模造創成(コピー・ジェネシス)
“神の真似事”――それは、人が決して触れてはならない領域。
だが、黒崎レンにとって、それはただの好奇心だった。
召喚された勇者として祭り上げられた少年は、
帝国の欺瞞と、人間の実験的狂気を前にして、静かに笑う。
禁書《原罪の書》が示す“存在再現”の理。
その力を手にしたとき、レンは理解する。
――この世界の理は、思考によって書き換えられる。
理性と狂気の境界で、
ひとりの少年が“創造主の模倣”を始める。
それは、勇者という名を持つ最初の破壊者の物語。
夜明け前。
窓の隙間から薄い青が差し込み、部屋の空気は張りつめていた。机の上には黒い装丁の一冊――原罪の書。昨夜、書庫から攫い取った禁忌の塊だ。
(“存在再現”。理屈は分かった。あとは、やるだけだ)
俺はページに指を滑らせ、魔力構文を頭の中で反芻する。息を整え、右手を掲げた。掌に意識を集中――皮膚の下で熱が膨らみ、世界が一枚薄皮を剥ぐように歪む。
空気がたわむ音。
次の瞬間、俺の右隣に**もう一つの“俺の右手”**が現れた。
血色、爪の欠け、細い傷、掌紋。触れれば、温い。
「……ほんとに、同じだ」
握り、開き、また握る。遅延も誤差もない。俺の意識は一つだが、“二つ目の手”は確かに世界へ差し込まれている。初発の昂揚がわずかに喉を焼いた。
(形だけじゃ意味がない。生き物で、やる)
部屋の隅――昨夜、書庫から連れてきた小さな客がひょいと顔を出す。灰色のネズミ。俺は視線を落として構文を切り替えた。
きらり。
板の上に、同じネズミがもう一匹、音もなく座る。ふたりは鼻先を寄せ、同じ速度で髭を震わせた。片方だけを指で示し、指先に小さな炎を灯す。毛が焦げ、体が硬直し、こつんと倒れ――それでも、もう一方は平然と動いた。
「……壊しても、壊れない。最高だな」
理が溶ける音がする。胸の内側で、冷たい笑いが広がっていく。
*
翌日。
アルディア帝国の“勇者教育”は、やたらと仰々しい。高天井の講義室、壁一面の聖句、銀糸のタペストリー。壇上にはザルヴァートが立つ。
「よいか、勇者黒崎レン。忘れてはならぬ。魔族は悪、帝国は光、勇者は人々を導く理想だ」
(うるせぇな……)
彼の声はよく通る。だが内容は空っぽだ。
俺はあくびを噛み殺しながら、前夜の条文を思い出す――五国魔導制約条約。そこに並ぶ署名の最後に、金泥で書かれていたアレスト=アルディアの名。禁術の存在を知り、封じ、しかし召喚だけは続けている。建前は勇者、実際は――
(禁術の適応実験。異界の魂を使った、あの手この手の)
教壇の言葉が遠のく。俺の脳裏では、別の図面が開いている。昨夜見たもの。
書庫の奥で見つけた、薄く埃を被った手稿――『先任勇者事蹟 記録一巻(著:マルクス・ベレン)』。日付、症状、施術、結語:失敗。付記:残滓は処分(転化)。
俺は目を伏せて笑う。小さく、乾いた笑いだ。
(……お前ら、ほんとうに“人間”なんだろうな)
*
夜。
俺は書庫に戻った。管理の隙間を縫うのは簡単だ。目印の棚、三列目の下段。そこに置かれていたガラス箱の内部で、繭のような残骸が眠っている。ラベルは擦れて読めない。だが、僅かな魔力の揺れが物語っていた――勇者の残滓。
「少し、見せてもらう」
額置きの反射式。原罪の書に記された、小型の読心術だ。額に手をかざし、術式を起動。暗い海へ潜る感覚――映像が突然、開く。
白い部屋。
金属の匂い。
抑えつける腕。
刻印。焼き付く痛み。
誰かが笑う。「成功だ」
誰かが囁く。「いい数値だ」
瞳がこちらを見る。絶望。憤怒。虚無。
ぱちん、と視界が弾け、現実が戻る。しばらく、静寂。
次いで、喉の底からひどく冷たいものが上がってきた。
「ふーん。記録どおり、ね」
胸糞悪さが、一つ増えた。
帝国を潰す理由が、もう一つ、増えた。
*
足りない。書き手の顔が見たい。
俺は案内人にさりげなく訊いた。「マルクス・ベレン、どこにいる?」
案内人が言う。「学術区の古文書室、引退して街外れの小屋に」
(いいね。人目がない)
