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夜叉往来  作者: BUTAPENN
第三話 「天に叛くもの」
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第三話 「天に叛くもの」(3)



 なんともタイミングのよい雷雨が、屋敷全体を塗りこめる。



 結局、約束は約束だと主張する土屋信継に押し切られ、統馬と詩乃は奇妙な心霊現象の起こるというその部屋で、夜を明かすことになった。

 統馬はしきりに帰れと勧めたが、詩乃にその揺るがぬ決心をさせたのは、いくら両親の携帯に連絡してもつながらなかったことである。

『朋美の家に急に泊まることになったから。何かあったらそっちに電話して』

 との伝言を残した。これで両親から朋美の家に電話が行って、嘘がばれてもいいと思う。

 むしろ、そのほうがいい。「男と外泊するなんて」と、思い切りぶたれてもいい。でも、そんな親らしいことをあの両親はまずしないだろう。

 ふもとのコンビニで、替えの下着や歯ブラシなどのお泊りセット、弁当や缶飲料などを買い込んで、ふたたび屋敷に戻ってきた。

 食事を終え、詩乃は件の部屋の固い床に居心地悪そうに座った。土屋氏にはトイレも風呂も自由に使ってよいと言われたものの、霊がいる家などで暢気にシャワーを使う気分にはとてもなれない。

 信継が手配した貸布団が二組、部屋の隅に積まれているが、なるべく見ないようにする。

「なんか、おばけムード満点だね」

 冷房が効きすぎているのか、背筋が寒い。湿気で真っ白に曇った窓ガラスを勢いよく伝う雨を見つめて、ただ時間の過ぎるのを待つ。

「ねえ、夜叉に憑かれていない死霊っていうのも、私たちの回りにいるの?」

「それはそうだ。今の時代の奴らが信じているように人間は死んで終わりの存在ではない。次の世界に行かず、浮遊霊としてこの世界を漂うことを選ぶものもいる。その中でも特に強い邪念を持ち夜叉に食われた霊だけが、夜叉追いの調伏の対象になる」

「じゃあ、ここに霊がいるかどうか、……矢上くんには見えるの?」

「さあ、どうかな」

 統馬は眠たげに背中を壁にもたせかけて、逆に訊ねた。

「弓月。おまえはこの家の騒動の正体を何だと思う?」

「やっぱり、亡くなったおばあさん、ミツ江さんの霊かなあ」

 詩乃は、怖さに少しかすれた声で答えた。

「この部屋はミツ江さんの私室だったと言うし、あの壁のシミもそれっぽいし……

土屋さんがお母さんが病院で亡くなったことを強調してたのも、怪しいと思うのよね。肝臓の病気と言っていたけど、長期にわたって砒素みたいな毒を少しずつ食べ物に混入されていたってこともあるでしょ。

自分は殺されたんだ。そのことを誰かに訴えたくて、現われるのか……」

 閑静な住宅街は、車のエンジンの音ひとつしない。詩乃は小さく身震いをし、さらに声をひそめた。

「それか、もしかすると、この館を建てた紡績商一家の呪いがこの家自体にかかってたのかもしれない。

昔、血で血を洗う惨劇があって、死体がひそかに壁に塗りこめられたのよ。そのまま、この家は土屋家に渡った。そして数十年が経ち、改装工事で壁紙をはがしたときに、血のシミが現われ、それをきっかけに霊が目覚め……」

