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夜叉往来  作者: BUTAPENN
第四話 「地より叫ぶもの」
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第四話 「地より叫ぶもの」(2)



 紅色と薄闇色に染め分けられた校庭を駆けて来る弓月詩乃の姿を見たとき、統馬は今までの人生でこれほど安堵したことはなかった。

「矢上くん!」

 校門の鉄扉を開けて校内に入ってきた彼に気づき、詩乃はひきつった表情を一気にゆるめて、泣き笑った。

「いきなり刀で斬りかかられて……、ナギちゃんが……とっさに結界を張って助けてくれたの」

「相手は誰なんだ?」

「……澤村先生」

「あの家庭科の女教師が?」

「統馬」

 詩乃の背中のリュックから、マスコットに変化している草薙が強ばった声で話しかけた。

「女の手にあった刀はただの刀ではない。噂に聞いたことはないか。備前国・光影。南北朝の世から生きてきた――夜叉刀じゃ」

「夜叉刀?」

 と詩乃が声をあげるも、統馬がさえぎる。

「そいつらは今どこにいる?」

「われらが逃げ出したあと、部屋に鍵をかけて閉じこもってしもうた。奴らも強力な結界を張り巡らして何かを守っているようじゃ」

「くっそう」

 吐き捨てるように言った統馬は、背中に背負っていた日本刀を袋から出して、校舎に向かって歩き出した。

「ま、待って。私もいっしょに行くわ」

「おまえは来るな」

 しかし、ふたりは同時に足を止めた。

「おい、誰だ、そこにいるのは」

 誰何の声とともに、紺の制服の初老の男が走ってくる。「止まれ。新館にしのびこんだというのは、おまえたちだな」

「警備員さんだわ」

「ちっ、澤村が不審な人物がいるとでも通報したな。間がよすぎる」

 統馬と詩乃は顔を見合わせた。

「いったん引く。面倒なことにしたくはない」



 警備員を振り切って逃げ出し、とりあえず詩乃の家まで戻って時をうかがうことに相談がまとまった。道すがら、気丈なふりをしていたものの、詩乃は体の震えを隠すことができない。

「まさか……。澤村先生がこんなことを」

「だいたい、統馬。おまえは三ヶ月のあいだ、いったい校内のどこを捜しておったのじゃ」

 草薙も、妖刀を目の当たりにしたことに大きな衝撃を受けているらしく、ことばがいつになく激しい。

「家庭科の授業をサボり倒して、教室にも入らないから見抜けなかったのじゃ」

「それじゃ、貴様は俺にミシンでエプロンを縫えというのか。ひらひらフリフリのついた割烹着だぞ。そっちこそ女生徒の胸や尻にばかり気を取られて、鼻の下伸ばしやがって!」

「そ、そんなことしとらんわい」

「だから、そばにいても夜叉刀の存在を感じ取れないんだ、同族のくせに! この助兵衛じじいっ」

 ふたりのどうでもいい言い争いからは、詩乃を危険な目に合わせてしまった自責と苛立ちがあふれている。

「夜叉刀って?」

 詩乃が訊ね、ふたりは口をつぐむ。

「あまりにたくさんの血を吸い過ぎた業物わざものの中には、それ自体があやかしとなり、自分の意志を持つものがある」

 むっつりとしている草薙の代わりに、めずらしく統馬が説明した。

「そして持ち主となった人間を操り、さらなる血を求める。命の通わぬモノにすぎないが、何百年もの長い年月のあいだ人間の怨念を浴び、霊魂を吸うことによって、夜叉となった」

「そんな何百年も前の刀がどうして、うちの高校にあるの?」

「たぶん徳川の世あたりに、僧侶によってこの地に封印されて長い眠りについていたのだろう。それが婆多祁哩ばたきりがこの町を『狩り場』と定めたときに、呼応して目覚めてしまった」

