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 「ねがい」09


      9


 私の名前は、セルイということになっていますが、親からつけられたものではありません。

 そもそも私は親というものを知りません。どこの誰から生まれたのかわかりません。

 一番古い、最初の記憶は、大きく脚を開いた太った女性の姿、その股間です。それが母親ではないことだけは間違いありません。

 セルイという名も、あるところからそのように呼ばれるようになったもので、最初の頃は自分に名前というものがあるということもわかっていませんでした。番号で呼ばれたことも、髪の色で呼ばれたことも。親がわからない以上、本当の私の名前というものもまたわからないままです。


 私が育ったのは、王都の、夜の街――男と女が欲望をたぎらせる暗い街の、さらに深い所にある建物でした。洞窟というのはわかりますか。あなぐら。日の光の当たらない、明るい世界には縁のない、暗くて深い場所。相手に奉仕する男を育て、売る、男娼たちのあなぐら、男娼窟。

 いいも悪いもありません。そこが私のすべてだったのです。

 男を売る「店」で私は、あなたが想像する最もおぞましく、いやらしく、きたならしく淫らがましい行為よりも、さらにひどいことを教えこまれました。指をはじめ体の様々な部位の使い方。人の体の扱い方。表情の作り方や相手が喜ぶ言葉遣い、やりとりのこつ。道具の使い方、欲情をそそる衣装、化粧の仕方も。

 もちろん、実践もたくさんさせられました。幼い時期というのはどんな人間にもわずかしかありません。その時期を狙い、求める者のために、全力ではたらきました。

 私には才能がありました。相手の反応を素早く察し、相手が喜ぶようにするにはどうすればいいのかすぐにわかる能力がありました。他の男の子たちは何も考えず言われた通りにしているだけだと知って逆に驚いたものです。見た目が良いこともあって、たちまち人気者となりました。私と()()()()()()をするために訪れる客は途切れることなく、また生まれて初めてあの建物を出たのも、他の場所にいる相手にそういうことをするためでした。とても偉い貴族だと後で知りました。別な時には違う場所で違う者の相手をしました。

 私に夢中になる者が数多くいることが、あの頃の私にとってはとても楽しく、面白く、大事なことでした。その頃はよくわかっていませんでしたが、私を呼ぶ相手の格がぐんぐん上がっていって、建物の経営者は大喜びしていたそうです。


 ……その頃の経験があるので、私には、貴族というものが立派だとか偉いとかは少しも思えないのです。服を脱いでしまえばみな同じです。暴食すれば太り、体を壊せば歪む。年を取れば肌はたるみ張りは失われ、病を得れば弱くなる。肌の下を流れる血も、よろこびにあげる声も、にじませる汗も、漏らすぬめりも、放つ汁も、身分ごとに違うものなど何もありません。本当にみな同じなのだと、私は肌で直接知っているのです。


 ()()(はげ)み続ける一方で、成長するにつれ、やはり気になるようになってきました。私は誰から生まれたのか。子は親に似ると言います。ならば私に似た女性か男性かがどこかにいるのではないか。

 それを知るために、色々な手管を教わるのと同じように、文字をはじめ様々な、学問に属することをおぼえてゆきました。客の中には建物で教える以上のことを喜んで教えてくれる者も少なくありませんでした。知りたいことがあれば、普段よりも少し激しいやり方をしてやれば、大抵のことは教えてもらえました。

 そうして私は、七歳から八歳になるあたりの時期に、建物――店の、様々な書類を盗み見るようになったのです。

 子供には貴族文字は読めまいと、店内での警戒はゆるく、色々な記録を目にすることができました。自分の親のことを知りたかったのですが、その記録は見つからず、代わりに店に関することを次から次へと読みふけり、頭に入れてゆきました。

 ――一度でも目にしたものはすぐしっかり記憶できてしまうのが、ある意味、私の不幸だったのでしょうね。そのせいで、読み解くのに時間がかかり発見されてしまうことがなかったのですから。

 自分の名前が記してあるものを探していくとすぐに、店に所属する者の一覧が見つかり、それぞれができること、値段、これからの見込みなどが書いてありました。私の評価は最高でしたが、逆に物覚え悪し成長の見込みなし、反抗的、拒否の気配ありなどの低い評価をされている者が何人もおり、時には処分の文字が別な色で書き足されている者がおり――その者が確かにある時期から姿を見せなくなったことにも思い至りました。

