月華の舞 05
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若い。
……そのはずだ。
背丈もプロポーションも間違いなく成人した女性のもの。
露骨に見るような真似はしないが、胸は十分すぎるほどに豊かだ。
肌は溌剌として健康そのもの、髪と目は出しているが鼻から下を薄布で覆い隠している。その髪にはいささか作意を感じる。自分と同じ付け毛の可能性があった。
ふわりとした布襞を多めにあしらった、白いドレス。
あちこちに橙色を配しているのが珍しい。今年の流行は、街を飾るのと同じ黄緑色だ。流行を無視して特定の色合いを身につけるのは、その色にゆかりのある旧家の者の可能性が高い。
全体的に明るい色合いの衣装だが、華やかさばかりを追及しているこの日の女性たちとはまったく違う。
デザインも装飾品も、見た瞬間はむしろ地味に感じるようなものだ。今の流行りと違いすぎると、少年には瞬時に拒まれそうな。
しかし、襟元にちらりと見えている橙色の内着や小物、帯などの微細な色合いと配置が、優れた色彩感覚に基づいて選んだものだということが、わかる者にはわかる。
センスはとてもいい……しかし全体的にどうにも古くさい。
悪い意味ではないのだが。
若者が思う程度の、五年前の流行、十年前の古い流行どころではない、もっともっともっと前の、歴史の話になるような古を思わせる装いだ。
それはそれでその時代に洗練され尽くしたものであり、ジールの美意識からすれば十分以上に賞賛に値するが……今日の女性たちの中では、古風なドレスは浮いていた。
しかし――そのやたらと古風な衣装を身につけて誘いに来た美しい女性に対して、ジールが感じたものは。
(な…………何だ、この方は?)
この人、この娘ではなく、この方と、当たり前のように頭に浮かんだ。
成り上がりとはいえ上流階級に属する身であるジールには、相手が高貴な女性であると即座に判別できた。少なくとも庶民では絶対にあり得ない。
だが――どのくらい高貴なのかがまるでわからない。
王家と比肩しうる古家の末裔であるアイナからも時折感じるもの。
それをもっと深めたような。
深すぎて理解が及ばない。
そんな奇妙な感覚をジールはおぼえたのだった。
ジールの困惑をよそに、古風な女性は美しい声で続けた。
「お返事をうかがってもよろしくて? わたくし、あなたがとても気に入りました。ぜひとも素敵な時間をご一緒したいと思いまして、ぶしつけながら声をかけさせていただいたのです」
「あ、ああ…………ええ、光栄です、お嬢さま」
とりあえずジールはそう口にした。
相手の素性を見抜けない逃げの口上だということは自覚しており、恥ずかしくまた悔しく感じた。
「ありがとう。それでは、あの線の内側で、ぜひに」
本選会場とそれ以外とを区分けする、立てられた何十本もの棒とその間に張られた色鮮やかな紐。
謎の女性はそれを示した上で、くるりと回ってみせた。
ドレスの襞がなめらかにふくらみ、手足は軽やかに、指先まで完璧に整えられた美しさを示した。
「!!」
そのターンひとつで、この女性がすばらしい踊り手であるということがわかった。
また強い鳥肌が立った。
彼らを吟味する、本選出場権を与える立場の審査員たちは、二人が進み出ると即座に手にする旗をあげた。ジールは無数の飾り棒を差されているから当然にしても、謎の女性は一本も差していないのに、今のターンだけで資格を得たのだ。
だがジールが審査員であっても本選出場を許可しただろう。
彼女の動作にはそれだけの優美さがあった。
「あなたは……どのような名でお呼びすればよろしいでしょうか?」
「カルナリア、とお呼びください」
相手は目尻をゆるめて答えた。
偉大な女帝の名ではあるが、没後にその名を娘につけた貴族が続出したことによって、どこにでもいる凡庸な名になってしまったものでもあった。
偽名としてもよく使われて、耳にしたジールもその名自体には何一つとして感じるものはなかった。
「ではカルナリア嬢。……のちほど」
本選区画に入ると、男女は左右に分かれるように指示される。
それぞれ周囲を幕で囲まれた、準備の場が設けられており、装いを変えたい者はそこで着替える。ジールは無数の飾り棒を抜き、この日のためにとアイナからプレゼントされた可憐な花のブローチを左肩に付けた。
音楽がひときわ大きく聞こえる本選の場に進み出る。
本選会場は、広場を紐で囲った、ほぼ円形の区画である。
南側には、貴賓席と決勝戦用の舞台がしつらえられている。
舞台はまだ封鎖されているが、貴賓席にはすでに幾人かがついていた。彼らは過去の優勝者や王都から来た舞踏家といった、決勝の審査員だ。本選会場で踊る者たちを見続け、日没時に判断を下し、決勝に進出する男女それぞれ五名ずつを選び出す。無論『月華の君』『月華の姫』を決めることもする。
審査員たちの前での一度の舞踏で決まるわけではなく、長い時間の踊りを観察され、踊っていない時の振る舞いも視界にとらえられているので、本選出場者たちはまったく気を抜くことはできない。技量不足、振る舞いが卑しいなどと判断され、会場から追い出されることも珍しくない。
とはいえ、まだ日没までには時間があり、ここで全力を発揮してその後でバテては意味がないと、会場の中央で踊っている者たちは流し気味だ。
舞台の横合いにいる楽団も、半々に分かれて、交互に様々なタイプの曲を奏でるやり方を取っている。
そういう、序盤の本選会場にジールは踏みこんだ。
まだ踊っていない者たちは、区画の中央で踊る者たちの外縁に沿って移動し、北側で男女それぞれが合流して、相手を見つけ、踊りながら中央へ入っていく流れである。
周囲にはひどく緊張している者もいるが、ジールは慣れたものだ。成人を迎える前からこの場には出ている。人前で踊るのも呼吸をするのと同じように行える。
しかしそれとは違う理由で、ジールの胸は高鳴っていた。
自分の反対側、向こう正面から、カルナリア嬢が姿を見せた。
先ほどの装いと何も変わっていない。周囲の女性の中ではやや浮いている。――やや、なのは目立とうとして奇抜な格好をしている女性もけっこういるからだ。
しかし彼女の気配は、先ほどとはまるで違っていた。
ぎらぎら、とまではいかないが強い欲望がみなぎっていることをジールは感じ取る。その欲望は自分に向けられている。
男女のつながりを作りたいという、恋愛的なものとはまったく違う。そういうものならジールは即座に拒んでいた。ジールが今回の月華祭にこめる思いがあるように、彼女には彼女の、何らかの目的があるようだ。その目的にかなう相手としてジールが見こまれたことは間違いなかった。
ジールに視線を注いでくる女性は他にもいる。外で見たジールの踊りと飾り棒の数に注目した者。背格好でジールの素性を見抜いている、こちらも顔見知りの者。……幸い、アイナの姿が現れることはなかった。
それらの視線をすべて無視して、ジールはほぼまっしぐらにカルナリア嬢のところに進んでいった。
カルナリア嬢も同じようにジールの正面に進み出てきた。
こちらは古風な装いと半ば顔を隠したままでいることもあって、他の男性から注目されている様子はなかったが。
「よろしいですか、お嬢さま?」
「ええ、お願いいたします」
差し出したジールの手に、カルナリア嬢の手が重ねられ、二人は連れ立って踊りの輪の中に入っていった。