黒き旗の下に
戦は、静かに始まる。
帝国と魔族の同盟から数週間。
対勇者連合軍――人間諸国が結束し、
帝国の国境へと進軍を開始した。
その数、およそ二万五千。
対する帝国・魔族連合はわずか五千。
だが、数が勝敗を決めるとは限らない。
戦場に立つのは、“勇者を殺すための軍”と、
“世界を相手にする勇者”だった。
第八章『黒き旗の下に』。
夜明け前、
新たな地獄が、ゆっくりと幕を開ける。
第一節 暁の戦端
帝国と魔族の同盟が結ばれてから、数週間が過ぎた。
世界は沈黙の裏で、確実に“戦”の形を整えていた。
夜明け前。
帝国国境の広大な平原に、無数の焚き火が並ぶ。
対勇者連合軍――各国の兵を合わせ、およそ二万五千。
神聖王国、エルフ王国、ドワーフ連邦、その他十数の小国が参加する、前代未聞の多国間軍勢である。
天幕の中央、指揮官たちが地図を広げていた。
「我々“対勇者連合”の兵は、総勢二万五千。
対する帝国・魔族連合は、せいぜい五千にも満たぬ!
数の上では、我々の勝利はほぼ確実だ!」
声を張るのは神聖王国軍の将、レオニス・ハールバイン。
彼は戦歴豊富な中年の将であり、帝国との戦争経験も長い。
その言葉に将官たちは頷いたが、会議の隅で別の男が静かに手を上げた。
「……しかし、向こうは勇者。
して、先日帝国内部では“勇者討伐令”が出ていたとか。
詳しい内情はまだ掴めておりませんが――勇者は異界の力を持つ存在。
何を仕掛けてくるか分かりません。
また、魔族と同盟を結びました。
魔族の力を借りているやもしれません。
この戦い、一筋縄では行かないかもしれません。」
発言したのは、ドワーフ連邦軍を率いる参謀グロウ・ベルメル。
場の空気が一瞬だけ静まる。
だが、レオニスは鼻で笑って言い放った。
「ならば尚のこと好都合だ。
“神を捨てた勇者”など恐れるに足らん。
奴も所詮、人間だ。」
その頃、数十キロ離れた帝国側――。
⸻
第二節 帝国・魔族連合陣地
帝国領の国境沿い、黒い旗が並ぶ。
魔族の兵と帝国の兵が肩を並べるという、ありえなかった光景が広がっていた。
レンは丘の上に立ち、遠くに広がる連合軍の焚き火を見ていた。
その隣で、魔族の使者ゼルグレイスが恭しく頭を下げる。
「連合軍の本隊、およそ二万五千。
この距離を保ち、夜明けと共に進軍を開始するとのことです。」
「数は多いな。」
「はい。しかし質では、我らに劣ります。」
レンは軽く頷き、背後に控える三人の魔将に目を向けた。
漆黒の鎧を纏うヴァルゼインが、剣を肩に担ぐ。
紅蓮の炎を纏うネフィアが、退屈そうに爪先で地を削る。
幻影を操るザグレイドが、笑いを浮かべながら影を弄ぶ。
「お前ら三人なら余裕だとは思うけど、
今日は魔族の皆さんもいらっしゃる。
……少しだけ、俺の力を貸そうか。」
三人が一斉に反応する。
「我が主のお力をお借りするなど、勿体ない!」
「主のお力を借りずとも、我らで十分ですわよ!」
「主にいい所、見せねえとな!」
笑いと共に戦意が高まる。
それを見て、レンは小さく笑った。
「魔族の皆さんも見てるし、俺の力を見せないと。」
そう言って右手を掲げる。
次の瞬間、地面が震えた。
漆黒の魔法陣が空を覆い、光の柱が幾重にも立ち上がる。
召喚されたのは、ヴァルゼインらと同じ階級の魔将二体――
雷を纏う“アステル”、氷を操る“メルヴィア”。
そして、その後ろから溢れ出すように現れたのは、
魔物の軍勢、およそ一千。
巨躯の獣、飛行する悪魔、槍を持つ骸骨兵。
地平の向こうまで、黒の波が広がった。
ゼルグレイスは思わず息を呑む。
「……これが、勇者の召喚術……」
レンは視線を遠くの夜空に向けた。
無表情のまま、ひとこと。
「さあ、始めようか。」
遠くの空が白み始める。
戦いの夜明けが、すぐそこまで迫っていた。
⸻
第三節 連合軍本陣・開戦前夜
連合軍の本陣では、勝利の祝杯が早くも用意されていた。
だが、東の空から吹き抜けた風が、焚き火を一斉に消した。
「……ん? 風か?」
「いや、これは――」
誰かが声を上げるよりも早く、
地平の向こうから黒い影が立ち上がった。
音もなく、まるで地面が波打つように。
「報告! 敵軍が動きました!」
「何!? まだ夜明け前だぞ!」
副官が叫ぶ。
その瞬間、視界の端で炎が爆ぜた。
連合軍の補給庫が、黒い炎に包まれる。
「炎だ! 何が起きて――ぐあっ!」
次の瞬間、闇の中から飛び出したのは、
漆黒の鎧を纏ったヴァルゼインの部隊。
その背後には、紅蓮を纏うネフィアの魔炎が流れ込む。
突如の夜襲に、連合軍は混乱した。
レオニスが叫ぶ。
「馬鹿な! 奴らの数はわずか数千だろう!?」
参謀グロウが剣を抜き、顔をしかめた。
「数の問題じゃない……“質”が違いすぎる!」
夜明けと共に、平原は地獄と化した。
帝国・魔族連合軍による奇襲が成功。
連合軍二万五千のうち、一割以上が初撃で壊滅した。
その報告を受け、帝国陣地の丘でレンは静かに目を閉じた。
「さて……ここからが本番だ。」
帝国・魔族連合軍による奇襲は成功した。
夜明けと共に始まった戦は、
わずか数刻で連合軍の前線を崩壊させた。
勇者――黒崎レン。
彼が一度「始めよう」と呟けば、
数千の命が消える。
それでも彼は怒らない。悲しまない。
ただ、淡々と生き残るために戦う。
世界はようやく気づき始めていた。
“勇者”とは、救う者ではなく、
“壊す者”の名でもあると。
そして戦場は、まだ序章にすぎなかった。