「そして、澤村先生があの刀の虜にされてしまったのね」

「弓月。おまえはなぜ、今日澤村のところに行った?」

「7月から行方不明になっている、うちのクラスの田無さんのことを聞きたくて……。田無さんは、いなくなる前に澤村先生のところに行ったらしいの」

「……そいつも含めて、この春から全校で9人の生徒の行方がわからなくなっている。久下の調査では、そのうち半数は家出や非行などの理由がまったく見当たらない」

 そう言って、統馬は唇を噛みしめて黙り込んだ。

「それらの事件は、夜叉刀の目覚めと関係しているのかもしれぬ」

 草薙が、沈鬱な声で引き取る。

「とすると、その子どもたちは……口にするのも忌々しいが、夜叉刀・光影の餌食となった恐れがあるのう。そしてこのT高にはびこっていた他の隠形夜叉どもの悪行も、その妖力の影響を受けた可能性が大きい」

 角を曲がると、詩乃の家が見えた。閑静な住宅街の2階建ての一軒家。門灯だけが青白く、中は真っ暗だ。

「おまえの両親は?」

「今日も帰りは夜中だと思う」

 詩乃は鍵を取り出して、玄関の扉の鍵穴に差し込んだ。

「入って。麦茶と、なにか食べるものを持って来る。それに私ももっと身軽な格好に着替えたいし」

 統馬は首を振った。

「俺はすぐ学校へ引き返す。おまえは草薙とここに残れ」

「なんで? 私もいっしょに行く」

「おまえは一度、夜叉刀に狙われた。奴らは一度狙った獲物の血をあきらめない。それに数百年の歳月を経た夜叉刀だ。危険すぎる。俺とて、おまえを無傷で守れる保証はない」

「私なら大丈夫」

 むきになって言い返す。

「私、ナギちゃんに真言を教わってるんだよ、避除へきじょ結界真言。見てて」

 詩乃は玄関にぴんと背筋を伸ばして立つと、両指を組み合わせた。

『オン・ソバニソバ・ウン・バザラ』

 彼女の回りに、渦巻くように気が動き始めた。

『オン・ビソホラダ・ラキシャ・ハンジャラ・ウン・ハッタ』

 かすかに、清浄な香に似た香りが漂い始める。

「もういい」

 統馬は驚きを隠すために、怒ったような顔をした。「いつのまに?」

「あの土屋さんの豪邸に行ったときからずっとだよ。びっくりした?」

「詩乃どのは、やはり素質がある。わたしの見込んだ目に、狂いはない」

 と草薙が、白い毛でふわふわの胸を得意げに張る。

「お願い、連れてって」

 詩乃は、懇願するように統馬を見つめた。

「だって、あの刀で、田無さんが斬られてしまったのかもしれないんでしょ。大切な命が身勝手な理由で奪われてしまうなんて。……私、許せない、許せないよ」

「……」

「せめて、私の目で矢上くんが調伏するのを見届けさせて」

「どうやら、そうするしかないようだ」

「え?」

 統馬の抑揚のない低い呟きに、詩乃は背筋にぞっと戦慄が走るのを感じた。

 彼が振り向いた方向、玄関の扉から戸外を見て、あっと息をのむ。

 そこには、何十人もの人間が弓月家の門の格子模様に掴みかかる勢いで、押し寄せていたのだ。

 族風の若者もいた。スーツ姿のサラリーマンも。つっかけ履きの主婦も。顔中に皺をきざんだ老人さえも。

「婆多祁哩が、いよいよ動き始めた。T市中の夜叉に憑かれた人間を操り、俺たちを襲わせる気らしい」

 統馬は、喉の奥から楽しげな笑いを洩らした。

「弓月。おまえをここに置いていくわけにはいかなくなったみたいだな」

「望むところよ!」

 萎えそうな心を奮い立たすために、詩乃は頭のてっぺんから抜けるような大声で叫んだ。



 脱出劇が始まった。

 統馬がすばやく数種の手印を結ぶと、殺到してきた人間たちは吹き飛ばされるように、後ろに退いた。それでも向かって来る者は鞘に入った天叢雲あめのむらくもでなぎ払い、ふたりは一気に駆け出す。

