2006年 北アフリカの要塞
10月24日、反乱軍に対し自由アルジェリア軍が蜂起を起こした。蜂起の中心となった第4機甲旅団であり、自由アルジェリア軍代表モハメッド・アルミラージ大佐は文民統制、政教分離、民主主義の尊重を宣言しフランスに反乱軍の鎮圧の協力を申し出た。フランス政府はこの申し出を受け、軍に反乱軍の鎮圧と自由アルジェリア軍への支援を命じた。統合作戦司令部は現地司令部の外人部隊に対し、アルジェのウアリ・ブーメディアン国際空港への侵攻を命令した。同空港内の反乱軍を制圧、第2外人落下傘連隊が降下した。アルジェ郊外でフランス軍と自由アルジェリア軍が合流。自由アルジェリア軍とフランス軍の合同任務部隊はアルジェリア全土で機動戦を展開し、反乱軍と戦闘を繰り広げた。第3海兵歩兵連隊がビーチ・フラッグに上陸を成功させ、アルジェ港に侵攻。守備隊を粉砕。アルジェ港の安全が確保されるとフランス軍の増援部隊が揚陸が行われた。反乱軍はすでに、この段階でフランス空軍と海軍による空爆と特殊部隊による奇襲に晒され続けた結果、組織的抵抗力を失っていた。
フランスとアメリカはアルジェリア本土に存在するテロリスト掃討と化学兵器の確保を目的とする「テンペスト作戦」の開始を命令した。作戦は以前からアルジェリア国内に潜伏、準備していたフランスとアメリカの特殊部隊による合同任務部隊と国籍不明の部隊(民間軍事会社所属?)が主導し、ベトナム戦争中にアメリカ軍が行った索敵撃滅(Search&Destroy)作戦を参考に行われた。元はゲリラ勢力の中核部隊を偵察部隊や航空機を用いて探し出し、主力の陸上部隊が追い詰めて捕捉、最終的に航空戦力を用いて撃滅する、というものであり、中核部隊さえつぶせば地元住民による協力や民兵は自然に消滅する、という考え方に基づいてとられた戦術であった。今回のテロ組織もゲリラ勢力と同じく司令部や系統、主力部隊を持っていると分析した特殊作戦司令部はこの戦術に目をつけ実行に移した。フランス政府とアメリカ政府は現在に渡り作戦の存在を否定している。しかしこの作戦により、120名以上の戦闘員と20名の幹部を射殺または捕縛に成功。組織の弱体化、化学兵器の確保に成功したとされている。
反乱軍首脳部は亡命しようと画策したがフランス海兵作戦コマンドとアルジェリア軍特殊部隊によって阻止された。まもなく、フランス代表とアルジェリアの政府と軍部穏健派代表がイタリアのシチリア島で停戦協定を結び、反乱は終焉を迎えた。停戦後、アルジェリア政府はそれまでの非同盟、中立方針を貫くのが不可能と判断し、フランスに支援を要請した。フランスはアメリカが日本に対し行った占領計画を、改良した「ローレンスプラン」にそってアルジェリアへの介入を推し進めた。始めにフランスは、アルジェリア国内に双方の軍部と民間の現場代表者で構成された「フランス・アルジェリア合同委員会(仏ア合同委員会)」を設置した。そしてアルジェリアの1700億ドルにも及ぶ復興プランに、フランス軍組織や企業を積極的に組み込み、治安維持や都市再建を支援しアルジェリア国民の民意獲得を狙った。フランス軍はそれまでのアルジェリア国民との関係を改め、協力関係を築きフランスの民間団体や企業も積極的にアルジェリアの復興に携わった。仏ア合同委員会は第5回報告書でアルジェリアの貧困率の大幅な低下、第7回報告書で修学率やGDPが以前に比べ上昇、改善したと発表した。それまでアルジェリア国民にとってフランスとは植民地、被植民地の関係であり、フランス軍は占領軍、フランス人は傲慢な抑圧者として見られていたが、いまではアルジェリアにとっても欠かせない同志としての地位を得た。アルジェリア国民はフランスに感謝し、イスラムの教典より「貧困、無知からの脱却」を選択したのだ。数年に渡り国内のイスラム勢力は大きく減衰し、様々な国の文化や企業が首都アルジェに流れ込み、経済が成長した。そして2009年には、アルジェリアは北アフリカにおいてエジプトを凌ぐ大国へ成長し、双方の関係は切っても切れない関係にまで成長した。イスラム過激派によるテロは著しく減少し、時たまフランス軍を狙ったテロが発生すると国民は、以前にも増して強い拒否反応を過激派に示した。これを受け過激派は「アルジェリアには既に居場所はなくなった」と判断し、2009年の中旬に最後の過激派組織が撤退した。フランスはローレンスプランの成功を確信した。今やアルジェリアはアフリカ一番の先進国と呼ばれるようになった。フランスの重要な同盟国、そして「北アフリカの要塞」としての偉大で(そしてきっといつか、ツケを払う羽目になる業の深い)新しい歴史は,今まさに始まったばかりなのである。
フランス国内のアルジェリア系過激派は、自然消滅し暴動やテロが減少した。しかし依然としてイスラム過激派によるテロは、なくならなかった。だが勢いが減ったことは大きな進歩だったし、それ以上にアルジェリアという市場と、強固な同盟関係を手にいれたことのほうが重要だったのだ。欧州各国の政府関係者はフランスが困難と思われた安定化作戦を完璧とも言える形で成功させたことに衝撃を覚える結果となった。アメリカは目的を達成したことに一人、満足した。フランスが以後、ヨーロッパの運命を牽引する存在となるのは、少し先の話である