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火翼恋理

掲載日:2015/10/27


 赤色の話をしよう。

 その色を見て連想するモノは様々だ。血。果物。火炎。花。共産主義思想。警告。危険。停止。恋愛。思い浮かべれば切りがないほど、それは多岐に渡る。人それぞれによって、それは異なることだろう。

 そう、この話は随分と赤い。

 だが、連想するモノが沢山あると言うことは、それだけ赤いモノが多いと言うこと。人間が普通に生活していて、一年のうちに赤を見ない日がいったい何日あるだろうか? それだけ世の中は赤で溢れている。

 必然、物語も赤くなる。

 それに白が混ざれば紅白で縁起が良いのだけれど。残念ながら、この度の話は赤い炎がメインである。白い炎は登場しない。登場していれば、僕はさぞかし苦労したことだろう。何せ白い炎は赤い炎よりも温度が高い。燃え尽きてしまいそうだ。

 そう。これから僕が語るのは、火にまつわる物語である。

 焼いて、焦げてしまうような、真っ赤な炎の御話だ。



 四月二十三日、木曜日のことである。

 その日、僕は火傷を負った。火により身を焦された。

「いッ――」

 その瞬間、感じたのは熱さではなく、痛さだった。皮膚を焼かれ、痛覚を炙られ、発生した危険信号が激痛となって手の平を駆け巡る。確かにある痛みと、残る爛れた火傷の痕。それらが意味することを、僕はまだ何も分からないでいた。

 何が起こったのか。未だ混乱する頭で、思考が脳内を駆け巡る。

 僕はただ掴んだだけだ。彼女の手首を、掴んだだけ。なのに、どうして僕は火傷を負った? ライターか何かを隠し持っていたのか? いや、掴んだのが手の平だったなら、それも有り得るだろう。けれど、手首にライター、発火物を仕込むことが、一介の女子高生に果たして可能なのだろうか。

 巡る。巡る。思考が、巡る。

「だから、私に構うなと言ったのよ」

 その思考を遮るように彼女、暁月日花あかつきひばなが言う。

 それに釣られて、視線を手の平から彼女へと移そうとした。けれど、その時にすでに遅く。この教室の中に、彼女の姿は見受けられない。早々に出て行ったらしい。人に火傷を負わせておいて、よくも謝罪の一言もなく帰ることが出来るものだ。

「あぁくそっ、まずは治療が必要だな」

 火傷が思ったよりも酷い。一般に手の平と呼ばれるほぼ総ての部分が焼け爛れている。まるで熱せられた鉄の棒でも握り締めた気分だ。まず何よりも先に、この火傷をどうにかしなければ、何事もままならない。

「たしか、辞典があったはず」

 この双海高校の各教室には、生徒のために小さな本棚が設けられている。

 本棚の大半を占めているのが学級文庫で、他に忘れ物をした生徒のために、教科書の各種などが収められている。その中に、たしか漢和辞典があったはずだ。そう思い、本棚に近付いて漢和辞典を探した。

「あった」

 太くて背の低い漢和辞典を見付けた。

 右手が焼け爛れているので、左手で漢和辞典の背表紙に触れる。

 そして、力を流し込んだ。

「起きろ」

 すると、鉄砲水のように幾千もの文字達が漢和辞典から溢れ出す。

 視界一杯を占めるのは、黒いインクで綴られた文字の数々だ。漢和辞典にある総ての文字、漢字、平仮名、片仮名、数字に至るまでが、ページから剥がれ、浮き上がり、空中へと飛び出している。

 インクの集合体としてではなく、文字という存在として、それらは此処に顕現した。

 漢和辞典から飛び出した後に、文字達は僕の周囲を漂うように周回軌道を描く。

「治すと、癒す」

 口にした言葉が、文字を呼ぶ。

 漂う文字達の中から、該当する文字が抜け、手元にまでやって来る。治の文字と、癒の文字の二字。つまりは治癒。言葉となり意味を持ったそれは、僕の手の平に舞い落ちて染み込んだ。すると、文字通り、手の平は回復の兆しを見せた。

 火傷が治り、傷が癒え、皮膚が治癒する。目に見える速度で行われる人体の修復作業。それの完了によって痛みは引き、完全に元通りとなる。火傷の痕すらもなく、綺麗に治っていた。

「これでよしっと。戻れ」

 火傷は完治した。なので、不要な文字達は元の場所に戻す必要がある。

 再び左手で漢和辞典の背表紙に触れ、周囲の文字達をもう一度ページに綴る。治癒の二文字が欠けてしまったが、まぁそれは仕様がない。後で戻しておくことにしよう。どうせこの本棚は誰にも使われていないし、見付かっても印刷ミスで通るだろう。

 そうして僕は隠滅した。彼女が、暁月日花が、僕を傷付けたという証拠を。

「戻ったぞー。真面目にやってっかー?」

 その作業が終わった直後、教室の扉ががらがらと音を立てて乱暴に開かれる。

 開けたのはこの教室の担任である五十嵐先生だった。僕と暁月に居残り授業をするようにと、放課後この教室に縛り付けた張本人である。五十嵐先生は敷居を跨ぐなり教室を見渡して、こう言った。

「んん? 暁月の奴はどこにいった? トイレか」

「いえ、帰りました」

「帰ったぁ? おいおい、この居残りがサボりの穴埋めだって分かってないのか? あいつは」

 そう。僕と暁月が、こうして居残り授業を受ける嵌めになったのは、偏に自業自得である。授業の出席日数が、このままだと危ないのだ。僕も、暁月も、この四月の段階で卒業が危ぶまれるほど、不真面目な学生生活を送っている。

 まぁ、とは言うものの。今回の居残りは、僕達に釘を刺すことが目的だろう。このペースで授業をサボり続けると、早い段階で留年が決まってしまう。そう言うことを、僕達に知らしめるための居残り授業だった。

 生憎、暁月は聞く耳もたなかったけれど。

「ったく。あいつ、成績は良いのに何で授業を受けないんだ?」

「成績が良いから授業を受けない、とか?」

「だとしたら馬鹿だよ。成績の良い馬鹿だ。まったく、暁月日花と言えば品行方正、成績優秀で通っていた優等生だったんだけどねぇ。どうしてこうなったんだか」

 つい一ヶ月ほど前までは、暁月日花は学校一の優等生だった。

 品行方正で成績優秀。そしてこれは五十嵐先生が言わなかったことだけれど、才色兼備でもある。品行方正、成績優秀、才色兼備。そんな天が二物を与えた人物が、暁月日花である。その存在は学年を問わず知れ渡っており、一種の偶像のような扱いさえ、一部の男子からはされている。

 まことしやかに、彼女の非公式ファンクラブがあるという、恐怖染みた話まであるくらいだ。

 しかし、今年の四月、始業式に、暁月日花は激変した。

「物の見事に不良になりましたね」

「お前が言うな、お前が。でも、まぁ、そう言うことになるね」

 一応、暁月は始業式に出てはいた。だが、途中で体調不良を理由に保健室に行き、教師が目を離した隙に無断帰宅している。しかし、それは些細な切っ掛けに過ぎない。この後も、暁月日花は無断帰宅を繰り返し、サボりの常習犯となった。

 暁月の不思議な所は、それでも遅刻だけはしないことだ。

 学校その物を休む日も多々ある。昼休みを過ぎると二日に一度は無断で帰宅する。しかし、学校へ来るときだけは、かならず時間通りに教室に現れるのだ。変な所だけきっちりしていて、僕は常々そこが不思議だと思っていた。

「なぁ、不話。不話言葉ふわことは。折り入って頼みがあるんだが」

「なんです? 改まって。なんだか嫌な予感がするんですけれど」

 わざわざフルネームを言うということは、とても面倒なことを頼まれるということだ。

「暁月の奴を、気に掛けて貰えないか?」

「僕がですか? どうしてまた」

「いいじゃあないか。同じ、不良仲間だろ?」

「人を不名誉な言葉で括らないでくださいよ」

 なにが不良仲間だ。

「だいたい僕があまり授業に出られない理由、先生は知っているはずですよ。学校側から正式に免除されていることも。こう言う居残りだって、本当は必要ないんですからね」

「そりゃあそうだが、お前だけ特別扱いする訳にも行かないんだよ。形だけでも罰を受けて貰わなくちゃあ他が納得しない。いやー、辛いな-、大変だなー、不話。その大変ついでで良いんだ。頼んだぞ」

「あー、はいはい。分かりましたよ。気に掛けていれば良いんでしょ? 善処します」

 半ば強引なこじつけによって、僕は暁月を気に掛けることになった。

 しかし、まぁ、面倒ではあるけれど。気に掛ける程度なら容易いものだ。それにさっきの件、火傷の件で、すこし暁月と話さなければならないことが出来た。丁度良いので二つ纏めて済ませてしまうとしよう。

「その変わり、今日の居残りは此処までってことにしてくださいよ」

「ん? んー……まぁ、そこは仕様がない。司法取引だ」

「司法取引って」

 とは言え、こうして居残り授業を短縮できたので良しとする。

 それから手早く帰り支度を追わさせた僕は、教室を後にして下校した。



 四月二十四日、金曜日。暁月日花は学校を欠席した。

 よくあることだった。しかし、昨日あんなことがあった身としては、この欠席には作為的な、意図的なモノを感じざるを得ない。火傷をさせた僕と会いたくないから、学校を休んだのではないか。そう思えてならない。

 こう言うことを、世間では自意識過剰というのだろうか。

 然りとて、暁月がいなくとも時間は進む。授業は滞りなく進められ、何の問題もなく放課後を迎える。今日は居残りをする理由もないので、早々に学校を後にしようと席を立った。

