漆黒の裁き
第二陣――三万。
連合軍の本命が、帝国の国境へ進軍を開始した。
かつての敗北を教訓に、人間たちは結界を張り、
勇者の召喚と魔族の力を封じようとした。
だが、それは致命的な誤算だった。
黒崎レンは、誰の力にも頼っていない。
ただ一人で立ち、敵の攻撃を糧に変え、
世界の軍勢を沈める。
第十章『漆黒の裁き』。
勇者はもはや伝説ではなく、
“現実の災厄”として歩み始める。
第一節 再びの戦端
レンたちが連合軍第1陣を壊滅させて2日。
焦土となった平原を越え、連合軍の第二陣が進軍を開始した。
その数、三万。
聖騎士団、神官部隊、砲兵、重装歩兵――人類の全戦力がここに集まっている。
彼らの掲げる旗には「神聖なる人類の秩序を取り戻す」と刻まれていた。
対する帝国陣地では、黒崎レンが静かに外套を羽織っていた。
魔族たちは後方で待機。
ヴァルゼインが問う。
「主よ、今回も我らが――」
レンは首を横に振る。
「いや、いい。今回は俺ひとりで行く。
向こうは“勇者が魔族の力に頼っている”と思い込んでいる。
……なら、期待を裏切るのも悪くないだろ。」
ネフィアが薄く笑う。
「ふふ、まるで遊びに行くみたいな言い方ですね。」
レンは無言のまま、黒い外套の襟を整えた。
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第二節 人間の策
連合軍は広大な荒野に布陣していた。
天幕の中央で、指揮官たちが声を張る。
「勇者の召喚術を封じるために、結界陣を展開せよ!
魔力遮断、召喚封印、広域対魔法障壁――これで奴は動けまい!」
結界術士たちが唱えると、大地が光り、青白い障壁が空を覆った。
聖光が煌めき、空気が張り詰める。
「これで勝てる。奴の力は、我らの結界で封じられる。」
しかし、それは致命的な誤算だった。
――レンは、誰の力も借りていなかった。
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第三節 漆黒の渦
戦場に吹く風が止まる。
レンが一歩踏み出し、手のひらを前方へ向けた。
その瞬間、空間が歪む。
黒い渦が生まれ、地面ごと震え出す。
連合軍が一斉に攻撃を開始した。
砲撃、聖光、炎の槍、雷撃。
あらゆる攻撃がレンめがけて殺到する。
だが、全ての光と音は――
彼の掌から放たれた“黒の渦”に吸い込まれていった。
雷鳴も、炎も、祈りの言葉も、何もかもが渦の中に消える。
まるで、世界そのものが吸い込まれるように。
レンは心の中でだけ、呟いた。
(――地獄の門よ、開け。)
渦が爆ぜた瞬間、光が反転した。
黒が赤を、赤が白を喰らい、爆音が全平原に響いた。
結果は、一瞬だった。
主力部隊が消え、陣形は崩壊。
叫びも祈りも、もう届かない。
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第四節 逃亡者
壊滅した連合軍本陣。
天幕の奥では、指揮官たちが蒼白な顔で逃げ支度をしていた。
「撤退だ! 勇者の位置がわからん!」
「このままでは全滅だ!」
その中の一人、グラニア国の高官――軍務卿エルネストは、
我先にと馬に飛び乗り、逃げ出した。
だが、その前に、紅蓮の炎が降る。
炎の中から現れたのは、ネフィア。
「――あら、どこに行くのかしら?」
彼女はゆっくりと歩み寄り、微笑んだ。
「あなた、見たところグラニア国のお偉いさんかしら。
ふふっ……グラニア国は、戦争中に逃げ出す臆病を飼い慣らしているのね。」
その声は、次第に冷たく変わる。
瞳が赤く輝き、口元が吊り上がった。
「我が主に刃を向けたこと、万死に値する。
ですが――主様より殺すのは禁止と言われておりますので……」
ネフィアは一歩、さらに近づき、囁くように続けた。
「殺さない程度に、痛みつけて……
この世に生まれてきたことを後悔させてあげましょう。ふふふふっ。」
悲鳴が荒野に響き、やがて音が消えた。
しばらくして、ネフィアが戻ってくる。
引きずっているのは、腕も足も不自然に曲がったエルネストだった。
その姿に、連合軍の残った指揮官たちは凍りつく。
「……あれは、エルネスト様?」
「そんな……彼は……」
レンは静かに彼らを見渡した。
「――あんたらには、聞きたいことが沢山ある。
俺にとって重要なことを話してくれれば、解放してやる。」
声は静かだった。
だが誰一人、反論できなかった。
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第五節 帝国地下牢
帝国の地下、湿った石造りの牢獄。
そこに並べられたのは、連合軍の生き残り――
各国の重臣、参謀、戦略顧問。
レンはその中心に立ち、周囲を魔族と魔物たちが囲んでいた。
ゼルグレイスも壁際に立ち、冷ややかに見つめている。
ネフィアが髪をかき上げて言う。。
「ねぇ、主様。この人たち、本当のことを言ってるようには見えませんわ。」
レンは腕を組み、目を閉じたまま答えた。
「……なら、好きにしろ。ただし死なせるな。」
次の瞬間、魔族たちが動いた。
拘束された人間たちが叫び、骨の砕ける音が響く。
正しいことを言っても、誰も信じてもらえない。
嘘をつけば、さらに酷い罰が下る。
拷問の果て、彼らの体も心も壊れていく。
レンはただ、その光景を無表情で見つめていた。
しばらくして、彼は一人の重要人物の前に歩み寄った。
その男の髪を、まるで物を扱うように掴み、顔が見えるように持ち上げる。
「そんなんじゃ話したいことも話せないよね。
いま、回復させてあげるよ。」
男の唇が震える。
「う……うぁ……た……たす……け……て……」
レンは何の感情も見せずに、回復魔法を施した。
淡い光が男の体を包み、砕けた骨がゆっくりと元に戻っていく。
「さぁ、話せ。」
男が震える唇で口を開いた、その瞬間。
「貴様ァ!」
ヴァルゼインが吠えた。
「我が主に回復させて頂いた身で、感謝の言葉も言えねぇのか!」
次の瞬間、鉄の拳が振り下ろされる。
男の頬が裂け、血飛沫が床に散った。
回復してようやく声を取り戻したばかりの口が、再び悲鳴に変わる。
その光景は、悲鳴がこだまし、血が飛び、骨が軋む音が響く――
まるで、地獄のようであった。
他の重要人物たちは目を背け、
次は自分の番かもしれないと震えていた。
ゼルグレイスが一歩進み、静かに頭を下げた。
「主よ、これで第2陣は完全に沈黙しました。
報告は魔族王陛下へ届けますか?」
レンはゆっくりと振り返り、短く答えた。
「あぁ。伝えてくれ。」
ゼルグレイスは一礼し、音もなくその場を後にした。
連合軍第二陣――壊滅。
三万の軍勢は、たった一人の勇者によって沈黙した。
彼は怒りも喜びも見せず、
ただ淡々と、魂を糧に変えて歩いた。
捕らえられた者たちは、地下の闇で嘘と恐怖に呑まれ、
生きることさえ、意味を失っていった。
魔族たちは畏れ、
帝国は沈黙し、
世界は勇者の名を口にすることさえ躊躇い始める。
そして、ひとつの報せ。
魔族王が、勇者との会談を望む。
焦土に立つ男は、ただ短く言った。
「あぁ。伝えてくれ。」
世界が動く音が、静かに鳴り始めていた。




