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17.回想ディベート

  清々しい気分だ。これほどまでに心の重荷がなくなったのはいつぶりだろうか。要因は色々とある。

  鷹瀬にしっかりと謝罪できたこと、テスト終わりの解放感、そして一番に鎌谷ストーカー事件(仮)の解決に目処がついたことだ。

  そうなってくると自然と足取りも軽くなる。先ほど鷹瀬と屋上で別れてから、悠々と学校からの帰宅路を踏みしめている。順風満帆。今の俺にはその一言が似合っている気がする。

  そこでふとある情景が思い浮かぶ。今週の日曜日のことだ。……そうだ、ストーカー解決の目処が立ったのには、父親も大きく関わっていたな。

 

  *


  一通りテスト勉強が終わり、明日からはいよいよテストが始まる。『いよいよ』と仰々しい副詞をつけたが、俺にはとってはそんな大袈裟なことではない。いつも通りやれば、点を取れないテストではないからだ。もっとも昴は今頃、必死こいて勉強しているのだろうが。

  お風呂に入り、滋養を高める。その風呂上がり。何か飲み物を求めてキッチンの冷蔵庫を開ける。そこからサイダーを取り出し、リビングへ向かう。

  既にそこにはソファに腰掛け、テレビを点けて夜のニュースを見ている父がいた。目の前のテーブルにはコーヒーカップが置かれている。俺の姿を見ると、愉快そうに話しかけてくる。


  「テスト勉強は終わったのか」

  「ああ、まあ一応」

  「そうか。頑張れよ」


  テレビを見ながら応援の言葉を口にする父。……そうなんだよな。人と関わる時の変人っぷりは玉に瑕だが、それ以外なら口煩くない、まともな親なんだよな……。

  俺は父とはなるべく遠いソファの端に座り、サイダーをグビグビと飲む。喉に独特のシュワシュワが通り過ぎていく。くうぅ、やはり風呂上がりは炭酸に限る。

  そうサイダーを堪能していると、父との会話がないことに気づく。別になくても気になりはしないが、ふと知りたいことがあったので訊いてみることにする。


  「そういやアノ件はどうなったんだ?」

  「アノ件っていうのは三丁目の窃盗事件のことか?」

  「なんで俺がそんなこと知ってるんだよ……。ストーカーのことだよ、鷹瀬と小鳥の」

  「ああ、それか」


  それしかないだろ、とは思ったが、父は警官で年中事件に追われているので事件を混同するのは、あってもおかしくはない。父はおかしいけど。


  「それでアノ件は……」

  「お前は一般人だから詳しくは言えないが、まあ解決の目処はついたって感じか。ホシに当てがついたのも結構でかい。お母さんは絶対に捕まえるんだーってやる気になってたぞ」

  「そっか、それなら良かった」


  内心は言葉以上にほっとしていた。ここで警察が動かなかったら……、そんなことを思うと気が気でなかったから。


  「それで鎌谷先生が捕まったら、どうなるんだ?」

  「それは……被害者次第だな。一応罰則では一年以下の懲役、または百万円以下の罰金、それと禁止命令が出されることにはなってるが。示談を選択するケースは多い」

  「えっ……罰則、軽くね?」

  「どう思うかは一人一人違うから、それについては何とも言えないな」


  父はあくまで飄々としてそう言い放つ。だがこうなってくると新たな不安が出てくる。


  「……それで鎌谷先生は本当にストーカー辞めるのかな」

  「それは……分からない。ただ、何でもかんでも感情で刑罰は重くするべきじゃない。現在の司法は犯罪者の反省と更正が原則だからな」

  「そんなもんかねぇ……」


  一応納得したような声は出すが、全然腑に落ちていない。おそらく接近禁止措置は取られるだろうが、それは距離を置くことの物理的解決であり、ストーカーを辞めるような精神的解決ではない。

  そして精神的解決がない限り、こういう被害者が増えていく可能性が高いのではないか。


  「納得いってない様子だな。お前が不安になるのも分かるよ。けど今までこれで解決してきたケースも多い。特に今回は軽度なストーカーだから、比較的やめてくれる可能性は高い」

  「心配性かなあ、俺」

  「かもしれんな。もっと警察を信用してくれていい」


  そう言って父はコーヒーカップを手に取り、グビッと一息つけている。そして付け足すようにして一言。


  「まあ、この話もまだ机上の空論だな。鷹瀬さんが被害届出さない限り」

  「は?」


  父の目が大きく見開いた。俺の知らないことをわざわざ口に出てしまい、しまったとでも言う風に。

  鷹瀬がまだ被害届を出していない? その言葉の意味は分かっても、どこか受け入れがたい一言だった。思わず訊かずにはいられなかった。


  「なんでだ?」

  「それは知らない」

  「親父が把握してないだけとか?」

  「それも……知らない」


  明らかに歯切れが悪くなった。おそらく被害届が出されていないことをしっかり確認しているが、俺が一般人であるため秘密保持の観点から、これ以上何も言うことが出来ない。父の態度にはそんな思考が見てとれた。