「あぁ、不話。話があるから、少し残れ」

 けれど叶わず、大人しく腰を下ろした。

「話ってなんですか? 暁月のことですか?」

 教室から僕以外の生徒が居なくなり、人払いが終わった教室にて五十嵐先生に問いかける。

「いや、今回は暁月のことじゃあない。お前に依頼だとよ」

 そう言って、五十嵐先生は一枚のプリントを手渡した。

「依頼……あぁ、例の噂ですか」

 いま生徒間でまことしやかに囁かれている噂がある。

 深夜、この近くにある沿岸にて、たびたび人魂が現れるのだと言う。人魂、つまりは不審火だ。なんでも燃え盛る人魂が現れては、海の中へと消えていくらしい。目撃者が何人もいて、生徒だけでなく様々な人が目にしているみたいだった。

 その調査の依頼が、僕に来ている。

「しっかし、お前も大変だなー。こんな事までさせられるのか?」

「こう言う案件を調査するのも、僕の立派な仕事なんで。まぁ、毎度毎度と眉唾物の言い掛かりみたいなモノが大半を占めるんですけれどね。こうして学校に雇われるなんて、本来なら有り得ないことなんですよ」

 こう言う大きな仕事は、本来なら有名所の優秀な人に回ってくる。

 僕のようなマイナーな家系に回ってくる仕事など、高が知れているのだ。今回、こうして学校に雇われ、更に生徒にまでして貰ったのも、偏に依頼人である理事長のお陰だ。感謝感激雨霰である。

「ふーん。まぁ、詮索はするなってことになってる。あたしは口を挟まないが、頑張りな」

「ありがとう御座います。それじゃあ、僕はこれで」

「あぁ、また月曜日。遅刻するんじゃあないぞ」

 そうして来たる深夜、人魂が出るという噂の沿岸に僕は足を運んだ。

 すでに日付が変わり土曜日になった現在、まだ人魂は確認出来ていない。

「まだ夜は冷えるな」

 もう一週間と立たずに五月になると言うのにまだ肌寒い。年々、春と秋が短くなっていると聞くが、それがどうも真実味を増してきた。僕が結婚して子供を育てるようになる頃には、もしかしたら四季がなくなって夏と冬だけの二季になってしまうかも知れない。

 まぁ、僕が結婚できるかどうかは、さておくとして。

 そんな馬鹿げたことを考えつつ沿岸に目をこらす。ここ人好町の沿岸は護岸になっており、水害を防ぐため階段状に硬く固められている。故に見晴らしがよく、月明かりだけが頼りな深夜であれば、発光する人魂はすぐに目に付くはずだ。だからこそ、噂になったのだろう。

 本当に、人魂が現れるのであればの話だが。

 そう寒さに耐えて根気強く沿岸を眺めていると、視界に煌めく何かを見る。真っ赤に揺らめき、天を目指して上る。それは正しく炎であり、噂に聞く人魂で間違いなさそうだった。

「噂は本当だったか。さて、仕事の始まりだ」

 人魂は遠くにある。今から走って行ったのでは間に合わない。なので、懐から一冊の本を取り出し、例の如く僕はその総てのページから文字を抜き出した。

「両足に加速と強化を付与。あと一応、腰にも緩和」

 周囲を漂う文字の一群から加速と強化、それから緩和の文字を選び、両足と腰へと誘導する。文字は力だ。その意味を、自らの存在意義を、体現しようと文字達は力を発揮する。それ故に、その恩恵を受けた者はその言葉通りになる。

 道理を、理屈を、原理を、歪めて。

「せーのッ」

 その掛け声と共に、僕は跳躍した。天高く、跳び上がった。

 全身で風を切りながら上昇し、頂点を越えたて落下する。放物線を描いた身体は、ちょうど人魂の出現場所を着地点に選んだ。勢い付いた速度のまま、身体が護岸ブロックに激突する。

 しかし、僕は怪我一つ追うことなく、着地に成功した。これも強化と緩和の四字のお陰である。

「よし、成功。えーっと、人魂は……あれ、いない」

 着地から姿勢を正して周りに目を向けた。けれど、辺りに光りはなく、炎の気配もない。夜だから、あればすぐに分かる筈だ。そうなると、これは既に消えてしまったとみるべきだろう。なるべく速く移動したつもりだったが、後一歩遅かったか。

 そう諦めかけたその時だった。

「あなた、いったい何処から」

 女の声がして、背後を振り返る。

 そこには一人の女がいた。この肌寒い夜に頭までずぶ濡れとなった、同い年くらいの女子。その顔に、僕は見覚えがあった。つい先日、痛みと共に脳裏に焼き付いていた。そう、彼女は他でもない。

「暁月……か? お前」

 暁月日花、その人だった。

「そう言うあなたは不話くん、かしら」

 向こうも僕に驚いている。何故、ここに居るのかと疑問に思っていた。

 状況が把握できないが、とにかく一つ言えることがある。暁月は、僕がどうやって此処に来たか分かっていない。移動過程を見ていない。見えていたなら驚きだ。僕なら突然、空から降ってきた人に声を掛けようとは思わない。

 しかし、何故だ? なぜ分からなかった? 深夜とは言え、今日は月明かりが強い。一部始終とは言わないまでも、着地直前くらいは見えてもいいはずだ。なのに、見ていない。この場にいたにも、関わらず。

 いや、考えるのはそこじゃあない。順序が滅茶苦茶だ。

「えーっと、なんで此処に暁月が?」

「……それはこっちの台詞よ」

 まぁ、そうだよな。

「俺は……その、人魂が見えたからー……だよ」

「人魂?」

「あぁ。最近、噂になっているらしいぜ。此処には人魂が出るって」

「……そう」

 一瞬、暁月は目を伏せて言った。

「案外、お前もそうなのか? 人魂が見えた、とか」

「いいえ、見てないわ」

 見ていない? 此処にいたのにか?

「人魂は、私だもの」

 それはか細い声だった。危うく聞き逃してしまいそうなほど、小さな言葉だった。

 人魂の正体は自分である。小さな声だったが、たしかに暁月はそう言った。その真意はなんだ? 冗談やからかいで暁月がそんなことを言うとは思えない。そう言う間柄でもない。

「それってどう言う――って、ちょっと待った!」

 言うだけ言って、自分は直ぐに帰るつもりだったのか。暁月は何も言わずに、この場を去ろうとする。僕に背を向けて、そのまま無言で帰宅しようとする。それをどうにか阻止しようと、反射的に手が伸びた。この手が再び、暁月の手首を掴む。

「――っと、今度は大丈夫か」

 反射的に手が伸びたとは言え、再び火傷を負う覚悟はしていた。

 先生から気に掛けるようにと言われた時、或いは火傷を負った時から、覚悟は常に出来ていた。今こうしてその覚悟が無駄になったことを、心から嬉しく思う。この手に感じる熱が体温であることに安堵する。

 とは言う物の、暁月の体温はとても冷たいものだったけれど。

「……よく、掴めたわね。あんな目にあって」

「そりゃどうも」

「何のようかしら? 出来れば直ぐに、この手を離して欲しいのだけれど」

「まぁ、まて。そう急ぐなって」

 心に満ちた安堵を一度リセットするため、大きく息を吸って吐く。

「お前、その格好じゃあ家に帰れないだろ」

「だから?」

「とりあえず、だ。風呂と着替えを貸してやるから家に来い」

 忘れがちだが、暁月はいま頭の先から足の爪先までずぶ濡れだ。この手に伝わる体温が冷たく感じるのも、その所為だろう。このまま暁月を返す訳にはいかない。それに今日中に聞きたいことが山ほど有る。

「……あなた、ご家族に女性は何人いるの?」

「あー……うん、一人暮らし」

「論外」

「まてまて、帰ろうとするな」

 立ち去ろうとする暁月を必死に引き留めて、矢継ぎ早に言葉を繋いだ。

「そりゃそうだろうな。俺がお前でもそう言うよ。でも、待て。待ってくれ。俺は別に疚しいことなんて何も考えていない」

「なら、何が目的なのかしら? 私に親切にして、いったいあなたに何の得があるのよ。それにあなたの場合、厚意より恨みのほうが強いでしょう? 私の所為で酷い火傷――を」

 そこで暁月は気が付いた。いま自身に触れているのが、焼け爛れた筈の右手であるということに。僕が負ったはずの火傷が、綺麗さっぱり無くなっているということに。

「目的は何かって聞いたな? 僕の目的は二つある。一つは人魂の調査。もう一つは暁月、お前を助けることだ」

「たす、ける?」

「そう助けることだ」

 未だ現実を呑み込めていない様子で、暁月はなされるがまま言葉を聞いている。説得して彼女を納得させるなら今をおいて他に好機はないだろう。だから、畳みかけるように言葉を繋いだ。

「僕は人魂の調査のために沿岸にいる。此処は人魂が現れた場所だ。そこにずぶ濡れのお前がいる。恐らくは、火を消すために海に入った。人魂の正体は、お前で間違いない」

「……」

「なら、どうしてお前は火だるまになっていたのか。その答えは昨日の放課後にある。僕が手の平に負った火傷のことだ。あの時、本当は燃えていたんじゃあないのか? 僕の手の平の中で、お前の手首が」

 暁月は言葉を作らず沈黙した。この状況において、それは肯定と同義だった。

「人体の自然発火。それが今、お前の身に起こっている現象だ。学校を頻繁に早退したり、欠席したりしているのも、それが原因だろう。そして、僕ならそれを解決できるかも知れない」

「……なにを、根拠に。……無理よ、解決なんて」

「根拠ならある」

 僕はゆっくりと彼女の手首を離し、見せ付けた。

「これが根拠だ。この治った右手を根拠にする。お前の悩みを、この手にあった火傷みたいに消してやる。僕が持っている、この力で」

 懐の本を左手で取り出し、綴られた文章を解き放つ。

 溢れ出て宙に浮き出した文字の一群は、僕達を中心として渦を巻く。

「僕は言葉を操る言霊師ことだまし。人の世に現れた怪奇を、解決するために僕はいる」



 現在において、時刻は午前一時に差し掛かろうとしていた。

 沿岸からほど近くにある、かつて僕が住んでいた部屋に僕はいた。丸い卓袱台に肘を立てて、テレビから流れてくる映像に目をやり音を聞いていた。音量は少し大きめにしてある。なんというか、悪い気がしたからだ。テレビの音で掻き消している。

