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2006年 First Blood

 2006年10月15日、アルジェリア解放同盟団による襲撃が首都アルジェの裕福なフランス人街にまで及んだ。この事件によりフランス人20名が殺されると、フランス政府は驚き慌て、世論は報復を叫んだ。大統領は緊急の会見を開き、アルジェリア政府に対する軍事支援の強化を宣言したが、直接的な軍事介入については言及しなかった。同胞の惨たらしく、無意味にも感じられる死は政府が思っているよりも、フランス国民の自尊心を深く傷つけていた。筆頭野党のフランス社会党は政府の消極的ともとれる判断を強く批判し、より懲罰的な行動、具体的にはフランス軍による介入を強く要求した。政府はこの要求に狼狽したが以前に取り決めた緊急事態対応計画を思い出し、アルジェリアをフランスの勢力下にもう一度、置くことができるチャンスと考えた。アルジェリア軍部の中流階層のあいだに、原理主義と不満がつのっていることをフランス政府は理解しており、これを政府は「汚染」と表現した。フランス人の安全すら守れないアルジェリア軍に代わり、フランス政府は国防省に対しアルジェリア本土に軍事介入を行い、恐怖におののく在アルジェリアフランス人の保護と首都アルジェの安定化を目的とする「北アフリカにおける秩序回復作戦」を発表した。作戦要項においては今回の介入は人道的な危機を理由とする介入であると説明されているが、本書ではその後の国際世論の反応、研究、前述のフランスの動きに基づき「軍事介入」と表現する。なお、フランスは現在まで軍事介入、緊急事態対応計画の存在を公式には認めていない。緊急事態対応計画のもと陸軍の2個落下傘連隊、フランス外人部隊3個中隊、3個海兵歩兵中隊、2個海兵歩兵落下傘中隊、2個落下傘中隊、1個工兵中隊、海軍はフランス海兵作戦コマンドと空母シャルル・ド・ゴールを旗艦とする1個任務部隊、内務省の国家憲兵隊、そして彼らを運ぶ空軍の輸送コマンドで編成された統合任務部隊のアルジェリアへの派遣が決定された。いまこそ旧宗主国としての役割を行うときだ。フランスは同盟諸国に軍事介入の承認をとりつけた。同盟国のなかで特にアメリカは、アルジェリアに対するフランスの軍事介入を高く評価した。軍縮が続くヨーロッパ諸国のなかでフランスが、リーダーシップをとり軍事行動に動くことで、ヨーロッパ全体を覆っている軍縮の機運を取り払われることをアメリカは望んでいたのだ。16日未明にアメリカ政府がフランスに対する支援を宣言し地中海に、ジョン・F・ケネディ空母打撃群を展開させた。この対応をアルジェリア政府は内政干渉と批判したが、アルジェリアのありとあらゆる部門を以前から牛耳っていた支配エリート層は陰ながら歓迎した。自国の汚染された軍部に比べればまともであり、信用できるからである。しかし実質的に軍を率いていたのはエリート層ではなく中間層であり、将軍ではなく将校たちであった。そしてその将校にしてみればフランス軍の受け入れは、エリート層が植民地時代への復帰を目論んでいる証拠に映った。さらにそれが差し迫った脅威になっていると考えたのも無理からぬ話であった。そして最終的にフランスはアルジェリア政府の同意を得ることができた。しかし軍部は同意もせず沈黙を貫き、玉虫色の同意となった。パリではフランス軍による軍事加入に対して、これまでで最大級の反対デモが行われた。デモはヨーロッパ全土に広がりを見せていた。


 10月20日、先遣隊としてフランス第2外人歩兵連隊の3個中隊と海兵歩兵3個中隊、工兵中隊、駐留軍現地司令部及び同付中隊がアルジェに到着した。本来であれば近接航空支援任務を担うヘリコプター中隊も派遣する予定だったが、軍縮の影響により古ぼけたSA342M対戦車ヘリコプターの調整が間に合わなかったことから派遣は見送られるかたちとなった。国防省は統合作戦司令部をトゥーロンに置き、駐留軍現地司令部をフランス人居住区に近いアルジェリア国営のホテル「エスポワール」を接収しそこに設置した。そしてフランス人街とアルジェ国際空港防衛に外人部隊、ホテルに海兵歩兵部隊が割り振られ工兵を中心にフランス人街の周囲に防御陣地の敷設を始めた。翌日には第11落下傘旅団隷下の2個連隊(第2猟兵落下傘連隊、第3歩兵落下傘連隊)と第23海兵落下傘連隊隷下の2個中隊、第13竜騎兵落下傘連隊隷下の2個中隊、海兵作戦コマンド、その他後方支援部隊がアルジェ国際空港に到着し戦力は大幅に増強された。同隊等は駐留軍現地司令部の指揮下に入り、当日からフランス人街の治安維持任務に着いた。駐留開始から一週間が経つとフランス政府は施設周辺、具体的にはフランス人居住区を中心とした半径3キロとアルジェ国際空港におけるフランス軍への全権委任をアルジェリア政府に求めた。アルジェリア政府は既に力を失い、フランスの力がなければ明日にでも潰れてしまうことを自覚しながらも軍の駐留と全権委任の要求を認めることに躊躇した。しかしフランス政府は躊躇に対し、アルジェリアが今おかれている状況を『優しく』説明した。


