第一話 恋する少女
桜が散り始める頃合い――。
高校の制服を身に纏い、鞄を持った少年が道を歩いていた。
前髪の跳ねた癖毛が目立つ黒髪の冴えない少年。
彼の名は山茶花鋭太郎。
文月高等学校に通う一年生である。
今は通学途中である。
「よう! 鋭太郎!」
後ろから鋭太郎を呼ぶ声がした。鋭太郎は姿を確認するため後ろを向く。
紺色の髪で古くさい感じのオールバック、鋭太郎より身長が少し低い男。
その男の名は菊恋侍。鋭太郎の幼なじみであり、学年、クラスも同じである。
「なんだ、お前か」
「なんだよその鬱陶しいですみたいな反応!」
「よくわかってるじゃないか。さすが幼なじみ」
「マジかよ鋭太郎最低だな」
仲が悪そうな会話。だが実際そうでもない。身近な人になってくると日頃のストレスをぶつけたくなるものなのだ。
「そんなことより俺の彼女がさー」
「はいはいそうですか」
「ちょ、ちゃんと聞いてくれよ実は――」
恋侍は最近になって彼女が出来たらしい。その彼女が誰かは教えられてなく、恋侍がデートしてるところなど見たこともない。たが恋侍のする話は現実感があり、休日も一緒に行動することが減ってきたことから実在するのだと鋭太郎は思っている。
ただ彼女が出来て以来、ほぼ毎日その彼女の話をするため、鋭太郎は愛想尽きている。
単に嫉妬しているのもあるからだが、得意げに話している恋侍の態度に腹が立って仕方ないのだ。
恋侍の話を適当な相づちをしながら聞き流していると、もう学校近くまで来ていた。
「それでさー」
「あの…………」
そんな中、呼び止める女性の声が背後からした。二人は後ろを向き確認すると、恋侍は驚きを顔に出す。
一点の曇りもない、透き通った美しい水色のポニーテール。見つめたものの心を奪うような紫の瞳。幼さが残る汚れのない肌。女性なら誰もが羨む完璧なスレンダースタイル。
そんな少女が鋭太郎を緊張した顔で見ていた。
「?」
「これ………………」
少女が生徒手帳を渡してくる。鋭太郎はよく見ると自分自身の物であることに気づく。
「俺が昨日なくしたやつだ」
鋭太郎は少女から生徒手帳を受け取る。
「ありが――」
鋭太郎が礼を言うが、その途中で少女は逃げるように小走りで場を去った。
「……………」
「――お前、運がいいな」
「え? ああ、落とした手帳が見つかって――」
「そっちじゃない! あの人と話せたことだぞ!」
「なんかすごい人なのか?」
「は? お前彼女を知らないでここに入ったのか! 彼女は薊夏織先輩だぞ! 高等部二年の学園トップの美女で、他校でも噂が流れるほどの有名人だぞ! それに、俺たちと中学校同じだったぞ!」
「まじか! 先輩だったのか! 立場をわきまえなかったから機嫌損ねて行っちゃったのかー…………」
「いや驚くとこそこじゃねえよ!」
二人はその後も会話を続けながら学校の中に入っていった。
その姿を物陰から、夏織が見つけていた。
「初めて…………目を合わせられた」
※
時刻は昼過ぎ――昼休みとなった。
「恋侍、今日は――いや、今日も彼女となんだろ…………?」
「いやー悪いね」
恋侍は彼女のいない鋭太郎をあざ笑うように教室を抜け、彼女のいるクラスに足を運び始める。
(クソ野郎が! 俺だっていつかギャフンと言わせるような彼女作ってやんよ!)
鋭太郎はかなり腹が立ったが、それを堪え表には出さなかった。
鋭太郎も食べる場所を変えようと教室を出る。
扉を抜けたところで、扉のそばで隠れていた少女と目が合った。
「!」
「!?」
その少女は、薊夏織。
「え……えと………………あの…………」
鋭太郎と目が合った夏織は顔を赤くし、後ずさりをする。
「先輩、あの時はすみません!」
「…………え?」
鋭太郎は頭を下げ、謝った。そのことに夏織は目を丸くした。
「……やっぱり、機嫌損ねたと思われるので一応謝っておこうと」
「いえいえ! その必要はありません!」
「?」
夏織は慌てながら謝る必要はないと伝える。鋭太郎はその際、年下の自分に対して敬語を使っていたこ
とが気にかかったが、流すことにした。
「それより、あの…………一緒に……」
夏織は顔をそらしながら、右手に持っていた弁当を胸まで上げ、一緒に食べようと精一杯伝えた。
「え!? えっと、つまり…………」
鋭太郎は夏織の言いたいことが察せた。
鋭太郎は照れ戸惑う。恋侍の話が本当なら夏織は学園のマドンナ的存在。自分がそんな人と食べていいのかという戸惑いと、そんな人と食べられることにうれし恥ずかしさが鋭太郎の中にあった。
だがそれを邪魔するかの如く、気づけば野次馬が集まっていた。
「おい、あいつ夏織ちゃんから昼の誘い受けてっぞ」「一年のくせに生意気だな」「なんであんなやつを誘ってんだ! バスケ部部長の俺の方が絶対釣り合うのに!」
男性陣からは次々と嫉妬の声が飛んでくる。
「見て、夏織様があの男を誘ったわよ」「信じられない! なんであんな男と!?」「犬の糞を見ながらカレーを食べる方がマシだわ!」
女性陣からは数多くの罵倒を浴びせられる。
「………………ごめん! また今度!!」
気苦しくなった鋭太郎は、野次馬を切り抜けて、この場を逃げ去る。
「待って!」
夏織は止めようと声を出し右手を伸ばしたが、鋭太郎は止まることなく近くの階段を上がった。
夏織はその姿を、悲しげな眼差しで見ていた。
※
四時過ぎ――下校時刻となった。
「…………」
「鋭太郎、何俺のこと新鮮な汚物を見るような目で見つめているんだ?」
「汚物に新鮮とか関係ないだろ!! ……どうせ彼女と帰るんだろ」
「ザッツライト!」
「はいはい俺はぼっちで帰りますよっと」
鋭太郎は一人先に教室を出て、昇降口を抜ける。
「?」
昇降口を抜けた際、鋭太郎は右側に見える体育館に向かっている夏織を見つけた。
(部活か何かか? それとも……)
鋭太郎は夏織に気づかれないようにそっと後を追った。
夏織が着いた先は体育館裏。場所からしてこれから何が行われるかは想像がつく。
鋭太郎は近くにあったコンテナに身を隠しながら夏織を見ていた。すると男が一人、夏織の目の前に現れた。
(あれはサッカー部の部長である三年の山本先輩!? まさか、あいつが夏織に!)