 いま風呂場にいる暁月の、シャワーの音を。

「……落ち着かないな、自分の家なのに」

 そう呟き、テレビの音量をまた少し大きくする。しかし、その必要はなかったと、直ぐ後になって知る。キィと扉が開くやけに耳に付く音が鳴り、同時に人の気配と足音がする。見れば、ほんのりと肌を赤く染めた暁月が、そこに立っていた。

「とりあえず、ありがとう。と、言っておくわ」

「あぁ、どう致しまして」

 暁月は現在、少々大きめな男物の衣服を着ている。近くのコンビニには色々とあったが、生憎、手持ちが少なくて必要最低限のものしか買えなかった。そこの所は申し訳なく思う。

「まぁ、とにかく座ってくれ。話はそれからだ」

 テレビの電源を切り、そう諭すと暁月は素直に膝を折って卓袱台につく。

「さて。なら、まず何から話したものか」

 此処に来て暁月が出てくるまで、多少の時間が僕にはあった。けれど、その間、僕はそれどころではないほど気が散って、食い入るようにテレビを見ていたので、頭の中は白紙のままだった。

「一つ、いいかしら」

「なんだ?」

「あなたは……何者なの?」

 何者かと来たか。

「よし、じゃあその辺のことから、順を追って話すとしよう」

 卓袱台の中心にあるペン立てからボールペンを、その隣からメモ用紙を手元に手繰り寄せる。メモ用紙にボールペンを走らせて、僕は言霊師と文字を書く。

「沿岸で言ったように僕は言霊師だ。字は、こう書く。そして、言霊師の力というのが、こう言うものだ」

 メモ用紙の文字を見せた後、その端を人差し指で叩く。すると、言霊師の三文字がメモ用紙から剥がれて宙に浮く。それは僕の意志に従って、ゆっくりと空中を移動し、暁月の手元で停止する。

「触っても?」

「大丈夫」

 そう答えると、恐る恐ると言ったように暁月は文字に触れた。

「感想は?」

「……まるで生き物を触っているようだわ。見た目は文字なのに、独特の弾力がある」

 生き物みたい、ね。

「そいつを使って、色々な物事を解決する。それが言霊師の生業だ」

「生業?」

「そう、一種の職業みたいなものと考えてくれればいい。僕達はそうして人を助け、お金を稼いでいる。より簡単に、大雑把に言えば、かの有名な陰陽師と同じと思ってくれても構わない」

 厳密に言えば、言霊師と陰陽師は異なっているのだけれど。それをいま細かく説いた所で、回りくどくなってしまうだけなので控えるとしよう。とにかく、言霊師がどう言ったものなのか。それが少しでも伝われば、今はそれでいい。

「陰陽師……それは妖怪だとか、幽霊だとか……つまり、そう言うこと?」

「そう言うことだ。暁月がいま苛まれている発火現象は、恐らく世に言う妖怪の所為だと僕は睨んでいる。一気にオカルトチックになってしまったけれど、その証明はいま手に持っているそれで納得して欲しい」

「そう……ね。認めざるを得ない。認める努力を、私はしなければならないわね」

 直ぐに受け入れられないのも無理はない。何せ、非現実的な出来事だ。本来なら一度も経験することなく人生を終える。それが正常で、あるべき人生なのだ。暁月が苛まれているのは、そう言う類いのモノである。

 しかし、運の悪いことに暁月は出遭ってしまった。妖怪という、有り得ないモノに。

「私に……取り憑いている妖怪というのは、いったいどんなモノなの?」

「候補は幾つかある。けれど、どれも確証がない。それでも良いか?」

 暁月は無言で頷いた。

「候補は今のところ五つ。その一、火鼠。その二、火男。その三、人魂。その四、不知火。その五、青鷺の火。この中のいずれかかも知れないし、これ以外の何かかも知れない。或いは、名前を付けられるほど有名じゃあない妖怪という線もある。要は、現段階ではよく分からないってのが、正直な所だ」

 こればかりは、深く調べてみないと分からない。

 発火現象に気が付いてから約一時間程度しか時間が経っていない。詳しい話も聞けていない現段階では、可能性のある妖怪の名前を確証もなしに、上げ列ねるくらいのことしか出来ない。

「如何せん、詳しい話をお前から聞かない限りは、なんとも言えないな」

 妖怪を特定するには、被害者である本人に話を聞くのが一番手っ取り早い。この世の総ての事象には原因がある、というのはよく言う話で真理だ。原因もなく、何かが起こることはない。だから、たいていの場合、被害者には心当たりというものがあるはずなのだ。

「詳しい話と言っても、私には何も分からないわ」

「発火現象が起こる切っ掛けみたいなモノに、心当たりは?」

 そう聞くと、暁月はすこし考え込むような仕草をする。

「……ない。この現象は、三年生になる少し前に始まったことだけれど。切っ掛けのようなモノは、なかったと思う」

「ふむ」

 ちょうど暁月が優等生から不良になった時期と重なる。身体が発火する。そんな意味不明、解読不可の状況に陥っていたのだ、無理もない。

「もう少し、踏み込んだ話をしよう。誰かに恨みを持たれている、と言うことはないか?」

「恨み?」

「恨み、つらみ、嫉み、なんでもいい。なんなら愛憎でも構わない。なにか自分自身に悪意を向ける人間について、心当たりはないか?」

「どう言う……こと?」

 やや困惑気味に、暁月は言う。

「これは妖怪絡みじゃあない、まったく別の観点からの話だ。被害者――この場合、暁月日花という人物に発火現象の心当たりがない。切っ掛けが分からないと言うのなら、また別の可能性が出て来る。被害者自身にはどうしようもない、他者から向けられる悪意が発火現象に繋がっているかも知れない」

 自分のうちに原因がないのなら、それはもう外に原因があると考えるのが自然だ。

「人、それを呪いという」

 絶句した。暁月日花は、言葉を失った。

「まぁ、これも可能性の一つ。確証のない憶測だ。でも、有り得ないとは言い切れない。発火現象の原因が妖怪にあるか、他者からの悪意にあるかの違い。その結果が発火現象に繋がる可能性は、それぞれに同じくらいある。どうだ? 自分を憎んでいる人間に、心当たりはあるか?」

 暁月は、今度は深く記憶を探るような仕草をし、答える。

「……ない、と思う。強いて言うなら、あなたくらいよ。呪いを掛けられるほど、憎く思われるとしたら」

「そう、か」

 人間、生きていれば嫌われることは避けられない。たいてい知らない所で誰かが自分を嫌っている。嫌われない人間などいない。学校内でも社会でも、それは不可避だ。

 暁月の口振りからして、どうやら自分を嫌っている人間に、幾つか心当たりがあるらしい。しかし、呪いを掛けられるほどではないと、そう考えている。

 当然だ。他者に呪いを掛けてしまおうなどと思うほど、それもあまつさえ現実にこうして発火現象が起こるほどの憎悪を秘めた人間が近くにいれば嫌でも分かる。知りたくなくても、自然と耳に入るだろう。

 余程巧妙に、誰にも悟られず、暁月を憎悪しない限りは。

「……あぁ、あと僕はべつにお前を恨んじゃあいないから安心してくれ」

「でも、酷い火傷を負ったでしょう? いまは……治っているけれど」

 視線が僕の目から逸れて落ち、卓袱台の上にある右手に向かう。

「その通り、いまは治ってるから良いんだよ。それに発火現象をお前自身が制御できていないことは知っている。そこに悪意がないのなら、それは事故だ。気に病むことはないよ」

「……もし、私に悪意があったら?」

「今からでも仕返しをする。グーで、顔面をだ」

 男性が女性に暴力を振るうなど、最低だと思う人もいるだろう。それはとても自然なことで、僕自身だってそう思う。だが、それが適用されるのは、女性側が完全に被害者であることが前提条件である。

 だから、僕は暁月を殴らない。仕返しをしない。

 僕が火傷を負ったのは不慮の事故によるものだ。防ぎようのない不幸である。あえて悪者を作るなら、それは暁月に取り憑いた妖怪であると言えるだろう。

 これがもし暁月の悪意による故意だったなら、僕はその場で殴り返している。相手の性別なんて関係ない。男だろうが女だろうが、僕は必ず拳を握り締め、その頬を穿つだろう。

 目には目を歯には歯を。悪意を持って危害を加えた者には、それ相応の報復が待っている。僕は生憎、左の頬を打たれて右の頬を差し出すような、紳士的な人間ではないのだ。

「それはさて置き、だ」

 話の筋を元に戻そう。

「発火現象が初めて起こったのは何時だ? なるべく、正確に頼む」

「あれは約一ヶ月と少し前、三月の十七日のことよ。私は自分の家にいて、突然発火した」

「事の始まりは自宅か。家の何処だ? リビングか? それとも自分の部屋?」

「自分の部屋で起こったわ。初めは一瞬、手から火花が散る程度だった。だから、何かの見間違いだと思って、当時は気にしなかった。でも、それが日を追う事に激しくなって、始業式を迎える頃には明確な炎が発生するようになっていたわ」

「初めて火花を見た時、それ以前、直前でもいい。何か変わったことは?」

「いいえ、いつも通りの変わらない日常だったわ」

「なるほど……」

 自宅、それも自分の部屋でとなると、原因は身近な所にあるのかも知れない。この場合は妖怪の仕業とみるべきだろう。断定はできないけれど。身近に現れた偶然の妖怪か、それとも他者からの必然的な呪いか。この二つの線を並行して調べてみることにしよう。

「しかし、よく今まで火事にならなかったな」

「発火現状が起こる前兆みたいなものがあるのよ。なんとなく、分かるの。だから」

「それが現れたら外出するようにしていたのか。道理で早退や欠席が多いわけだ。僕が……あー、ああなった時もその兆候があったのか?」

「えぇ」

 それを僕が引き留めようとして、手首を掴んで、発火が起こった。

「発火する度に海に入ったり、水を被ったりか。服が何着あっても足りなさそうだ」

「いえ、服は何故だか燃えないのよ。燃えるのは私が身に付けているもの以外に限られるわ」

「そうなのか。へぇー、不幸中の幸いって奴だな」

 発火によって燃え上がる炎は、暁月自身を燃やさない。発火現象の認識では、認識というのも可笑しいが、身に付けている物も暁月という存在の範疇らしい。自分を燃やさず、他者だけを攻撃する炎。都合が良いのか悪いのかだ。