俺は先に、使いを出す。ネズミの模造体。符を埋め、座標を刻み、視界を共有。彼が道をなぞる間に、俺は部屋に防音・遮音・魔導妨害を張り巡らせた。地図が繋がり、座標が定まる。
転移。空間がひっくり返り、老人が落ちるように俺の床に現れた。
「マルクス・ベレンさんですね」
痩せた頬、紙焼けした指、虚ろな目。学者の匂い。
俺は丁寧に椅子を勧める。紅茶の香りが落ち着きを装う。
「手荒な真似ですまない。あなたの書いた本に興味があってね」
老人の喉がひゅっと鳴った。「私は……記録を残しただけだ。未来の研究のために」
「未来、ね」
俺は机に一枚の写しを置く。勇者の断片、虚ろな瞳。
老人の顔から血の気が引く。
「どれほど、見た?」
問いは単刀直入だ。
沈黙。沈黙。やがて、掠れた声。
「……始まりから、終わりまで。失敗の連続だ。処理も、見た」
「そう」
もう十分だった。俺は息をひとつ吐き、手首に指先を当てる。静脈断ち。
光が一度だけ瞬き、老人の身体から力が抜けた。苦痛はない。
「安楽に終わらせる。これでも礼儀はわきまえてるつもりだ」
収納魔法。光に包まれて遺体は箱に収まり、封緘される。
間髪入れず、俺は複製を行った。
声、筆跡、習癖、言い訳。すべてを写し取った**“マルクス二号”**が瞼を開く。俺は彼のこめかみに小さな印を刻み、静かに門を開いた。
「帰っていい。いつも通り、記録を続けて」
扉が閉じる。
暗がりで、俺は小さく笑った。
(……帝国を潰す理由が、また一つ)
*
その翌日。
俺は“測定”に呼ばれた。
広い円形の部屋。床に魔法陣。壁際に測定装置。ガラス越しに皇帝アレストが座り、ザルヴァートが無表情で記録板を手にしている。
「恐れず、自然に魔力を放出してください」
「了解」
俺は、わざと少しだけ漏らす。
床の魔法陣が鈍く唸り、装置が悲鳴を上げる。
ガラスが震え、ザルヴァートの手が止まる。
アレストはわずかに目を細め、顎に手を当てた。
装置が破裂する。火花。煙。係官の悲鳴。
「……測定不能、ですか」
俺は無表情で尋ね、愛想笑いを一枚だけ貼る。
視線の端に、ひそひそ話。
“制御”“封印”“安全保障”。
ザルヴァートが賛同の目を向け、アレストが頷く。
(封印ね。やってみろよ。見ててやる)
*
夜。
また原罪の書を開く。文字の一部が、昨日までより深く読める。
最後の章が、俺の眼を許した――模造創成。
〈存在とは情報の結晶である。情報は魔力構文によって再定義でき、
再定義は世界の理に等しい。ゆえに、理は“思考”に従う〉
(“思考すれば、創れる”。そういう段階、か)
俺は指を弾いた。
空間に薄い波紋が広がり、光がゆっくりと骨組みを描く。
羽ばたきの前振り。
翅の影。
やがて部屋の中央に、**黒い翼を持つ“模造の天使”**が膝をついた。
「命令を」
男とも女ともつかない透明な声。瞳は空洞で、俺だけを映している。
指を軽く振る。「テスト。飛べ。止まれ。消えろ」
天使は無音で天井まで昇り、ぴたりと停止し、霧のように溶けた。
「……冗談だろ」
笑いが喉の奥で弾ける。自嘲にも近い、だが確かな愉悦。
「俺、神の真似事してんじゃん」
窓の外で、遠雷が鳴った。
宮殿の尖塔が濡れ、街が眠る。
俺は硝子越しに帝都を見下ろし、指先で軽くガラスを叩いた。
(お前らの作った世界さ。
どう壊れるか、よく見てろ)
部屋に再び静寂が降りる。机上の原罪の書が微かに脈打ち、ページの端が自ずと閉じた。
「模造」とは、“写すこと”。
だが、黒崎レンが行ったのは“創ること”だった。
自分自身の手を複製し、心を再現し、人を造り、魂を試す。
その先にあったのは、帝国が夢見た“神の再現”。
しかし、神を模倣したのは帝国ではなく、レン自身だった。
彼の視線はすでに帝国の外へ向いている。
「神の真似事め」――
その言葉が、やがて世界を震わせる預言となる。
次章、「勇者実験施設」。
帝国の裏側、そして“勇者召喚”の真実が、
ついにレンの手によって暴かれる。
世界は静かに、崩壊を始める。




