ありふれた卒業
「先輩、卒業おめでとうございます」
「ああ、ありがとう。今日まで楽しくやってこれたのも、君のおかげさ」
春に差しかかろうとする今日この日――卒業式が行われた。何一つ問題も起きることなく終わってしまった、いや、無事に終わった卒業式を経て、俺たち二人は校門の端で話していた。
今日を以て卒業する先輩は、生徒会の役員であった。誰からも尊敬され、一部には畏敬すらされていた彼女。俺の憧れでもあり、誇りである彼女は、俺と一つ年齢が離れている。だからといって、行かないでなどと女々しいこともいうことはできまい。
「長いようで短い三年だった。一年目は学校内の統制を図るために、東奔西走した。時にぶつかり合いもしたが、充実した一年だった」
「その頃、俺はいませんでしたからね。でも、前会長が言うには、鬼の一年だったとか」 心から学校と生徒の為に立ち回り、荒れていたこの学校を正しく導いた。その行動が実を結び、彼女の噂を聞いて入学してくる生徒も増えたと言う。
「彼にも説教をしてやったな。それも随分前か」
懐かしげに笑う先輩。その表情からは溢れんばかりの輝きが見える。
「そして二年目。君が入学してきたのはその年だね。私が会長に就任したのもその年だった」
姉貴に勧められてそのまま入学してしまった。入学当初は後悔していたが、今は感謝に変わっている。今までの生活のきっかけをくれたのは、紛れもなく姉貴なのだから。
「最初はよく喧嘩したな。君はネクタイは真面目につけてこないし、服装も乱れていた。今では見る影もないがね。無論、いい意味でだが」
有り体に言うと、俺は荒れていた。喧嘩もよくしていたし、あの時は煙草も吸っていた。
「……思い出させないでくださいよ。今でも恥ずかしいんですから」
思わず、顔が赤くなるのがわかる。
「恥ずかしくなんてないさ。あの時の君があって、今の私たちがある。むしろ感謝すべきだと思うがね」
「そう、ですかね」
在りし日の俺。毎日先輩に付き纏われ、最終的には俺は見事に更生させられてしまった。無論、感謝はしているけれど。
「二年目からは早かった。会長なんていうのは初めてだったしな。私個人の問題ではなく、そこからはほかにも迷惑がかかることになる。正直、責任に押しつぶされそうだったよ。でも――楽しかった」
「楽しかった?」
責任は重かったはず。時には耐えられないほどの重圧に襲われ、身動きさえできない状況にさえ陥ったのかもしれないそれでも――彼女は楽しいと言う。
「ああ。確かに辛かったさ。でも、それだけじゃあなかった。君やほかの役員達も一緒だった。私一人じゃなかった。責任は重かったけれで、君たちが支えてくれた。それに、それを越えた先には達成感や生徒の喜びがあった。決して、後悔はしていない」
俺は役にたてたかな――そう言った同級性がいた。俺と同じく生徒会に入り、会計として働いていた。いつもミスをしていて、そのたびに俺と話し合っていた。その男が、先輩の卒業の時に洩らしたのがその言葉だ。俺はその問に答えられなかったが、今なら是と言える。
「そう言って貰えるのなら、俺たちは幸せですよ」
「ありがとう。この身が君たちになにかを与えられたなら、私にとってはそれが至上の幸福だよ」
「そして、三年目ですか」
流れていく月日。時にはバカをやり、時には真剣に問題に接する。それらを繰り返し、時間は過ぎていく。
「時間が止まってしまえばいいと思ったよ。友人たちと他愛もない会話をし、放課後になれば真っ先に生徒会室に行く。最初は一人だった生徒会も、一人二人と増えていった。ともに困難を乗り越え、進んでゆく。今までの人生の中で、楽しくて、そして一番充実していた一年だった。だけど――」
不意に先輩の顔が陰る。
「その一年も終わってしまった。本当に、楽しかったんだ。こんなに楽しくて……! 罰があたってしまいそうなほど楽しくて! それを終わってほしくないって思ってて! だけど終わってしまう! まだ、君たちと、君と一緒にあの教室で過ごしていたいのに!」
綺麗な両目から涙が流れている。めったに己の感情を表そうとしない彼女が、今俺の目の前で泣いている。
「――先輩、確かに今は終わってしまいます」
泣いている彼女に小さく告げる。
確かにこの瞬間は終わってしまうけれど、関係が終わるわけじゃない。こんなところで止まっていい人間ではないし、止めさせてもいけない。新しい道に、行かなければならないのだ。
「だけど、懐かしくなったら、また集まればいいんです。例え今が終わっても――それは過去になるだけです。言ったでしょう? 過去があるから今があるって。だから、新しい今を生きましょう」
変わらないモノはない。俺たちの関係だって、時間を経ればまた変わっていく。そう、だけど――変わらないモノだってあるんだって、俺は思いたい。
「先輩」
彼女を新しい道に導くために俺は言葉を紡ぐ。
「卒業、おめでとうございます」
「――ッ!」
「あなたの過ごしたこの学校は、俺たちが引き継いで行きます。心配しないでください。頼りない俺たちだけど、先輩に鍛えれてきたんですよ? 並大抵のことじゃ揺らぎはしません。だから――安心して、卒業してください」
もう、大丈夫だから。あなたは新しい自身の道へ踏み出してください。俺が心配ならば強くなります。だから、立ち止まらないで歩いて欲しい。それが、俺の願う唯一だから。
「そろそろ時間ですよ。ほら、これから友人と遊びにいくんでしょう? こんなところで油を売っている暇はないですよ」
「時間が過ぎるのはやはり早いな。ああ、胸に刻むよ。楽しかった瞬間を、その日々を。じゃあな、後輩。君がいたから、私は今までやってこれた。最後に一言いわせて欲しい」
儚げでありながらも、妖艶な表情で彼女は言う。
「君が、好きだ」
「――俺もです」
頭に落ちた緑色の葉を気にせずに、彼女に告げる。
「うん。それじゃあ、また逢う日まで」
「……ええ。また逢う日まで」
言葉を最後に彼女は去っていく。その足取りは軽快であり、その姿には一つの影もなく、光に溢れ、輝いている。
新しい未来に向かって、歩き出したのだ。