第二話 出航
編集(2023/03/11)
――メリディエス王国 王都ヘリオス――
王城を出て貴族街を歩く少女が一人。
街行く人々は足を止め、皆彼女に頭を下げる。彼女はこの国の王女、ゾーネ・アルタイール・メリディエスであった。
この王女に関する話はどれも、国中の注目を集めていた。
王女が数々の功績を収め、次期国王として十分の貢献を王国にしたことは周知の事実であった。
「ご機嫌麗しゅう、ゾーネ王女殿下」
「ご機嫌よう、叔父上」
そう挨拶を交わしたのは、数人の従者を連れた中年の男だ。
「外では公爵と呼んで頂かなくては困るな、ゾーネ」
「そうはいきません! 私は堅苦しいのが苦手ですので」
叔父と呼ばれた男は白髪の多い長身の男で、国王アルタイールの弟にあたるアルデバラン公爵であった。彼はやれやれといった仕草を見せた後、ゾーネを一瞥して言った。
「これから船出かい?」
ゾーネもその視線の流れにつられて自分を見下ろす。先ほどまで王城で着ていたドレスとは違い、ズボンにシャツ、ジャケットという船乗りの格好であった。多少気品のある服ではあるが、船に乗る時のものだ。
「そうです。王命を授かりましたので」
ドレスをつまんでお辞儀をするような仕草をとる。普段の彼女であれば、その洗練された宮廷作法は素晴らしいの一言に尽きようが、今はすこし阿呆に見えるだろう。
「ふはは」
「あー! 馬鹿にしましたね?」
「いやー、すまない……ふふ」
二人の間に笑いが起こる。
しばし間をおいて、アルデバランが手で女の従者に何かを促した。
「なんです?」
「髪だ。綺麗にしなくてはな」
結いそびれた髪のことであった。彼の従者である女性は慣れた手つきで、ゾーネの髪を三つ編みにした。
「ありがとうございます。まだ、お話ししていたいですが、すぐ向かわなくてはいけませんので、それでは!」
「ああ、気を付けて行きなさい。君なら心配ないと思うがね」
「買い被りすぎでーす!」
ゾーネはそう言うと走って港の方へ向かっていった。
すでに日は傾き、西の空が赤く染まる時分。市場や港の活気は少しずつ収まり始める。昼間であれば、漁船に商船、隊商の持ち込んだ品々を求めて、多くの商人や国民がひしめき合っているが、もう人も商品もなくなり、静かになっている。
ゾーネが港に着くと、ほとんどの船はもぬけの殻か、数人見張りがいる程度で、しんとしていた。しかし、その中で数隻の船は灯りを点けているのが見えた。彼女の船だ。
「みんなーッ! 私抜きで騒ぐなんてひどいじゃない!」
「おおー!! うちのお姫様が帰って来たぞーッ!!!」
すでに多くの船員は酔っているようで、踊れや歌えやを繰り返し、数人は寝転がっているのもいた。ゾーネはその中、少し離れた位置で見守る偉丈夫に近づく。
「ごくろうさまね、アクラブさん」
「なあに、コイツらのはいつものことさ」
アクラブと呼ばれた男は、ゾーネの一回りも大きな体躯に焼けた褐色肌のスキンヘッドの大男だった。ゾーネは彼を見上げるようにして話す。
「アクラブさんは交わらないの?」
「おらぁいい。それより、噂になってるぜ。帝国と戦争なんだろ?」
「せッ、戦争!?」
多くは耳が早いようで、数名はアクラブの言葉に頷いている。酒で酔っぱらっている数名は、戦争の言葉に驚いているようだった。
「みんな大丈夫よ! 戦争になんかさせないわ」
今の話で酔いがさめたのだろう。先ほどまで騒いでいた者たちもゾーネに傾注する。
「私たちが話し合いをしに行くことになったの。王様直々の命令でね」
堂々とするゾーネに反し、多くの船員からは不安の色が窺えた。
多くの船員は、ゾーネが9歳の頃からの仲間だった。しかし、そんな彼らも、今までの商船業ではない今回の仕事は命に関わるために躊躇していた。当然のことだ。
「……ちょっといいか?」
しばらくの沈黙の中、船尾の方にいた細見の男が手を上げる。
「はい、ギェナー。なにかしら?」
「俺はどんな仕事も、あんたの命令なら受けてやるよ。でも、重要なのは利益だろ? 報酬はどれくらいもらえるんだ?」
ギェナーと呼ばれた男の一言で、また全体の注目がゾーネに注がれる。その時、ゾーネは待ってましたとばかりに白い歯を見せて笑う。
「……金にして500」
「「!!!???」」
ゾーネの一言は船員たちを思考停止に追いやった。