 アルジェリアは、いまやフランスにとっての爆心地である。フランスが抱える問題の大部分はアルジェリアから持ち込まれている。そして、その問題を解決するためには直接介入しかないと判断した。アルジェリア問題はヨーロッパ全体にとっても重大な問題であり、アルジェリア政府の評判を不当に傷つけている。これらの問題が無事解決すればフランス軍は予定通り撤収するし、アルジェリア政府は軍をはじめとする、不安要素を勢力下に置け、文民統制を取り戻すことができるだろう。このことは両国にとって良いことであり、重要な意味を持つ。


 フランスの説明を受けたアルジェリア政府は渋々ながらも、軍の駐留と全権委任を認める決定をした。フランス政府も要求が通ったことに自信を持ち、追加で派遣する部隊を増加する検討を始めた。そして既にアルジェリアを事実上の勢力下に置けたとフランス政府上層部は判断した。しかし、アルジェリア政府の決定によって軍部の持つ失望と怒りが頂点に達した。そしてこの日、アルジェリア解放同盟団指導者であり元アルジェリア陸軍将校のアルベール・アミンは、かつての同僚たちに向け演説を行った。彼は今まで行ってきたテロ行為を陳謝し和解を求めた。そして我らにとっての真の敵は政府であり、フランスであると宣言した。「祖国のために立ち上がるべきである。いま我らが愛する祖国は、緩慢たる死に向かって歩みを進めている。大サタン、フランスが堕落した政府に力を貸しているのだ。愛国者の代表でもある軍人諸君。現在、君らは祖国の死に手を貸しているのである。(中略)今までのテロ行為を私が代表として詫びる。しかし、忘れてほしくないのは、祖国を思っての行動だったということだ。(中略)今日、私は確信した。同盟団と将校諸君の基本理念が一致していることを。さらに革命こそが唯一の解決策であることを。いまこそ団結の時だ。武器をとれ。聖戦士としての誇りを胸に」この演説はインターネットを通じて瞬く間に軍全体に浸透した。


 将校達が反乱を起こした。始めに各軍の参謀本部構成員と政府首脳部の拘束を行った。一部の兵士には未だに所属している部隊や政府への忠誠心があり、反乱軍と散発的な衝突があった。しかし通りという通りを、この反乱を待ち望んでいた数万もの群衆が埋め着くすことになるやいなや、ほとんどの部隊が反乱軍に寝返り、フランス軍への攻撃を開始した。これ等の動きのなかでアルジェリア空軍と海軍は比較的エリート層が多く存在し、規模も小さかったために我関せずを決め込んだ。最も、反乱部隊を出した陸軍内部でも最精鋭と謳われる第4機甲旅団や特殊作戦旅団は、一般部隊が動揺するなか、政府への厚い忠誠を改めて誓い反乱部隊と対立していた。


