2006年 騒乱
アルジェリアで政権を長続きするためには軍の協力が不可欠となっていた。1991年の選挙で勝利をおさめたイスラム解放同盟団に対し軍はクーデターを起こして無効を宣言した。イスラム解放同盟団の最終目的はアルジェリアをイスラム国家に変えることであり、同国軍部や西側諸国はトルコに存在しているイスラム過激派にたいするのと同じ嫌悪感を覚えていた。しかし国民はイスラム解放同盟団の主張、つまりは無能な社会主義者による政治と文化、宗教に対する弾圧を即刻やめさせる、という主張に賛同した。1991年の選挙以降、アルジェリア各地でイスラム原理過激派によるテロが多発し、その後10年以上続くこととなる。
当初起きたこれらのテロ行為はイスラム原理主義への幻滅につながり、政府や軍部が望んだようにそれまで中道的立場にあったジャーナリストや、学者たちはイスラム原理主義から心が離れさせ、イスラム解放同盟団やその他のイスラムを掲げる政党や細胞への懐疑論者に変化した。そしてこれらの動きはイスラム組織への亀裂を入れることにもなった。
しかし、10年以上にわたり発生し続けたテロ行為は無数の墓地を作り出し軍部もここまで状況が悪くなるとは思わなかった。例えば2005年末に起きた大規模テロではそれまで政府高官を狙っていたものが、軍を狙ったものに変化し軍は防戦一方となり機能不全となった。2006年に入るとイスラム過激派によるとみられるテロ行為や暴動にますます弾みがつき死者が膨れ上がった。これらの動きの中でそれまで世俗的であった軍内部にもイスラム解放同盟団に対する支持者がではじめていた。内戦がアルジェリアを死の淵に追いやり始めた。さらに外国からはイスラム過激派の放つ主張に共鳴する連中が集まりはじめ、ゲリラの数は5万を超えていた。ここまで増えるといつでも好きな時、好きな場所に襲撃を仕掛ける力を手にいれたのも同然となっていた。これらの襲撃にたいする軍の対応は何ら成果を上げることはできなかった。さらに軍が徴集した若い兵士たちは、支給されたライフルを自ら兵舎から持ち出し集団で脱走する事案が急激に増えていた。彼らはイスラムの理念に共鳴していた聖戦士となっていたからである。
時が進むにつれ政府に対する軍の忠誠心が揺らぎはじめた。これら反乱部隊を率いたのは軍の中枢に位置し、それまでの軍の動きに幻滅した中流将校たちであった。また一般の国民も貧しく、元領主であったフランスが置いていった世俗主義を負の遺産とみなしていたため反乱部隊を支持した。彼らの目に映っていた政府は、腐敗し官僚同士が共謀し私腹を肥やすことにしか能がない連中としか映っていなかった。これらの悪い面をイスラム原理主義者はすべて世俗主義の責任とし世論を沸き立てた。こうしたことが軍部や政府、そしてアルジェリア全体をに大きな影響をおよぼしイスラム主義へ傾かせたのである。この事はアルジェリアのみならず全てのイスラム諸国に広範な影響をおよぼすことになる。