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夜叉往来  作者: BUTAPENN
第四話 「地より叫ぶもの」
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第四話 「地より叫ぶもの」(3)




 統馬が澤村を「女郎蜘蛛」と呼んだとおり、確かに家庭科準備室の内部は、天井といわず壁と言わず無数の細長い呪符が垂れ下がっており、その絡み合う様はまるで蜘蛛の巣を思わせた。

 そしてその中央、入り口の扉に向けられた丸椅子には、人の形をした「もの」が座っていた。

 頭部。胴体。そして足。洋裁の糸か何かでパーツ同士を細かく縫い合わされた、手のない人形。

「マネキン? ……田無さん?」

 部屋の外からチラリと覗いただけの詩乃は、最初そこに置かれたものを作り物だと思った。皮膚は硬く青白く、まるで粉をまぶした蝋人形か何かに見えた。しかし、目を凝らすにつれて、表面を覆う白い粉は、たった今冷凍状態から取り出されたための霜だとわかった。

 冷凍。

 数時間前、彼女は準備室の大型冷蔵庫を開けた。

 下の棚にブルーのごみ袋に入った「何か」があるのを目にしながら、上の棚のアイスクリームを取り出して、澤村と食べたのだ。

 そのことに思い至った詩乃は、こみあげてくる悪寒に両手で口を押さえ、あわてて教室の隅の洗面台に走った。

 女教師は、教務机が取り払われた準備室の奥に、足を組んで座っていた。薄い青の清楚なスーツの前をはだけ、妖艶な黒いレースの下着を露にしている。統馬の険しい視線に気づくと、華奢な顎を持ち上げ、男の嗄れ声で笑った。