「……一度」

「え?」

「一度、暁月の家に行って、調べさせて貰えないか? 出来れば、明日にでも。何か手掛かりが掴めるかも知れない」

 やはり現場を見ておくべきだろう。暁月の話だけでは、どうも該当する妖怪も呪いも分からない。実際に発火が起きた場所で、その原因の痕跡か何かを掴まないと、話が一向に前に進まない。今の僕には些細でも良い、手掛かりが必要だ。

「そうね、それが良いかも知れないわ。けれど……」

「けれど?」

「あなたを私の家に招くのは……その、両親がいない時にして欲しいのよ。心配を、掛けたくないから」

 そこで、ふと思う。暁月の両親は発火現象のことを知っているのか、と言うことを。

 知っていれば無理矢理にでも病院に連れて行くだろうし、発火という危険な現象が不定期に発生する暁月を、こうして野放しにしたりはしない。その筈だ。

 なら、知らないのか? 暁月がこうして夜、出歩いている理由を。早退と欠席を繰り返して居る理由を。暁月が不良化してから一ヶ月が経っている。両親も娘に異変が起きたことくらいは分かっているだろうけれど。

 心配を掛けたくない。それは事態の発覚を恐れてのことか?

「……分かった。なら、何時がいい?」

 ともあれ、本人がそう言うのであれば、出来る限り希望を聞くべきだろう。

「明日の……そうね、お昼から夕方までなら」

「よし、なら午後一時くらいに暁月の家を訪ねるとしよう」

 そうして話に一段落がつき、僕達二人の夜はそこで終わりを告げた。



 四月二十五日、土曜日。午後一時を少し過ぎた頃、僕は暁月家の門前にいた。見上げるほどの豪邸だった。どうやら暁月日花は良い所のお嬢さんだったらしい。流石の言霊師も、インターホンを押すのに勇気が必要だった。

「はい」

 人差し指でボタンを押し込むと、少しして反応が返ってくる。

 相当いい物を使っているのか、雑音のない綺麗な音声だ。そのお陰もあって、その声の主が暁月本人であることが分かる。僕はそのことに少し安堵して、ゆっくりと自分のことを伝えた。

「不話言葉だ。約束通りに来たよ」

「不話、言葉」

「どうかしたか?」

「いえ、すこし待っていて。いま門を開けるわ」

 そう言うや否や、門が独りでに動き始める。それが完全に開き終えると、また音声が流れ、暁月の声で「どうぞ」と聞こえた。言葉に従って門を潜り、敷地内に足を踏み入れる。その時、酷く自分が場違いであるように感じたのは、たぶん気のせいではないだろう。

「いらっしゃい。不話、言葉くん」

「あぁ、いらっしゃったけれど。どうしたんだ? さっきから」

 玄関扉を越えて室内に入ると、暁月が出迎えてくれた。けれど先ほどから、と言ってもこれで二度目だけれど。暁月は僕の名前をフルネームで呼んでいる。いつもは苗字だけなのにだ。まるで何かを確かめるように、あえて言っている。

「いえ、どうやら私は、今まで勘違いをしていたみたいだから」

「勘違い――あぁ、分かった。名前のことだろう。僕の下の名前がことば、じゃなくて、ことはだから」

「えぇ、そう」

 この名前の間違いは頻繁に起こるので、直ぐに分かった。

「まぁ、由来が由来だから、あながち間違いでもないんだけれどな。言の葉を縮めたのが僕の名前だって、そう覚えておいてくれ」

「今度から間違えないようにするわ。不話言葉くん」

 改めて、そう言われるとむず痒い。

「さて、それじゃあ現場に案内してもらえるか?」

「こっちよ、付いてきて」

 安物のスニーカーから上等なスリッパへと履き替え、僕達は現場に向かった。豪邸なだけあって廊下が長く、一つ一つの部屋が大きい。此処で隠れんぼをしたら、さぞかし楽しいだろうと思う程度には、この家は広い。適所に置かれている小物や照明も、煌びやかでとても綺麗だ。

 だが、何故だろう。なんとなく、居心地が悪い。

 僕が庶民平民を絵に描いたような人間だから、窮屈に感じているのかも知れない。慣れればそれも感じなくなるのだろうが、慣れるまで此処に住みたくないというのが本音だ。

「ここが私の部屋」

 長い廊下、大きな部屋を抜け、階段を上った先に部屋はあった。発火現象が初めて起こった場所である。まず暁月が部屋に入り、僕が後に続く。そうして見た暁月の部屋は、一色に統一されていた。

「なんというか、真っ白だな」

 天蓋のついたベッドも白、カーペットも白、机も本棚もすべて白だ。清楚という言葉を部屋にした時、恐らくこうなるであろうという光景が目の前にある。

「白が好きなのか?」

「好き、というほどでもないわ。でも、自然とこうなるのよ」

 それは好きだから、無意識に白を求めているんじゃあないのか。

 この部屋において白以外の色は、本当にアクセント程度のものしかない。それ以外は本当に白一色。濃い薄い、白濁か否か。違いと言えば、それくらいものだろう。

 それにこの部屋には雑誌や漫画、ゲームと言った娯楽の一つもない。

 あるのは背表紙を見ただけで読む気をなくすような難解な本くらい。あんな物を普段から読んでいるのか。道理で成績優秀でいられるわけだ。

「それじゃあ始めるとしよう」

 部屋の感想もそこそこに、今日ここに来た目的を実行する。

 例によって懐から取り出した本から文字を抜き出し、周囲に漂わせる。その数多ある文字の中から、探の一文字を選びとり手元に手繰り寄せた。その文字を、今度は自分の人差し指に貼り付ける。

「それは、なに?」

「探知。簡単に言えば一種のダウジングだよ。こうして妖怪や呪いの痕跡を探すんだ。こうして探って入れば分かることも多くなる。さて、どっちに向かうかな」

 手首より先から力を抜いて、指先の文字に手の総てをゆだねる。そうすると探の文字は、僕の意志と思考を介して、妖怪あるいは呪いの痕跡を探し始める。探知にそう時間は掛からない。指先はゆっくりと動き、やがて扉を指さした。

「部屋の外……原因は此処じゃあないのか。暁月、すこし家の中を歩き回ることになりそうだけれど、いいか?」

「えぇ、もちろん」

 暁月の許可を貰い、僕達は部屋を出て廊下へと繰り出した。

 それからと言うもの、僕達は指先が示す方向へとひたすら歩いた。書斎、寝室、キッチン、リビング、バスルーム。などなど、一つある地点に辿り着くと直ぐに指先が別のほうを向く。僕達は一向に定まらない探知に疑問を抱えつつも、家中を歩き回った。

「次はここか」

「お父さんの部屋ね」

 暁月に部屋の扉を開けてもらい、中に入る。

「……あのさ、此処の家の人って言うのは、みんな白が好きなのか?」

 先ほどから、ずっと白ばかりが目に入る。見渡す限りの白、白、白。思えば、この豪邸の外観も白の面積が多かった気がする。もう流石に供給過多だ。これでもかと白を押し売られているような気分になる。

 この父親の部屋も例外じゃあない。真っ白だ。と言うか、部屋という部屋がすべて似たように見えてくる。

「そうね、お父さんとお母さんは白が好きみたい。医者だからかしらね」

「医者なのか、ご両親。へぇー、でも病院も白ばっかりだろ? 職場で白をみて、家でも白を見てるのか。よくもまぁ」

 一定の期間、一色だけを見続けると気が狂う。そんな話を、何処かで聞いたことがある。何処かの国では、それが拷問や処刑として存在していたとも、聞いたことがある。思わず、そんな話を思い出してしまう程度には、この豪邸は白かった。

 そうして白に飽き飽きしながらこの家の総ての部屋を見回り、僕達はリビングにて停止した。

「たぶん、此処だ。色々見て回ったけれど、此処が一番、残留した痕跡が濃い」

 妖怪あるいは呪いの痕跡は、この家に空気の如く充満していた。その中でもリビングだけが、突出して色濃く痕跡が残っている。事の始まりは、恐らく此処だろう。この場所で、暁月日花の発火現象が始まりを告げた。

 それが表面化した場所、それが暁月の部屋だったと言う訳だ。

「それで、分かったのかしら? 発火現象の原因が、妖怪にあるのか、呪いにあるのか」

「あぁ。こうして家中に痕跡が残っている場合は、僕の経験上、妖怪が原因であることが多い。十中八九、妖怪の仕業だと思う」

 呪いが原因だった場合、その痕跡は吹き溜まりのように一カ所に止まる傾向がある。局地的に、その場所だけが濃い。簡単に言えば呪いは狭く深く、また妖怪は広く浅いのだ。それ故、妖怪の仕業だと僕は判断した。

「妖怪……それは以前言っていた候補のいずれか、ということかしら」

「いや。たぶん、名前の付いているようなメジャーな妖怪じゃあないと思う。こいつはもっとマイナーな、名前すらついていない有象無象の類いだよ」

「……そう」

「安心するなよ。妖怪ってのは、マイナーな奴ほど厄介なんだ」

 そう言うと、暁月は小首を傾げる。

「有名な妖怪より、無名な妖怪のほうが……その、弱いのではないの?」

「あぁ、弱いよ。たしかに弱い。でも、妖怪の強弱なんて人間には然程、関係がないんだ。問題なのは、その妖怪について知っているか、知らないかだ」

 結局の所、それに尽きる。

「吸血鬼って知ってるだろ? 人の血を吸って生きる、あの吸血鬼だ」

「えぇ」

「吸血鬼は途轍もなく強い。怪力だし、人を吸血鬼にしてしまうし、若返るし、そもそも不死身だ。本来なら、人間が束になっても叶わない絶対強者、それが吸血鬼って奴なんだ。でも、知っているだろ? 吸血鬼の弱点を、僕達は」

