2. 事件編
しばらくの間、金網を上から下まで見ていたが、お目当ての「魔獣狩人」は見つからなかった。ここには無いようである。どこか他にゲームが売っているところは無いだろうか、と辺りを見渡す。するとちょうど後方、対面する壁に、黒いセーラー服の少女が文庫本を立ち読みしているのを見つけた。
メイである。長い黒髪に隠れて表情は見えないが、文庫本に没頭しているのが雰囲気でわかる。片方の足に体重をかけたりせず、背筋を伸ばした綺麗な姿勢で立っている。右手にカバンを提げているメイは、左手の指だけで文庫本のページを器用にめくった。
立ち読みをしている大学生や高校生の間をすり抜けて、謎事はメイの方へ向かった。
謎事がすぐそばまで近付くと、メイが顔を上げてこちらを見た。遠くを見るときのように、メイは目を細めた。近距離をずっと見ていたせいで、即座にピントが合わなかったようだ。
謎事は気さくに尋ねた。
「なに読んでるんだ?」
メイは淡々と答えた。
「本です」
「………えっと」
あまりにもシンプルすぎる答えに、謎事は声を詰まらせた。
「冗談ですよ。これです」
メイは本を少し持ち上げて、表紙を見せた。シックな絵の上に、「時間泥棒」と書いてある。
「ドラえもん?」謎事が聞くと、
「……SF、という点では似てるかもしれませんが……」
冷めた声で、メイは返した。
「知りませんか、これ?」
謎事は「いや」と言って首を左右に振った。
「タイトルくらいは聞いたことあると思うのですが……古典児童文学の名作ですよ?」
「オレ、あんまそういうの読まないし」
確かに、謎事が夢中になって本を読んでいる姿というのは、あまり想像できない。
「どんな話なんだ?」
「えっと……」
メイは少し考える間を空けたあと、話し出した。
「作者のルドルフ・オッペンハイムは、今から百年ほど前に活躍したドイツの作家です。『時間泥棒』は彼の処女作でして……」
「え、いや」思わず口を挟んだ。「ストーリーが知りたいんだけど」
「……」
メイは半開きになった口を結んだ。頼まれてもないのに語り出してしまったことを恥じるように、上目遣いに謎事を見た。それから目をそらして少し考えると、再び話し出した。
「『時間泥棒』は、人々の時間を盗む時間泥棒と、彼を追う女の子の話です」
謎事は首を傾げ、
「時間なんて盗めねえじゃん」
「そこはファンタジーですから。とにかく時間泥棒には、人の時間を盗む能力があるんです。時間を盗まれた人は、盗まれた分、年をとってしまいます。当然人々は混乱し、社会は成り立たなくなってしまいます」
「盗んでどうするんだ?」
「それはネタバレになりますので」
と言って、メイは文庫本で口元を隠した。「ヒミツ」のサインらしい。
「しかし、主人公の女の子――ミミと言うのですが――ミミだけは、時間泥棒に時間を盗まれませんでした。何故か、時間泥棒の能力が、ミミだけには通用しなかったんです。そこで、ミミは時間泥棒に唯一対抗できる人物として、彼を追うことになる……と、言うお話です」
「……面白いのか?」
「今の話、つまらなかったですか?」
「あ、いや……」
正直、あまり面白そうと思わなかった。「巨悪に立ち向かう、正義のヒロイン」という構図は、確かにハリウッド映画みたいで面白そうだが。
「まあ、好みは人それぞれでしょうから」
メイは無表情のまま淡々と言った。
「え、えっと……」
もしかして、機嫌を損ねてしまっただろうか。なんとか会話をつなぎたくて、謎事は口をパクパクさせた。
「そ、そういやメイちゃん、もしかして、その小説読んだことあるのか?」
「はい」うなずく。「ありますよ」
「一度読んだのに、また読んでるのか?」
しかも立ち読みで。
謎事の質問に、メイは少し目を大きくした。きょとん、としているようだ。
「面白い小説は何回でも読みますし、好きな本を本屋で見つけたら、つい手にとってしまいませんか?」
「……オレ、本読まないから」
沈黙。
しまった、なにかもっと気の利いたことを言うべきだった。謎事は後悔したが、メイは特に気にした様子もない。「そうですか」と素っ気無く呟いた。
「そういえば謎事くん。ゲームを探しているんでしたよね」
「あ、ああ」
「そこにありますよ」
メイは、すぐ横の壁を指差した。そこにはズラリと、ゲームソフトのパッケージが並んでいる。
謎事はいま気付いたが、そもそもこの一角は「漫画以外」のコーナーのようだ。入り口の対角に位置するこの場所には、小説やライトノベル、ゲームソフトやCDが置かれている。
「お、サンキュ」
