「ねがい」07
7
「リダード!?」
「子供のくせに、この状況で察し、防ぐか。忌々しいやつめ。一応は貴族ということになっているがゆえに、私が手を下してやろうとしたというのに」
これまでの好々爺ぶりとはうって変わった、冷酷な顔つきと声音でリダードは言った。
「どういうことだ!? なぜ!?」
「お前は、ガルディス様にはふさわしくない」
リダードが言い切ると、セルイは心底から予想外のことを言われたらしく、ぽかんとした。
このひともこんな顔をするんだと、ファラは妙に現実感のない心地で考えた。
「我々は、身分ではなくその者の才能を愛で、引き立てるガルディス様の方針には心から賛同している。あのお方の統べるカラントの未来に希望を抱いている。だが――お前はだめだ。お前のような者がお側にいては、ガルディス様のためにならぬ。ゆえにここで消えてもらう」
我々、とリダードは言った。
その言葉通り、他の面々もリダードと同じ顔つきをして集まってきていた。囲まれていた。ネランたち八人はすでに地に伏しまったく動かない。
セルイはファラの前に腕を伸ばし、ファラも何を求められているのか自然とわかって、道を外れた馬車の車体を背にした。そこなら御者台のマルガンから攻撃されることもない。
「そうか……だから……ネランに知らせたのはお前たちだったのか……これが狙いで、あの者たちを利用して……私を、ここで排除しようと……」
じりじりと移動している間に状況の整理と理解ができたらしく、セルイは鋭い目を取りもどしている。
「まったくもって、その年齢で恐ろしいほどに頭の回る怪物だ。男娼でさえなければガルディス様の輝かしい新王朝の一員となるにふさわしかったものを、つくづく惜しい」
(ダンショウ?)
ファラにはその言葉の意味がわからなかった。
「その娘を狙った悪漢どもは、娘と一緒にいたお前の見た目に興奮して襲ってきた。なので我々が防いだが、不運にもお前は殺されてしまった。ガルディス様にはそうお伝えする。酔狂もこのくらいにしていただけるとありがたいのだが」
「酔狂、だと!? ふざけるな! ちがう! ガルディス様はそのような! あの方は!」
セルイが突然激昂した。生の感情そのものの、年齢相応の甲高い叫び声だった。
「酔狂でなければなんだ。男娼窟から拾ってきた子供に目をかけ教育しようとするなど、外聞が悪いどころか正気とは思えぬ。ガルディス様御自身の評判も地に落ちる。良いことは何もない」
「……!」
「下劣のきわみたる出身でありながら、たまたま酔狂でお側に置いていただけるだけでも望外の幸福であろうに、あまつさえ貴族身分まで与えられて、さぞいい気分であっただろう。しかしお前ごときに選ばれた我々が、喜んで付き従っていたとでも思っていたのか、けがらわしいガキが」
「………………」
セルイが言葉を失い、唇をむなしく動かすだけになり、その肌から血の気が失われていった。
何を言うこともできなくなった少年に、血のついた剣を構えるバルポがじりじりと近づき、反対側からは拳に金属の打撃具を装着したルブリューが迫る。リダードの剣の構えも堂に入ったものであり、御者台から車体の上にあがってきたマルガンの危険な気配も漂ってきた。
「ふざけんな!」
ファラは――気がつけばセルイの前に出て怒鳴っていた。
相手が大人であり、武器を持ち、たったいま人を殺し、あるいは殺そうとしているということはわかっているがどうでもよかった。そんな相手はもう経験済みだ。
「あんたたちの言ってることはよくわかんないけど、あたしはこのひとに助けてもらった! 助けてもらってなきゃとっくに死んでた! 生きてたとしても終わってた! でも今は生きてる! このひとのおかげで生きて、前へ進める! だからあたしはこのひとといる! あんたたちがいらないっていうならあたしが――」
まくしたてる。前に感じた、体の奥深いところでごうごうと渦巻くもの。それが急激にかさを増しふくれあがってくる。大河の増水、あふれ出る怒濤。それが充満したファラは、さらに言葉を重ねながら、前へ出る。こいつらを怒らせる。それでまず自分を刺させる。こいつらの武器を全部自分が引き受けて、その隙にセルイが逃げればいい。このひとは強いしかしこい。すぐそれがいいってわかるはず。自分がそのくらいでも役に立てるなら!
「……」
うるさい羽虫だ、とばかりにリダードが手を振った。
「う」
わずかな声。セルイ。
その背後に密着するように、ボーリフ。腰の曲がった老人は、そういえばどこにいたのか。
「あの薬は娘に使ったから、傷を治すことももはやできまい」
しわがれた、冷酷そのものの声が告げると同時に、何かをセルイの脇腹に突き立てていたボーリフの手がぐりっとねじられて、美しい顔が引きつり歪んで赤いものが……。
「!」
リダードを、貴族を、自分たちはえらくて強いと思ってるいやなやつらを、罵りまくっていたファラの頭が、一瞬で真っ白になった。
神さまが。あのひとが。セルイが。セルイ様が。
いなくなってしまう。
――何がどうなったのかわからない。
体の中の大河があふれた。それだけは感じた。あふれたものは水ではなく熱く激しいものだった。自分の体は弾け周囲のすべても吹っ飛び何もわからなくなった……。
「…………ファラ」
呼ばれ、揺すられて、目が覚めた。
寒い、と真っ先に思った。
灰色の空。舞い散る白いもの。
ああ、今度こそ本当に死んだんだと理解した。雪とは死そのもの。雪が降っているということは自分は死んで、だからこんなに寒いんだ。
だが、まばゆいものが現れた。
きれいなかみさま。
「ファラ。わかりますか。私です。しっかり!」
「セルイ……さま……?」
肩に手が触れた。温かかった。それが頬に上がってきた。熱くなってきた。
火がついた。頭の中が照らされ、体に熱が巡り始める。
「!」
これまでのことがよみがえり、飛び起きようとして、体がまったく動かないことに気がついた。
そして、裸だった。
寒いのも当然だった。自分は一糸まとわぬ姿で色のない地べたに横たわり、ごくわずかな布だけをかけられていたのだ。
自分のかたわらにセルイがいて、体にかけられているのは彼の上着で、あらためて見ればセルイの顔色はひどく悪く、そしてその脇腹には真っ赤なものがたっぷりにじんでいた。
ファラの目だけが猛烈に動いた。何が起きたのか。あいつらは。敵は。セルイが怪我してる。血が流れてる。死んじゃう。このひとが死んじゃう、ライルみたいにカイラみたいに、また!