 世界的に有名な吸血鬼。だが、それ故にその弱点も知れ渡っている。

「十字架に弱い、日光に弱い、流水を渡れない、招かれないと建物に入れない、ニンニクが苦手、銀の弾丸で撃ち抜かれると死ぬ、木の杭で心臓を打ち付けると死ぬ。そんな弱点を、僕達は沢山知っている。有名だってことは、妖怪やその類いの存在にとって不利益しかない。対処法が、すでに確立されているってことだからな」

「……つまり、逆に無名だと対処の仕様がない、ということ?」

「そう言うことだ。この日本であまり有名じゃあないお化けに、デュラハンがいるけれど。それから逃げる方法なんて知らないだろ? 知らない、分からないってのは、それだけ致命的なことなんだ」

 因みに、デュラハンからの逃げる方法は、川を渡ることである。吸血鬼と同じく、デュラハンが乗る馬は水の上を渡ることが出来ないので、そのまま逃げられるという訳だ。しかし、これも知っていなければ実行できない。

「まぁ、その知らない分からないを調べて、知っている分かっている状態にする。そしてそこから対処法を編み出して被害者を救うのが、僕みたいな人間の仕事だ。安心して貰っては困るけれど、心配はしなくていい。僕が必ず、暁月を助けるから」

 そう、言い切った所で携帯電話の着信音が鳴り響く。初期設定のシンプルな音。それは僕の携帯電話から発せられていた。ポケットからそれを取り出してディスプレイに目をやると、そこには五十嵐先生の文字が映し出されていた。

「ごめん、すこし電話にでる」

 暁月に断りを入れて、通話ボタンに触れた。

「もしもし」

「よう、不話。悪いが、今から学校に来てくれるか。なんでも人魂の件で、調査報告の催促が来ているらしいんだ。あたしには事情がよく分からないが、速く仕事を終わらせろってことだろ? これ」

「あー……はい、分かりました。すぐに行きます」

 こう言う風に、依頼人から案件解決の催促をされることは、意外とよくある話である。依頼人本人の事情であったり、僕達のようなオカルト染みた職業に不信感を抱いていたりと、理由は様々だ。

 幸い、人魂の件はすでに原因が分かっている。暁月のことを明かすか伏せるかが悩み所だが、すぐに片付くことだ。今から学校に行って、先にこっちを終わらせることにしよう。順番で言えば、人魂調査のほうが先にあったことだしな。

「悪い、暁月。急用が出来たから、僕はもう行かなくちゃあならない。この続きはまた今度、そっちの都合の良い日にしよう。それまでに、僕も解決方法を考えておくよ」

「……そう。えぇ、分かったわ。今日はありがとう、不話くん」

「うん、それじゃあ」

 そうして僕は暁月家の豪邸を後にし、急ぎ足で学校へと向かった。



「いやー、大変だなー、不話」

「本当にそう思っているなら、もう少し言い方に気を遣って貰えますかね」

 僕が学校、この双海高校に辿り着き、教室に入ったのは午後四時頃のことだった。

 急いで来たので疲れているし、服が汗を吸ってじめっとしている。その上、この口調で話をされると、相手がいくら教師でも苛つかずにはいられなかった。まぁ、それも些細なことだ。さっさと報告書を書いて仕事を終わらせるとしよう。

「しっかし、昨日の今日で催促が来るとはな。いつもこうなのか?」

 自分の席に腰を落として、報告書用紙にボールペンを走らせている。すると、そんな僕をよそに、五十嵐先生から質問が飛んでくる。

「たまに、ですかね。僕は依頼人を知りませんから、なんとも言えませんけれど。依頼人が人魂のことで困っていたのは確かです。だから、依頼をしたんですから。なので、こうして催促されるのも仕様がないんですよ」

「ほー、一人前に良いことを言うじゃあないか。まだ十七歳の子供のくせに」

「もう十七です。今年十八になりますから、あと二年もすれば成人。もう半分くらいは大人です」

「いいや、違うね」

 そう、五十嵐先生は言う。

「お前はまだまだ子供だよ。そこを勘違いしちゃいけない。人間、学校なんて所に通っているうちは子供だ。大学も例外じゃねーぞ。あれは酒の飲めるガキだ。一番、質が悪い」

「先生、大学生に恨みでもあるんですか?」

「恨みなんて無いさ。でも、この歳になって後ろを振り返ってみると、色々と思うところがあるのさ。あぁ、昔のあたしはなんて馬鹿だったんだろうってな」

「それは大人子供に限らず、誰にでもあることだと思いますけれど」

 僕だって昔を思い返して顔から火が出るなんてことが良くある。過去の失敗、恥ずかしい思い出、勘違いに今更になって気が付いた時など、しばらく身動きが取れないほどだ。そんな経験がない人などいない。

「いや、大人のそれと子供のそれは、また違うんだ。大人は子供より穢れてるからね。まぁ、それは大人になった時に分かるさ」

「……結局、なにが言いたいんです?」

「子供が大人の真似をするなってことだよ。もっと子供らしくしろ」

「はぁ……」

 五十嵐先生の話に、僕はそんな言葉にもならない言葉を返すしかなかった。

 結局の所、先生は何が言いたかったのだろう。背伸びをするな、ということなのだろうか。そんなつもりはないのだけれど。いや、でも、僕の知らない所で、僕は背伸びをしていたのだろうか。だとしたら、そんなもの防ぎようがないのだけれど。

「そう言えば不話、暁月のことはどうなった?」

 話を切り替えるように、五十嵐先生はそう言った。

「どうなったって、別に何もないですけれど」

「嘘吐け、あたしは知っているんだぞ。夜間、お前が暁月と歩いていたことを」

「……どこからの情報です? それ」

「はっはっはー。壁に耳あり障子に目ありって奴だよ」

 まったく、油断も隙もないな。

 しかし、そうか。あの時、暁月はずぶ濡れだった。それで移動していたのだから、目立つ理由も分かる。なるべく人目に付かない所を歩いたつもりだけれど。そうか、誰かに見られていたか。

「それで? どうなったんだ?」

「だから、別に何もなかったですって」

「ずぶ濡れの女を部屋に連れ込んで何もしなかったと」

「全部……筒抜けだったか」

 本当に恐ろしい。

「あれは、その。暁月が沿岸で足を滑らせてですね。ずぶ濡れになった所にたまたま僕が通り掛かって。ほら、ちょうど人魂の調査があったから。それでその場の流れで風呂を貸そうとなりまして」

「ふーん、なるほどねぇ。ずぶ濡れになったとは言え、恋人でもない男の部屋で風呂を、ねぇ」

 こうして客観的にあの夜のことを思い返してみると、中々どうして不自然な流れではあった。いや、まぁ、あの時は僕も暁月から話を聞かなくてはと思っていたから、多少強引になってしまっていた節はある。けれど、けれどだ。最終的に合意したのは、紛れもなく暁月の意志によるものである。

 だから、僕はなにも疚しいことなどしていないし、考えてもいない。実際に、何もなかった。それが事実だ。

「もう良いでしょう。もう何を聞かれても答えませんからね」

「分かった、分かった。悪かったよ、からかったりして。でも、そうか。お前が暁月を連れ出した訳じゃあないのか」

「はい?」

 連れ出した?

「いや、暁月が夜間に、それも深夜に外を出歩くなんて考えられなかったからさ。もうそこまで不良化が進んでいるのかと、そう思ってね」

「そう、ですか」

 何だかんだ言って、五十嵐先生も教師だ。自分が受け持ったクラスの生徒を心配している。きっとこれが暁月でなくても、先生は僕に気に掛けるよう言っていたのだろう。不器用で、言葉遣いも丁寧とは言えない先生だけれど、優しい人だ。

「……そんなに優等生だったんですか? 暁月って」

「そりゃあそうさ。学校一の優等生だったと言って良い。なのに、なんでああなっちまったのかねぇ。交友関係のもつれか、あたしに問題があるのか」

「先生に問題はありませんよ。暁月が不良になったのは、始業式からなんですから」

「そうかい? そう言ってくれると、気も楽になるよ」

 だいぶ、思い詰めているみたいだ。暁月が不良になった原因が、まるで学校側だけの責任のように考えてしまっている。実際は違うのに、妖怪の仕業なのに、それが言えないのが、とてももどかしい。

「それに何も学校が原因とは限らないじゃあないですか。例えば……そう、家庭環境とか」

 そこまで言い切って、僕は何を口走っているのかと後悔した。

 発火現象の切っ掛けがあの豪邸にあったからと言って、暁月家を陥れるような発言をしてしまった。学校側に問題はないと言おうとするあまり、浅慮なことがつい口からこぼれ落ちた。反省だ、これは。

「いや、それはない」

「そう、ですよね」

 思いの他、ばっさりと五十嵐先生は否定してくれた。なんだか助かった気分だ。

 いや、でも。

「やけに、言い切りますね」

「まぁね。実は一年の時も、あたしの受け持つクラスに暁月がいてね。家庭訪問に行ったことがあるんだ。それはもう立派な家だったよ」

 でしょうね。僕も今日、それでびっくりした所だ。

「多少、窮屈に感じた家だったけれど、それでも家庭環境に問題はなかった。親子の仲が良いみたいで、ご両親は娘のことを嬉しそうに話していたよ。口を開けば娘自慢だ。暁月の育ちがいいのも頷けた」

「へぇー、そうなんですか」

 育ちが良い、か。たしかにあの豪邸に住んでいて、育ちが悪くなることはないだろう。暁月を取り巻く環境は、とても洗練されていた。あれで不良になれたら大したものだ。まぁ、暁月は実際になってしまったのだけれど。

