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灰色と白色の魔法使い



 今から十年ほど前、俺はこの森で迷子になった。今となっては何のイベントかすら思い出せないが、親に連れられて参加した俺は途中、珍しい鳥を見つけてそれに付いていき、皆とはぐれてしまった。

 一人きりになった俺にとって、この森はひどく恐ろしいものに感じられた。半ベソをかきながら歩き回って、でもやっぱり誰も見つからなくて、一歩も動けなくなった時に彼女は現れた。

――どうしたの? 迷子になってしまったの?

 真っ白なローブを着た彼女は、柔らかく、とても温かかな雰囲気を纏っていた。

 こくんと頷いた俺を、その人はとある場所へ連れて行った。

 手を引かれて案内されたのはこじんまりした、綺麗な泉。泉の周りだけ木が生えていなくて明るかった。

 見たこともない景色に俺の不安な気持ちは一編にふっとんだ。好奇心にきらきら輝いた顔で泉を見つめる俺の首に、三日月が付いた首飾りをかけて彼女は言った。

――これを握って、帰りたい場所を強く想いなさい。そうすれば帰れるわ。分かった?

――うん、わかった。

――そう、良い子ね。さ、もうお行きなさい。

――おねえちゃん。

――なぁに?

――ぼく、またここにきていい?

――ええ、いいわよ。

 彼女と別れ、言われた通り、家に帰りたいと強く願いながら歩いた。どこをどう歩いたのか分からぬまま、気付いたら俺は家の前に立っていた。



「それから必死に探してあの泉を見つけたのが四年前。会って、首飾りを返そうと思ってるんだけど……」

 何度泉に行っても彼女は現れなかった。

 実のところ、今もあの泉に行く途中だったのだ。目印になるものが何もないうえに、目印を置いておいても何故か次に来たときには全然違う場所に移動しているので、歩数計でおおよその目安を測って探すしかないのが面倒なのだが。

「その首飾り、今も持っているの?」

 じっと俺の話に耳を傾けていた少女が口を開いた。

「ああ、あるぞ」

 身に付けていた首飾りを外して手渡してやる。両手で受け取った少女は無言でそれを見つめ、やがてぽつりと零した。

「これ、私の師匠のものだわ」

「マジか?」

「ええ。私もびっくりよ」

 感嘆の混じった声で少女は言う。

「じゃあ、そのお師匠さんが今どこにいるか分かるのか!?」

「えっと、それは、私にもちょっと……」

 若干興奮気味に詰め寄る俺の勢いに負けてたじたじになる少女。

 いかん。端から見たら俺は変態さんじゃないか。落ち着け俺。………………うん、落ち着いた。

「そうか。まあでも良かった。それ、お前のお師匠さんに返しといてくれないか?」

「……分かったわ」

「サンキューな。あ、そうだ。これやるよ。ささやかなお礼」

 燃料補給のために持ってきていたチョコレート(もちろん新品)をひょいと軽く放る。

「あ、ありがとう」

「おう、それじゃあな」

 少女がそれを受け取ったのを確認して、俺は帰ることにした。

 ずっと心残りだったことが解決して気分がいい。俺は足取りも軽やかに家路に就こうとした。

「ねえ」

 背後から呼び止める声。足を止めて振り返る。

「あなた…………いえ、何でもないわ。さようなら」

「? ああ」

 小さな声がどことなく悲しげに聞こえて、俺は少しだけ後ろ髪を引かれた。



「……はぁ」

 心残りが片付いて気分は晴れやか、な筈なのに、どうしてか溜め息が出た。

 もう少し歩けば街に出る。このまま普通に歩けば日が沈む前に家に帰れるだろう。

 けれど、どうにも足取りが重かった。胸の内のもやもやが消えてくれない。

 さようなら。

 小さな魔法使いの別れの言葉。

「…………」

 さようなら。

 いつまでも耳に残る、最後の言葉。

「あ゛~もう!」

 わしゃわしゃ~! っと髪を乱し、俺は夕暮れの森を引き返した。



 何やってんのかな~と自分でも思う。

 いまさら戻ったところでどうなるというのか。

 暗く、視界の悪い森を駆けながら考える。

 もうあいつはいなくなっているに違いない。よしんば見つけたとして、それからどうする? 何を言う?