「大丈夫です。私は生き延びました。あなたのおかげで……」
無理をしていることが丸わかりの、しかし作ったものではない本物の笑みを浮かべてセルイは言ってくれた。
「なにが……」
「魔法……なのでしょうね。あなたが放ったのです。あなたにはその才能があったのです」
「まほう……?」
魔法。貴族さまたちが使うもの。すごいことができるもの。火を起こしたり水を出したり、人を治したりもできるって……。
「なおせる!?」
筋道たてた思考などできないが、その考えが浮かぶと即座に飛びついた。何がなんだかわからないままだが、セルイが死んじゃいそう、魔法は怪我を治せるもの、自分は魔法を使った、それなら!
「魔法……の前に、まず、魔力というものがあります。わかりますか。いえわかってください。神の世界に満ちている力。それをこちらに引き出してきたもの。それができる人が魔力持ち、引き出せる力が魔力量……そして、その魔力を、人の世で意味を成すように組み上げたものが、魔法と呼ばれるのです……」
痛みと失血、寒さもあって蒼白になりながらも、セルイは教育をほどこしてきた。
「あなたには、魔法の才能があるようで、いま、魔力を放ったのです。思い出してください」
魔力。体の中に渦巻いていたあれのことなのか。
あれは怒りや憎しみの感情ではなく、神の世界のもの、憎い相手にぶつけることのできる力だったのか!
「あなたは、魔法のことはもちろん、魔力の扱いすら知りませんでした。それなのに魔力量はとてつもないものでした。天才と言うべき存在です。その天才が、加減も何も知らずにぶちまけた結果――形になっていないただの魔力は、破壊力、衝撃の風となって広がったのです」
「しょうげき……?」
「あなたの服をはじめ、まわりのもの全てが吹っ飛びました。生き残ったのは、最も近くにいて、運良く倒れて直撃を避けられた私だけでした」
自分が裸である理由はわかった。
生き残った、とは……?
「ほぼ同じ位置にいたけれども立っていたボーリフは……どこにも見当たりません」
その言葉に恐怖の響きがあり、ファラは少しだけ動くようになってきた顔をめぐらせた。
まわりは一面の荒れ地。さっきまでは冬枯れとはいえ草ぼうぼう、道もあり、馬車があり引き馬が何頭もいなないていたはずなのだが――何もない。
いや、大嵐のあとに地面にへばりついているのと同じような,倒れた草がいくらか。
そこに、妙なものがあった。
少し赤みが混じった、ぐちゃぐちゃした、布のような、肉のような、平べったく積み重なった、そう街の裏路地にぶちまけられた食堂の生ごみのような。
「リダードだったものです」
「え」
さらに見まわす。それと同じようなものが周囲にいくつか。
地面から変な形の木が生えていた。いや樹木ではなかった。馬の脚だった。胴体が破裂したものすごいものが山になっていて、そこからまだ形を保っている何本かが突き出ているのだった。
羽音が聞こえた。雪の舞う空を鳥が舞っている。小鳥ではない、肉食の、猛禽だ。屍肉をついばみむさぼるものが集まってきている。
肉塊を見ても理解が追いつかなかったが、それらの生き物を見てようやく頭に入ってきた。
「こ……これ…………あたしが……!?」
「ええ、あなたがやりました。信じられないほどの魔力を噴出させて」
セルイの手がまた頬にあてがわれた。
恐怖し嘔吐しかけていたファラを、青ざめていてもなお美しい顔がまっすぐ見つめてくる。
「今度は私が言う番です。あなたはとてつもなく恐ろしい力を持っていることがわかりました。たくさんの人間を容易に殺せる力です。けれどもそのおかげで私は助かりました。私の命はあなたのおかげで保たれました。ありがとう……その力はたくさんの人を助けるために……」
言っている途中で美しい瞳からフッと光が消えて、横倒しに地べたに崩れていった。
その服を染める赤い色がファラの目に突き刺さってくる。
「あああっ!」
ファラの腕が動き、自分からその赤いところに伸びた。
体の中で動くものがある。さっきはごうごうとした大河だったが今はほんのわずかな水たまり。
これは力、色々なことのできる力、魔力というもの!
これを呼び出してそのまま注いだところで、しょうげきとかいうものになって今度こそセルイが死んでしまう。彼はなんと言っていたか。魔力を意味のあるものに組み上げたものが魔法。組み上げる。そうだ、父親の部下で家に出入りしていた職人たちが、ただの藁をあっという間に縄にして、細い縄を組み合わせてあっという間に網にする、そういうところを見たことがある。河の水だって強く流れるだけなら洪水のもとだけど、少しだけ引きこめば畑をうるおすし、きれいにすれば飲み水に、体を洗うお湯にもなる。
壊すのではなく、直すものにできるはず。
直す、いや、治す!
(治れ! 治れ! 治って!)
ファラは頭の中をそれだけにして、体の中のものを腕から流し出した。