「そう言えば、こうも言っていたな。娘には反抗期がなかったって」

「反抗期が? あぁ、そう言えば居るらしいですね。そう言う人」

 本来、人間が大人になる上で必ず経験するはずの反抗期。その期間が、丸っきりない人がいる。近年になって、そう言う人達が増えているらしい。反抗をせず、親の言うことを何でも聞く、お利口さんだそうだ。

「僕からしてみれば、考えられないことですけれどね」

「そうだろ? あたしも同じ意見だった。だから、聞いてみたんだ。でも、少しくらいそう言う素振りを見せたことはあるでしょう? って。でも、ないってご両親は言い切ったんだ。それどころか、一度も私達に反抗したことはありませんって」

「そんなに。……なのに、あの変わりようですか」

「あぁ……いったい、何が原因なんだろうな。どうにかしてやりたいが、如何せんあたしは大人で教師の立場、赤の他人だ。暁月が引いた線より内側には入って行けない。行けるのは同じ子供だけだ」

 そう言うと、五十嵐先生は僕のほうに視線を向けた。

「なんですか。そんな目で見ても、僕に出来ることだって限りがあるんですよ」

「分かってるよ。そんなことは。だから、言ってるだろ? 気に掛けるだけで良いって」

 半ば投げやりになって、五十嵐先生は僕から視線を外し、天井を見上げた。

「でもよー、不話。なんとかしてやりたいって反面、このままでも良いんじゃあないかって気もしているんだよ。あたしは」

「言ってることが矛盾してません?」

「してる。すっげーしてる。だから、参ってるんだなー、これが」

 先ほどまでとは一転して、まったく逆のことを五十嵐先生は言い始める。

「一人の教師として、あたしは暁月の道を正したいと思っている。これは本当だ。でも、その反面、一人の人間として、暁月は今のままでいいと思い始めている」

「その理由は?」

「今の暁月のほうが、生きてるって感じがするから」

 それはかなり大雑把で、アバウトな回答だった。

「生きてるってなんですか。それじゃあ今まで、暁月が死んでいたみたいじゃあないですか」

「んー、死んでいたって言うのは少し違うんだ。例えば……そうだな。人形? お人形さんって感じだったんだ。三年生になる前の暁月は」

 人形。お人形さん。

 僕は過去の暁月を知らない。その存在を知ってはいたが、明確に意識し始めたのは、暁月の早退欠席が如実に酷さを増した時だった。だから、人形と聞いても僕にはぴんと来ない。しかし、一年もの間、暁月の担任を務めた五十嵐先生の言葉だ。そう感じた理由というモノが、あるのかも知れない。

「僕、不良化する前を知らないんですけれど、どんな風だったんですか? そのお人形さんみたいな暁月って言うのは」

「そうだなー、あの頃の暁月は良く笑う奴だったよ。いや、違うな。よく微笑む奴だった」

「お人形さんみたいに?」

「あぁ。誰かと話すとき、クラスの男共が馬鹿をやったとき、何かを食べるとき、いつも暁月は微笑んでいた。こうして思い返してみると、感情を一度も表にだしたことがない気さえする。思い浮かばないんだよ。暁月の喜んだ顔も、怒った顔も、哀しい顔も、楽しそうな顔すらね」

 喜怒哀楽。一年も同じ教室で顔を合わせていれば、容易くコンプリート出来るはずの表情。それが、思い浮かばない。思い出せない。つまりその頃の、お人形さんだった頃の暁月は、微笑みこそ浮かべていたものの、そこに感情がなかったと言うことになる。

「でも、不良になってからは、もっと色んな表情をしていたんだ。笑いこそしなかったが、誰かが話しかけると不機嫌そうにしたり、うるさい声を聞いて煩わしそうにしたり、嫌そうに飯を食ってたり、本当に色んな表情を見せるようになった」

 喜怒哀楽の、怒りと哀しみ。

「それを見た時はびっくりしたね。それこそ、人形に感情が宿ったみたいだったから」

 人形に感情が宿る。

 暁月は不良化したことによって、感情の一部を表に出すようになった。つまり優等生の間は、ずっと感情を隠していたと考えるべきだ。微笑みで覆い隠していた。

 何故だ?

 日常生活において、感情を隠さなければならない事態に陥ることは多々ある。しかし、それは常に隠し続けている理由にはならない。どうして感情を隠していた? その必要性とはなんだ?

 隠す。隠して、別のモノを見せた。それは偽るということ。暁月は自分を偽った。

 演技。

 暁月は演技をしていた。すくなくとも双海高校に入学した頃から二年間、ずっと自分を偽り続けて来た。優等生である自分を演技し続けて来た。しかし、それは今年の始業式を持って破綻した。

 自らの身に起こった、発火現象によって。

 この世の総ての事象には原因がある。発火現象は、起こるべくして起こった。妖怪は取り憑くべくして、暁月に取り憑いた。自分を偽り、演技をし続けてきた暁月に。

「どうした、不話。急にぼーっとして」

「……いえ」

 僕は頭の中で暁月のことを考えつつ、報告書にボールペンを走らせた。

 そして、手早く完成させると、それを先生に手渡して、こう言った。

「先生。一つ、お願いがあるんですけれど」

 時刻はすでに、午後五時を回っていた。

「体育館を、貸して貰えませんか」



 時刻は午後十一時、報告書を完成させてから、実に六時間が経っていた。

 いま僕は無人の体育館の中心にいて、一人で暁月の到着を待っている。連絡をしたのは数十分前なので、そろそろ現れても良い頃合いだ。僕は黙して待った。視界の中心にある大きな扉が開かれるのを。

「不話、くん?」

 扉が開く。

「こっちだ、入って来てくれ。扉を閉めて、な」

 本日二度目となる暁月との待ち合わせ。こたびは僕が暁月を待つ形となった。

 招かれて、暁月はゆっくりとこちらに歩み寄る。

「いったいどうしたと言うの? この体育館で、何をするつもり?」

「何をするつもりかって? お前を助けるつもりだよ、僕は」

「……方法が分かったということ? 発火現象を止める、方法が」

「あぁ」

 短く返事をして、そこで初めて暁月と目線を合わせる。

 ずっと考えていた。どうすれば暁月を助けられるのか。発火現象を止めることが出来るのか。その結論に僕は六時間かけて辿り着いた。あとは、それを実行に移すだけでいい。けれど、それには通過すべき過程が、いくつかある。

「暁月。これはお前自身が手ずから解決するべき問題だ。僕は所詮、その手伝いしか出来ない。よく聞いて、憶えておくんだ。暁月に取り憑いた妖怪は、お前にしか祓えない。僕が原因の根本を、直接どうにかすることは出来ないんだ」

「それは……あの文字を使っても?」

「あぁ。一応、強制的に引き剥がすことは出来るよ。取り除くこと自体は可能だ。僕にはその力がある。でも、無意味なんだよ、そんなことは。問題を先送りにするだけ、臭い物に蓋をするだけだ。奴等はきちんと原因を解決しない限り、どれだけ追い払っても必ず帰ってくる。どれだけ滅しても、蘇る」

 そして、また人間に取り憑く。根本的な解決にはならない。

 暁月は覚悟を決めるように、決意を固めるように、大きく息を吸い、吐いた。

「……分かったわ。肝に銘じておく」

 約一ヶ月間、ずっと苦しめられてきた発火現象から解放される。その期待と、これから行われることへの不安が入り交じった返事だった。けれど、たしかに暁月は自分の意志で、そう言った。肝に銘じると、忘れないと言った。

 今の僕は、それを信用することしか出来ない。

「それじゃあ始めるとしよう。まず暁月に取り憑いた妖怪について、話しておこうと思う」

 この妖怪の性質や存在の意義は、すでに理解していた。

「この妖怪には名前がない。だから、僕が勝手に名前を付けさせてもらった。その妖怪の名は犬火けんか、犬の火と書いて犬火だ」

「犬火。それが私に取り憑いて、発火現象を起こしていた」

「そうだ。けれど、勘違いしないで欲しい。この犬火は、決して悪さをしようとしていた訳じゃあない。寧ろ、その逆。取り憑いた人間、暁月を助けようとしていたんだ」

「助ける? 助けようとして、発火現象を引き起こしたと言うの」

「あぁ、間違いない」

 矛盾している。暁月はそう思ったことだろう。それが顔にも出ている。かつて人形のように変わらなかった表情が、今この時、明確に変化していた。感情が表に出て来ていた。それは今現在において演技をしていない、ということになる。

「この犬火の性質は、至って簡単だ。感情を自らの火で燃焼させること。感情の処理。ただそれだけだ。言ってしまえば、ただの精神安定剤なんだよ。犬火という妖怪は。犬火に、発火現象を起こさせるような力はない」

「……それなら、どうして」

「発火現象が起こったか? 自らの火で燃焼させる筈の感情が、あまりにも膨大すぎたんだよ。本来なら内側で燃え尽きるはずだった感情の炎が、外側へと溢れ出すほどに大きかった。処理しきれなかったんだよ。火に油を注ぎすぎて、溢れ出して、炎上した」

 それが現実の炎となり、発火現象となって現れた。

「発火現象によって生じた炎が、お前自身を燃やさないのはそのためだ。自分自身の感情が元となって作り上げられた炎。その目的が暁月を助けるためなら、本人を傷付けるはずがない」

「まっ、待って。なら、犬火という妖怪が取り憑いた人間が、私以外なら発火現象は起こらない、ということ?」

「そう言うことになるな。さっきも言ったように、犬火は精神安定剤だ。感情を燃焼させて、落ち着かせるだけの妖怪。それが存在の意義。発火現象となって現実に炎を灯すなんて、本来なら有り得ないことだ。本来なら、な」

 そう。これは暁月だから起こった、必然的な現象だ。

「どう……して、私なの? 感情が膨大すぎた? だから、炎上した? わからない……すこしも、理解できない。だって、私はただの人間よ。不話くんのように……特別な力ももってないない。ただの高校生なのに」