金の価値は、通常金貨1枚で自由農民の4人家族が2か月を生きるのに要する金額であった。また、商人が一年頑張って稼いだとしても、支出と差し引きで金貨50枚ほどだ。それだけ稼ぐことができれば大商人なのだ。
それが、帝国との戦争を回避するだけで、10倍の500枚ともなれば、彼らも黙ってはいられない。一人、また一人と立ち上がり、ゾーネに敬礼した。
「命知らずどもね! 貴方たちのこと大好きよ!」
ゾーネも返礼し、ここに商会幹部8人と他40人による決が採られた。
もはや彼らから不安の色は感じない。熱気のこもった視線がゾーネに注がれるのみだ。
「皆のもの、船を出せ! 拠点に帰って船旅の準備だ!」
「「「オオォーーーッ!!!」」」
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――メリディエス王国 ゾーネ商船旅団本拠地 メンカル島――
夜明けと同時に王都を出て1時間と少ししたところで、3隻の船が辿り着いたのは、ゾーネの商会『ゾーネ商船旅団』の本拠地、メンカル島であった。
船上では上陸のための準備が進められており、昨晩は酔っぱらっていた者たちも真面目な顔つきで作業に励んでいた。彼らにとってはどれも何気ない日常であるが、仕事へと向かう気持ちがそうさせるのか、いつも以上のハリキリを見せていた。
「"鼻の孔"に入るぞー! 引き揚げ班は準備しろ!」
声を掛けるのは一番船のキャプテン・ドンドだ。"鼻の孔"と呼ばれた空洞は唯一の島の入り口であり、そこ以外は切り立った岩の壁で囲われているのである。空洞内に入ると、他に数隻同様の船が泊まっているのが見える。どれも丸太を使って引き揚げられていた。
そしてさらなる掛け声で、数人の船員が下船。腰ほどもある高さの水をかき分けて岸へ行き、傍らの丸太を船の進行方向上に垂直に寝かせ、船が岸に着くと同時にさらに10人ほどが加わり、船を水中から引き揚げたのだ。
「よしッ! "我が家"に到着だ!」
ここが彼らの家だ。
メンカル島について2時間をおき、商会長ゾーネと幹部8人による作戦会議が開かれた。
席に着くのは、商会で扱う商品の種類や専門分野の異なる8つの商船の船長たちだ。
「それでは、今回の"商売"の作戦会議を始める!」
ゾーネが会議開始の合図を採り、その後一通りの内容を説明するのだ。
「内容は"帝国による王国侵略"を我々が『買い取る』、以上だ」
そしてそれを補足するように、ゾーネの後ろに控えている少年が続ける。
「『王命、ゾーネ商船旅団に以下を命ず。
一、 オリエンス帝国の我が国の属国化の意図を知る
一、 オリエンス帝国の我が国に求める他の要求を調べる
一、 オリエンス帝国の我が国への侵攻の阻止
国王 アルタイール・リゲル・メリディエス』以上になります」
「聞いてねえぞ! 帝国と戦争だなんてよぉ!」
少年が言い終えるとほぼ同時に声が上がる。
その者は幹部の後ろに控えている者であった。
「ゾズマ、あなたの意見を聞きましょう」
「ウチの船員がすまんね……俺は特に何もねえんだがよ」
ゾズマと呼ばれた男は幹部の一人で、6番船のキャプテンだ。元は海賊で、荒事、用心棒を商いの中心としているのが彼らだ。ゾズマが不意に立ち上がったかと思うと、振り向きざまに控えの男の鼻っ柱を拳で打ち抜いた。ゴッと重い衝撃音と共に、控えの男はその場に崩れ、泡を吹いて倒れたしまった。
「いやぁ、わるいわるい。今日はうちの2番手が野暮用でね」
そう言いながら席に着くゾズマ。自身の部下に手を上げたというのにニヤニヤしている。
何を考えているのか分からない、ゾズマはそんな男だ。
「そう……。改めて、今回の報酬は金貨500」
数名の固唾を呑み込む音がする。
「メリディエス王国にとっての一大事ということね」
そして、これを口にするゾーネにとっても同様だ。
ここにいる幹部たちは皆表に出さないだけで、ゾーネが王国一の商人としてこの仕事を受けたのではないと知っている。それを言わないのも、長年の付き合いあってこそだった。
「それじゃあ、気を取り直して……」
その後、会議はつつがなく終了した。
帝国側から提示された返答の期限は1か月。夏も中盤に差し掛かろうという時期に合わせているのだ。