 新手が行く先に回り込んでいることを悟った統馬は、かつてのように詩乃を小脇に抱くと、夜の街を跳躍した。

 今度は詩乃は目をつぶらない。めまいを起こしそうになりながら、しっかりと回りの様子を目に収める。

(いつも私は助けられてばかり。そうではなくて、矢上くんの役に立てるようになりたい。いっしょに戦えるように)

 詩乃は夏休みのあいだ、統馬といっしょにいろいろなところを回った。術者にとって調伏とは、憑かれた人間の苦しみを浴び、あれほどの痛みをともなうものだということをあらためて知った。

 統馬がその痛みに耐えて、黙々と夜叉追いのつとめをこなしてきたのは、夜叉に対する限りない義憤がそうさせているのだろう。

 人間の抱く愛情や死の嘆きにさえつけこみ、憑いた人間をいたぶって嘲笑う、夜叉という存在全体への激しい憤り。

(私も矢上くんの痛みを分かち合いたい。私もこれから、夜叉追いの仕事が少しでもできたらいい)

 いつのまにか、そう心のうちに念ずる。

 町中にあふれる夜叉に操られた人間たちを振り払い、ようやく高校まで戻ってきたときは、さすがの統馬も息を切らしていた。

 あたりに漂う鼻を突く異臭。その理由が、塀が通用門のところで切れたときにわかった。

「あっ!」

 新館の校舎が燃えている。建物の入り口部分が黒煙に包まれ、一階教室の窓からは、真っ赤にたけり狂う炎が見える。

「まさか澤村先生が火をつけたの?」

 駆け寄りながら、詩乃が叫んだ。

 本館との連絡通路側の入り口に人影がある。

「ひひひぃ。燃えろ、燃えろ!」

 制服の男――さきほど、統馬たちを誰何した警備員が灯油の青いポリタンクを肩に抱え、中身をあたりに振りまいている。

 統馬は抜刀すると、一瞬のちにはその男を背中から袈裟懸けに斬りおろしていた。

「この人まで夜叉に憑かれてしまったのね」

 地面にぐにゃりと倒れ伏した男を気味悪そうに見つめながら、詩乃は統馬のもとに駆け寄った。

 統馬は、キッと校舎の上階を見上げた。

「草薙。建物全体に結界を張れ」

「心得た」

 室内で燃えさかる炎の轟々という音が弱まったような気がする。

「これで、しばらくは火の勢いと、外部からの人間の出入りを食い止められる。一時しのぎにしか過ぎないが」

 統馬は火に赤く照らし出された瞳で、詩乃に振り向いた。

「中に入る」

「うん」

 扉の取っ手の金属部分は信じられないほど熱くなっていた。一階廊下は、高温の煙のために視界が利かない。電気系統もすべてショートし、真の闇と化した階段をゆっくりと上がっていく。

「統馬、平気か」

 詩乃の肩に乗った白狐が、尻尾で空気を扇ぎながら心配そうに声をかける。

「ああ」

「矢上くん、もしかして火が怖いの?」

「バカにするな。そんなはず、あるか!」

 冗談のつもりだったが、返ってきた激しい声に、詩乃は驚いた。そう言えば、さっきから統馬の背中がぴりぴりと緊張しているように思える。

 1階から2階、2階から3階。

 予想に反して、彼らを迎え撃つ夜叉の手先どもはどこにもいなかった。3階の廊下はまだ煙もなく、ひんやりと静まり返っている。

 ただ、手ぐすねひいて待ち構えている者の気配だけが、痛いほど伝わってくる。

 家庭科教室の引き戸をがらりと開け放った。

 真っ暗な教室を横切り、さらに奥の準備室へ。

 扉を開けたとたん、目に飛び込んできた異様な光景に、詩乃は「ひっ」と喉をつまらせた。

「よくぞ来たな。夜叉追い。おまえの歓迎の準備にぬかりはないぞ」

 統馬は、部屋の中央に置かれた「もの」にちらっと目を走らせると、真直ぐに部屋のぬしの女を見据えた。

「夜叉刀・光影。そしてそれを操る女郎蜘蛛。おまえたちをこの巣もろとも、ぶった斬ってやるぜ!」

         




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