「違うよ。お前はただの高校生なんかじゃあない。途轍もなく、不幸な高校生だ」

「ふ、こう?」

「あぁ、ぞっとするほどにな」

 本当に、ぞっとした。六時間ほど考えを巡らせていた時、そのことに気付いた時、背筋が凍る思いがした。世の中にこんな人間がいただなんて、言霊師として数々の人間と関わった僕でさえ、思いもしなかった。

「ご両親、たしか医者だったよな? 両方とも」

「え、えぇ」

「それでいて、白が好き。家中を真っ白にするほどだ。そしてその影響は、娘であるお前自身の部屋にまで及んでいる。徹底して、統一されている。そこがまず可笑しいんだよ。僕からしてみれば」

 異常なまでに白を好いていることもそうだが、娘の部屋まで親の手が届いている。その事がとても可笑しい。

「娘の部屋に、親の趣味が好みが、反映されすぎている。高校三年生の、それも女子の部屋が、いい歳をした父親の部屋とまったく同じとはどう言うことだよ。なにも変わらなかったじゃあないか。白、白、白、あるのはそれだけだ。お前の部屋には、お前らしさが少しもない」

 親にとって子供の部屋は一種の不可侵領域だ。干渉することは難しい。許可がなくては足を踏み入れることすら許されない。そんな部屋に親の意思など、影響など、本来なら介在する余地すらない。だが、暁月家は違った。異様なほど白で統一されていた。

 恐らくは、僕の感じた居心地の悪さはこれに起因する。まるで統一されていないモノ、異物の存在を許さないような空間が、来訪者を拒絶しているのだ。

「そんなことッ」

「ないって言うのか? なら、言って見ろ。お前がお前自身の意志によって、あの部屋に置いていた物を。あの部屋で白でないものを。今、此処で」

「それは……」

 尻切れ蜻蛉。竜頭蛇尾。暁月の言葉は、最初こそ勢いがあったけれど、すぐに失速した。勢いを失い、途切れてしまった。反論、出来ないのだ。僕は今日、暁月の部屋を訪れている。暁月が予言者でもない限り、部屋は今でもあのままだ。

 白という親の色に染められて、自分の色が一切ない、あの部屋のままだ。

「お前は親の言いなりだ。ずっとそうして生きてきた。一度も反抗することなく、反抗期すらなく、ひたすら親の言うことを聞いてきた。まるで自分の意志を持たない人形のようにだ。これを不幸と言わずになんと言う」

「ち、ちがう」

「違わない。お前は高校に入ってからの二年間――いや、それ以前から演技を続けていた。でも、お前自身にその自覚はなかったはずだ。なぜなら、それが当たり前だから。自分を殺して生活することが自然なことだったから。無意識に、他人に対してそう振る舞うようになっていた」

 だから、発火現象の原因に問うた時、暁月は心当たりがないと言った。発火が起きる前後において変わったことはないと言った。不自然なことを不自然だと認識しなければ、それは自然なことになってしまう。暁月には何が不自然なのかが、あの時点で分かっていなかった。

「……止めて」

「お前は抑圧されていた。押さえ付けられ、理想の形に押し込められていた。何年もの間、ずっとだ。一時も休むことなく、親の理想であることを強いられてきた。だから、感情が溢れ出すんだよ。犬火という妖怪が現れても、募る感情に処理が追いつかない」

「止めてよ」

「ご両親がお前にしてきたことは、過保護や過干渉なんてものじゃあ断じてない。それはこの世でも最も優しくて残酷な――」

「止めてったらッ!」

「――虐待だよ」

 そう告げた瞬間、暁月の感情が炎となって出現する。犬火の処理能力を超えた膨大な量の感情が濁流となって内側で渦巻き、とうとう外側へと溢れ出した。燃える。燃える。暁月の全身が、真っ赤な炎で染め上がる。

「やめて……お父さんと、お母さんを……悪く言わないで」

「それだよ、一番の問題は」

 天に昇る巨大な炎を目にしても、僕は怯むことなく言葉を続けた。

「お前は、親に虐待されてもなお、溢れ出すほど感情を抱えてもなお、両親を愛し続けている。お父さんとお母さんが大好きなんだ。だから、互いに歯止めが利かなくなる。エスカレートする。自覚もなく、虐待になる」

 互いが互いに助長し合い、愛情はいつしか緩やかな虐待へと変わっていた。歪なものに成っていった。親も子も気付かないまま傷付け、傷付けられてきた。

「お前は反抗すべきだったんだ。自分を殺さず、反抗期を真っ当に過ごすべきだった」

 一歩、炎に向けて足を進めた。

「無意味に嫌いになり、無闇に反抗し、無意識に拒絶する。そんな当たり前の経験を、お前はしてこなかった。だから、お前は親の言いなりになり、親はお前を言いなりにするのが当然になってしまった」

 また一歩、近づいた。

「子供はいつか、親の手を離れて自立する。その時を、言いなりになっていた分だけ、反抗しなかった分だけ、早めなければならない。今がその時なんだ」

 歩みを止めずに近付いて、燃え盛る炎へと足を踏み入れる。

「くぅッ」

 全身が炎に包まれ、荒れ狂う熱が皮膚を焼く。熱せられた空気が肺を満たし、口はからからに渇く。それでも突き進んだ。視界が赤に染まろうとも、僕には見るべきものが見えている。

「僕達はっ……何時までも、子供じゃあいられないッ。いつか必ず……大人になる日がくるんだッ。その時まで……その時を過ぎてもッ、お前は親に従うのかッ、親に虐待を続けさせるつもりかッ」

 いま、辿り着いた。

 止めどなく溢れ続ける炎の中で、耳を塞いで涙を流す、暁月に。

「嫌よ。聞きたくない。もう何も聞きたくない!」

 よりいっそ炎が激しさを増す。僕自身も、そろそろ限界だ。

 予め文字によって炎に耐性を付けていたが、それにも限度がある。いま此処で暁月をどうにかしないと、こっちが先に焼け死んでしまう。強行手段だ。もう決して現実から、事実から逃れられないようにする。

「暁月」

 僕は、そっと手を伸ばした。焼け付く手首を、優しく掴んだ。

 炎の中にいてもなお、暁月の身体は熱いと感じた。文字によって得た炎への耐性、熱への耐性を上回るほど、暁月の体温は高かった。そして、あの日、あの時を焼き直す。手首を掴んだ手の平が、燃えて焦げた。焼け爛れた。

 痛みが走る。激痛が駆け巡る。だが、それでも僕は、その手を離さなかった。

「て、が――」

 怯んだのは暁月のほうだ。怪我を負わせてしまったという罪悪感が、拒絶の意志をほんの少しだけ掻き消し、耳を塞いでいた手の力が一瞬だけ緩む。それを見逃さず、僕はその手を手前に強く引いた。

 そうして、抱き寄せる。抱き締める。

「いいか。良く聞んだ、暁月」

 今の暁月に話を聞いて貰うには、言葉を伝えるには、こうして僕自身が傷付く必要がある。僕が暁月に触れて火傷を負い続ける限り、暁月の罪悪感はなくならない。それによって拒絶の意志が軟化する。肉を切らなければ骨は断てない。身を焦さなければ、思いは伝わらない。

 そうするより他に、僕には思い付かなかった。

「お前はよく頑張ったよ。大好きなお父さんとお母さんの期待に、ずっと応えて来たんだ。立派だよ、本当。でも、頑張り過ぎたんだ。無理が祟って心が悲鳴を上げている。犬火という妖怪は、その悲鳴を聞いたんだ。だから、生まれた。生み出されたんだ。お前から」

 犬火は精神安定剤だ。両親の期待に応えようとする余り、自分を殺し続けた反動は、心に深刻な負荷を与えていた。悲鳴を上げていた。自己安定と自己救済を求める余り、その思いの果てに妖怪として犬火が生まれた。生み出された。

 だから、深層心理では望んでいるはずなんだ。自身が、救われることを。

「でも……失望させたくない。お父さんと、お母さんを、悲しませたく……ない」

 涙ながらに、声を震わせて、暁月は言う。

「それだけが……とても怖い」

 おそらくは、その一心だった。自分に期待する両親を失望させたくない。ただそれだけのために、これまでの人生を生きてきた。本当に大した奴だ。常人ならすでに挫けている。ここまで愛情を、貫くことなど出来はしない。

 いや、貫けてしまったから、こうなってしまったのか。

「大丈夫だよ」

 初めて口にした暁月の本音を受け止めるように、腕に込める力を強めた。

「失望なんてしない。悲しんだりするものか。自分の道を歩むと言うことは、なにも道を外れることじゃあない。委ねていた決定権を、返してもらうだけなんだ。そんな娘の成長を、嬉しく思わない親はいないよ。僕が保証する」

 燃え盛る火炎の中、感情の渦の中、その中心で言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

 身体を包む炎も、熱も、皮膚が焦げていくことさえも、意に害している暇はない。痛みも、危険信号にも意識を割かない。ただ伝えるためだけに、口は言葉を作った。喉は声を作った。ありったけの思いを乗せる。身を包む炎の熱に、浮かされて。

「もう、親のために生きなくていい。自分のために生きていいんだ」

 告げた言葉は、たしかに届く。

 上着の後ろ身頃に手が触れる。その両手は支えを求めるかのように、弱々しく服を掴んだ。そして、ぽつりぽつりと暁月は、自身の本音を炎としてではなく、言葉として口にした。混じりっ気のない純粋な、誰にも打ち明けたことのない本心を。

「私は……お父さんとお母さんが大好きだった。二人の笑顔が大好きだった」

 ただ黙して、僕は暁月の言葉を聞いた。

「私が良い成績をおさめると……決まって頭を撫でてくれた。お父さんの大きな手が好きで、お母さんの暖かい手が好きだった。……だから、頑張ろうと思った。だから……もっと喜ばせようと思った」

 今にも消えてしまいそうなほどか細い声。こうしていなければ、聞き取ることも出来ない。けれど、それでも決して途切れることなく、揺らぐことなく、言葉は繋がれていく。

「けれど、いつしか、それは……重荷に、なっていた。喜ばせたいから頑張っていたのに、いた癖に……いつの間にか、失望させないように努めていた。……お父さんとお母さんに好かれるためだけに、自分を殺して、演じていた」

