「ねがい」08
8
後にしたはずの宿屋に戻ってきた。
同じ部屋で夜を明かした。
しかし今度は立場が逆だった。寝台に横たわるセルイが目を開いた時、ファラはその傍らにいた。
「ファラ…………ですよね?」
「はい」
一瞬、元の名前、本当の名前を呼んでほしいと思ったが、それよりも彼が目覚めてくれた喜びが勝った。
「早朝、ですね。傷がふさがっています。あなたがやってくれたのですか? あれから、どうなりましたか?」
窓から差し込む光の角度で時刻を察した上に、まばたきひとつほどの時間でこれまでの記憶をよみがえらせ分析し終えたらしく、ファラが期待したぼんやり顔、自分が守ってあげなければならない弱々しさはどこにも見つけられなかった。
「ええと、あたし、いや私は何とか魔法にできたみたいで傷がふさがって、気がついたセルイ様が色々言ってまた気絶して、言われた通りにして、今ここで一晩たったところです」
「…………これからは、もっと勉強させる必要がありますね。それはともかく、了解しました、では……私が気を失ってからの状況と、連絡は?」
「あ、はい、ええと、様子がおかしいと、街の兵隊が様子を見に来たんで、セルイ様のおっしゃった通りに、襲われてこうなった、誰かわからない人がふらりと現れて全部吹っ飛ばしていったって説明して、セルイ様の意識が戻ったら事情を説明してもらうと隊長のひとが……で、街へ戻る途中で教わった通りの合図をし続けて、この部屋に戻してもらった後、夜に扉の下から紙が差しこまれてきました」
セルイの手が動いたのでその紙を渡すと、目を通し、燃やすように言われた。
「第六位貴族のリダード・ディンブロンを、街のごろつきが襲った。そういうことになっていますね?」
「はい。隊長は他の人にそう言ってました」
「あなたのことは、気づかれていますか?」
「いえ、裸だったのですぐ布にくるんでもらったのと、セルイ様と一緒にいたので……街に戻った時にはもう暗くなっていたから、多分、誰にも……」
「そうですね。あなたの見た目は貴族の侍女として十分すぎるほどに整っていますし、ネランのあの慌てた行動、自分が手柄を独占したいという欲深さから考えて、他の者に伝えるような真似はしていないでしょうから、ひとまずは安心でしょう。……それで、ファラ、あなたの具合はどうですか?」
先にそっちを心配してほしいと、つい頬がふくらんだ。
「顔色と態度と声で、もう元気になっていることはわかっていましたからね」
心を読まれたように笑われて、さらにふくれっ面になりつつも、胸が高鳴った。
そう、自分がこのひとを助けることができた。
自分には助ける力があった。
人を守る力が、治す力が――逆に、憎いやつを殺してしまえる力が!
家族の仇を取る力が、自分にはある!
「……学院へ入らなければなりませんね」
さらに心を読まれて、冷静に言われた。
「学院?」
「魔法を学ぶところです。様々なことを学ぶ王都中央学問所、その中でも魔法を学ぶ一部門、魔法学院。
あなたは、自分が使える力を用いて行動に出る前に、使い方を学ばなければなりません。でなければ、今回のような幸運は期待できないまま、むやみに被害が拡大するばかりで、目的を達成できるかどうかも怪しいことになるでしょう」
「…………う」
自分が作り出したという肉塊を思い出して口の中が酸っぱくなった。その瞬間はまったく思い出せないが、ひとつ間違えればセルイもああなっていたのだ。
「でもそれは、今すぐではありません。まずは基本的な教養と礼儀作法を身につけ、トルードンに戻ってガルディス様に事の次第をお伝えしてからになります。通常は、魔法の素養がある平民がいるとわかればすぐ、その地の領主に強制的に囲いこまれるものですが、幸いまだあなたのことは知られていません。調査されあなたが疑われる前に、『風』の伝手を使ってこの領を出ます」
「風?」
「騎士とか役人とかいったああいう手合いではなく、姿をあらわすことなく影でこっそり動いて色々な役目を果たす者たちの組織です。忍びともいいます。もう察していることと思いますが、あのボーリフはその一員でした」
そうだったのか! と驚きつつもファラはうなずくだけにとどめた。
「気配を隠し、裏で何かをすることに長けた者。そういう者たちの組織。本来なら国王のために働くことになっていますが、ガルディス様に協力してくれている者が大勢いるのです。彼らは至るところにおり、ひそかな合図で仲間かどうかを見分け、お互いに協力しあうことになっています。あなたにしてもらったのは、教わっていたその合図です。連絡があったのはそれが正しかったという証拠。この点に関してはボーリフは私を裏切らなかったようですね」
「…………えっと……仲間なら……ボーリフを、私が、その、こ、殺してしまったのは……まずいんじゃ……?」
「何も言わなければいいだけの話です。そもそもあの者の任務は私の護衛であるはずなのにそれを裏切ったのですから、ことが明らかになっても非はあちらにあります。ですから心配しなくて大丈夫ですよ」
「よかった……だけど」
ファラの胸が痛くなった。目の前の相手がまったくそういう様子を見せないからこそ。
「つらく……ないの? 自分が信じてた人に、裏切られて……」
