第三次世界大戦前夜
2012年3月5日、アメリカ海軍と国防総省は最後の準備を終えていた。ヨコスカの事件で燃え上がった憎悪は、イスラム同盟に対する無慈悲の作戦の前兆となる予定だ。アラビア海と地中海には海軍の誇る空母打撃群が展開しつつ動いていた。計画は単純で、戦争の第二原則、〈力の集中〉に基づいていた。地中海では第六艦隊に所属する三隻のニミッツ級空母が、ヨーロッパ各国の擁する軽量級空母と協力して空爆を行う態勢にあった。太平洋戦域は静まりかえっていた。この海から空母がいなくなったのはいつ以来だろうか。ペンタゴンは太平洋第三艦隊、第七艦隊の空母四隻にマラッカ海峡を通過するよう命令を出した。三隻はニミッツ級原子力空母の〈ジョージ・ワシントン〉(CVN-73)、〈ジョン・C・ステニス〉(CVN-74)、〈ロナルド・レーガン〉(CVN-76)、そしてもう一隻は旧型の〈ジョン・F・ケネディ〉(CV-67)である。空母の周辺、前後にはイージス巡洋艦、駆逐艦、フリゲート艦、そして海兵隊員を十分に搭載した強襲揚陸艦が連なり恐るべき合同打撃群を構成していた。この大艦隊はマラッカ海峡を抜けたのち再度、隊列を整えインド洋でニミッツ打撃群と合流することになっている。これほどの海軍航空戦力が集まるのは湾岸戦争以来ではないだろうか。これらの空母航空団が本気を出せば、中東でふんぞり返る連中を黙らせることも可能だろう。
インド洋で合流した艦隊はアラビア海に展開しイスラム同盟に対する航空攻撃を開始する。その後、ホルムズ海峡を力ずくで突破し、うまくいけばペルシア湾に入ることができるかもしれない。そこまでいけば、海軍航空力の真の恐ろしさをイスラム同盟諸国に教えることができるだろうし、イスラエルの国境に張り付いているイスラム軍を叩きのめし、降伏に追い込むことができる。身動きのできない地上軍に対し、航空部隊は常に優位性を示してきた。今回も成功しないと考える理由は何もない。海軍力、特に海軍の航空戦力による戦場支配を目指してきた者たちにとって、自分たちの先見性を確認する良い機会となった。彼らは空軍力の限界を常に唱え、アメリカ空軍の誇る戦術航空部隊が常にその力を利用できるものではないと主張してきた。今や中東で利用できる基地はクウェート、カタール、ヨルダンに限られ、さらにそれらの基地はスカッドミサイルや火砲による攻撃を受けやすい場所にあった。これらの国は軍事プレゼンスの孤立地帯となっていたのだ。ついに海軍の航空力の優位性を示すときがきた。空母航空団でイスラム軍を潰滅させてやる。
しかし彼ら海軍至上主義者たちの自己満足も長くは続かなかった。この大艦隊の襲来を敵は予想していたのである。ロシア太平洋艦隊に所属する4隻の原子力潜水艦がウクライナ・バルト危機のさなか1月にウラジオストクを出港していた。一隻は、潜航排水量1万7500トンのオスカーⅡ型巡航ミサイル原子力潜水艦、もう三隻が現ロシア海軍の保有する潜水艦の中で最新鋭のスヴェロドヴィンスク級攻撃型原子力潜水艦である。この三隻のスヴェロドヴィンスク級にはアメリカ海軍が最も恐れているとされる、ネーニヤ・グローム超音速対艦巡航ミサイルを一隻につき24発搭載していた。NATOがORIXと呼ぶこのミサイルは弾頭重量750kg、最大射程250海里を誇り40㎞から目標を識別できるヴィンペル合成開口アクティブ・レーダーを搭載している。これらの潜水艦には新生ロシア軍の開発した特殊静音外殻、及びレーダー吸収性抗反射タイルが追加され世界で最高峰のステルス性を手に入れていたのである。これらの潜水艦はまず、ウラジオストクの港から出るのに真価を試されることとなった。港の外郭部分にはアメリカ海軍のロスアンゼルス級攻撃型原子力潜水艦が張り付いていたのだ。さあ、『鬼ごっこ』の始まりだ。艦隊司令のドミトリスキー大佐は部下に最大の隠密行動を命じ警戒線の突破を行うことにした。それから5日にもおよぶ『鬼ごっこ』が繰り広げられた。潜水艦隊は宗谷岬を抜け北上、一度ベーリング海に入った。そのころのベーリング海は荒れていて、さすがにアメリカ軍の潜水艦は入ることを躊躇した。しかしロシアの艦隊は躊躇することなく荒れ狂うベーリング海に突入した。アメリカ軍はこの潜水艦隊はベーリング海をぬけ分厚い氷の下に逃げ込むつもりだ、と予想し潜水艦をベーリング海峡を射程におさめる位置に配置した。しかしアメリカ軍は彼らを探知することは、以降二度となくこの事は国防総省の機密の海の中に溶け込み忘れ去られていた。もっとも彼らが自ら身を表すまでの間だけだが。
2月24日、四隻は一度、この辺りで最も深い海「アンダマン海」に落ち着き、そこからオスカー級のみがよりマラッカ海峡に近いところに配置され後は本土からの連絡を待つのみとなった。ドミトリスキーはいつでも連絡が来ても対応できるように部下を待機させていた。作戦は成功する。そう確信し手元に置いてある、残り少ないキューバ産葉巻をかみながら連絡が来るのを辛抱強く待った。行動を示すその言葉を。
