透明標本
透明標本とは、薬品などで動物の肉体を透明化し、骨や軟骨などの内部構造を外側から観察できるようにした標本である。
僕はその展示室でアルバイトをしている。来館者はほとんどいない。そして、欠伸を咎める人さえいない。楽ではあるけれど、退屈過ぎる。
「金井くん、おつかれさまぁ。」
館長の高田さんだった。手には安い緑茶と、茶色の炭酸飲料を持っていた。目を合わせると、炭酸を顔の横に掲げた。
「飲むかい?」
「ありがとうございます、」
高田さんは幼い頃と変わらず、ただ苦くて誰も買わないような緑茶を飲んでいる。寂れてきたこの町の誰も来ないような山の中で生物博物館を開いているのだ。
炭酸を飲んだ。爽快感が喉まで降りていった。暑い中で飲む炭酸は、やけに美味しかった。
ふと後ろの展示に目をやった。そこには、ドジョウ、アユ、ヤマメなどの標本があった。青色に透けた身体が綺麗だった。
「高田さん、この標本、どこで見つけたんですか?」
そこには、『ウシガエル』と書かれたラベルが付いた、大きな透明標本があった。骨が紫に染まって、透けて見えていた。今にも跳びそうな恰好をしている。前足よりも見るからに大きな後ろ足が、跳ぶためにあることが僕にも分かった。
「お、金井くん、この子が気になるかい?」
高田さんは一歩だけ、僕の方に踏み出してきた。
話を聞くと、高田さんが飼っていた蛙の標本だという。それから高田さんは遠い目をしてこう言った。
「この子は、すごく可愛かったよ、よく懐いてねぇ。これまで何匹も蛙を飼ってきたけれど、この子だけ、十二年も生きてくれたんだ。」
僕は標本を見つめ直した。
「不思議かい?そんな子を標本にしちゃったのか、って。」
僕は頷いた。分からなかったから。
「答えはボクにも、分からないんだ。ただ、見える形で、残してあげたいと思ってね……。」
高田さんは、標本の入ったそのケースを手に取って、埃を払った。
僕は標本を見つめた。蛙の姿のまま、透明な肉の中に紫に彩られた骨が浮いていた。
戻されたそのケースは、何もなかったかのように、埃だらけの棚に戻された。
もう一度標本を見た。当たり前だけれど、蛙は動かなかった。
夕方、バイトが終わった。
「お疲れ様」
高田さんがホットドックと、野草茶を持って来てくれた。この館内の隅で売っている物だった。
「ありがとうございます。」
休憩スペースという名の高田さん専用スペースに座らせてもらった。
「今日は、三人も来てくれたね。よかったよ、」
高田さんは、そう言った。
一口啜った高田さんは、あの蛙を見つめながら、また口を開いた。
「皆、よく見ていくんだよ、中まで見えるから面白いんだろうね。」
僕はさっき、あの蛙を見ていた。でも、僕には何も分からなかったんだ。
骨や神経が、紫色に見えても。僕には何も分からないんだ。
僕は良く知っている、広い額のその顔を見た。
僕は何も知らないのかもしれない。