 窓が一瞬、昼のように明るくなり、遅れて来た雷鳴が雲に長く低く反響した。

 詩乃は自分の息が次第に、浅くせわしなくなってくるのを感じた。手のひらにじっとりと冷や汗がしみ出ている。

 なんのことはない。自分のことばに一番怖がっているのは、自分だった。

 そのとき、どこかでかすかに、甲高いこすれたような音がした。

「ひっ」

 思わず、統馬の両腕にしがみつく。

「おい」

「あ、ごめん」

 詩乃はあわてて彼から離れると、きょときょとと部屋中を見渡した。

「ねえ、今の聞こえた? 椅子をキキッて引いてるみたいな音」

「そうか? 俺には聞こえんが」

「おかしいなあ、聞き間違いかなあ」

 なんとか深呼吸をして気を落ち着けようとした。

 突然、がたんという音が響いた。

「きゃあああっっ!」

 詩乃はまた統馬に抱きついた。

「今度こそ聞こえたでしょう、何かを床に落としたような音……。ほら、また!」

「俺には何も聞こえない」

「うそぉ。そんなはずは……ひゃあッ!」

 今度は女がすすり泣くような声が響いてきた。遠くから近くから、それはどこかから聞こえるというより、部屋全体を蔽い包むような、哀しげなむせび泣きだった。

「いやああ。嘘でしょ」

 合わせて、地の底を這いながら上がってくる、苦しげな呻き声まで。

「矢上くん、なんとかしてぇ」

「やめろ、暑苦しい」

 押し返されそうになるが、そうされまいとして、ますます全身を押しつける。

 不気味な物音が家中で響くたびに、詩乃は統馬にしがみついては、声にならない悲鳴をあげ続けていた。



 雨がすっかりあがったのか、いつもより透明な朝の陽射しが窓を通して差し込んでくる。

 詩乃ははっと目を覚まし、自分の頭が統馬の身体の上にあることを知って、驚愕した。

 もしかしてあのまま眠り込み、一晩中、彼に膝枕をさせてしまったのだろうか。

 がばと跳ね起きたとたん、薄く目を開け不機嫌そうな統馬の顔に視線がぶち当たった。

「どけ」

「ごめんなさい」

 あわてて飛びのくと、痛そうに脚をさすっている。

「俺が理性のある男で、感謝するんだな」

「は、はい」

 ゆうべシャツを通して感じられた彼の胸板の広さを思い出して、心臓が悲鳴を上げる。ようやく気持ちを落ち着けると、詩乃は立ち上がって、部屋を見渡した。

「結局、正体はわからなかったね。壁のシミも変化ないし」

 統馬も立ち上がって、部屋の天井をじっと見上げていたが、やがて振り返った。

「弓月。おまえに頼みがある」



 ずいぶんと早朝にもかかわらず、待ちかねたように土屋信継が玄関の呼び鈴を鳴らした。

「いかがでしたか」

「それが……」

 心霊現象は現われたが、結局打つ手立てがなかったことを詩乃が正直に話す。

 それを聞いた土屋氏は、不思議なことにどこかほっとした顔をした。

「それでは、しかたありません。せっかくご足労を願いましたのに残念です」

「土屋さん、もう一回だけやらせてください」

「え?」

「今度は土屋さんも同席してください。朝の真実の光の中でもう一度、霊に語りかけてみたいのです」

 詩乃の行動は、さっき統馬に指示されたとおりのものだった。

「無理に真言を唱えるな。ただ黙って心の中で、霊に向かって問いかけるだけでいい。そして、感じたことありのままを、あの男に話すんだ」

 詩乃は、部屋の中央の床に立ち、目を閉じた。

 この家にもし霊が災いを及ぼしているとしたら、それはミツ江さん、あなたなのですか?

 あなたは何を言いたいの? 私たちに何を伝えようとしているの?

 突然、詩乃の瞼の裏に、一組の家族の姿が浮かび上がってきた。

 幼い子どもたちが楽しそうに呼び交わしながら、ばたばたと家中を走り回っている。そして困ったようにあとを追いかけている若い両親。

 ああ、これがかつての土屋さん一家。この家の中で紡ぎ出され、壁に、床板に、釘一本にまで記憶されてきた風景。

 たとえ家族の形がすっかり変わり、どんな悲しいことがあったとしても、ミツ江さん、こんなに穏やかに微笑んでいたあなたが、自分が暮らしたこの家を、自分の子どもたちを呪うはずはないよね。

