第七話 迷いの代償
「隙あり!!」
「!?」
柚乃の後ろから、幼い少年がナイフで彼女の首を刺そうとした。
「先生!! 危な――」
鋭太郎が叫ぶ頃には――柚乃は後ろに手を回し少年の腕を掴み、ハンマーを打ち付けるように少年を床に振り下ろした。
「いてっ!!」
体育館の床が凹む程の威力だったが、少年は打ち付けられた背中を痛そうに抑える程度で済んでいた。
いや、それでも十分痛いと思われるが。
「…………大丈夫なんですか、その子」
「えぇ、これはこう見えて神ですから」
(これっておま――まあ、知り合いっぽい? でもなんで殺しに来るんだよ怖いな)
痛みが引いた少年は立ち上がり、柚乃に刃を向ける。
「ユーノー! ここで会ったが百年目!」
「はいはい、百年ぶりね」
(本当っぽいから困る……)
「百年経っても子供のままね、ヘルメス」
「見かけだけに騙されるなよ!」
「えっ、ヘルメス?」
少年の名を聞いた鋭太郎は驚くと、ヘルメスが彼の方を向く。
「どうしたの? 僕の名前がおかしいの?」
「いやだって、ヘルメスって――あっ」
(そういや神話の内容と一致しないんだったな)
ヘルメス(正式にはヘルメース)
幸運と盗みの青年神――そう、『青年』神――。
ギリシャ神話ではそうであるが、神世界でのヘルメスは『少年』神である。
「いや、なんでもない」
「ふーん、てか君だれ? ユーノーの下僕――」
ヘルメスが言うと、間も置かずに柚乃は彼の頭を床に押しつけた。
「痛っ!! いきなり何すんだよ! 聞いただけだろ!」
ヘルメスは文句を言いながら体勢を直す。
(いや、いきなりナイフ突き立てる方もどうかと)
「彼は私の…………生徒よ。下僕だなんて失礼だわ」
「ってことは、強いの?」
(なんか、軍官学校の生徒と勘違いされてるな)
「えぇ、強いわよ」
「んん!?」
柚乃は何気なく答えた。鋭太郎の中で嫌な予感がよぎる。
「そうね…………彼を殺せたら、私が戦ってもいいわ」
「ちょ!? 何を――」
「それじゃあ遠慮なく!!」
ヘルメスは素早く鋭太郎に接近し、跳躍しながらナイフを連続して突き立ててくる。
「くっ!!」
鋭太郎は手にしていた木刀でナイフの刃を防ぐ。
ヘルメスは鋭太郎の腰辺りまでの小柄だが、それが返って彼の素早い動きを引き出している。神の力を得た鋭太郎でもヘルメスの刃を受け流すのがやっとだった。
(まともに相手したら確実に刺される!)
鋭太郎が考えてる間もヘルメスは突き刺してくる。
小柄なこともあって滞空時間が既に五秒も経っていた。
(下が空いてるな…………)
そう思った鋭太郎はヘルメスの攻撃を防ぎながらスライディングし、ヘルメスの下を抜けた。
「!?」
ヘルメスはそれに対応しようとするも宙に浮いてて上手く回れず、させまいと鋭太郎は空かさず木刀でヘルメスの背中を打ち、床に強くぶつけた。
「がはぁ・・・・・・・・・・・・ぁぁ・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・!?」
(神とはいえ見た目は子供。強くやり過ぎたか!?)