謎事のお礼にメイは反応を示さず、顔を伏せてすぐに文庫本を読み始めてしまった。謎事としては、このままもう少しメイとの会話を楽しみたかったが、『時間泥棒』を読むメイの横顔から「話しかけるな」オーラが出ている気がしたので、諦めた。
それに、ゲームを探していたのも紛れの無い事実だ。謎事は素直に、ゲームソフトの入った棚の前に移動した。
こちらの棚は、先ほどの金網と異なり、パッケージ付きだった。その分、値段も高くなっている。例えば「星のハービィ ハイパーデラックス」は、1580円であった。
〔箱だけで千円以上もするのかよ〕
これまた、謎事にとっては新鮮な驚きとなった。
棚を見ていると、すぐに「魔獣狩人」も見つかった。値段は2980円。
〔たけぇ!?〕
定価は4000円以上なので、かなり安くなっている。
諦めきれずに、謎事はパッケージを手に取った。するとすぐに、「おや?」と思った。
パッケージが、妙に軽い。
改めてパッケージをよく見てみると、黄色いテープが貼ってあり、「※ソフトはレジで入れます(購入する際は、パッケージをレジまでお持ちください)」と書かれていた。
〔つまり、この中にソフトは入ってないわけか〕
道理で軽いわけだ。もっとも、ソフトもそんなに重い物ではないが。
と、視界の隅でメイがこちらを向いた。謎事は顔を上げ、メイを見る。
「どうした?」
「いえ、その……」
言いよどむ。メイの視線は、謎事ではなく、謎事の背後に向けられているようだ。謎事は後ろを振り向いたが、特に誰もいない。レジの方向ではないし、ここの棚にはゲームソフトやCDしか置いていないので、立ち読みもいない。
謎事が再びメイを見ると、メイは小さな声で、
「なんだか、誰かに見られているような気がしたもので……」
謎事は再び振り返って確認したが、やはり誰もいない。防犯カメラの類もない。正確には謎事たちの真上に防犯カメラがあるが、先ほどまで謎事のいた金網の方向をにらんでおり、謎事たちは死角に入っている。
「すみません。わたしの勘違いみたいです」
「そうか? ならいいけど」
と言いつつも、気になる。2人は顔を見合わせ、背後を確認し、また顔を見合わせた。一体なんだろう、と首を傾げる。
「あ、いた」
突然声をかけられて、2人ともビクッと肩を震わせた。声の主は、真実だった。
「な、なんだ真実、脅かすな」
「気付かない方が悪いのよ」
近年稀に見る強烈なデジャヴを感じた。
「あの、もしかして真実ちゃん、いまわたし達のことをずっと見てましたか?」
メイが聞くと、真実は「んーん」と首を横に振った。それからすぐに眉根を寄せると、メイに顔を寄せ、小声で言った。
「……もしかして、視線を感じてたとか?」
「え、あ、はい」
「……」
真実が険しい顔で黙り込む。「どうしたんだ?」という謎事の声には反応せずに、
「メイちゃん、ちょっと来て」
とメイの手をつかむと、歩き出した。
「このお店、ちょっとヤバいかも」
「え?」
メイも謎事も、慌てて手に持っていたものを元の棚に戻すと、真実のあとに続いた。
両側に壁があり、本棚が3本平行に並んでいるということは、通路は4本あるということである。そのうちの1本に、真実は入った。手をつかまれたメイが続けて入り、その後ろに謎事が続く。
左右の棚は、すべて少女漫画のようである。一面ピンク色の文字で埋め尽くされていて、謎事は軽く眩暈がした。そのピンク色の壁紙を背に、真解が腕を組んで立っていた。学ランを着て、腕を組み、難しい顔で仁王立ちをしている様は、応援団員のようにも見える。だが顔立ちが幼いため、応援団員のような険しさは微塵も感じない。
「メイを連れてくる意味はあるのか?」
と真解が第一声を放った。
「それに、ボクがここに立っているのは、明らかにおかしいと思うんだけど」
小さな声で付け加える。近くで立ち読みしている女子高生を、チラチラと見ている。変な趣味を持った男の子だと思われてないか、心配しているようだ。もっとも女子高生は漫画に夢中で、真解のことなど気にも留めていないが。
「いいじゃん、別に」と真実。「それよりメイちゃん。これ見て」
「?」
真実が指し示したのは、本棚の横板である。ちょうどメイの目線の高さに位置している。上下を漫画に囲まれた板に、小さな文字の書かれた細いテープが貼ってあった。その文字を、メイは読み上げる。
「『女子中学生は、立ち読み自由』……えっ!?」
目を丸くして、半歩下がる。傍らに立つ真実と、顔を見合わせた。
「ね、ヤバいでしょ? 気持ち悪いでしょ??」
視線を横にずらすと、通路の先にレジが見える。いまは誰もいないが、誰かが立っていたら、はっきりとこちらを見れる位置だ。
「えっと……」と、謎事だけが状況が飲み込めずに、うろたえた。「つまり、なんだ?」
