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14.恋心オーバールック

  鷹瀬を家に送った帰り、相も変わらず後部座席に座り、流れ行く景色を眺めている。だが街並みは情報としてまるで頭に入らず、考えているのは別のこと。


  ――勝手な幻想をあたしに押し付けんな!


  公園での鷹瀬の慟哭がリフレインする。

  本当にその通りだと思う。俺たちは付き合っていた時にあったいざこざから自分の身を解放して完全な他人になった。

  はずなのに、結局俺は鷹瀬の付き合っていた頃のイメージをまだ引きずっていて、過去に囚われている。あいつだって間違うし、後悔するのだって当たり前なのに。確かに『幻想』なのかもしれない。

  あいつは別れても、俺のことを真正面から見据えていたのだ。だからデートドタキャンの件も許し、自分が被らせた被害も補償しようとした。

  どっちが正しいか。それは言うまでもなかった。

 

  車窓を眺めていると、見慣れた景色になってくる。どうやら家の近くまで来たらしい。

  車を降り、家に入る。寝室は二階にあるので、階段を上がろうするが、深夜だというのに不思議と眠くない。てかなんとなく寝たくなかった。そこから引き返す。


  「なんだ響太郎、リビング行くのか?」

  「ああ」

  「なるべく早く寝ろよー」


  欠伸混じりに二階に上がる親父。

  ありがたい注意を頂いたが、親父には別に何も思わない。教師の評価と同じだ。別に好きでもないし、嫌いでもない。てか大半の人間もこれに当てはまるな。

  その中で好きな人間、嫌いな人間というとほんの限られている。きっとその嫌いなカテゴリーに入るのが鷹瀬カンナなのだ。

  そんなことを考えながら、リビングに入っていく。


  「あ、響ちゃん。おかえり」

  「ただいま。だから響ちゃんはやめてくれ」


  小鳥がソファに腰かけて、読書をしていた。なんとなくその隣に座る。


  「どうしてここに?」

  「眠れなくて」

  「俺もだ。どうしてだろうな」

  「コーヒー飲んだからでしょ」


  なるほど。そういえばさっきコーヒー一杯を飲み干した。単純なことだったが、気がつかなかった。


  「そういえばさっき何してたの?」

  「鷹瀬を家まで送ってたんだ、ていうか知ってるだろ」

  「嘘だあ。時間かかりすぎでしょ。迷ったの?」


  壁掛け時計を見る。日付は変わって午前一時を過ぎている。家を出たのは十二時より前だから、確かに遅すぎる。

  まあ、何したかくらい話してもいいだろう。


  「少し鷹瀬と喋ってたんだよ、近くの公園寄って」

  「どんな話?」


  流石に鷹瀬の偏見をぶちまけてキレさせました、とは言えないよなあ。慎重に言葉を選んで言う。


  「お前のこと訊かれたから、軽く説明しただけだ。別に不利になるようなことも言ってない」

  「それも嘘だね」

  「いや、これは嘘じゃない」

  「じゃあ何か隠してる?」


  小鳥のつぶらな瞳が俺の瞳をじっと見据える。一瞬ドキッとするが、ここで目線を反らしてはいけない。疚しいことがある証明になってしまう。


  「本当に何もなかったって。てかなんで疑うんだよ」

  「……響ちゃん、今酷い顔してるよ」


  咄嗟に顔を触る。触ったからといって、表情が分かるわけでも変わるわけでもないのに。


  「あはは。やっぱり何かあったんだ」

  「しまった、誘導か……」

  「いや、これが普通に怖い顔してるんですな」


  小鳥が座り直して、俺との距離を詰めてくる。そして首を傾げてただ一言。


  「喧嘩?」


  本当に確定的な情報は何もないのに、どうしてこんなに簡単に真実というものに辿り着いてしまうのだろう、女性という生き物は。


  「……そんなに大層なもんじゃねぇよ。ただ俺が悪いだけだから」


  一週間に渡り続いていた昴との喧嘩とは訳が違う。今回は正義の対立ではなく、一方的な悪。しかも加害者なので尚更、都合が悪い。


  「ちゃんと謝らないといけないよ?」

  「まあ、そうだな……」


  一応小鳥の諌言に言葉では納得しておくが、内心はそんなに納得していない。

  まず何まで謝ればいいのか。俺が口を滑らせ、全てぶちまけたこと? デートドタキャンしたこと? それともその日の行動で嘘を吐いたこと? 考えればキリがない。

  それにもう全部、遅い気もするのだ。俺と鷹瀬の溝がはっきりした今、何も話すことはないのではないか。


  「ていうか嘘を言うなら、お前もだぞ。なんで犯人のこと隠してたんだ」


  小鳥はポリポリと人差し指で頬を掻く。


  「それは言わない約束じゃ?」

  「前は気ィ使って訊かないでいたけど、もう今更だろ?」