 暁月の全身が強張り、両手に掴んだ僕の服が握り締められる。

「自分から望んだことだった……私が、そうしたかった」

 なのに。そう、暁月は言う。

「今はそれが……何よりも辛い」

 僕は、その言葉が聞きたかった。その言葉を聞き出すための、今までだった。まったく持って、手こずらせてくれた。けれど、これでようやく前に進むことが出来る。僕の役目も、そろそろ終わりを迎えられそうだ。

「よく言ったよ。そう言えたなら、もう心配はいらない。ほら、顔を上げて見てみろよ」

「……炎が、ない。どうして……」

 もう視界に赤はなく、熱もない。暁月から放出されていた感情の炎は、すでにこの世から姿を消していた。

「暁月が本心を打ち明けたからだよ。言葉に乗って感情が発散されたんだ。外側に溢れるほどの感情が、内側に収まる程度にまで縮小したってことさ。だから、もう大丈夫だ。本音が吐けるようになれば、発火現象はもう起こらない」

 発火現象の原因は、暁月がため込んだ膨大な感情である。それ故に心が悲鳴を上げ、妖怪として犬火が生まれた。犬火は自分の存在意義を果たそうと、暁月の精神安定を図るため感情の燃焼を開始した。だが、燃やす感情があまりにも膨大に過ぎたため、炎が外側にまで漏れ出してしまった。

 これが事の顛末である。よって、導き出される解決方法は単純明快だ。そもそもの原因である感情を、ため込まないようにしてやれば良い。つまりは、暁月に本音を吐かせてやればいいということだ。

 ただそれだけのことで、終わるはずだった。ただそれだけのことが、凄く難しかった。

「そう……終わった、のね」

 暁月はそう言って、しがみつくようにしていた体勢を正す。きちんと二本の足で自立する。必然的に、密着していた身体の距離も離れ、互いに互いの顔が見える位置に来た。

「不話くん」

 暁月は朗らかに笑う。

「ありがとう。私を、助けてくれて」

 その頬に伝う落涙は、炎の中でみたモノとは別物だった。

 それが見られただけで、僕はもう満足だ。

「どう致しまし――」

 ぐらりと、揺れる。目が眩む。全身の力が抜け、自力での再起が不能になる。言葉を最後まで言い切ることすら出来ないまま、僕の身体は崩れ落ちた。身体に力がまるで入らない。起き上がることも、どうやら出来そうになかった。

「不話くんッ」

 仰向けに倒れたことで、強制的に見る嵌めになった天井に、暁月の顔が映る。見たこともないような焦った表情で、僕の名前を呼んでいた。格好の悪い所を見られてしまったようだ。

「わ、るい。たぶん、脱水……だ」

 炎の中に飛び込んだ。短時間とは言え、そこに滞在した。そのことを思えば、この症状は軽いものだと言える。本来なら死んでいても可笑しくない。寧ろ、死んでいなければ可笑しいほどのことだ。それを何とか軽減して、脱水程度でおさまっている。

「脱水……わ、私はどうしたら」

「あの隅の、ところに……スポーツドリンクが、ある。あ、れを」

「分かった。すぐに戻るから」

 暁月の足音が、遠くなっていくのが分かった。

 けれど、もう限界のようで意識が遠退いていく。すこし、無茶をし過ぎたみたいだ。すこしだけ、休ませてもらおう。ゆっくりと意識を手放していく。泥沼に沈み込むように、意識は闇に融けていった。



「よう、お目覚めか? 不話」

 目覚めると、僕は病院にいた。病院のベッドに寝かされていた。

「ここ、病院ですか? 先生」

「あぁ、それも個室だぜ? 暁月の計らいでな」

「暁月の……そう言えば、医者の家系でしたっけ」

 道理で、やけに身体が動かしづらいと思った。身体中にキツく包帯が巻かれている。火傷の度合いによって治療が集中したようで、特に両手が動かしづらい。それぞれの指が、容易く曲げられない程度には、包帯が強く巻かれていた。

「先生が此処にいるってことは、お見舞いですか? 僕の」

「まぁ、そんな所だな。受け持ちの生徒が入院したんだ、見舞いにくらい来るさ。しっかし、無茶なことしたな。不話。深い事情は知らないが、もう少し自分を労ったほうがいいぜ? 全身に軽度、両手に重度の火傷。それだけに止まらず脱水まで。よくもまぁあの短時間で此処まで酷くなるもんだ」

 五十嵐先生は、呆れたように言う。

「僕が気を失ったあと、どうなったんですか?」

「暁月が職員室に駆け込んで来たんだよ。血相を変えてね。何事かと体育館に入ってみれば、焼け爛れた不話が倒れているじゃあないか。正直、あれを見た時、あたしの教員人生が終わったかと思ったよ」

 体育館の使用許可を出してくれたのは五十嵐先生である。もしその所為で、生徒が火遊びを行った挙げ句に大火傷を負ったとなれば、その責任を免れることは出来ない。事実、そうではないが、そう見られても可笑しくない。

「僕が学校に、事情を説明しておきます」

「是非、そうしてくれ。防火装置まで切っていたんだ。そうしてくれないと本当に終わる。あたしもこの歳で路頭に迷いたくないからね」

 そう言った先生は、ぐったりとしているように見えた。

 先生には色々と迷惑を掛けてしまった。その分、後の処理はきちんと責任を持って行おう。決して、先生に悪影響を及ぼさないようにしよう。こんなに良い先生が、罰を受けるなんてことがあってはならない。

「……なぁ、不話。暁月のことも、学校からの依頼ってことになるのか? 余計な詮索はしないつもりだが、一応な」

「まぁ、そうなりますかね。僕が学校から引き受けた仕事は、多発する怪奇事件の解決ですから。厳密に言えば、僕の役目とは外れることになりますけれど。暁月は双海高校の生徒で間違い有りませんから」

「ふーん。なるほど……にしても、不浄の地ってのは厄介なもんだねぇ」

 五十嵐先生の言う不浄の地とは、現在、双海高校が建っている土地のことである。この土地は少々特殊な過去を持っており、所謂、曰く付きである。要するに、他よりも圧倒的に出やすいのだ。妖怪や、幽霊といった存在が。

 昨今、その影響が如実に強くなり、生徒への実害が出始めたため。それを解決するために、僕という存在が呼ばれ生徒という形で雇われている。

 今回の暁月の件は、家庭環境の結果として生まれた妖怪だった。なので、厳密に言えば不浄の地とは関わりが無い。けれど、暁月は双海高校の生徒だ。不浄の地の影響が、少しもなかったとは言い切れない。

 だから、この件も学校からの依頼という形で処理されるだろう。そう言う風に、仕組みが出来ている。

「まぁ、今はゆっくり休みな。えーっと、全治……忘れた。とにかく、怪我を治すことが今の仕事だ」

「承知してます」

「よろしい。なら、あたしは帰るとするよ。それじゃあ、また学校でな」

「はい、ありがとう御座いました」

 そうして先生は病室を後にし、この空間に静寂が戻る。その後、少しして先生が医者に報告したのか、主治医の人が僕のもとを訪れた。話によれば、脱水症状はすでになく、あとは火傷の回復をまつだけだと言う。

 折角なので、ゆるりと回復をまつことにしよう。文字ですぐに治してしまってもいいけれど、それでは余りにも不自然だ。

 そうして入院生活を満喫していると、ある日、暁月が病室を訪れる。

「よう、久しぶり」

「えぇ、久しぶりね」

 何日かぶりに見た暁月は、何処となく大人びて見えた。

「調子はどう?」

「絶好調、とは行かないけれど。それなりに健康だよ」

「そう、良かった」

 ベッドの側にある丸イスに腰掛けた暁月が、ほっと安堵の表情を見せる。

 本当に色んな表情を出せるようになった。暁月との付き合いは、時間にしてみれば一日もない程度だけれど。それでも暁月に起こった変化が分かる。今の暁月は、人形などでは決してない。

「私ね。お父さんとお母さんと話し合って、一人暮らしをすることになったのよ。私たち家族は、すこし距離をおく必要がある。そう決めたの」

「そうか。それが家族同士で話し合った結果なら、きっと大丈夫だ。それに物理的に距離を離すのも、良い判断だと思う。離れてみないと分からないことだって、沢山あるからな」

「そう言ってくれると自信が持てるわ。これで良かったんだって」

 願わくば、この判断が良い方向に転がることを。結局のところ、未来がどうなっているかは誰にも分からない。だから、せめて未来に願うとしよう。不幸だった暁月が、これから幸福になりますように、と。

「不話くんにも、お礼をしなくてはいけないわね」

「いいよ。それは別の所からもらってるから」

 主に学校から。

「先生から、その話を少し聞いたわ。でも、そう言う訳にはいかないのよ。私自身が、不話くんに何かをしたいの。それが誰でもない私の意志だから」

「……なるほど、そう言われると無下に断れないな」

 しかし、とは言うものの急には思い付かない。

「私は不話くんに、何が出来るかしら? 私に出来ることで、不話くんが望むことなら。私は」

「その発言は色々と危ないから止めるんだ。でも、そうだな」

 ふと、ある言葉が浮かんで消えた。僕はそれを暁月に悟られないように一笑して、別の言葉に置き換える。別の言葉、この状況に相応しい言葉にして、口にした。

「友達に、なって欲しい。それが僕の望みだ」

「友達に。分かったわ、それが不話くんの望みなら、喜んで」

 僕達は握手を交し、晴れて友達という関係になった。

 こうして発火現象から始まったこの件は、ハッピーエンドで終わりを迎える。暁月は大事なものを失いながらも、それ以上に大切なものに手を伸ばした。その手に掴めるかは、暁月しだい。僕に出来ることは、すでにない。だから精一杯、応援をしよう。

 友達として。

 これにて語り終えるのは、惹にまつわる物語である。

 妬けて、焦がれてしまうような、真っ赤な縁の御話だ。

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