「つまり」と真解。「この店のスタッフの誰か、あるいは店長が、女子中学生を見たいんだろう」
4人とも、顔を見合わせてしばし沈黙した。真実はこれを見つけたので、メイを探していたわけだ。
「それでは、わたしがさっき感じた視線が……?」
このテープを貼った人間のものなのだろう。
4人はうなずき合うと、黙って店をあとにすることにした。
立ち読みの女子高生の脇を抜け、レジへ向かう。その横を通り抜けて、真実が入り口の取っ手に手をかけたときだ。
「店長」
と、遠くで声が聞こえた。スタッフルームの中からのようだ。4人とも、気にせず前へ進もうとしたが、
「また盗まれました」
そのセリフで、真実が足を止めた。
「がっ!?」
一瞬反応が遅れ、真解の顔が真実の後頭部に激突した。
「いきなり止まるな、真実」
鼻を押さえながら、真解が文句を言う。
「だってなんか、事件っぽいよ?」
痛がる様子もなく、真実が言った。スタッフルームの方を指差す。耳を澄ますと、若い男の声と初老の男のしわがれた声が聞こえた。
「また? 今度は何だ?」と、しわがれた声。
「『魔獣狩人』です。また箱だけ盗まれました」
「え?」若い男の声に、謎事が反応した。「さっきオレが見たときはあったぞ」
「謎事くん」と真実。「まさかあなたが……」
「ちげーよ!」
スタッフルームの扉が開き、60歳くらいの恰幅の良い白髪の男と、茶髪の若者――「ますうら」だ――が出てきた。2人は半ば駆け足で本棚の間に入り、真解たちの視界から消えた。と同時に、スタッフルームから人の気配も消えた。どうやら、この時間の店員はあの2人だけのようだ。
真実は取っ手から手を離し、2人のあとを追った。仕方なく、真解たち3人もあとを追う。ゲームソフトのコーナーの前に立つ2人を、やや遠巻きに眺めた。
「あー……」と白髪が小声で呟いた。「確かに、なくなってるな」
白髪はぼりぼりと頭を掻いた。
「どうしましょう、店長」
ますうらが白髪に尋ねた。白髪の男は店長らしい。店長はますうらを見ると、
「どうしようもないな。盗まれたもんは仕方ない」
店長はぼりぼりと頭を掻くと、振り返り、真解たちのいる方へ歩いてきた。真解たちがいることに気が付くと、笑みを浮かべて
「いらっしゃいませ」
と会釈した。真解たちはおずおずと脇に避け、店長に道を譲る。「失礼致します」と店長は頭を下げて4人の前を通り過ぎ、立ち読みの大学生や男子高校生の背後を歩いていく。その後を追って、ますうらもレジの方へ戻っていった。
「しっかし……」と店長のぼやき声が聞こえた。「どうして、箱だけ盗んでいくんだ?」
「ソフトが入ってないことに、気付いてないんじゃないすか?」
ますうらが言う。店長は首をひねって、「ちゃんと書いてあるんだがなぁ。もっと大きく書くべきなのか……」と呟きながら、「STAFF ONLY」の扉を開けた。
2人がスタッフルームに消えると、真解たちは顔を見合わせた。
なんとも、不思議な事件である。
ゲームソフトの、パッケージだけが盗まれた。
それも、店長の話によれば、盗まれたのはこれが初めてではないようだ。
「お兄ちゃん」と真実は真解の袖をつかんだ。「わかる?」
わかる、とはもちろん、この事件の真相のことを聞いているのだろう。一体何故、パッケージだけが盗まれるのか。
真解は拳を口元に当て、やや俯いた。視線は床を彷徨っているが、何かを見ているわけではないだろう。それから不意に顔を上げると、
「確か、謎事が少し前に見たときは、盗まれてなかったんだよな?」
「あ、ああ」
「じゃぁ、謎事。この店に入ってからのこと、全部詳しく話してくれ」
真解が言うと、謎事は「わかった」とうなずき、話し始めた。店内には有線放送で音楽が流れているが、普通の声量の会話をかき消すほどではない。普通に話したのでは、声がよく通ってしまう。なんとなく気恥ずかしさを感じて、謎事は努めて小声で話した。それでも真解が聞くには十分だったし、近くで立ち読みをしている人間には、よく聞こえたはずだ。
店に入ってから、まだ30分も経っていない。謎事はあっという間に、起こった出来事をすべて話し終えた。
謎事の話を聞き終えると、真解は知らずに張っていた頬を軟らかくして、言った。
「今回ばかりは可能性の提示しか出来ないけど……それで良ければ、見えたよ」
~読者への挑戦状~
以上で、「問題編」は終了です。
さて、箱だけ盗んだ犯人の目的は、いったいなんでしょう。
すべての手がかりは、「問題編」のどこかに隠されています。
オマケのヒント。
真解は「解答編」で、可能性を3つ挙げます。
すべての可能性を、挙げることが出来るでしょうか。