3月5日、まだ夜ともいえぬ早朝についに連絡がきた。それはたった一言、「ソロモン」。
同日、空母打撃群はマラッカ海峡を通り抜けている途中だった。ここに来るまでに、数回国籍不明の潜水艦が接近を仕掛けてきたのが軍上層部の話題に上がっていた。潜水艦の接近の仕方が幾つかのパターンに分かれ探りを入れているかの様であった。しかし海軍の対潜能力は極めて高く、そのすべての探知、追跡に成功していた。この事実に上層部は満足し自信を深めた。イスラム同盟軍の保有するロシア製のキロ級、フランス製のダフネ級潜水艦がいつ何時あらわれようと対応ができその気になれば、海の鉄くずにすることもできる。ある駆逐艦の艦長は部下に「いい予行演習になったよ」とも語ったとされている。早朝一番の哨戒飛行のためアーレイ・バーク級駆逐艦「カーティス・マケイン」からSH-60が離れた時だった。北西32kmというMEZ(ミサイル交戦区域)の内側、極めて近い距離の海面から巡航ミサイルが飛び出してきたのだ。しかし、この攻撃に艦隊は素早く反応した。イージス艦がミサイルを分析、ロシア軍のORIXミサイルだと分かり発射された数、座標も分かった。極めて有能なミサイルに間違いないが万能なわけではない。これらの情報はデータリンクを通じ艦隊を構成している全ての戦闘艦に送られた。アメリカはこの時、この瞬間のために準備してきた。警報が出てからミサイルの到達予想時間までの8分間、アメリカ海軍は期待通りの素晴らしい働きをしたのだ。艦隊のイージス艦は飛来するミサイル群に対しスタンダード・ミサイル3+を連続で発射、空を白煙でいっぱいにした。迎撃により9割のミサイルが無力化された。だが7発のORIXミサイルが迎撃ミサイル網を突破し艦隊に襲い掛かった。各艦は5インチ砲、ファランクスや個艦防空ミサイル、新型の近接防空レーザーで応戦し5発のミサイルが何らかの損傷を負った。しかし、それでも六隻が1発ずつ被弾し、大きな損害を負った。特に駆逐艦「スティムソン」はCIC区域にミサイルが直撃し艦長を含む幕僚が多数死亡、艦は火に包まれ放棄された。この光景に海軍将兵は憎悪を膨らませた。空母群は攻撃に対応するため南東に進路をとった。空母とミサイル発射座標との間にできるだけ、戦闘艦を置き脅威を減らす為である。駆逐艦や巡洋艦は搭載していた対潜哨戒ヘリを攻撃に向かわせ、必ず潜水艦を沈めろと命令した。
目的を達成したドミトリスキーはより深い潜航を命じ、全速力で戦域から離れようとしていた。アメリカ海軍が模範的なマニュアルに沿ってこれから動くのであれば、対潜哨戒機とヘリを飛ばしスヴェロドヴィンスク級を全力で仕留めに来る。この艦と我らの命はどれだけ艦隊と距離を置けるのか、そしてオスカーⅡ型が上手く作戦を行えるかにかかっている。外殻は水圧で軋み、いままでの船旅では聞いたことがない騒音とカウンターメジャーをまき散らしながら逃げ始めた。オスカーⅡ型はドミトリスキーの期待通りの働きをしていた。この艦が担う作戦の第一段階として空母が近づいてくるのを待たなければならず、この部分はかなり運に左右されていた。一応、アメリカ海軍の行動を研究していたロシア軍の分析機関の報告書によれば、空母がミサイル攻撃を受けた場合反転し距離を置くと書かれてあった。現場の将官達はこの意見に懐疑的だったとされており、「神頼み作戦」と揶揄されていたとされる。しかし、ここではうまくいった。見事、空母四隻が反転したのだ。まっすぐ向かってくるソナー上の空母の艦影を驚きと喜びが混じった眼差しで眺めていた艦長は命令を下した。それは空母への死刑宣告だった。このオスカーⅡ型は元来巡航ミサイルが搭載していた24基のミサイル発射管のなかに小型無人の潜水艇が搭載されていた。この小型無人潜水艇は有線誘導で5000ポンドの高性能爆薬を抱えており、艦内にいるプロの操縦士によって操作されていたとされている。空母までは人が誘導し、到着すると自動で船底に張り付くように設計されていた。潜水艇を次々と海中に放出されていくなか、この動きにアメリカ軍も気づき始めていたが致命的なほど遅くようやく哨戒ヘリから、一個目のソナブイが近くに投下されたとき潜水艇は既に空母の直下に潜んでいた。
0935時、〈ジョージ・ワシントン〉の船底で4つの爆発が起きた。この爆発は魚雷の磁気信管による艦底爆破に類似し効果もそっくりであった。つまり船体構造に打撃を与えへし折るというものである。5000ポンドの高性能爆薬は頑丈な空母を破壊するにも十分すぎる量で、船体を大きく引き千切り中をぐちゃぐちゃにしたのである。0941時には他の三隻も同様に大破していた。それぞれの空母は搭載していた膨大な量の航空燃料と、各種弾薬が誘爆を引き起こし自らを殺しながら背筋の凍る光景を現出させた。300機あった航空機のうち60機が空母から飛び立つことができた。5000人以上の海軍将兵が死んだ。テレビでは死に行く空母が映し出され恐怖が世界に広がった。