鋭太郎は心配そうにヘルメスに近寄る。
「大丈夫か!?」
「――隙あり!!」
ヘルメスは重傷を負ったフリをして鋭太郎にだまし討ちをした。
鋭太郎もこれには対応出来ず、ナイフが右足に突き刺さる――と思っていた。
右足に当てたナイフは突き刺さることなく、刃が割れる音を立て、折れ落ちた。
「え……」
「え……」
鋭太郎とヘルメス、両者ともに唖然とする。
「どうして!? 何か細工でもしてあるのか!?」
「いやいや、普通の素足だ。細工の仕様がない!」
二人が戸惑っているのを見て、柚乃は落ちた刃の破片を手に取って見る。
「……これ、神世界製じゃないわね」
柚乃が分析し言うと、ヘルメスは普通に答える。
「人間世界で盗んだやつだけど、何か問題でも」
「残念だけど、これじゃ鋭太郎くんを刺すことはできないわ」
「えっ!?」
柚乃の言葉に、鋭太郎が驚く。
「今の鋭太郎くんの体は、鋼鉄のようになってるわ。感触は以前の皮膚と何の代わりもないけれど、通常の刃物では傷をつけることすらできないわ」
「今の…………っ!?」
柚乃の話から、ヘルメスは鋭太郎の正体を察した。
「まさか、こいつが例の『二号』!?」
「えぇ、カオスから力を得た人間――山茶花鋭太郎くんです」
「道理で全部防がれたわけ…………」
「?」
ヘルメスの言葉が途中で切れたことに違和感を持った鋭太郎は、彼の様子を見ると遊び疲れた子供の様に眠っていた。
「……先生、この子何歳ですか?」
「確か…………まだ二百歳だったかしら」
◇
「起きて、お兄ちゃん!」
十二年前、神世界にて――
「…………」
一階建ての小さな家、自室で寝ていたアキレスは実の妹であるアキナスに揺り起こされ、目が覚める。
秋葉という名がない当時のアキレスは十六歳。
姿自体は現在とそこまで変わりないが、それは人間に化けているため。実年齢は二十八歳である。
ちなみにアキナスは当時十四歳である。
「――今日は休日だろ? もう少し寝かせろよ…………」
「お兄ちゃん忘れたの? 一人増えたんだから倍は働かないと」
「はいはい、今日もクエスト行きますよ…………」
アキレスは目を擦りながら体を起こし、着替えようとする。
「ちょ!? お兄ちゃん!?」
「ん、どした?」
「どした? じゃなくて! 私の目の前で何脱いでるのよ変態!!」
「ぶふぇ!!」
アキナスは右手でアキレスの頬を思いっきり叩いた。
力の強さは兄譲りであり、アキレスは痛そうに左頬を両手で抑える。
「いってぇ! 何だよ、兄妹じゃねえかよ!」
「バカ! 年頃的に兄妹とか関係ないことくらい察してよ! この無神経で変態なロリコン!」
「ロリコン関係ねえだろ! てかロリコンじゃ――」
「朝からうるさいなー」
不機嫌そうに言いながら部屋に入ってきたのはガイア。
『人型』であるが、体が部分的に植物と化している。
「早く食べよう、お腹空いた…………」
ガイアは寝ぼけながら部屋を出た。
「あいつがあー言ってるから、早く行こうぜ。着替えは後にする」
「…………お兄ちゃん」
アキナスが思い詰めたように呟いた。
「?」
「お兄ちゃんって将来、ガイアお姉ちゃんと結婚するの?」
「ファッ!?」
アキナスから放たれた言葉に、アキレスは気が動転する。
「いいいいいいきなり何だよ!」
「いや、だってガイアお姉ちゃんをこの家に入れたのはお兄ちゃんでしょ? 好きじゃなきゃ見ず知らずの子入れないよね? ましてや神だって言うし」
「まあ、そうだけど…………」
アキレスは目を逸れし、照れながらあやふやに答えた。
「で、結局どうなの?」
「どうって言われてもなぁ…………アキナスは、俺とガイアが結婚したらマズいと思うか?」
アキレスが聞くと、アキナスは首を横に振る。
「ううん、別に何とも。ヘタレで鈍感なお兄ちゃんが将来結婚できるとは思えないから、いい機会だと思ってる」
「んな、俺だってやろうと思えば彼女の一人や二人――」
「でもやらないのは?」
「それは…………」
「はいはい、強がらなくていいから――」
「違う……俺が彼女を作ったら、あいつがまた一人になっちまうから」
「!?」
意外にはっきりと言ってきたアキレスに、アキナスは驚く。
「ご察しの通り、俺はガイアのことが好きだ。理由? なんだろう、一目惚れかな。よく分からねえ。ただ一つ言えるのが、あいつは俺たちと同じ目をしていた」
「え…………?」
「一人だった頃のあいつは、俺たちと同じ世界に失望しているようだった。誰も自分の存在を認めてくれる人がいなかった。俺たちも、ガイアも。俺はそんなガイアを肯定したい。俺たちのように苦しい思いを、これ以上させたくなかったから」
「…………」
「俺が好きであることは、内緒にしてくれ。今告白すれば、愛のない恩返しの契りになっちまうかも知れないからな」
「でも――」
「いつまで話してるの?」
前よりも増しで不機嫌なガイアが再び部屋を尋ねる。
「あー、わりい! 今行く」
◇
(今思えば、すぐにでも告白すれば、ガイアは苦しまずに済んだのかも知れねえな……)
話は現代に戻る――。
暴風雨の中、秋葉は傘を差しながら数々の建物の屋上を飛び移り、夏織の隠れ家へ向かっていた。
(この傘頑丈だな。神世界製か…………?)