  「まさかあんな形でバレるとはねー」


  言葉の割に悲壮感は感じられない。やはり知ってることを隠しているのはそれなりに堪えるものもあったらしい。


  「まあ隠してたのはね、鎌谷先生が可哀想だからだよ」

  「可哀想って……自分の安全が懸かってるんだぞ」

  「うん、分かってる」


  軽い笑みを浮かべながら、こくりと頷く。

  分かってるって……。小鳥の暢気さに思わず絶句してしまう。優しいのは美徳だが、優しすぎのは自分のためにも相手のためにもならない。


  「でも教職って一回捕まると懲戒処分なんでしょ?」

  「確かそうだったな」

  「私が少し我慢すれば誰も不幸にならないんじゃないかって思ったのよ。それに……」


  俺の方を見て、少し笑いかける。とても愛らしい笑みだった。


  「鎌谷先生も自分の間違いに気づいて、途中でストーカー辞めたかもしれない」


  それを聞いたとき、俺がいくら言っても何も変わらないのだと悟った。

  根本から違うのだ。簡単に言えば性善説を信じてるかどうかの違い。しかしそれは大きな溝だ。異世界の人間の言葉が通じる訳がない。

  昔からそういうやつだと思って受け入れていたのに、その行き過ぎた優しさを見抜けなかったのはどうも悔しかった。


  「…………そうか。でも自分のことは大切にした方がいいぞ」

  「それも分かってる」

 

  にしし、と再び笑いを浮かべる。分かってる気しないんだよなあ……。どうも自分と相手を天秤にかけたときの目算を間違えてる気がする。


  「それにしても鷹瀬さんは凄いなあ。あんな即決、私には無理」

  「ならなくていいだろ。あんな風には。むしろなったら怖すぎる」

  「こら。あんまり彼女のこと悪く言っちゃいけないよ?」

  「元だ、元」

  「あ、やっぱり? 別れたんだ」

  「……そっか、お前知らなかったのか」

 

  先ほど自然に俺と鷹瀬の別れ話についてきたように見えたが、よくよく考えればこいつは別れたことを知らない。不登校でずっと学校を休んでいるからだ。それと小鳥が破局の一端を担っていることもおそらく知らない。

  こうして小鳥と会話しているうちに眠くなってきた。そろそろおいとましようとソファから立つ。


  「じゃ、俺、寝るから。おやすみ」

  「うん……」


  大きな欠伸をしながら、小鳥に背を向けてリビングを出ていこうとする。

  その背中にドンッと衝撃が来る。一瞬何が起きたか、まるで分からなかった。だが背中から回された華奢な腕と背中の柔らかい感触、それと女子特有の不思議な甘い匂いで分かる。抱きつかれているのだ。


  「……な、小鳥」

  「私も負けたくなくて」


  そう言ってもう一度、ギュッと力強く抱きついたと思えば、パッと手を放す。そして今までよりも満面の笑みを見せる。


  「おやすみ、響太郎!」

  「ああ、おやすみ……」


  挨拶を返して寝室に戻る途中、やっと昴と鷹瀬の意味深な言葉の意味を理解する。自分で分かれというのは……つまりそういうことなのだ。

  確かにこれは小鳥に言わせてはダメだし、年頃の男女が同居する意味を分からねばならなかった。それを気づかなかった俺は能天気なバカとしか言い様がなかった。

  なんで今まで気づかなかったのだろう。前兆はかなり前からあったに違いないのに。俺が何も見えていなかったということなのか?


  おそらくそうに違いない。鷹瀬さえも真正面から見ていなくて、偏見が生まれていた。小鳥はただ傷つけなかっただけで、真正面から見ていないのには変わりない。

  いつか昴が言った言葉を思い出す。


  『その受け身な態度が解決を遠ざけてるとは思わないの?』


  全くその通りだ。だからやることは決まっている。彼女たちと真正面から向き合い、ストーカー問題を共に解決する。それが当面の目標だ。


  あ、それ以上に当面の問題が一つあった。先ほど小鳥に抱きつかれた時の温かみが背中に残ってしまっている。どうもその感覚が中々消えない。

  厄介なことにそれが残っていると、心臓が高鳴って落ち着かない。それはきっと小鳥も同じなんだろうが。

  ふと思う。こんな感覚は初めてかもしれない、と。ていうか鷹瀬とはこんな風に抱き合ったことすらもなかったな。そういう意味では、好きなんて感情はそもそもなかったのかもしれない、なんてことも思う。

  とにかく今夜は眠れなさそうだ、そんなことを思いながら、部屋に入り、ベッドにダイブする。

作中のたった一日に七話かけていることが判明しました。自分の中では流れを考えて、執筆してるので、あんまり日にち自体を気にしたことはありませんが……これらが一日で起きてるのはびっくりです

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