 不思議な暖かさ。暖かくて悲しくて、静かな喜びが満ちてくる。

 詩乃は目を開いた。

「いかがでしたか」

「あなたのお母さまは、この家をとても愛しておられました」

 答える彼女の目にはうっすらと涙がにじんでいた。

「でも、ミツ江さんが何よりも望んでいるのは、この家を残すことじゃない。あなたたち四人の子どもたちがいつまでも仲良く、幸福に生きていってくれることだけです」

 土屋氏はそれを聞いたとたん、はっとして身をこわばらせた。

 そして、みるみるうちに顔をくしゃくしゃに歪めて、

「おかあさん……」

 わっと床に泣き伏したのである。



「いったい、真相はなんだったの」

 朝もやのかかった坂道を駅に向かって下りながら、詩乃はさっぱり納得がいかない様子で、統馬に問いかけた。

「あの男の名前は『信継』。だからこそ、亡くなった両親の遺志を継ごうとしたのだろう。それが答えだ」

「ますますわからない」

「あの家は、彼の両親が長年愛してきた家。手入れの良さを見てもそれがわかる。長男の信継はその遺志を姉たちの誰よりも深く受け止めた。

だが、三人の姉たちはそうではなかった。それぞれの事情で遺産が欲しかったのだろうな。姉たちに押し切られる形で、家の処分に同意した信継は、一方でひそかにそれを邪魔することを決意した。

独身のまま病気の母を長年看病してきた自分の人生に対する悔い。それなのに、嫁いでからは家にも寄りつかず、親の世話を押しつけた挙句、遺産だけは要求する姉たちに対する強い怒り。自分の半生を捧げたこの家に対する執着が、あの男を狂言へと駆り立てた」

「狂言って、それじゃあ、まさか」

 目を丸くする詩乃に、統馬は肩をすくめて見せた。

「入居者に怪現象を目撃させて、幽霊の噂をばらまく。家は売るに売れず、いずれ姉たちも諦めると踏んだのだろう。

家具の音や女のすすり泣きは、壁や天井にしこんだスピーカーから流れていた。おそらく改装工事のとき自分で取り付け、入居者に聞かせるために、どこかから操作していたのだろう。信継の本業は電気技師、お手のものだ。

壁のシミも何かの薬品が少しずつ流れ出し、時間をかけて壁を変色させるように細工した」

「私たちはただ、噂が本当だと回りにアピールするために呼ばれたのね。霊なんて、最初からいなかったんだ」

「いや。そうとも言い切れん。動機はどうであれ、信継は愛していたはずの母親を悪霊に仕立てた。家に対する愛着はいつのまにか、邪念に近い妄執と呼べるものに変わっていたのだろう。

このままでいればあの男は、その思いに引き寄せられた母親の霊ともども、いずれは夜叉に取り憑かれていたかもしれん」

「そういえば、別れるときの土屋さんの顔、きのう会ったときと全然違っていた。何かすっきりと迷いが晴れたような……」

 統馬は喉の奥で笑う。

「そうならなかったのは、おまえのおかげだ。この家に残された霊の記憶に心を寄り添わせ、あの男を諭してくれたからだ」

「え? さっきのあのことばは、矢上くんが私に言わせてくれたんじゃなかったの?」

「さあ、俺は何もしていない。おまえの霊力の賜物だろう」

「また、そういうことを言う」

「さあ、早く帰るぞ。こんな仕事を寄こしやがって、久下をぶん殴ってやる」

 むくれている詩乃を置いて、彼はひとりで坂道をずんずん下っていく。

「あれ、でも……」

 最初から霊現象ではないとわかっていたのなら、どうして統馬は昨夜そのことを教えてくれなかったのだろう。話してくれれば、おびえて彼に抱きつくこともなかったのに。

 そういえばナギちゃんも、いつのまにか姿が見えないし……。

 詩乃はそこまで考えて、ぴたりと立ち止まった。

 もしかすると、矢上くんはわざと私を恐がらせていたのでは……。そして……。

 みるみるうちに、耳たぶまで真っ赤になる。

「ま、待って!」

 その自分勝手な期待を頭から振り払うかのように、蝉しぐれが降りそそぐ中を、詩乃は統馬の後を追って走り始めた。

         




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