そう思いながら進んでいると、この天気の中平然と歩道を歩いている人に目が移る。
「っ!?」
秋葉は屋上を転々とするのをやめ、下に降りてその人に後ろから声をかけた。
「カオス!」
「?」
歩いていた人物――夏織が特に驚くことなく振り向く。
「アキレスね。何かあった?」
「お前に用があって隠れ家に向かってが、丁度良かった。だが、この雨の中どこ行こうとしてたんだ?」
「鋭太郎さんのところ。起きたときにはもういなくて。先生のところに行ったって荘夜から聞いたから学校に向かってたわ」
「あいつも大変だな」
「そうね。ところで、私に用って?」
「あぁ、実のところ俺にも理由がよく分からないだが、ガイアが俺たちの方に寝返ってくれた」
「…………本当?」
夏織は睨むように言った――ような気がした。
(あー…………このパターンだと実はカオスもガイアを嫌ってたり……?)
「なら良かったわ」
(良かった。やはりガイアが一方的に嫌ってただけか……妹が原因だが)
「となると、今あなたたちが住んでいる家を畳んで、私たちの方に引っ越したい――ってなるわけ?」
「いや、それは最後の手段だ。一カ所に固まるのは見つかったとき逃げ場がなくなっちまうからな」
「そうね。それに、余ってる部屋が…………」
夏織は言ってる途中、なぜか足が崩れ、倒れそうになる。
「おい!」
秋葉は傘を落とし、慌てて夏織を抱きしめるように体を受け止める。
「しっかりし――っ!?」
秋葉は、夏織の体から異常な熱さを感じ取った。
秋葉は夏織の顔を見る。顔が赤く、辛そうに呼吸をしていた。
(人間に化けたとはいえ、神が風邪をひくなど――まさか…………!?)
「カオス……お前、鋭太郎に力を分けすぎたのか!?」
「……わからない…………でも、最近体が…………」
夏織は答えるのがやっとで、自力で立てるような状態ではなかった。
「今日は休め、俺が後で鋭太郎に伝えに行くからお前を隠れ家に――っ!!」
秋葉は夏織を見ながら伝えていると、前方から強い殺気を感じ、それを確認した。
「嘘だろ…………」
怒り、悲しみ、憎しみ。
この全てが混ざり合った鋭い目付きで夏織を睨み、剣で彼女に斬りかかろうとしていた――ガイアの姿があった。
「くそ!!」
秋葉は夏織を左に投げ、斬撃を自分の体で受けた。
「うっ・・・・・・・・・・・・何――っ!?」
夏織は重く動くのが辛い体を必死に起こし、秋葉の方を見て絶句する。
秋葉の左腕が地面に落ち、体の断面から夥しいほどの血が流れる。
「うぐっ!!」
秋葉は苦しそうに斬られた左腕の断面を押さえ、左膝を地に着けた。
「……ごめん。本当はカオスを斬るつもりだったよ」
ガイアは無表情――冷たい目線で秋葉を見ていた。
そしてガイアは、ゆっくりと気味悪い笑顔で言う。
「でもアキレスが悪いんだよ。カオスを庇うから。カオスを庇うから。カオスを……愛するから」