「サッカー部の活動は大丈夫なんですか?」
「問題ないよ、今日は休みだから」
山本が持ち前の爽やかな笑顔で対応する。
(夏織先輩、普通に話してる。なんで俺の時はうまく話せないんだ?)
鋭太郎は年上の山本とまともに話せるのに、自分とはなぜかうまく話せないことに疑問を浮かべていた。
鋭太郎は、よくある主人公の鈍感特性を持っているように見えるが、実際はそうではない。夏織は自分のことが好きなのではと思っているが、確信が持てないでいた。鋭太郎は過去に三回ほど好きになった人に振られたことがある。そのすべてが、自分のことが好きなのだと勘違いしてしまったことが原因である。おまけに全員彼氏持ちと心が痛む結末である。
「夏織ちゃん……一目見たときから好きでした! 付き合ってください!!」
案の定、山本が夏織に愛の告白をした。右手を差し伸べ、イエスの握手を求める。
(さすがにこんなイケメンを振るわけ――)
「すみません、先輩の気持ちにはお答えできません」
(ええええええええええええ!? 何で!?)
夏織はずば抜けたイケメンである山本を振った。
それに驚いた鋭太郎は声が出そうになる。
「私には、好きな人が――」
「山茶花……鋭太郎ですよね…………夏織ちゃんが好きな人は?」
「…………………!?」
山本が出した名前に、夏織は図星を指されたように驚愕の顔を浮かべた。
(待て待て待て!! その反応! 俺期待していいのか!? いいんだよな!?)
鋭太郎の中で困惑と、夏織は自分のことが本当に好きであることへの期待で溢れていた。
「どうして! あんな男のことを! 聞けば過去に三回も振られ、勉強も運動もロクにせず自堕落的な生活をしているというのに!」
(誰から聞いたんだよそれ!? 事実だから言い返せないけど)
山本は心の内にとどめるつもりだった疑問をさらけ出した。
「確かに、先輩が言っていることは紛れもない事実です」
(あっ、夏織先輩も知ってるんですね)
「でも、それはあくまで表向きの話です。彼は懸命に戦っています。無情な現実と」
「何を言って……」
夏織が重く発した言葉に、山本は理解出来なかった。
「鋭太郎さんは、幼い頃から両親からひどく虐待を受けてました。理不尽なことに暴力を受け、その傷は今でも体に残っています。そんな彼には年が五つ上の優しい姉がいたんです。いつも親の暴力から守ってくれた。やがて耐えられなくなった二人は家を出て優しい親戚の元に身を隠します」
夏織は鋭太郎の重い過去を、山本に話す。
(俺の過去は、誰も話したことないが……)
鋭太郎はどうして夏織は過去のことを知っているのか、今にでも飛び出して聞きたかったが、話を聞いているうちに姉の顔が浮かび上がってくる。
(誰よりも優しい顔をしている、自慢の姉。でも…………)
「それから年が流れていき、鋭太郎は中学校に上がり、姉は高校三年生になった頃の話。姉は何者かに殺された」
「!?」
夏織の話に山本は衝撃を受けた。
「包丁で頚動脈を一刺し。服や髪が乱れてることから殺人として捜査されたけど、犯人に当たる証拠が一切なく、家の中で発見され、包丁に姉の指紋だけが検出されたために自殺として片付けられた。それから鋭太郎は自堕落的な性格に――」
「もういい! わかった! そんな彼を支えてあげたいんだな! だからこれ以上重い話はやめよう!」
「……っ! そうですね、すみませんでした」
夏織は我に返ったように謝る。その後山本は後ろを向き、走って場を去った。その目には涙を浮かべていた。
山本が去った数秒後に夏織も場を後にする。
「………………」
二人がいなくなったところで鋭太郎は表に出る。
そしてゆっくりと、ぎこちない動きで歩き始める。
(やべぇ、マジで俺のこと好きなのか。いつ告白する? さすがに明日はなんか悪い気がするしな。それより恋侍にこう言いたい。『俺にはお前より一千万倍かわいい彼女が出来るぞ!ざまぁ見やがれ!』と)
そんなくだらないことを考えながら鋭太郎は学校を去る。
だがこの時、鋭太郎は知る由もなかった。
彼女が――夏織の正体を――
これから身に起こる危機を――