 息を荒げ、草に足を取られながら、それでも止まれない。理性が呆れて何も言わなくなるまで、俺は走った。

 いない。どこにもいない。

 酸素が足りない。

 いない。いるはずがない。

 足が、止まる。

 夜の森に響くのは、風の音と木が揺れる音、そして俺が吐く荒い呼吸音だけ。

 自分のやってることがあまりに馬鹿馬鹿しくて、乾いた笑いが零れた。

 俺はしばらくの間、その場に立ち尽くしていた。

「……?」

 そうして、気付いた。風の音に紛れて何かが聞こえてくる。

 引き寄せられるように、足が動いた。生い茂る草花を掻き分けて、音の大きくなる方へ進む。

 音源に近付くにつれて、それが女の人の鼻歌だということが分かった。しっとりとした、どこか物悲しげなメロディーが俺を急かす。

 やがて俺は、見覚えのある場所へ辿り着いた。

「ここは……」

 何度も通い詰めた、あの泉。月明かりに照らされ、昼とはまた違った趣きを見せるそこに、音の源があった。いや、いた。

「あ」

 驚きに限界まで目を瞠る。泉のほとりに座っていたのは――

「あのときの、女の人……?」

 白ではなく灰色のローブを纏っていたが、間違いなくあの人だった。

 無意識に一歩前に出る。物音に気付いて彼女がこちらを向く。

 彼女はひどく驚いた顔をして立ち上がり、呆然と呟いた。

「どうして……」

 さらに一歩進むと、彼女は後退り、身を翻そうとした。

「え、ちょっ……」

 背中を向ける際に振るった彼女の腕から、何かが零れ落ちる。あっ、とか細い悲鳴を上げて彼女は硬直した。

 近付いて草の上に落ちたそれを拾い上げる。俺が別れ際に、小さな魔法使いにあげたあのチョコレートであった。

 長い溜め息が響く。困惑した俺が顔を上げると、彼女はくるりとこっちに向き直り、

「どうして戻ってきたの?」

 と言った。




 つまり、彼女は俺の探していた白いローブの少女であり、灰色ローブの小さな魔法使いでもあった。

「年齢なんて自由に変えられるのよ、私は」

 俺の横に座った彼女は言った。

「そうなのか。でもどうしてあの時、師匠のものだ、なんて嘘ついたんだ?」

「言えるわけないでしょう。それは私よ、なんて。ほとんど忘れかけてた過去のことを、あんなに美化されて語られたら」

 拗ねたようにそっけなく言い、彼女は泉に石を放った。ちゃぽんという音を立てて、水面に波紋が広がる。

「じゃあ、何だ? 恥ずかしくて言えなかったってことか?」

「……まあ、そういうことよ」

「……」

「……」

「ぷっ……くくくっ」

 耐え切れずについ吹き出してしまった。

「ふん、存分に笑えばいいわ」

 隣りの彼女は憤然として後ろに倒れこんだ。

 一頻り俺が笑い終えると、二人の間に沈黙が下りる。しばらくその静けさを味わってから、俺は口を開いた。

「なあ」

「なに?」

「俺、またここに来ていいか?」

「……ええ、いいわよ」

 少女の柔らかな声が、夜の空気に溶けていく。控えめな、気持ちのいい風が俺の前髪を揺らしていった。











 その日の晩御飯がきっちりイカスミパスタだったのは余談である。








読了ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 美化された自分の話を聞かされたら恥ずかしいですよね。 [一言] 面白かったです
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