「どうだ、美しいだろう。この永遠に若く美しい少女の肉体。あとは手さえ得られれば、婆多祁哩さまの霊力によって、私はこの身体に乗り移ることができるのだ」

「愚かな」

 蔑むように答えると、統馬は天叢雲を構えた。

「おっと動いてみろ。このふたりが見えるな?」

 澤村は、日本刀の先を自分の足元の床を向けた。そこにはT高の制服を着たふたりの少女が意識を失い、ころがされていた。

「…・・・そいつらは?」

「家庭科クラブ部員。おまえたちと同じクラスの山根と嶋田だよ。たった今呼び出して斬ろうとしていたところさ。光影が飢えてもう待てないと言うもんでなあ」

 彼女は勝ち誇って笑った。

「この子たちを助けたければ、その刀を捨てるんだな」

「まさか」

 統馬も負けずに冷笑する。

「そいつらには草薙を燃やされた恨みこそあれ、助ける義理なんかこれっぽちもない。煮て食おうが焼いて喰おうが、てめえの好きにすればいい」

「ふふふ。人質に頓着を見せぬのが駆け引きの常道か。それならこちらも遠慮なく血を吸わせてもらおう。血を吸えば吸うほど光影は妖力を高めるのさ!」

 澤村がかっと目を剥きだし、その手の刀を床の少女たちに串刺そうとしたとき、

「待って!」

 詩乃の甲高い声が響いた。

 ふらふらと部屋の入り口に寄りかかっていたはずの詩乃が、いつのまにか統馬のかたわらでバッと両腕を広げていた。

「私の手をあげる。この手がほしかったんでしょう? だからその代わりに、ふたりを助けて!」

 少しでも、時間をかせぐ。そのあいだに統馬がきっと行動を起こしてくれるはず。

「ほう、さすがクラス委員長。自分をイジメたクラスメイトのために命を投げ出すか」

 澤村は笑いを噛み殺しながらも、詩乃のすらりと伸ばされた腕を魅入られたように見つめた。

「どうせ、さっきの結界の力を頼みにしているのだろう。だがそうはいかぬ」

 ことばを言い終わらぬうちに、天井からしゅるしゅると生き物のように呪符が伸び、詩乃の首や手足に巻きついた。

「キャアアッ!」

「この部屋は呪符の呪力により、結界を無効にできるのさ。さっきのようには逃げられぬぞ!」

 呪符にがんじがらめにされ、空中に吊り上げられていく詩乃の身体を、

「弓月!」

 統馬が振り仰ごうとする。

「おっとよそ見していいのか。おまえの相手はこっちだ!」

 すかさず澤村が、刀を構えて跳びかかった。

 妖刀・光影と霊刀・天叢雲。

 ふたつの剣は、はげしい火花を散らして刀身を交えた。



「ナギ……ちゃん」

 詩乃はなんとかして、呪符に手を伸ばして千切り取ろうとした。しかし、固く縛りつけられている両手はびくともしない。

「詩乃どの。やはり結界が発動せぬ」

 彼女のブラウスのポケットから這い出てきた草薙は、肩にしがみつく。

「どうすれば、……いいの?」

「このあいだ教えた金剛網と金剛炎の結護法真言を唱えるのじゃ。たとえ一瞬でもわたしの結界の力と合わされば、この部屋の呪符の力を消せるはず」

「わかった。やってみる」



 刀が合わさるたびに、びりびりと痺れが走る。

 澤村の撃ち込みは女とは思えないほどの膂力りょりょくだった。常人ならば、一瞬で筋肉がずたずたになってしまっているだろう。もはやこの女教師は精神も肉体も完全に夜叉に支配されているのだ。

「いひひ……」

 いまや醜い鬼女の形相となり果てた彼女は、刀と文字通り一心同体となって、執拗な攻撃を繰り出してくる。さすがの統馬とて、受けとめ払い退けるのが精一杯で、攻撃に転ずることができない。まして背後に、囚われている詩乃がいればなおさらのこと。

 血に飢えた刃は、翻るたびに不気味に光り、切先が体のそばをかすめていくとき、生き物のような声を立てた。

 「吸いたや、吸いたや。こやつの血を」と聞こえるわらい声を。

 俺の血を、吸うだと?

 それならば吸わせてやろう。



「オン・ビソホラダ・ラキシャ・……バザラ・ハンジャラ・ウン・ハッタ」

 呪符に捕えられた片手ずつで印を作り、詩乃は必死で真言を唱えようとしていた。

 だが、そうはさせまいとする残酷な意志が紙を通して伝わってくる。首にからみつく呪符が徐々に、徐々に強く巻きついた。

「オン・アサンマギニ……く……はぁっ」

「詩乃どの。がんばるのじゃ!」

 大きな黄金色の瞳に祈りをこめて、草薙は励まし続けた。

「無理……。私……もう」

「諦めが次の諦めを生むのだ。統馬がなぜそなたを一度も振り返らずに戦っていると思う!」

「う……」

「詩乃どのなら、できると信じているからじゃ。真言陀羅尼はただの呪文ではない。人の持つ想いの強さが言葉にこめられてこそ、力を発揮するもの。詩乃どのの想いは、決して負けはせぬ」

 想いの強さ。

 彼女は、うっすらと目を開けた。

 矢上くん――。

 彼といっしょに戦いたいと思ったのは、もう終わり? また彼のお荷物になってしまうの?

 そんなのは、いやだ。

「オン・アサ……」

「その調子じゃ!」

「オン・アサンマギニ・ウン・ハッタ オン・シャウギャレイ・マカサンマエン・ソワカ」

「な、何っ」

 草薙は、驚愕した。

 次の瞬間、部屋の空気に異変が起きた。薫りを含んだ清涼な風が吹き、すべての呪符がその風を浴びて、まるで朽ちた葉のようにしなえ始めたのだ。

「今の最後の真言は、重結界【大三昧耶だいさんまや】! まだ教えておらなんだはずなのに」

 呪縛を解かれた詩乃は床に叩きつけられたが、力をふりしぼって立ち上がった。

「おのれ、小娘っ」

 澤村は、呪符の妖力が打ち破られたことを知り、逆上して詩乃に切りかかろうとした。そうはさせまいと統馬が回り込み、邪刀を下から受け止めて、擦り上げ、なぎ払う。

 詩乃はその隙に、級友たちのところに駆け寄った。

「嶋田さん、起きて! 山根さんも」

 目を覚ます気配のないふたりの手首をつかみ、渾身の力をこめて、ずるずると引きずり出した。

 準備室から外の家庭科室に出た詩乃は、あっと悲鳴を洩らした。

 校舎全体に張ってあった草薙の結界の効力が切れたのだろう、三階の廊下はもはや煙が充満している。

「矢上くん、どうしよう。もうそこまで火が!」

「屋上へ行け、弓月」

 彼は肩越しに詩乃を振り返って、大声で叫んだ。

「屋上に、久下が待っているはず。急げ!」

「久下さんが……? わかった」

 詩乃は家庭科室をぐるりと見渡し、展示してあったエプロンを数枚ひっつかむ。そして棚の中にしまわれていた製作中のキルトカバーも見つけた。それらを全部、家庭科室の作業テーブルのシンクに突っ込んで、蛇口をありったけひねる。幸いなことに、古い貯水槽方式の水道は、まだ勢いよく水を出した。すべてのテーブルの蛇口を使ってボウルに次々と水を張る。