父親の部下でよく家にも出入りしていたネランだけでなく、一緒に襲ってきた者たちも、顔を知っている相手だった。そのことにファラは深く傷ついていた。知っているだけの相手に襲われただけでもこんなにつらいのに、自分が選び一緒に旅してきた者たちに裏切られてしまったセルイの心痛はどれほどのものだろうか。
「それは……あなたが気にすることではありません」
セルイは言ったが、そこは自分とそう変わらない年代の子供にすぎず、すさまじい自制心をはたらかせる隙間から隠しきれない感情が漏れ出てきた。
だから、ファラは抱きついた。
寝台にいるセルイにしがみつき、のしかかり、上になって、その体全てを包みこもうとした。
「やめてください」
「やだ。あたしがどんだけだいじょうぶとかやめてって言っても、母ちゃんはこうしてくれたもん。こうしてくれたら、いやなの、どっかいっちゃったもん……!」
教わった言葉遣いなど吹っ飛んで、素の平民少女に戻って抱きしめ続ける。
セルイは弟ライルとも妹カイラとも違う、妙な体のくねらせ方をしたり、突き飛ばそうとしてかあちこちに力をこめたりしたが、ほどなくして抵抗をやめた。
力の抜けた少年の体は驚くほどに柔らかかった。
そして、一気に熱を帯びた。
「う……!」
自分の顔のすぐ横から、引きつったような音がして、続いてこらえきれない嗚咽が漏れ出た。
涙する少年の顔を見ることは一切しないまま、ひたすら抱きしめ、頬を押しつけ、髪ごと頭を撫で続け…………気がつけば自分も泣いていた。
「……ダンショウ、ってなに?」
膨大な感情がほとばしり終え、どちらの息づかいも落ちついてきたところで、ファラはずっと抱いていた疑問を口にした。
リダードたちがそう言ってセルイを罵り、王太子にはふさわしくないと、殺そうとしてきた理由のもの。
良くないもの、良くないことなのだろう。でも大丈夫。自分にはもうセルイしかいない。セルイにずっとついていく。だからセルイがどんな人でも、ダンショウというのがどんなものであっても、気にしない。――その思いを、言葉ではなくくっつけた頬から伝えた。
「………………男と、女が、裸になってすることというのは、わかりますか?」
しばらくの沈黙の後、静かに問われた。
落ちついていたが、刃がこもった声音だった。
体も硬くなっていた。
「知ってるよ。そういうねーちゃんたちに、よく遊んでもらった。話も色々聞いてる。男のあれを、またの間に入れるんでしょ」
大規模な土木工事の現場、大勢の男たちが働く場所の近くには、必ず女たちもいるものだった。
炊事洗濯などの、力仕事に励む者たちの手助けだけではない。昼の間のきつい仕事を終えた男たちが、それはもう明るい、あるいは飢えた顔をして向かっていく小屋というものがどの現場の近くにもあって、ファラはそういうところで「仕事」をしている女性というものにも幾度となく接していた。
母親は自分の子供たちをできるだけ近づけたくないようだったが、禁じられているとかえって興味が湧くもので、父親の仕事仲間の子供たちと一緒になって、接近をこころみたものだった。
「金をもらってそういうことをする女性を、娼婦と言います。
そして、同じことをする男性を、男の娼婦、男娼というのです」
「え」
ファラの心臓が強く打った。
自分は今、セルイと密着し、寝台に横たわっている。
そのセルイが、そういうことをする人……?
「でも、男がするって……男の相手を? それとも女の? そもそもあんた――セルイ様は、子供……」
「男を求める男、女を求める女というのは、少なくはありますが、いるところにはそれなりにいます。男を求める女もたくさん。さらには――男を求めるだけでなく、年若い、幼い男を求める者というのは、恐らくあなたの想像以上に数多くいるのです」
「えっと……」
ファラはものすごい勢いで想像力をめぐらせた。
美少年きわまりないセルイを求める男、というのは想像できなくもない。
だが、そういうことをする側の者だとセルイは言った。つまり自分から相手をする。お金をもらって。男に、ねーちゃんたちがやっていたように、肌もあらわな格好を見せつけて、体に触れて、重なって……!?
「!」
セルイの体の異様な柔らかさや、しがみついた時の妙なくねりが何のためのどういうものか、本能で理解した。
一瞬、危険な鳥肌が立った。
嫌悪しかけた。しかし止めた。止めることができた。リダードたちのように汚いとさげすむことはせずにすんだ。
ファラは、セルイの目を知っていた。
目的を見据えた強い光を放つ目を知っており、自分を救ってくれた美しいまなざしも知っていた。
だから、受け入れた。してきたと言われただけのことよりも、自分の知っているものの方が大事だった。
「私は、支払いに応じて、媚びた笑みを見せ、淫らな格好をして、口にするのもおぞましい無数の行為をしてきたのですよ。それでもまだ――」
「できるよ」
即座にファラは言い、再び腕に力をこめた。
まだ、こうしてしがみついていられる。
男娼という意味がわかっても、気持ちも体も、少しも変わらず。
「セルイ様は、セルイ様だから。あたしのただ一人のセルイ様だから……!」
今度こそ、無限にも思える長い長い沈黙が落ちて。
じっとしているファラに、セルイの心臓の響きが伝わってくるようになって。
激しく高鳴っていたそれが、荒れた河がどうにか落ちつくように、徐々に静かになっていった。
――セルイは静かに話し出した。