出発は明朝、航路はズィアス大陸南東部沿岸を左手に北上し、大陸東部にあるオリエンス帝国の帝都ヘオスに向かう算段となった。王国東部から険しい山脈を超えるルートは未だ厳しく、海路による移動となる。しかし、その方が商会にとって好都合だった。
近年勢力を拡大するズィアス大陸東部のオリエンス帝国は、その伝統的な工芸品や高度な医学・薬学が売りで、険しい山が東部を隔てていることで、それらがとても貴重な商品となっている。商会にはこれらを手に入れることも重要であった。ただ王命に従っただけでは、万が一の場合に大赤字となるため、このような計画を立てるのだ。
まとめた計画書に一通り目を通し終えると、ゾーネは伸びをする。背中や腰、肩や首が小気味良い音を鳴らしたあと、今度は脱力し固まった体をリセットする。
気が付けば夜。今日は月が明るいのか、島の中央にあるこの家の窓からはいろんなものが見える。
「酒盛りに、賭け事に、女遊び……これから危険な旅に出るとは思えないわね」
ゾーネも今夜は珍しく酒を飲んでいた。葡萄酒の瓶がすでに数本空になっている。
もう一本と瓶に手を伸ばそうとしたところで扉をノックする音がする。
「め、メイサです」
「……いらっしゃい」
来客は、会議でゾーネの後ろに控えていた少年だった。
メイサが立ったままでいるのを、ゾーネが寝所へと誘う。少年はおずおずといった様子でゾーネのベッドへ潜り込む。メイサの高い体温がゾーネには心地良く感じられた。
「……あいつらのこと言えないわね」
小さくボソッとつぶやいた一言と共に、ゾーネには先ほどの窓の外の景色が思い浮かんでいた。
「あ、あの……姫さま……」
「ごめんなさいね、メイサ。さぁ、楽しみましょうか」
こうして、安息の夜は過ぎていく。今夜くらいは羽目を外しても構わないだろう。明日からの旅に、このような時間はないかも知れないのだから。
翌朝、ゾーネはまだメイサの寝ている寝所から出て、荷物の確認をしに向かっていた。
日がまだ昇る前の、まだ少し肌寒い時間だ。ゾーネはカンテラを持ちながら、船に積み込む荷物を一つ一つ確認する。
ゾーネたちは正式の使節団ではなく、王の名代としていくのである。しかし、国と国との話し合いにおいて、不利な一方は相手の機嫌を取るために贈り物をするのは古今東西変わらぬことだ。そのため、彼女らは王国からの"挨拶の品"をたくさん預かっているのだ。
「真珠に琥珀、乳香、象牙……はぁ、全部卸せたらなぁ」
どれも一級品であり、自身も長年身に付け、使っていたであろう品々を見ながらゾーネは言う。
「こっちは布や香辛料ね。こっちは食料に……これは……」
ゾーネが手を伸ばした先、そこにある直方体の木箱の中には大量の武器が入っていた。
商船である手前、武装は無いが、いざという時の備えが無ければ、すぐに海賊の餌食になってしまう。しかし、これらは使うことが無い方がいい。
ゾーネが木箱の蓋をしめた所で、背後に気配を感じた。振り返るとそこにはアクラブが船の様子を確認しに来たところだった。
「おはよう、よく眠れたかしら?」
「おはよう。いんや、それが昨晩は女房が激しくてなぁ」
まだ暗い空洞に、二人の笑い声が響き渡る。年の差がかなりある二人だが、付き合いも長く、相性がとても良いのだろう。
そして、アクラブは船を一隻一隻、どれも丹念に確認して回る。船体に傷は無いか、浸水の心配がないかなどを見ているのだ。ゾーネらの船は2本帆のダウで、一隻を10人強で操縦するものだ。
「おし、問題なさそうだ」
「それは良かったわ」
帰ろうとした丁度その時、水平線から太陽が昇ってくるのが見えた。空洞に差し込む朝日が、体を温めてくれる。綺麗な暁が、ゾーネたちの出発を祝福しているようだった。
「これですべてかーッ?」
夜明けより一時間、各キャプテンと船員、積荷の確認を一通り済ませる。
今度こそ本当に出航だ。後戻りはできないが、ここにいる者に後悔するようなやつはいない。
「出航ー--ッ!!!」
ゾーネの合図と共に一番船が押され、水上に浮かべられると、他の船も次々と発進する。島に残る者たちに見送られながら、ゾーネ商船旅団の商船全8隻が、オリエンス帝国に向けて漕ぎ出した。
――向かうは帝都セレネ
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