第9話 とじられた扉と記憶の迷宮[1]
図書館の一角――「しずかな場所」と呼ばれていた旧館の奥。
ふたりの前に現れたのは、古びた木の扉だった。鉄の取っ手は冷たく、鍵穴には封印のように巻かれた赤いリボンが結ばれていた。
「これ……本当に、図書室の中?」
そらたがぽつりとつぶやく。
普段立ち入ることのない旧館の奥、分厚いカーテンが陽射しを遮り、空気はひんやりとしていた。
かすかな埃の匂いが鼻をくすぐる。なつみは一歩、前に出た。
「……ここが、“まほうのとびら”。」
なつみの声は、どこか懐かしさを帯びていた。
それは、過去のどこかで聞いた旋律のような、静かな響きだった。
「鍵……かかってるのかな」
そらたがリボンに触れようと手を伸ばした、そのとき――
「だめっ!」
なつみが思わず叫んだ。
そらたは驚いて手を引く。彼女の表情は、鋭く、でもどこか怯えにも似ていた。
「この扉は、わたしが……じゃなくて、“ゆうしゃ”が開けなきゃいけないの」
そう言って、なつみはスカートのポケットから、小さな紙片を取り出した。
それは、色褪せた“まおうたいじの書”の切れ端。かつてお姉ちゃんと交わした、手作りの冒険ノートの一部だった。
「お姉ちゃんと、ここに来たことがあるの?」
そらたの問いに、なつみは小さく首を振った。
「ううん……でも、きっとここに“答え”がある気がするんだ」
小さな手で、リボンをほどく。
取っ手に触れるその仕草は、まるで儀式のようだった。
ギィィ――という音とともに、重たそうな扉がゆっくりと開いた。
冷たい風が二人の間を通り抜けていく。
その向こうに広がっていたのは――
書棚の迷宮だった。
左右の壁に沿って、びっしりと並んだ古書と、どこまでも続くように見える本棚の列。
天井は高く、薄暗い空間に灯るのは、ぽつりぽつりと吊るされた古い電球の光だけ。
足元のタイルはひんやりとし、踏みしめるたびにかすかに響く音が、静けさを強調した。
「わあ……」
そらたが思わず息をのむ。
まるで、時間が止まってしまったような空間。
なつみは一歩、また一歩と奥へと進む。
肩まで伸ばした栗色の髪をポニーテールに結い、スカートの下にスパッツを重ねたその姿は、背中から見ると小さくて、でもどこか誇らしげだった。
「……いこう、“まほうつかい”」
ふり返ったなつみの声に、そらたも頷いた。
眼鏡の奥の瞳は真剣で、黒髪は少し汗で額に張り付いていた。
短めのハーフパンツにTシャツ、背中のリュックには、お手製の“木の杖”が入っている。
ふたりは、記憶の迷宮へと足を踏み入れた。