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桜がこんなに綺麗なのは

作者: 桜吹雪


「知ってる? 桜の木の下には――」


「死体が埋まってる、でしょ」


 ある春の昼下がり、私は友人とコーヒーを飲みにカフェを訪れていた。数年前に妻を亡くしたというマスターの淹れるコーヒーは絶品で、大学の講義が終わるとよく一息入れに来るのだ。今日は予定していた講義が休校になったためいつもより早めのコーヒーブレイクとなっていた。いつもは大学生でにぎわう店内だが、今日は珍しく客が少ないようだった。


「あら、詳しいのね」


「小説から広まった俗説でしょう?有名過ぎて、本を読む人なら誰でも知ってるわ」


 梶井基次郎という作家の短編小説から広まったとされる噂だ。桜の木の下には死体が埋まっていて、その死体から出る汁やら何やらを吸うからこそ桜は美しく咲くのだとか。正直、馬鹿々々しいにもほどがある。


「そうそう。けど、それ以外にも桜には不吉な話があって……」


「やめて、聞きたくないわ」


「怖いの?」


 私の顔を見て心底楽しそうににやにやと笑う。その額を指で弾いてやろうかと思いながら反論する。


「そうじゃなくて。私が飲んでるものを見てから言ってちょうだい」


 私の手元に視線を移した彼女が「まあ」と口を覆う。私が飲んでいるコーヒーには桜の花びらが浮かんでいる。この店の庭にはマスターの妻が植えたというそれは見事な八重桜があり、それを目当てに来店する客も多い。そして毎年この季節になると妻が遺した桜を多くの人に楽しんでもらいたいというマスターがその花びらを塩漬けにしてこうして提供するのだ。豆も普通のものとは違うらしく、淹れたてのコーヒーからは桜のそれはよい香りが漂っている。春になるとこの店に来るたびに飲むほどのお気に入りだ。そのほかにも桜を使ったスイーツなども製作しており、この店のちょっとした名物となっている。


「趣味の悪い与太話をするのはいいけど、時と場合を選んでくれないかしら?」


「ごめんなさいね、全然気づかなかったわ」


 嘘だ。この季節に私がこれを頼むということは彼女も知っている。だって毎年一緒に来ているのだから。そもそも注文の時に彼女は私に聞いたし、さらに言うなら彼女が頼んでいるのも同じものだ。


「けど、貴女なら喜ぶかと思って」


「私が死体のだし汁を飲んで喜ぶ人間に見える?」


「いえ、全然」


 不機嫌な顔を見せてみたものの、彼女は相変わらず不敵に笑ったままだった。諦めて話を戻す。


「それで? そんな手垢にまみれた話題を持ち出して、どういうつもり?」


「なんだかんだ話を聞いてくれるとこ、好きよ。今夜空いてる?」


「特に予定はないけど……」


 そこまで言って、しまった、と後悔する。彼女が予定を聞いてくるときは大抵ろくでもないことに付き合わされると決まっているのだ。しかし、時すでに遅く、目の前の彼女が一層顔を輝かせる。


「よかった! じゃあ今日の零時に大学の校門前に集合ね」


「……一応聞くけど、何をするつもり?」


「そりゃあもちろん」


 一瞬溜めて彼女は言う。


「噂を確かめに行くのよ!」





 午前零時、大学構内にて。


「はあ………」


 大きなため息を吐きながら構内を歩く。本当ならこんな約束すっぽかして寝ていたかったのだが、そうすると後が怖い。なので私は仕方なく集合場所に向かったのだ。


「ため息吐かないの。幸せが逃げちゃうわよ?」


「今以上の不幸なんてあるもんですか」


 鉄のように重たい足取りの私に比べて、彼女の足は軽やかだ。二本のスコップを運んでいることなど微塵も感じさせない速さで夜の構内を進んでいく。真夜中の構内に他の人影は見えない。それもそのはず、この時間には大学はとっくに閉鎖されており、私たちはフェンスをよじ登って中に入っている、いわば不法侵入の真っ最中だ。おまけにスコップまで持ち歩いて、こんなところ警備員に見つかればどうなることか。


「それで、目的の木はどこ?」


「もうすぐよ」


 うちのキャンパスは馬鹿みたいに広い。講義の間の移動なんかもギリギリになってしまうほどである。目指す場所はそのキャンパスの奥地というのだから非常に時間がかかる。そこまでしておいてやることが穴掘りなのだからやる気など起きるはずもない。


「……ほら、着いたわよ」


 十分ほど歩いて彼女が立ち止まる。そこは構内の中の滅多に人が訪れない場所で、ちょっとした丘のようになっている場所だった。私もこういうことがなければ恐らく卒業まで来ることはなかっただろうし、できればそうでありたかった。その丘の頂上には、やや小ぶりな桜の木が一本、人目を避けるようにして佇んでいた。小ぶりといっても桜は桜で、満開のその花には確かに人を引き寄せる妖しい魅力が備わっているように思えた。町の光が少なく多くの星が瞬く夜空と相まって、幻想的な雰囲気の空間が眼前に広がる。


