刻印の母
僕が幼い頃に住んでいた家の近所には教会があって、両親が共働きだった僕は、そこの大人達に世話になる機会が多かった。その教会にいた、今は顔も名前も忘れてしまったあるシスターが、僕を特に気に入ってくれていた。君には聖霊が宿っているだなんて、会うたびにおだててくれた。冗談なのか本気なのか、彼女はしばしば黒のマジックを取り出して、僕の額に十字架を書いた。そしてそのまま連れ立って出歩いたりした。当時は僕もなぜか得意になっていたが、今になって思い返せば、額に落書きをして出歩くなんていかにも異常だ。
彼女はこんなことを言った。君には聖霊が宿っている。君の振る舞いや態度を見ていると私にはそれがよくわかります。だから私は君が好きです。でも聖霊が宿っていることによって、君は将来きっと多く苦労するでしょう。聖霊は本当の意味では君を愛しています。でもだからこそ、君に大きな苦しみを強いるでしょう。君の身体が火に焼かれることすら、聖霊は少しもためらわないはずです。君はいつか必ず、その苦しみに耐えられなくなる。だから今のうちに、このマジックで君の霊魂を2つに分けておいてあげましょう。
ちなみに、「マジック」と言ったって、魔法ではない。彼女が使ったのは、マジックインキに代表される正確には「フェルトペン」、通称「マジック」にすぎない。でも彼女の言葉は、まるで魔法について語っているかのように浮世離れしていた。
このマジックによって私は君に、額に十字架が書かれた経験をもたらします。それは君を2人に、二重人格者にします。つまり、額に十字架が書かれていない君と、額に十字架が書かれた君が、一つの肉体のなかに共に存在することになる。それは弱い君と、強い君です。聖霊はきっと、この世の何ものも恐れることがないから。
でも、この世の何ものも恐れることがないことは、内面的には限りない強さである一方で、外面的には限りない弱さでもあります。精神的には限りない強さである一方で、物質的には限りない弱さでもあります。十字架を書かれたほうの君は、聖霊に満たされ、義に従い、義に従うがゆえの死を恐れることがないでしょう。そのことは実際に苦しみや死を招き寄せます。つまり、個人的な幸せを守る意欲がそこにはありません。君の身体は、無数にいる人の一人としか見なされず、簡単に犠牲にされてしまいます。現実の世俗社会を生きていく力がまったくないのです。
そして、十字架を書かれたほうの君が義に従って生きることは、隔てなく広く深い愛情であるとともに、その裏面では同時に、隔てなく広く深い憎しみでもあります。その君は、完全なものを愛してすべてを捧げる代わりに、不完全なすべてを焼き払うことをためらいません。聖霊というのは、愛でありながら、とても厳しい存在でもあります。それはいつも真理に向いていて、だから肉親すら振り返ることがない。そんな厳しく理不尽な君が、2人の君のうちの独裁者となって、もう一方を振り回すでしょう。
だから、十字架を書かれていないほうの君は、きっとたくさん辛い思いをします。優しく親切に生きることを内心から強いられつつ、正直に善良に生きるゆえの損によって、苦しみと憎しみの淵に沈んでいくことでしょう。苦しみと憎しみに溺れ、そこから抜け出すことができずに、もがき迷いつづけるでしょう。地獄の底にまで飲み込まれてしまうように思うはずです。しかしそのときには、もう一人の君が助けになる。彼は、世俗的なすべての損失を笑い飛ばし、世俗的などんな孤独にも満足してほほえんでいる。現世によって報われたいという欲求がそこにはなくて、現世によって報われないことこそが徳の定義とすらされるからです。
強い君はそのように超越者であって、君の心の幸せのためには、天使でもあり悪魔でもあります。しかし聖霊は義にそうものですから、他の誰もと同じだけは君を愛するし、君の身近な人達を愛します。君や君の身近な人達が義にそっているほど、超越者としての君は優しく抱きしめてくれるはずです。しかし弱い君や身近な人達は常にいくらかは不完全ですから、超越者としての君は、不完全なすべてを犠牲にすることをわずかにもためらいません。彼は、義にそって幸福であることを君について望みます。でも、義についてひどく不完全な現世において実際には彼は、義にそって死に向かって人生をまっとうすることを君に求めるにすぎません。だから、弱い君は長い時間を経てボロボロになっていきます。でも強い君は苦しみも死も恐れはしないから、そのすべては始めから救われているはずです。
彼女は僕といるとき、そういった話を繰り返し繰り返ししたのだ。そのちゃんとした意味はわからなかったけれど、真剣な彼女の言葉をいつもまっすぐには聞いていた。彼女が伝えようとしている意味も、だから何となくは僕に染み込んでいった。世の中は厳しいところで、僕はきっと苦労をすると。そして心には弱い僕と強い僕とがあって、強い僕は額の刻印によって示されると。僕は、二重人格者なのだと。そう知ることが、いつか僕自身を助けるだろうと。
彼女は僕に嬉しそうに十字架を書いてから言った。君は本当に恵まれているわ。ここではみんな、神を思い、祈りを捧げているのに。これで君はもう、神を思う必要も、祈りを捧げる必要もない。義において真に完全なものが、君の内側の一部としてすでに存在しているのだから。十字架の刻印によって、かつての君は今死んで、新しい君が今生まれたのですよ。君を産んであげた私を、ずっと覚えていてくれたら嬉しいわ。
なのに顔も名前も思い出せない。僕は彼女を忘れてしまったようだった。でも僕にとって彼女はまるで予言者だ。もう一つの人格の存在を、僕は実際ずっとあとになって、次第に明確に感じるようになっていった。何を恐れることもない、果てしなく獰猛で迷い揺らぐことのない存在が、自分の心中に息づいているのを最近は確かに感じていた。
あの変人に、初めて落書きされた日。一人の人間としての僕の人格は殺された。大きな存在の一部に、端末の一つに、感情を持たない生き物へと生まれ変わった。その獣はずっと眠っていたのに、今になって目を覚ました。そして今日、喜怒哀楽なき安寧へと落ちていくとき、最後に思い浮かんだ現世の思い出は、彼女だった。ああ、不思議な人よ。あなたは僕の母である。