 そして、そのボウルの水を片っ端から、気絶しているふたりにぶっかけた。

「ふたりとも、死にたくなかったら起きて!」

「ゆ……づき……さん?」

 ようやく意識を取り戻した彼女たちは、まだぼんやりとしているようだった。

「いい、よく聞いて。今からすぐ屋上に逃げる。廊下は下からの火が回ってきてるからすごい煙だけど、まだ間に合う」

「あ…・・・、あ……」

 ふたりは驚きのあまり、口がきけない。なぜ自分が学校にいるのかも、そしてなぜ回りが火に囲まれているのかも理解できないらしい。

 家庭科クラブに属しているふたりは、夜叉刀と澤村教諭の最も近くにいた。だからこそ、その妖力に影響されて悪しき思いに取り憑かれたのだろう。そして、イジメの標的になっている詩乃の鞄を盗んで火をつけたりしたのだろう。

 詩乃は自分も頭から何杯も水をかぶった。

「さあ、行くよ」

「無理、廊下はあんなに燃えてるのに」

 ひとりが顔をくしゃくしゃに歪め、おびえて首を振った。「窓から逃げよう、救助袋を伝って」

「だめ、下には逃げられない。夜叉が町中にあふれてて危ないの。屋上なら助けてくれる人がいるから」

「だって、焼け死んじゃう」

「だいじょうぶだったら!」

 詩乃はそう怒鳴ると、水をぼとぼとに吸い込んだキルトを振り上げて、バサッとふたりの頭の上に叩きつけるようにかぶせた。

 自分をイジメた山根たちに対する恨みがないと言えば、嘘をつくことになる。

 でも、その憎悪さえも包み込むもっと激しい、もっと大きな感情が、今の詩乃を突き動かしていた。

「生きるのよ! このキルトは、あなたたちが一針一針、心をこめて縫ったものでしょう。中の綿がたくさんの水を吸った。このキルトならだいじょうぶ、火を防いでくれる。自分たちが作ってきたものを信じて!」

 そのことばを聞いてようやく落ち着きを取り戻したのか、キルトの陰になったふたりの頭が、かすかにうなずいた。

 詩乃はエプロンをくしゃくしゃに丸めて、ふたりに渡した。

「これを口と鼻にあてて。姿勢をできるだけ低くして」

 そして、自分も残りのエプロンをかぶって、扉を引き開けた。

「早く!」

 廊下は白い煙が充満して、ほとんど数センチ先も見えない。慣れ親しんだ校舎の様子を思い描きながら、階段に向かって一歩一歩進んでいく。

 先頭を行く詩乃の前髪を、階下から飛んできた火の粉がちりりと焦がす。

「だいじょうぶか。詩乃どの」

「……ナギちゃん。どっち?」

「もう少しじゃ。あと三歩で階段に着く」

 下からの火と煙に煽られ、せかされるようにして階段を昇ると、屋上への扉がくっきりと、夜の闇に向かって開け放たれているのが見えた。

 ころがるように外に飛び出すと、身体にまとわりついていた煙が一瞬でちぎれて吹き飛ばされた。屋上の真ん中で、夜空を背景に銀色のヘリコプターがプロペラを回したまま待機していた。

「詩乃さん!」

 久下尚人が、金髪をなびかせヘッドライトの中を駆けてくる。

「中にいたのは、これだけですか?」

「はい。でも矢上くんがまだ」

 爆音に負けないように怒鳴った。

「統馬なら心配ない。いったん町の外に出ます。市内はあちこちで同じように火災が発生して危険だ」

「そんなにひどいの?」

「さあ、乗って」

 久下はキルトにくるまって放心しているふたりをヘリコプターの方に押し出して、振り向いた。

「詩乃さんも」

 詩乃は煤で汚れた顔を決然と上げ、一歩うしろに下がった。

「私……戻る」

「なんだって?」

「矢上くんが心配。もしかすると火が怖いんじゃないかって。なんだか……なんだかもう会えなくなるような、今そんな気がしたの。だから、迎えに行く」

「何を馬鹿なことを、……詩乃どの!」

 肩に乗っていた草薙が、あわてて彼女の袖を口で引っぱる。「早く、逃げるのじゃ」

「だって私、矢上くんといっしょに戦うって決めた。ここで逃げたくない。……わがまま言って、ごめんなさい。ふたりをよろしくお願いします」

「弓月さん!」

「詩乃さん!」

 詩乃は、級友たちの叫びと久下の手を振り払うと、ふたたび白煙の渦巻く校舎内に飛び込んだ。

   





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