 さらに色々な書類を読んでいって、理解してしまったのです。ここは貴族が経営する()()なのだと。貴族が、その特権を利用して各地から子供を集めて――見た目がいいというだけでさらってきたり、時には両親を殺したり、奴隷の女性に産ませたりしてそろえた子供を、貴族に奉仕するように育てあげるための場所。店でいちばん偉い者は下級貴族でしたが、大貴族の係累(けいるい)……親戚で、もちろんつながりがしっかりあって、店からあがる多大な利益を――私が一番の稼ぎ頭でしたが、その利益の大半を上の貴族に収めていました。そうした金の動きも私は理解できました。もし私が働いた分の代金を正当にもらえていたのなら、今頃はこの宿そのものを買いとることも簡単にできるくらいの額でしたよ。

 そういう事実を知り、私と共に店ではたらく者たちがどのように集められてきたのかを知り、恐らく私も似たような経緯で生みの親から引き離され貴族に奉仕するよう育てられたと推測できて……。

 自分のしてきたことがいかにおぞましいことだったか、いかに貴族どもを喜ばせるだけのことだったかがわかってしまいました。私のため、みなのためなどひとかけらも考えることなく、私たちをどのように使い尽くすかしか頭にない者たちが、私たちを飼っていたのです。それが許されるのが貴族という身分だったのです。


 何もかもが、いとわしくなりました。

 ですが、それを態度に出すことは危険どころか身の破滅だということも、先の一覧表を見ていたので、よくわかっていました。なのでそれからは、これまでと違い気持ち悪いものとなった行為の後に吐くのは誰にも気づかれないようにして、化粧の技術を深く学んで顔色の悪さを悟られないようにして、時には薬を使って無理矢理自分の体を奮い立たせて、あるいは手の技や口の巧さをより修練して触るだけですませられるようにして……。

 ごまかせていると思っていましたが、やはり長年私のような者を見ている相手の目を免れることはできなかったようです。

 ある日、病人の相手をさせられました。全身が病み衰えていて、治癒魔法でもどうにもできず、もう死を待つより他にないという老いた貴族。その者がこの世の最後に美しい子供に愛してほしいと私を呼んだとのことでした。

 でも実際は、人に感染する病気の者の相手を、処分することが決まっている者にやらせて、多額の報酬と邪魔者の処分を同時に行う、店の策略だったのです。

 私は、相手から漂う末期(まっき)の者の死臭にはもちろん気づいていましたが、そこまでの邪悪な目論みがあるとは察することができず、これまで通り自分にできることをやりました。しかしその後は店に戻されることなく閉じこめられ、数日経った後に熱が出て、肌に湿疹(しっしん)が、ひどい吐き気とめまい、止まらない寒気……そして体のあちこちが()れ始めて、みるみる、人間とは思えないひどい姿になってしまいました。そうです、あの不治の病にして誰もが忌み嫌う、「ふくれ病」です。相手の貴族は、治すことはできませんが体の形だけは保っていられる治癒魔法を施されていたためにそうは見えなかったのです。

 流行り病にかかった者がそうされるように、私もまた、動けなくなったところで汚れた衣服ごとむしろでくるまれ、専用の馬車に投げこまれました。王都の近郊に焼き場があり、一切人手に触れることなく荷台もろとも火をつけられる仕組みです。私は店から解き放たれ自由になりました。焼かれるまでのわずかな間だけの、もはや立ちあがることもできない身に与えられた自由でしたが。首をめぐらせ、まぶたも腫れ上がってろくにものも見えない中、よく晴れた空を見たことだけはおぼえています。


 そのまま気を失い――目を覚ましました。

 自分は死んで、ここが死んだ後の世界か、神々が魂を連れてゆく先がここかと思うような、清潔で整った、きれいな場所でした。

 ですが現れたのはまぎれもない人間で、ニヤニヤした、ろくでもない顔つきをしていました。魔導師という存在を見たのはそれが初めてでした。

 結論から先に話しましょう。そこは、ガルディス様が身分を問わずに優秀な者を集めて様々な研究をさせる、学問所とはまったく別な、知識院と呼ばれる場所だったのです。

 そこで医術の研究をしている者が、患部を切除し即座に治癒魔法をかけるこれまでのやり方では治らない、どうやってもいずれは体が腫れ上がってきてしまう不治の病とされていたふくれ病の、新しい治療法を思いつき実践してみたいということで、処理場で待ち受けていて、私を買ったとのことでした。