「さ、早速始めるわよ」


 そう言って彼女がスコップをこちらに差し出す。ここまで来たら仕方ないとスコップを受け取り渋々木の周りの地面に突き刺す。土は中々固く、一刺しだけでここに来たことを後悔した。


「どこまで掘るつもり?」


「もちろん、死体が見つかるまで」


「いやいや」


 そんなもの見つかるはずもないでしょうに、と心の中で呟く。死体が埋まっているなんて話は元をたどればたった一人の作家の小説、言ってしまえば想像から広まった想像、現実とは限りなく離れた存在である。そんな与太話が巡り巡って私にこんな重労働を課しているというのだから、文章の力というのは恐ろしい。

 だいたい、世の中に一体どれだけの桜があると思っているのだろうか。それら一本一本の下に死体が埋まっているというのなら膨大な数になるだろう。百歩譲って綺麗なな桜の下と限定したとしても、少なくともこんなひっそりと咲く地味な桜の下にあるはずがない。


――いや、それとも。そんな目立たない桜の下だからこそ――


 一瞬浮かんだ嫌なイメージを振り払う。とりあえず今は掘ることに集中しよう。しばらくすれば彼女のことだ、疲れたとか言って探すことを諦めるだろう。そう信じてスコップを地面に突き立てる。


 しばらく二人とも無言になり、さく、さくと地面を掘り進める音だけがこの空間に響く。掘った穴は膝下ほどの深さに達し、穴の横には掘り出した土が新しい丘を作ろうとしている。埋め戻すときのことが急に気になってきた。これをそのまま放置していくというのは色々とまずいだろう。掘った穴をまた埋め戻す、そういえばそんな拷問があったっけ。私は一体何の罪でこんなことをやらされているのだろう。


「おかしいわね、そろそろ出てもいい頃なのに……」


「それが普通なのよ、そんなにポンポン死体が出てきてたまるもんですか」


「貴女ってほんと夢がないわよねー」


「死体を掘り起こすのが夢なら、ない方がマシよ」


 他愛ない話をしながら掘り進める。それでもやはり何かが出てくることはなく、続けているうちに腕が痛くなってきた。


「ねえ、もうそろそろ――」


 帰ろう、と言おうとしたとき、それまでとは違う感触がスコップから伝わってきた。土というより石のような、しかし石よりももっと軽く柔らかい感触。恐る恐る、突いて砕かないよう慎重に掘り起こす。


「何か見つけたの?」


 変わった気配に気づいたのか彼女がこちらに歩いてくる。彼女に見守られながら、ゆっくりとそれを掘り出す。


「どれどれ……」


 ほとんど掘り起こされた後、彼女が懐中電灯で私の足元を照らす。そこに転がっていた物を目にした瞬間私たちは二人揃って悲鳴をあげていた。




 それから三日後……


「ほんと、あれはびっくりだったわね」


 再び、いつものカフェで話しこむ。今日は前回とは違い学生でそこそこ賑わっていて、店内には例の桜の香りが充満している。


「まさか本当に死体が出てくるなんて」


「……そうね」


 あの夜私が掘り当てたもの、それは犬の骨だった。最初にスコップで突いた部分、そこはちょうど犬の頭蓋骨だったのだ。事情は分からないが、恐らく飼い主が死んでしまったあの犬を弔い代わりに埋めたのだ、と思う。それを発見した私たちはその亡骸を丁重に埋めなおし、警備員に見つからないようそそくさと退散したのだった。


「けど、これではっきりしたわね。桜の木の下には、確かに死体が埋まってるのよ」


「そうね」


 ワクワクしてたまらないと、そう言いたげに一人でしゃべり続ける彼女に、アイスティーをすすりながら生返事を返す。

 少なくともあの木に関しては、死体が埋まっているというのは本当だった。それを認めてしまったあの時から、荒唐無稽とは分かっていても考えずにはいられないことがあった。

 あの犬が埋まっていた木は確かに美しく、人を引き寄せるような魅力があった。けれど、木の大きさとしては普通だった。ならば、もっと大きい木があったとしたら? あのくらいの大きさの木には犬の死体が埋まっていた。なら、さらに大きく美しい木の下には? もっと多くの人間を引き寄せるような見事な桜の下に埋まっているのは同じく犬か、あるいは……


 ちらりと、庭の桜に目をやる。ちょうど時期であるというのもあって桜は鮮やかに咲き誇り、その色と香りで多くの人間を魅了している。きっとこれからも、数えきれないほどの人間をこの店に招き寄せるのだろう。


「桜の木の下には、ねえ……」


 少なくとも今年の桜が散ってしまうまで、とてもコーヒーを飲む気にはなれなかった。


 



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