  けどいつもは果断な鷹瀬が被害届を出していないことを聞くに、あいつの中で何かがわだかまっていることは容易に想像できる。

  償い。その言葉が頭に過ったのはその時だ。この休みの間、俺は鷹瀬の今まで見てなかった部分を見ようとした。けど何も見えなくて、どうすればいいのかと路頭に迷っていた所だ。

  もしかしたら……ここで鷹瀬を助ければ、()()()になるかもしれない。そう思い、居住まいを正して訊く。


  「……それって自分たちで解決できねぇかな」

  「やめとけ」


  短い言葉。それは厳しく諌めるような強い口調であった。けど俺もここで引けない。


  「けど辞める可能性がなくならない限りは鷹瀬たちは不安だろ」

  「本当にやめておけ。素人が安易に手を出していい内容じゃない」


  二度目の言葉。先ほどと同じ諌言かと思ったが、そこには懇願が含まれているようにも感じられた。厳しく言われれば反発するのが思春期男子の常だが、懇願にはどうも弱い。後ろ髪引かれるような思いで言葉を紡ぐ。


  「分かってる。だから上手く工夫して……」

  「いや、お前は分かってない。今は軽度なストーカーで済んでいるが、余計なことをすれば、撥ね返りで行為がエスカレートしないとも言えない。命に関わる問題なんだ、これは」

  「……じゃあ『助けたい』って気持ちは全部無駄で、警察に任せて指を咥えて待ってろって言うのかよ」

  「…………」


  父親はそれきり黙ってしまう。俺の強い口調に怯んだ、ということはなさそうだ。俺より厄介な相手と父親は取調室で相対しているだろうから。

  けどその後の一言が出ないのには、クリティカルなどこかを突かれた自覚があるからだろう。しかも息子である俺に。ここで頭ごなしに否定すれば、俺の善行の気持ちを踏みにじることになる。そんなことを思っているのだろう。

  父は慎重そうに口を開く。


  「……今はそんな話はしていない。俺達に任せるのが一番安全で手っ取り早い。だから任せてくれって訳だ」

  「俺もそんな話はしてない。鎌谷が捕まって、罪を償い終わった後、本当に更正してるならいいさ。でもそうじゃなかったら、誰があいつらを守るんだよ。警察? それが信用できないから、自分たちでやるしかないんだ」

  「ストーカーを100%辞める確証がある解決法なんてないぞ」

  「でも接近禁止命令よりもいい解決法はあると思うんだ。それに鎌谷先生だって罪になるより、途中で間違いに気づいてこんな行為、やめてくれた方がいいだろ」


  俺はふっ、と軽く笑う。それは本当に心の底から湧き出た感情だった。

  鎌谷の行為は許されるべきものではない。けど小鳥の小さな覚悟を思い出した。『私は、鎌谷先生がこんなことしなくなれば、それだけで十分です……』。鷹瀬の意見ばかり尊重して、刑法に頼ることを優先したが、それ以外の解決法なんていくらでもある。その中から()()()()()()()()()()()最善策を選びとるべきだ、俺は単純にそう思ったのだ。

  対して父は天井を見上げる。そして能天気な父親からは想像できない重々しいため息が一つ漏れて、部屋に伝播していく。そしてポツリと独り言のような一言。


  「……ホント誰に似たんだろうな、その頑固さは」


  誰だろうな。きっと能天気な父や母ではなさそうだ。おそらく……一番俺にとって真似する必要もない彼女の性格に似たんだろうな。


  「はあ、分かった。解決したいなら勝手にすればいい。けど条件は守ってもらう。これは安全のためだ。いいな?」

  「分かった」


  父に口答えはしたが、ストーカー問題を解決する危険性は十分理解しているし、今のやり取りでそれがより強くなったのも事実だ。ここは忠告は聞いておくが吉。

  そして父はある一つの条件を口にした。

今回のサブタイトルの「ディベート」の意味はご存知の通り、立場を決めて意見を交わし合うことです。しかし立場は自分の意思で賛成反対を決められず、基本的には他人が決めることになっています。つまり父親に関していうなら……。そういう所をサブタイトルから感じ取ってもらえると嬉しいです。

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