善は急げ
「君がアリシアか。手入れというのは……娘がしたいと言っているのか?」
「そうですわ! わたくし、ウィルマともっと仲良くなってアリシアみたいに上手に乗れるようになりたいの。良いでしょう? お父様」
「あ……ああ。もちろん構わないよ。馬の手入れも出来た方がもちろん良いに決まっている。それでこそ騎馬国の姫だ」
「やった!」
ハンナが飛び跳ねて喜んでいるのを、王太子は驚きと嬉しさが混じったような顔で見ている。
これなら軍部で乗馬の練習させてくれるかも?薔薇厩舎と行き来するの面倒なんだよね。
トントンと肩を叩かれて思考を止めると、フェルディナンドが困惑した顔をしている。
「おい、どうやってハンナをあんなにやる気にさせたんだ?」
「? どうやってって言われましても……。ふつーに指導して、ふつーに手入れもやってみるかって聞いてみただけですよ」
ハンナの傍に控えている侍女が、いかにも不愉快そうな顔をして「何が「ふつー」よ」とブツブツ言っている。
と言うか、やる気無かったんかい!
突っ込みを入れたい気持ちをグッとこらえてハンナに向き直る。
「王太子殿下の許可も頂きましたし、それではウィルマの手入れをしに行きましょう」
ハンナにやり方を教えながらウィルマをピカピカにしていく。そのすぐ側で「ああ、服が……」とか「蹴られちゃうわ」とか侍女がうるさいので、ちょっと黙っていて欲しい。
「ゾイ、だったかな。乗馬の指導はアリシアに一任している。君は送り迎えだけすればいいからそれ以外は黙っているように」
「……かしこまりました」
ハンナが一生懸命やっている姿を見ていた王太子が侍女にピシャリと言い放った。
フェルディナンドは笑顔で言って聞かせるタイプだけど、さすがは次期国王。こちらはビシッと言うタイプだ。
王太子とフェルディナンドに相談してみた結果、次回からは天候が良ければ軍部の馬場を借りて練習をすることになった。
ここからアリシアによるハンナ姫への乗馬指導が始まった訳だが……
「あのぅ、なんで今日も姫はここにいらっしゃるのでしょうか?」
ハンナが厩舎のベンチに座って足をプラプラさせている。
指導が始まって数ヶ月。週に何度も練習をして随分と乗り方は上手くなってきたし、手入れも最初に比べればずっと手際よく出来るようになった。
そしていつからか、レッスンが休みの日でも何故かハンナが軍部にやって来て、入り浸るようになってしまった。
「だって、ここにいた方が楽しいんだもん」
「楽しいんだもんって、私、仕事中なんですけど」
「いいじゃない、見ているだけなんだから。邪魔してないでしょ」
「それはそうですけど……。ハンナ様は他にもやる事が色々とあるのでは無いですか」
お姫様なんだからお稽古に忙しいでしょうに。なんで金魚のフンみたくくっ付いて来て暇を持て余しているんだろう。
朝の給餌を終えた樽を洗いながら、片手間でハンナの話を聞く。
「……アリシアってなんで厩番になったの?」
「えぇ? それは家が馬牧場だったからですよ。縁あってフェル様に拾われて、こんな所で働いてますけど」
「ふぅん。ねぇ、私も自分の好きな仕事をしてみたいの」
「と、言いますと?」
「そうねぇ、例えばパン屋とか。朝から晩までパンのいい香りに包まれて良いじゃない?」
「何十キロもある粉を運んで、パンを捏ねるのだって何百人と来るお客に売る量ですから相当な量を作って力がいると思いますよ」
「じゃあ花屋。美しい花を育てて売るの」
「ハンナ様、虫嫌いじゃないですか」
花に虫はつきもの。この前虫がスカートに引っ付いただけで大騒ぎのこのお嬢さんには無理だ。
「むぅ、なによ。ああ言えばこう言うんだからっ! わたくしだって好きな事したいわ。何で王太子の子供だからって朝から晩まで勉強して、どんなお客様にもニコニコして、アリシアみたいに小腹がすいたからってリンゴを丸かじりしちゃいけないのよ」
それがお姫様ってもんでしょ。
どうやらこのお姫様は、フェルディナンドとは逆の考えらしい。
王族として生まれたことの意義を全く理解していない。
フェルディナンドはあんな風に悩んでいたのに。ハンナと足して2で割ったら丁度よさそうだわ、これは。
やれやれ、と作業を続けていると、ハンナがポンっと手を打った。
「いい事考えた! アリシアって装蹄師長の弟子なんでしょ? それなら私もアリシアの弟子になるわ!」
「はい?」
何を言ってるんでしょう? 頭が追いつかない。
「善は急げよ! お父様とお母様に早速頼んでくる!!」
「「え?! ちょっ……!」」
珍しくハンナの侍女と声が重なった。
「ちょっと、あなたねぇ! ハンナ様になんて事をそそのかしているのよっ!!」
あっという間に小さくなっていくハンナを目で追いかけながら、侍女が捨て台詞を吐き、そして去っていった。
今のって私のせい……だっけ?
ダメだ、分からなくなってきた。
アリシアは考えることをやめて、洗った樽を乾かしに行った。




