将お気に入りの厩番か。色仕掛けでもして兵や厩番達にでも取り入っているのかと思ったら、男の格好をして色気も何も無いようなガキかよ」
後ろでヴァルテルが「アリシアちゃん落ち着いて」となだめてくる声が聞こえる。
深呼吸して落ち着きたくても出来ない。殴り掛かりにいかないようにするだけで精一杯だ。
「もっとも……あの王子の事だから、こんな女でも見境なく垂らしこむんだろうなぁ。いいよなぁ、王子様は。俺みたいな平民出とは違って直ぐに騎士の称号は貰えるわ、トントン拍子に昇進するわで羨ましいよ」
アリシアの中で、プツンと何かが切れる音がした。
トリクシー号覚えてますかね? ヴァルテル初登場の時に一緒にいたお馬さんです。