 フランス軍はフランス人街を中心に針鼠の陣形に構え、アルジェリア軍を迎え撃った。防衛が難しく、戦力分断の恐れがあるアルジェ国際空港防衛の放棄を統合作戦司令部は部隊に命令した。空港に展開していた部隊はアルジェ市街に呼び戻され、フランス人街の防衛戦に投入された。部隊の配置が終わる頃、血気盛んなアルジェリア歩兵旅団の旅団長が独断でフランス人街への攻撃を開始した。フランス軍は練度、士気、装備に勝りアルジェリア軍の攻撃を跳ね返すことに成功した。フランス外人部隊と落下傘連隊は防御陣地に展開し、その場を堅守した。すでに駐留軍現地司令部はフランス本土に支援の要請をしており、大統領は米英をはじめとする同盟諸国にアルジェリ反乱軍に対する懲罰的軍事行動に関する承認をとりつけに動いた。フランス国防省にはシャルル・ド・ゴール空母任務部隊をアルジェリアに横付けし、必要があれば空爆するよう許可をあたえ、さらにフランス人救出のため第2外人落下傘連隊の投入を命令した。アメリカ軍はアルジェリア軍の動向をトルコの基地から飛ばした偵察無人機で確認しフランスへの情報支援を行った。無人機からの高密度情報は作戦の選択肢を増やすことに繋がり、大いに助けられた。フランス軍も駐留部隊の一部を偵察任務に着かせた。第13竜騎兵落下傘連隊所属の偵察部隊が「アルジェリア軍がアルジェ郊外で機甲旅団を中心とした攻勢の準備している」と司令部に報告した。国防省はシャルル・ド・ゴール空母航空隊に対しアルジェリア軍部隊と重要目標への第一次爆撃「金床作戦」の発動を命令した。アルジェリア空軍と海軍による迎撃の不安もあったが、空軍幾とミサイル艦は依然として地上に繋がれたままだったので地上目標に集中することができた。そしてアルジェリア沖320キロ沖についた空母シャルル・ド・ゴールから精鋭部隊が飛び立った。攻撃隊を率いたのは第一次大戦のエースパイロットを祖父にもつピエール・デュッセン海軍少佐である。攻撃隊はラファールMが8機、シュペルエタンダールが12機で編成された。ラファールの内6機が対地攻撃任務に就き2機が攻撃隊のCAP任務を担い、シュペルエタンダールは全機が対地攻撃任務に割り振られた。攻撃には従来型の無誘導爆弾と各種誘導兵器が使用された。編隊はしばらく飛行したのちアメリカ海軍が送り込んだ新型のEA-6B ICPA-III電子戦機編隊と合流した。アメリカはフランス軍の持つ電子戦機が時代遅れと知っており、支援部隊として空母ケネディ所属の第1電子攻撃飛行隊を送り込んだのだ。フランス政府は感謝したが、デュッセンは音速を越えられないこのアメリカの機体をあまり好まなかった。確かにこの電子戦機は有用であるが、いかんせん遅すぎる。ターキーというコールサインを持つこの機体を左に置き、デュッセンはしばらくそんなことを考えていた。海軍航空隊が電子戦機と合流した頃、フランス本土では追加の空爆準備命令が下され、フランス空軍の各基地で準備が開始された。爆装した空軍機が滑走路に並ぶまで時間は多くかからなかった。


 空爆には複数の兵器が用いられた。まずアルジェ中心にある陸軍の地下司令部や硬化シェルター等の重固定目標の爆撃にはボーイング社謹製のスーパーLJDAMが使われた。通常のJDAMに比べ二倍の高性能爆薬とタングステン合金による貫通型弾頭を搭載し、GPSによる誘導だけでなく地上、または航空機によるレーザー照射やデータリンクによる誘導を行え、高い汎用性を持つ誘導爆弾である。従来型のJDAMは無誘導爆弾よりは精度が高く、他のシステムに比べ柔軟性を備えていたがレーザー誘導爆弾よりは精度が劣り、そのレーザー誘導爆弾は精度は素晴らしいが取り扱いが厄介だった。アメリカ空軍はイラクでの作戦の際、レーザーを目標に照射し爆弾を誘導する僚機が、そのレーザーのスイッチをつけ忘れるというミスを犯し市場を誤爆してしまった経験がある。こうした誘導爆弾にはストレーキやフィンが搭載しているため、想定よりもよく飛び「バカな爆弾」こと無誘導爆弾よりもバカになる。さらに砂嵐やスモーク、霧によっても使用制限がかかる。そういった問題を解決したのがLJDAMであり今回、作戦に使用したのはフランスが重目標攻撃用としてボーイングに開発を依頼した改良型である。ラファールが投下したスーパーLJDAMは地上の特殊部隊が照射したレーザーとGPS座標データによって誘導され、吸い込まれるように目標のアルジェリア陸軍司令部を捉え粉砕した。他の目標に対しても同様の爆撃が加えられ、作戦で使用されたスーパーLJDAMは合計5発。その全弾命中が確認された。攻勢の準備をしている部隊に対してはアパッチ・スタンドオフミサイル、JDAM、無誘導爆弾(Mkシリーズ)、集束爆弾を使用され、不活発ながらも存在が確認された対空陣地やSAMサイトには電子戦機が攻撃を加えた。これ等の攻撃によりアルジェリア軍の攻勢計画は打ち砕かれ、飛行隊は無事空母に帰還した。作戦後フランスはアルジェリアに対し最後通告を行い、アルジェリア政府は軍に通告をそのまま伝えた。「反乱部隊は48時間以内に元隊に帰還せよ。これ以上に戦闘を継続する意思があるならば、アルジェリア軍と戦争状態にあると判断する」フランスは本気だった。