 これも結果だけを言えば、私は完治させてもらえました。とても痛く、苦しかったですが。本当の本当にろくでもないやり方でしたが。治ったものは治ったのです。その点ではあの者に感謝しています。それ以外は何一ついい言葉をかけてやるつもりはありません。魔導師というのは、普通の者にはできないことができるせいでしょうか、貴族とは別な意味で奇っ怪な精神を宿すことが多いようです。


 すみません、話が横道に()れました。そういうわけで私は自由になり、体も元通りになりましたが――先のあなたと同じように、これまでいた所から追い出され、つながりのある者は誰もいなくなって、もちろん手持ちの財産などあろうはずもなく……。

 そういう私にただひとつ残っていたのが、怒りでした。

 本当ならどこかまったく違う土地で、優しい両親ともしかしたら兄弟姉妹というものたちとも共に、質素だけど楽しく暮らしていたかもしれない。そのあたりの子供と同じように成長し、年頃になれば女の子が気になり始め、好きになる子ができて、いつかは自分自身が親になるかもしれない……そういう普通の人間が当たり前に経験し得るものの全てを奪った、貴族という存在。

 あなたと同じです。私も、私におぞましいことをたっぷりさせたあいつらを、許してはいけないと思いました。私のように処分される者をこれ以上出してはいけないとも。

 しかしあの店を潰し店長を処刑することができたところで、またどこかで貴族が同じような店を誰かに作らせ、同じように子供をさらってきて仕込むことをくり返すだけでしょう。

 そのくり返しを止めるには――貴族という存在、そのものをなくしてしまわなければ。


 そう思っていた私のもとに、ガルディス様がいらっしゃいました。

 私のことをお耳に入れ、御自分から足を運んでくださったのです。

 最初はもちろん警戒し、私に()()()()()()を求めてくるのを覚悟していましたが、そのようなことはまったくなく、やたらと同情し陶酔するようなこともまったくなく、真摯(しんし)に、しっかりと、私の身の上話を聞き、この先のことを考えてくださいました。

 あの方は、王太子という立場でありながら、この国のありようを、貴族が全てを支配する体制を、変えなければならないと考えておられました。

 無論、公言なさっておられるわけではありません。私の経験、私の怒りを受け止めた上で、こっそりと語ってくれたことです。ファラ、あなたも思いを同じくする同志なのですから、軽々しく他人に告げてはなりませんよ。

 ともあれ、私は知識院の学生としてもらえて、あらゆる分野について詳しくなるよう言いつけられました。体もしっかり鍛えさせられました。幸いにして私は、求められる以上の才能を発揮することができて、ガルディス様に大いに気に入っていただけました。

 私の方も、あの方には不思議な、これまで男性に対しておぼえたことのない感覚を抱きました。――よこしまな想像はやめなさい。父親とはこういうものなのか、という感覚です。そもそも今の私はもう、男に対しても女に対しても気持ちが盛り上がるということがなくなっているのですから。


 あの方のご長男ランディル様は今年で七歳になられます。王太子殿下のご長男ですから国王の嫡孫、生まれた時から第二位貴族というこれ以上ない高位ですが、貴族の世界しか知らない者にはなってほしくないと、あの方は目をかけている様々な身分、性格、能力の子供たちと共に育つようになされておられました。その子たちが成長したあかつきには、ランディル様を複数の分野で支える人材となることを期待なされてのことです。

 私もその一員に加えていただけました。

 ただ、学友としていただくその前に、旅に出るように言われたのです。お前は、知識院で貯めこんでいる学問の成果を頭に入れることはたやすいだろう。しかしそれだけでは知識自慢の貴族と同じものになるだけだ。今のお前に必要なのは沢山の、多様な経験だ。そのひとつとして、カラントの隅から隅までを見てくるといい。お前の知識と経験は残念ながらいびつで、人間のある一面については深く知っているが、人間の普通の顔、普通の暮らしというものをまったく知らない。すべての領に足を踏み入れ、それぞれの地で生きる人々に接してくるがいい。その地のものを口にし、その地の子供と遊び、時には危険な目に遭い、乗り越えてくるがいい……と。

 そうして私は二年をかけての旅に出る準備を整え……従者を選び……父と慕うお方に成長した自分を見せる時を楽しみに、旅を始め……あなたに会えたのです、ファラ。



セルイの過去がようやく明らかになりました。本編227話でレイマールがちらりと「お前が生まれ育った男娼窟では」と言っています。

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