 追い詰められたアルジェリア軍はいくつかの選択を迫られた。 フランスに講話の席を求めるか。今以上に攻勢を強めるのか。講話を求めるアルジェリア軍内の穏健派は拘束している政府首脳部の解放はもちろんのこと、自由で公正な選挙を行い、権力基盤を政府に譲り渡す意思があることをフランス政府に伝えることを検討した。しかし強硬派は、裏である計画を進めていた。過激派は以前にイランから大量の兵器を受け取っていた。その兵器の中には化学兵器も含まれており、詳しいことは現在にかけて明らかにされていないが過激派は高濃度サリン250リットル、VXガス100リットルを保有していたとされている。強硬派はこの化学兵器を初期攻勢に使い、フランス軍の弱体化を計画した。そこで強硬派は、フランス軍の期限付き撤退を改めて主張することにした。もし期限までに撤退しなければ、アルジェのフランス人街に化学兵器をスカッドミサイルに搭載し撃ち込む。外人部隊等は化学戦の準備をしているだろうが、民間人にまでは準備が追い付かない。フランス側に衝撃と畏怖が広がり統制が揺らぐだろう。そして化学戦と市街戦の訓練を十分に受けた、手持ちの狂信的な陸軍3個混成師団を投入する。上手くいけばフランス軍を地中海に叩き落とすことが出来るかもしれない。その段階になって、やっと対等な立場となり講話の席に就くことができるのだ。いまから革命後を考えても意味がない、と考えた。


 行動を先に起こしたのは潜在的な穏健派だった。後に穏健派の代表となる、当時第5歩兵旅団長を務めていたモハメッド・アルミラージ大佐は自分達は次第に酔いから覚め現実を見始めていることに気づいていた。彼自身、軍の腐敗打破と政府による横暴の阻止、弱者救済を望む公明正大な軍人として自らの名誉のために反乱に参加したが原理主義に染まっている同僚を見て今回の反乱に大義はないと幻滅していた。これ以上事態が悪化すれば、フランスとの全面衝突に発展するだろう。アルジェリア軍はフランス軍に勝てない。おそらく完敗する。アルジェリア軍はゲームの盤上から姿を消し、そこに空白が生まれる。フランスがその空白を埋めようと努力するが埋めきれないだろう。彼らはフランス人だ。アルジェリア人ではない。根本から考え方が違うし、国際世論が帝国主義を長く許すはずがない。続けて、この事態を最も喜ぶのは果たして誰だ?と考え、しばらくして短い結論に至った。テロリストどもだ。衝突によって出来るであろう空白に自らをねじ込むために、今回の反乱を起こしたのか。野郎、嘗めやがって。真の敵は奴等じゃないか。フランスも最悪だが、偽善ぶるテロリストはもっと最悪だ。連中の思い通りになるくらいだったら、フランスのほうがましだし、現状維持のほうが良い。早くこの乱痴気騒ぎを終わらせなければならない。彼は反乱部隊との決別を決めた。そして未だアルジェリア政府に忠誠を誓う、第4機甲旅団に接触を図った。彼らを通じフランス政府に、自らの意思を伝えようと考えたのだ。モハメッドは第4機甲旅団長のハンザ・アッバース大佐とは士官学校時代からの親友だった。モハメッドは彼を尊敬していた。優秀でカリスマ性を持つ軍人の鏡のような存在だ。彼なら何とかしてくれるだろう。第4機甲師団は特殊作戦旅団と同様、装備の供与や訓練の面において一般部隊より優遇されている第15独立作戦師団に所属する。アルジェリアの地上戦力における最精鋭部隊の一つに数えられ、一般の部隊は徴集兵が主力であるのに対し、第4機甲旅団は主力部隊の90%以上が職業軍人で構成されている。思想の面では現政権が掲げる政教分離に賛同していた。彼らはプロの軍人である。反乱部隊の連中とは、求めるものや守るべきものが根本的に違う。


 アルミラージは第4機甲旅団司令部が駐留するラグアット陸軍基地にヘリコプターで向かった。反乱軍の指揮官であるアリー中将にはアッバースに反乱への参加を説得するためと説明した。移動の間、アルミラージは穏健派同志とSNSを通じて連絡を取り合っていた。軍用の無線は反乱軍に監視されているためインターネット上の「スカイウォッチ」で情報は交換されていたのだ。スカイウォッチは2005年12月4日にノースロック・ネットワーク社が開始したウェブサービスである。サービス利用者はアカウントごとのルームを持ち「クラウド」と呼ばれるフリースペースや個人の「ルーム」でチャットが楽しめるシステムとなっている。特にルームはアカウント保持者の許可がなければ、参加することが出来ないためアルミラージは自分のアカウント上のルームに穏健派の軍人を集め、秘密会議を行っていた。さすがの反乱部隊もこの事には気づかず、アルミラージの移動も警戒することはなかったとされている。アルミラージはこのSNSサービスを活用しアルジェリア政府及び政府軍への接触、穏健派の組織化が行われた。彼は反乱軍に存在する潜在的な反対派をまとめ上げ、「自由アルジェリア軍」と銘打ち反乱軍への蜂起を計画していたのだ。役者は揃った。

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